さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

お伊勢まいりの起点「二見浦」 三重県伊勢市

2016-09-25 13:32:11 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号まで松阪市における紀州藩に縁のある方々の功績と街の魅力について取り上げた。
今週からは伊勢路に話題を戻し、伊勢神宮の門前町である三重県伊勢市を紹介したい。

三重県伊勢市は県の南東部に位置する人口約12万9千人の市。
古くから伊勢神宮の門前町として栄えたことから「神都」といわれ現在も伊勢志摩エリアの観光の起点とされている。

夫婦円満や良縁成就のパワースポットとして知られる「夫婦岩」は伊勢市二見町に位置する。


【写真】二見浦に浮かぶ「夫婦岩」

「お伊勢まいり」が大衆化した江戸時代初期、人々はまず夫婦岩がある「二見興玉神社」を訪れ「二見浦(ふたみがうら)」で禊(みそぎ)を行い心身を清めて神の領域へと入ったとされ、それを「浜参宮」という。

古式に則ったお伊勢まいりとしてここを訪れて伊勢神宮へと向かう参拝者も多く、現在は禊の代わりに、二見浦で収穫される海藻で作られたユニークな御幣でお祓いを受ける。

夫婦岩は古くから日の出の遥拝場所として親しまれてきたことから、ガイドブックなどで岩と岩の間にご来光を拝む写真を思い浮かべる方も多いだろう。
沖合約700mには興玉神石(霊石)が鎮まり、夫婦岩は興玉神石と日の出を遥拝する鳥居とみなされるという。

向かって左側の男岩は高さ9m、女岩は高さ4m。それぞれを結ぶ大しめ縄は1本あたりの全長が35メートルあり岩の間隔は9m。男岩に16m、女岩に10m張られている。
年末にお正月を迎える準備などと題し、大しめ縄の張り替えが報道されるが、5月5日、9月5日、12月中旬の土・日曜の年3度行われている。

夫婦岩の間から日の出を拝めるのは5月~7月頃、秋から冬にかけては満月を拝むこともできる。
お伊勢まいりの際はぜひ訪れてみてほしい。

(次田尚弘/伊勢市)
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現代政治の礎「秘本玉くしげ」 三重県松阪市 7

2016-09-19 13:47:30 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号より、松阪市出身で国学者として名高く紀州藩に仕官していた本居宣長(1730-1801)の功績を取り上げている。
今週は『秘本玉くしげ』の元にある考え方と、それに書かれている代表的な提言を紹介したい。

そもそも本居宣長の国学は儒教を排し復古神道(儒教や仏教などの影響を受ける前の日本古来の精神に立ち返ろうとする思想)を唱え国学思想の基礎を固めたもの。
決して国粋主義(西欧文化を否定するもの)ではなく、その時代における価値観に支配されずグローバルで自立した視点を重んじられた。

『秘本玉くしげ』は社会で起きている課題に対し、元来の日本の精神に立ち返って改善すべきことを説いたもの。
安易に新しいことに着手することを戒め、世の中の流れに逆らわず先人の規範を守りながら道理にかなうよう、急がば回れの精神を基軸としている。

経済政策を例に挙げると「百姓一揆など民の不満を起こさないためには年貢を増やさないよう物事を精査し藩政を執り行うことが藩士らの努めである」「個人、国家、世界の経済状況に差異は生じるものであり、平等ではない世間の財は藩政を執る者が富裕層が納得する形でその財を貧困層へ分配し救済すべきである」「新しいことに着手する際は他人の意見を尊重し、他国の先進事例を参考に皆の同意を得られるかを考えて行うべき」「有事の際はあらゆる支出を抑え、やむを得ない際は藩士の給与を下げるなど身を切る覚悟が必要」など。

現世ではあたりまえとなったこれらの考え方は、200年以上前の紀州藩内から提唱されたといって過言でないはず。
生活の傍ら国学を極め現代の礎を作った本居宣長は、今も松阪の地で学問の神として崇敬されている。

(次田尚弘/松阪市)


