さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

徳川家の菩提寺 歴代将軍の位牌を祭る「大樹寺」

2017-02-26 19:38:10 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では徳川家代々の祈願所として創建され、勝運出世・開運発展の神として人々の信仰を集める「伊賀八幡宮」の歴史と数々の伝説について取り上げた。

家康が桶狭間の戦いで追手を逃れて軍を引き返した際、伊賀八幡宮の神使の鹿が松平家・徳川家の菩提寺へ家康を導いたという伝説は前述の通り。
今週は伊賀八幡宮と同じく親忠公により創建された「大樹寺(だいじゅじ)」を紹介したい。


【写真】大樹寺の山門

大樹寺(だいじゅじ)創建は、応仁元年(1467年)親忠が付近で起きた井田野合戦の死者を弔おうと千人塚を築いたが、後に塚が鳴動し悪病が蔓延する奇怪な現象が起きたため、さらに亡霊を弔うため勢譽愚底上人(せいよくていしょうにん)を招き念仏を唱え霊を鎮めたことにはじまる。

文明7年(1475年)親忠は勢譽愚底上人を開山とする大樹寺を創建。
大樹とは征夷大将軍の官名(唐名)であり、松平家から将軍が生まれることを祈願して名付けられたといわれる。

桶狭間の戦場から引き返してきた家康が寺に逃げ込み、寺を追手に包囲された際、先祖の墓前で自害を図ろうとした家康を時の住職「登誉上人」が浄土宗の教えとされる「厭離穢土 欣求浄土」を説き、家康自らが太平の世を作る努力をしてはどうかと自害を思いとどめさせたという。
以来、この教えは家康の座右の銘になったという。

家康は遺言として家臣らに「予の遺体は久能山(静岡)へ埋蔵せよ」「位牌は三河の大樹寺へ安置せよ」と残し、家臣らはそれに従い家康の位牌を収め、代々の将軍においても同様に位牌が収められ、その位牌は等身大に作られ大樹寺に安置されている。

境内に建つ多宝塔や壁画などは国の重要文化財に指定。人々の信仰を集めている。

(次田尚弘/岡崎市)



先日訪問した際に撮影した「大樹寺(だいじゅじ)」の写真です。



山門前の道路は石畳


多宝塔


本堂


本堂と多宝塔、総門の一直線上に見える岡崎城

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徳川家代々の祈願所 出世・開運を願う「伊賀八幡宮」

2017-02-19 14:52:38 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では徳川家康公を祭る三大東照宮の一つとされる「滝山東照宮」の歴史と文化について取り上げた。
今週は松平家(徳川家の祖)の時代から、徳川家代々の祈願所として知られる「伊賀八幡宮」を紹介したい。


【写真】伊賀八幡宮の随神門

伊賀八幡宮は文明2年(1470年)に松平四代・親忠(ちかただ)公が子孫繁栄の守護神として創建。
伊賀国(三重県)からこの地に社を移したのが始まりとされ、以後、松平家と徳川家代々の祈願所となった。

天文4年(1535年)12月、松平八代・広忠(ひろただ)公(徳川家康の父)は岡崎城を攻めてきた織田信秀(織田信長の父)を迎え討つことになり八幡宮に武運を祈願した。
その際、馬に乗り現れた武者が敵陣をめがけて白羽の矢を放ったところ、八幡宮の森から黒雲が沸き出し嵐が起きて白羽の神矢が雨のように敵陣へと飛び、たちまち三万余りの敵陣は敗退したという。
広忠公はその神矢を広い八幡宮に奉納したといわれ、家康公も尊敬の念を厚くもち出陣のおりには必ず祈願に訪れたという。

関ヶ原の戦いや大坂の陣の際には神殿が鳴動し鳥居が動いたという伝えもある。
桶狭間の戦いで軍を引き返そうとした際、八幡宮の神使である鹿が現れ松平家・徳川家の菩提寺である大樹寺(だいじゅじ)へと導かれるなど、様々な伝説が残る。

社殿の造営は広忠公、家康公、家光公により行われたものが主であり、現存する社殿の大部分は家光公による寛永13年(1636年)の造営とされる。
昭和8年に本殿、弊殿、拝殿、透塀、御供所、随神門、石橋、石鳥居、棟札などが国宝に指定。
先の大戦で焼失せず、現在も国の重要文化財に指定。勝運出世・開運発展の神として人々の信仰を集めている。

(次田尚弘/岡崎市)



先日訪問した際に撮影した「伊賀八幡宮」の写真です。










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家康公を祭る 「滝山東照宮」の歴史と文化

2017-02-05 13:35:18 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では岡崎城下町の街歩きコースに建つ味噌蔵と、そこで製造される市の特産品「八丁味噌」の歴史について取り上げた。

今週は舞台を郊外へ移し、家康公を祭る三大東照宮のひとつとされる「滝山(たきさん)東照宮」を紹介したい。


滝山東照宮

滝山東照宮は岡崎城から北東へ約6キロに位置する。3代将軍徳川家光の「三河の国は徳川家の本国で岡崎城は家康生誕の地であり在世の本城であったことから岡崎に権現様を新たに迎えたい」との命により、正保3年(1646年)に創建された。
滝山東照宮に隣接する「滝山寺」が、家康の信仰が厚かったことからこの地が選ばれたという。
以後、日光東照宮(栃木県)、久能山東照宮(静岡県)と共に三大東照宮のひとつとして人々に崇敬されてきた。

社殿には東照宮の特徴といえる華麗な漆塗りと鮮やかな色を用いた彫刻が施され、所々に葵の御紋が配置されている。
社殿の上部を支える蟇股(かえるまた)と呼ばれる建築部材や、彫刻が行われる手挟み(たばさみ)と呼ばれる装飾用の板など、江戸初期の建築技法が用いられている。
創建から現代まで修復が度々行われ、昭和28年に本殿、拝殿、幣殿、中門、鳥居、水屋などが国の重要文化財に指定されている。

家康の信仰が厚かった「滝山寺」の本堂と三門も、室町時代前期に建立された貴重な建造物として国の重要文化財に指定。
年に1度行われる「滝山寺鬼まつり」は本堂に大きな松明を持ち込む火祭りで愛知県の無形民俗文化財に指定。
筆者が取材に訪れた際は準備の真っ最中。地域の方々が大勢集まり、その勇壮さや伝統のある祭りを世襲で受け継いでいることを熱心に教えてくれた。

東岡崎駅から名鉄バスで約25分。滝山寺下で下車し徒歩約3分。

(次田尚弘/岡崎市)



先日訪問した際に撮影した滝山東照宮と滝山寺の写真です。


滝山寺本堂から見た滝山東照宮


滝山東照宮の鳥居


豪華な装飾


地域の方々が節分の準備をしている滝山寺本堂

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