手さぐりブログはじめました!

足の向くまま、気の向くままに!

京都バス巡り

2012-01-29 11:29:43 | 日記

 四国から竹田城跡を巡り、最後の訪問地京都に向かった。

さすが都会で曲がるべき交差点を通り過ぎ山の中に入ってしまった。停車していたタクシーに道を聞いたら帰り道なので案内してくれるとか。

本当に親切な運転手さんでした。有り難うございました!

 京都のYHは今までの中で一番素晴らしい施設でした。一泊二食付で約5000円で、暮れの弥彦のみのやでの忘年会の御膳に比べたら品数で半分だ。(宿泊費は3倍以上だったが)

二日目に特別(夕)食(2000円)にしたが、鍋が無くなってエビフライが二匹とお刺身が付いていた。

 

 信用しないかもしれないが、京都での予定を決めないで行った。
(いざとなったら喫茶店でコーヒーでも飲んでいよう)

事前に調べたら、行きたいと思っていたかやぶきの里美山は運行中止で”行き当たりばったりだ”

 出発日
2011年10月1日(土)~2012年3月31日(土)の金・土・日・祝日

除外日:
3月23日(金)
※催行中止日:1月20日(金)~2月5日(日)、3月11日(日)

旅行代金
≪かやぶきの里 ゆったりプラン≫ ※食事なし おひとり様 2,900円(おとな・こども共)
≪名物鍋プラン≫ ※食事付 おひとり様 4,900円(おとな・こども共)

 私にとっては料金も手頃でちょうど良かったのだが。

 Yさんはレンタサイクルで京都を回る予定、”自転車は普段乗っていないからなー”

朝食の時近くにいた人に聞いたらバスで回るとか、曰く車で駐車場を探しているよりはるかに便利とか。

”よし!決めた、バスにしよう”

YHのフロントでバスの一日券(500円)を買い、路線図(これが素晴らしい)をもらい、バスの乗り方を教えてもらい(恥ずかしながら近年バスに乗った覚えが無い)出発した。

おまけにバス停は施設の近くだ。

 

 金閣寺を過ぎてのバス停で乗り換え、清水寺に向かうことにしたがなぜか二条城に来てしまった。乗り換え時反対路線のバスに乗ってしまったようだ。
急きょ寄る事にした。



 二条城のガイドさんに上手なバスの乗り方を教わり、なんとか清水寺に到着した、そこでは韓国と中国の言葉が飛び交っていた。
お土産に八つ橋を買って徒歩で八坂神社に向かう事にした。
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天空の城

2012-01-28 11:18:01 | 日記
 
 四国には幾つかのお城が残っている。
行程の関係で全部には寄れなかったが見たいと思っていた城には寄る事が出来た。

まず山内一豊で知られる高知城、朝まだ見学の時間前だったが裏の駐車場にYさんに待っていてもらい登ってきた。
 

 あとは宇和島城と松山城だ。

松山城は暮れに”坂の上の雲”を観ていたので一番行きたかった城だ。昼に宇和島城を見学してから松山城を見学したがそのスケールには圧倒された。

天守閣から、その敷地までとにかく違う。(見学料金も違ったが)

 時間の関係で”坂の上の雲ミュージアム”には寄れなかった。夜は有名な道後温泉まで足を延ばし”じょんのび”させていただいた。

 

 次に行ってみたかったのが兵庫県の山間にある竹田城跡だ。

今から約400年前に廃城になっているが、山の上に有る城跡は霧(雲?)がかかり幻想的な所だ。
よほど物好きでも無ければ行かない様な場所では有るが。

山の上の城壁でお会いした和泉NOのご夫婦もあちこち出かけたが”とうとうこんな処が残ってしまった”とか。

 

 最後の写真はポスターを撮影した、悪しからず!
中腹の駐車場から舗装された遊歩道が整備されており、登りやすかった。(結構体力を使ったが)

( 昭和18年)9月8日、「史蹟名勝天然紀念物保存法」に基づき、国の史跡に指定される。
1989年(平成元年)11月、文化庁の許可を得て、角川映画「天と地と」のロケーションが行われた。城跡には製作費3億円を投じて、天守閣、大手門、塀等のセットが建設された)

 
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鳴門&四万十川

2012-01-26 14:14:56 | 日記
 
 福井から高速に乗り、幾つかのジャンクションを通りようやく四国に入った。

 

 早速鳴門の渦潮を見ようと言うことになり船着き場に向かった。チケットを買おうとしたらまだ当分船(観潮船)は出ないとの事。

何時でも見られるものと思っていたが、とんでもない!干満の時だそうだ。
良く考えればその通りなのだが、情けない!

時間待ちをしてようやく船に乗った。途中で漁をしている小舟がいたが、見ている方が怖かった。

 

 四国に入って二日目に四万十川の上流を目指し、内陸(山の中)を走った。
途中のパーキングの看板に竜馬”脱藩の道”と書いて有ったがもっと山の中に有る様だ。



 たまにはお昼を奮発して四万十川のアユかうなぎでもと思ったが、レストランにそんな気配も無く、これも聞けば冬は水も少なく漁はしていないそうだ。

 道の駅の売店でTELで聞いてもらってアユの甘露煮定食にありついいた。(\2,000)
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足のむくままに。

2012-01-26 11:46:21 | 日記

先日近所のYさんに誘われ車で四国~京都を巡ってきた。週末に出発し次の週末に帰宅し、約3000Kmの行程でした。

 

 初日は大事を取り、福井で泊まった。時間が有ったので織田信長に滅ぼされた朝倉家の一乗谷に寄った。

私の家庭菜園の有る地区は”越前浜集落”でここの人達の祖先は越前から船で逃れ、海上で鶏の鳴き声を聞き上陸したとか。そのせいでかっては卵を食べなかった様だが今はどうだか?

(「越前浜は、慶長7年越前国坂井郡三里浜から小川興三左衛門以下28人がこの地に入国」、大正13年3月烏子明神を神明社に改称し村社とし宮平に建立。) 神社石文



時間が有ったので北の庄城跡に寄る事にした。

  

駐車場から福井城を通り抜け到着、かっては壮大な城が有ったらしいが。現在は柴田勝家、お市の方、浅井三姉妹の像が建っている。

ちょっとがっかりしたが、柴田神社に日本画家平山郁夫の絵(ガイドさんがそう言っていた)が飾られていた。新発田勝家の末裔だそうだ。

 (平山家は300年以上も続く旧家で、菩提寺の寺伝によれば、初代の柴田孫左衛門は、戦国武将柴田勝家の孫だとされています。)
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