さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

人と物流の玄関口 国際拠点港湾「和歌山下津港」

2020-10-25 21:10:37 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、150年以上に渡り西浜地区を高潮等から守ってきた、国の指定文化財「水軒堤防」の歴史を取り上げた。
今週は進路を北へ進め、まもなく見えてくる「和歌山港」を紹介したい。


【写真】和歌山下津港(本港区)

和歌山港は和歌山下津港の「和歌山本港区」に位置する。
和歌山下津港は、和歌山市、海南市、有田市の広範囲に跨る港湾で、鉄鋼業や石油精製業など、多数の有力企業が臨海部に立地し、これらの企業の原材料や製品の物流拠点となっている。
大きく5つの港区に分かれ、北から「和歌山北港区」「和歌山本港区」「和歌浦・海南港区」「下津港区」「有田港区」がある。

和歌山本港区は、旧和歌山港の発祥地で古くから流通網の拠点として活躍。原木、砂利、砂、セメント等の輸入、機械や化学工業品の輸出が主となっている。
2001年5月には西浜地区に4万トン級の大型コンテナ船が接岸可能な岸壁を整備。他にも、荷役効率が高い大型のガントリーククレーンを備えるなど、規模を拡大。

同港は2011年4月に国際拠点港湾に名称を変更。
国際拠点港湾は全国18箇所にのみ存在し、重要港湾のうち国際海上輸送網の拠点として特に重要な港として政令により指定されたもの。
県内では和歌山下津港のみで、関西では堺泉北港と姫路港を含め3港。国際的な拠点としての重要度が認められている。

徳島港との海路を結ぶ南海フェリーの発着地点としてターミナルを利用した方もいるだろう。
四国方面から関西への玄関口としての機能も備える。昨年には新造船が導入されるなど快適性も増している。

人と物流の玄関口として価値ある存在の和歌山港。和歌山の経済を支え続けてほしい。

(次田尚弘/和歌山市上空)



出向直後の徳島港行きフェリーから見える和歌山港駅



2019年12月から導入された南海フェリーの新造船「フェリーあい」




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150年以上、西浜地域を守る 国指定文化財「水軒堤防」の歴史

2020-10-18 17:39:21 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、現存する汐入様式の庭園で、国指定の文化財となっている「養翠園」の歴史と魅力を取り上げた。
今週は少し北へ進路を進め、養翠園の程近くから北へ延びる「水軒堤防」を紹介したい。


【写真】松林が南北に延びる「水軒堤防」

水軒堤防は、江戸時代後期に築かれた延長約2.6kmの防潮・防波堤防で、堤防より海側のエリアが埋め立てられるまで150年以上に渡り、西浜地域を高潮等から守ってきた。
現在は厚い砂に覆われ堤防の姿を確認することは難しいが、平成17年から21年に行われた発掘調査により、中堤防は高さ3.7~4.4m、幅27m以上であることが明らかとなっている。

石堤は海側に和泉砂岩を、陸側に結晶片岩と砂岩を帯状に積み、精緻で堅固なもの。
その背後に土堤を築き、石堤の底には胴木と留杭を用いて地盤対策を行うなど、当時の技術を結集して作られたものといえよう。

堤防は令和元年10月に国指定文化財 史跡・名勝に指定。発掘調査等でその構造と時期が判明しており、近世の土木技術や防災の有り様を理解するうえで重要であると評価された。指定面積は約8万平方メートルで、延長約1.5kmの区域。

空から見ると堤防の存在が見て取れる。堤防に沿って植えられた松林がまるで龍の如く南北に延びており、この堤防の役割と壮大さがうかがえる。
現在、堤防の一部が養翠園近く(旧・南海電鉄水軒駅付近)に移築保存され、その構造を知ることができる。

長年にわたり和歌山市を守ってきた水軒堤防。ぜひ、現地でその姿に触れてみてほしい。

(次田尚弘/和歌山市上空)



水軒堤防と松林の変遷を撮影した写真です。

2002年(平成14年)5月25日までは南海和歌山港線(和歌山県営鉄道)が松林に沿って敷設され、終点に水軒駅が設置されていました。
当初は木材の積み下ろしのための貨物専用駅として計画されたが、最終的には貨物駅として使用されず旅客駅となりました。


