さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

駿河の守りの要 家康埋葬の地「久能山」

2017-11-26 13:30:40 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では駿河湾を望む風光明媚な「日本平」と、徳川家康の遺命により埋葬された「久能山東照宮」を空中で結ぶ、日本平ロープウェイの魅力を取り上げた。
今週は久能山の歴史について紹介したい。

久能山は西暦600年頃の推古天皇の時代、久能忠仁により開山。観音菩薩を安置し「補陀落山(ぶだらくさん)久能寺」と称したことから「久能山」と呼ばれるようになったとされる。

久能寺の周囲には330にも及ぶ多くの僧坊が建てられ、行基をはじめとした名だたる僧が訪れたという。
嘉禄年間(1225年頃)、山麓の失火による類焼でかつての街並みは現存していない。

その後、永禄11年(1568年)、領主であった武田信玄が要害である久能山に目をつけ山上に城砦を築き「久能城」と命名。久能寺は北東約3キロの位置に移された。

天正10年(1582年)の武田氏滅亡後は徳川家康の所領となり、家康の死後、久能城を廃止し東照宮が建てられた。
家康もまた久能山の要害に目を付け、「久能山は駿府城の本丸と常に思召す」と言葉を残すほど、駿河の守りの要であると意識したという。
それ故に自らの埋葬地として久能山を指定し、太平の世を願ったのだろう。

家康が死去した元和2年(1616年)4月17日。家康の亡骸はその日のうちに久能山に移し一部の側近以外は登山を禁止されたという。
日本平の反対側にあたる久能山の南側(太平洋側)に登山口があり、現在も多くの人々が1159段の石段を登り東照宮をめざす。


【写真】久能山東照宮への登山口

登山口の周囲には小さいながらも門前町があり訪れた参拝者をもてなしている。

(次田尚弘/静岡市)
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5分間の空中散歩 駕籠をイメージ、久能山へ

2017-11-19 13:33:22 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では駿河湾を望み豊かな静岡を感じられる景勝地「日本平」を取り上げた。
日本平は標高307mの丘陵地に位置し、南側には徳川家康の遺命により埋葬された「久能山東照宮」を山腹に持つ久能山(標高216m)がある。
今週は日本平と久能山を結ぶロープウェイに乗り、久能山東照宮をめざしたい。


【写真】ロープウェイ(日本平-久能山)

日本平ロープウェイは清水区草薙の日本平駅と駿河区根古屋の久能山駅間の約1㎞を5分で結ぶ。
昭和32年に開業し平成19年からは開業50周年を記念し、ロープウェイ2機に駕籠をイメージしたラッピングが施され、1機は「あおい号」として殿様を、もう1機は「たちばな号」として姫様をイメージ。

筆者が訪れたのは5月下旬。眼下の新緑が美しく、久能山の向こうには青々とし雄大な駿河湾を望む。
55名乗りの車両には大勢の客が乗り東照宮をめざしていた。東照宮を案内する女性車掌によるマイクパフォーマンスに聞き入りながら、まもなくして久能山駅に到着する。

久能山にはロープウェイ以外に徒歩で登ることもできる。山の南側(海側)に登山口(久能山下)があり、久能山下から東照宮まで1159の石段。健脚な方であれば20分程で登れるという。

かつて久能山は要害であるといわれ、永禄11年(1568年)武田信玄により山上に城塞が築かれ「久能城」と称されたところ。
元和2年(1616年)家康死去の後は久能城を廃止、東照宮が建てられ今日に至っている。
久能山の歴史や東照宮については、次号以降で詳しく紹介していきたい。

(次田尚弘/静岡市)
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豊かな静岡を感じる 駿河湾を望む景勝地「日本平」

2017-11-12 16:37:53 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では世界遺産・富士山の構成遺産のひとつで、日本三大松原の「三保の松原」について取り上げた。
今週は、風光明媚な松原を俯瞰して見られる景勝地「日本平(にほんだいら)」を紹介したい。


【写真】日本平から駿河湾を望む

日本平は静岡市清水区と駿河区の境に位置する景勝地。標高307mの丘陵地に位置し、国の名勝や県立自然公園に指定されている。
眼下に三保の松原や清水港が広がり、駿河湾越しに富士山を望むことができる。

近年は「日本夜景遺産」に認定されるなど、自然が織りなす豊かな景観とそれらを阻害することのない人々の豊かな営みが美しい夜景として現れ、訪れる人を魅了する。

日本平はかつて、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、この地に広がる草なぎの原で野火の難に遭い、敵方を平定した後、この山頂に登り四方を眺めたことから、日本平という名が付いたとされる。

丘陵の南側には、徳川家康が死去した際、家康の遺命により埋葬された「久能山(くのうさん)東照宮」が山腹にある久能山(標高216m)が隣接し、日本平の山頂から東照宮を結ぶロープウェイが結ぶ。
日本平に車を止め、ロープウェイで東照宮をめざす観光客も多い。
平成22年に本殿、石の間、拝殿が国宝に指定された久能山東照宮については、追ってこのコーナーで詳しく取り上げていきたい。

富士山を遥かに望む豊かな景勝地。静岡の旅の仕上げにぜひ訪れてみてほしい。

(次田尚弘/静岡市)
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世界遺産・富士山の構成資産 日本三大松原「三保の松原」

2017-11-05 20:17:38 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では静岡市清水区の「清見寺」について取り上げた。家康が手習いを受けた寺のひとつとして、また、東海道に近く朝鮮通信使の休憩地として使用されたことで知られる風光明媚なところ。今週は同じ清水区内の景勝地「三保の松原」を紹介したい。


【写真】三保の松原

三保の松原は駿府城公園から東へ約15kmの三保半島に位置する。駿河湾に面した7kmにおよぶ海岸線に沿い5万4千本のクロマツが茂る巨大な松原で、緑の松原と青い海の間に雄大な富士山を望むことから、古くから様々な文学や芸術作品に取り上げられてきた。

皆様もご存知のテレビドラマ「暴れん坊将軍」で松平健さんが演ずる徳川吉宗が白馬に乗り、富士山をバックに砂浜を駆ける映像はここで撮影されたという。

日本三大松原(三保の松原、虹の松原、気比の松原)のひとつとされ国の名勝に指定。平成25年6月には世界文化遺産として登録された富士山の構成資産となった。

松原の一角「御穂(みほ)神社」にある「羽衣の松」には天女伝説がある。
地上に舞い降りた天女が松に掛け忘れた羽衣を漁夫に拾われ、それを返してもらうために天人の舞を披露したというもので、羽衣の切れ端といわれるものが御穂神社に保存されている。
以後、この伝説は受け継がれ現在も「三保羽衣薪能(たきぎのう)」として毎年10月に開かれる羽衣まつりで演じられ継承されている。

筆者が訪ねた3月下旬は空気が澄み富士山に積もる雪が美しく絶景であった。これから春にかけてのシーズンの訪問がおすすめだ。

(次田尚弘/静岡市)
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