3月25日の日曜日、和歌山市の本願寺鷺森別院とその周辺を会場に、孫市の会主催で催された第8回孫市まつりに参加した。本堂でお昼前から「ななこの会」の仲間達のリードで、集まった子供達と共にお手玉を使った楽しい遊びを存分に楽しんだ後、同じく本堂で午後1時から、和歌山市立博物館の主任学芸員である太田宏一さんの「火縄銃と雑賀衆そして戦国時代」と題した講演に聴き入った。
【写真】講演する市立博物館の太田さん
雑賀の地は「和歌山」の地名より早くに「在日鹿野(さいかの)」として万葉集にも詠まれ、今よりはるかに広範囲にわたる物流の中心であり、商工業が発達し、多くの人々がそこに集まっていたという。「紀湊(きのみなと)」と呼ばれる港湾を拠点に通行税を徴収したり、回船業を営んだりすることで財を蓄え、さらに鉄砲を手に入れるに至り、軍事的にも無類の強さを誇っていたらしい。
注意すべきは、「雑賀衆」とは地縁的集団を指し、浄土真宗を基盤とする結びつきは「雑賀一向衆」などと呼んで区別すべきであることだという。両者は重なる部分もあるが、微妙にずれてもいるのだそうだ。
いずれにしても重要なのは、雑賀孫市を代表とする雑賀衆が、織田信長などのような「職業軍人」ではなく、一般市民であったということだ。かの時代の漲るパワーを、ぜひとも現代の和歌山に甦らせたいと念願する。
(宮本年起 / 和歌山)