水軒駅・1988年3月撮影


臨港道路と松林の間を走る南海電車・1997年2月撮影



発掘中の水軒堤防・2005年6月撮影


水軒の浜に松を植える会の看板・2011年2月撮影


旧・南海電鉄水軒駅付近に一部が移築保存された水軒堤防と松林の変化



移築された水軒堤防・2015年6月撮影




2020年5月に撮影した水軒堤防、4年間で植林した松が成長しています。



松林から撮影した水軒堤防・2019年5月撮影






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現存する汐入様式の庭園 国指定文化財「養翠園」の魅力

2020-10-11 16:44:01 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、リアス式海岸が織りなす景観に優れた「雑賀崎」の魅力を取り上げた。
今週は北へ進路を変え、間もなく見えてくる「養翠園(ようすいえん)」の歴史と魅力を紹介したい。


【写真】養翠園(写真中央)

養翠園は和歌浦・雑賀崎エリアの北端に位置する庭園。紀州藩十代藩主・徳川治宝の別邸である「水軒御用地」の庭園として、文政元年(1818年)から9年(1826年)にかけて造営された回遊式庭園。
海浜の立地と風致を活かした「汐入」と呼ばれる様式をとる庭園は、同じく徳川家に由来し将軍家の別邸・浜御殿を前身とする東京港区の都立庭園「浜離宮恩賜公園(はまりきゅう おんし ていえん)」と養翠園のみが現存。貴重な存在として平成元年12月、国指定文化財(史跡・名勝)に指定されている。

空から眺めると、赤いアーチが特徴の水軒大橋付近から和歌浦湾(大浦湾)の海水を取り入れ、南側に張り出したL字型の入り江部分と園内が繋がっている。

庭園は園内の建造物「養翠亭」を中心に構成。東側には広大な池泉が設けられ、池の中央に配置された中島に向け土堤が伸び、美しいアーチが特徴の三つ橋と太鼓橋が架けられている。
これは、中国杭州の西湖の蘇堤をモチーフとする中国風のものであるという。

養翠亭に近い西側では、そこから見える天神山と章魚頭姿山(高津子山)を借景に持つ日本らしい回遊式庭園を構成。東西で異なる風景を楽しむことができる。

日本で2つしかない汐入の様式をとる庭園。200年もの歴史を現世に残す貴重な存在。訪れてその魅力に触れてほしい。

(次田尚弘/和歌山市上空)



今年の5月18日に訪問した養翠園です。
庭園には紫のカキツバタと黄色のキショウブが咲いていました。



















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海の青と山の緑が美しい リアス式海岸が織りなす「雑賀崎」

2020-10-04 13:45:38 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、和歌浦エリアの象徴と題し、雑賀山に鎮座する「紀州東照宮」と不老橋の歴史を取り上げた。更に西へ進むと雑賀崎が見えてくる。
今週は「奥和歌浦」とも呼ばれる「雑賀崎」の魅力を紹介したい。


【写真】上空から見た「雑賀崎」

雑賀崎の特徴といえば、高台から海岸まで段々に建つ家々。空から見るとその様子がよくわかる。
雑賀崎地区には約570世帯、1160人が暮らす。日当たりのよい南斜面から海を眺められるこの地域には、観光旅館やホテルも存在する。
一時期の賑わいは感じづらくなったが、綺麗な景色と海の幸を求める旅行者に人気だ。
昭和25年に毎日新聞社が主催した「新日本観光地百選」の海岸の部で第1位に輝いたとされ、かつてから風光明媚な土地として広く知られていたことがうかがえる。

空から印象的に見えるのが「番所庭園」。
雑賀崎の西端に位置し和歌浦湾に突き出た「番所の鼻」と呼ばれる岬にある芝生の庭園で、紀州藩における海上の見張りを行う「番所」が設けられたことがその名の由来。

庭園の先に浮かぶ「大島」「中ノ島」「双子島」も特徴的。
荒々しい岩がむき出しとなったリアス式海岸が、海の青と山の緑のコントラストを一層引き立てる。

鷹ノ巣と呼ばれる断崖に建つのは「雑賀崎灯台」。雑賀衆により築城されたとされる「雑賀城」の跡地であるという。
灯台は昭和35年に初点灯。水面からの高さは約75m。灯台の頂部近くまで階段で登ることができ、天気が良ければ淡路島や四国を一望できる。

市の中心部から車やバスで容易にアクセスできる雑賀崎。訪れて、魅力を再発見してほしい。

(次田尚弘/和歌山市上空)
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