【写真】学問の神として崇敬される「本居宣長ノ宮」




【写真】本居宣長ノ宮



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紀州藩に仕官、「本居宣長」の功績 三重県松阪市 6

2016-09-14 15:46:15 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号まで複数回に渡り「御城番屋敷」と元紀州藩士らの活躍の歴史、松阪の伝統的な文化について取り上げた。
他にも松阪には紀州藩にまつわる歴史がある。今週は国学者として名高く紀州藩に仕官していた「本居宣長(もとおり・のりなが)」の功績を紹介したい。

本居宣長(1730-1801)は現在の松阪市の商家の生まれ。商いよりも書を読むことを好み、母の勧めで医者となり亡くなる72歳まで町医者として生計を立てた。

医者の傍ら、30代半ばから当時は解読ができないとされていた日本最古の歴史書「古事記」を研究し、35年もの歳月をかけ44巻に及ぶ「古事記伝」を書き上げた。
天明7年(1787年)、当時の紀州藩第9代藩主の徳川治貞(はるさだ)からの依頼で、国学の中心となる思想について著した「玉くしげ」と、経済の立て直しや百姓一揆の解決策など、藩政を改める具体策を著した意見書「秘本玉くしげ」を献上している。

その後、寛政4年(1792年)紀州藩に仕官し、松阪に生活の基盤を置きながら何度も和歌山城を訪れ講義を行うなど、紀州藩政に多大な貢献をした。

国学者としても活躍を続け、後継者への教育に尽力し亡くなる際には500名近くの門人(弟子)がいたとされる。
鈴を収集する趣味があり自宅に「鈴屋」という屋号をつけるほど。
その自宅は現存し「本居宣長旧宅(鈴屋)」として松阪城内に移築され公開されている(国の特別史跡)。

本居宣長の功績は隣接する記念館で紹介されているがリニューアル工事のため来年(2017年)2月末まで一時休館中(予定)だが、ぜひ訪れてみてほしい。


【写真】本居宣長の功績を紹介する記念館(松阪城内)

松阪の街の一員として人々の暮らしと密に関わることで得られる知見と、そこから生まれる国学者としての藩政改善の提言は、現代にも通ずるものがある。

(次田尚弘/松阪市)





【写真】 特別史跡 本居宣長旧宅

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厄除けの「しめ縄」が守る街 三重県松阪市 5

2016-09-04 13:47:56 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
今週は松阪市をはじめとする伊勢地方で古くから息づく文化について紹介したい。

紹介したいのは、この地域で年中を通して玄関の軒先に飾られている「しめ縄」だ。
松阪城や御城番屋敷の取材のため筆者が当地を訪れたのは5月上旬のこと。
一般公開されている御城番屋敷の玄関先で「この時期になぜ」と違和感を覚え、その理由を調べてみることにした。


【写真】御城番屋敷の玄関先に掲げられている「しめ縄」(5月上旬撮影)

時代は遥か昔。日本神話に登場する「須佐之男命(すさのおのみこと)」が伊勢を旅した際、宿屋がなく困っていたところ「蘇民将来(そみんしょうらい)」という名の家族が親切心で家に泊めたという。
その夜、悪疫が集落を襲うことを察した須佐之男命は家族に茅(かや)の輪を編ませ家の周囲に張り巡らせたところ、その家族だけが疫病にかからず難を逃れたという。

以後、慈悲深い蘇民将来の子孫であるという門符(もんぷ)を、茅飾りと共に玄関に掲げることにより厄払いをしようという文化が根付き、現代まで受け継がれている。

門符とは、しめ縄の中央に掲げるお札で「蘇民将来子孫門(そみんしょうらいしそんもん)」と書かれている。
この神話の舞台とされる伊勢市二見町の松下社(まつしたやしろ)という神社で頒布される他、適当な大きさの木板に一家の長が筆で書いたりと、この地域の年末の風物詩となっている。

近年は「蘇民将来子孫門」の「将」と「門」の字から「笑門」(将門と書くと平将門を連想するため「笑」の字に書き換えられる)、「先客万来」などと現代風にアレンジされることも多くなり、年末になるとホームセンターなどでも販売されるという。

古くから息づく伊勢ならではの文化がここにある。

(次田尚弘/松阪市)
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