前号では東海道三大関所のひとつで紀州藩の御用宿が残る「新居関所」を取り上げた。
浜松を取材するなかで、和歌山とのつながりを見つけた。
今週は浜名湖北岸にある三ヶ日(みっかび)地区を紹介したい。
三ヶ日地区は東海道の迂回路である姫街道に面し、古くから三ヶ日宿として栄えてきた。
近年は静岡県を代表する温州みかんの産地として名が知られ、「三ヶ日みかん」のブランド名で主に東北から中部地方の店頭に並ぶ。
三ヶ日みかんの起源を辿ると「紀州みかん」に由来する。
江戸中期(享保年間)、三ヶ日地区の平山に住む「山田弥右衛門(やえもん)」が西国巡礼のため紀州を訪れた。
その際、和歌山県南部(那智という説がある)から紀州みかんの苗木を1本持ち帰り、自宅の庭の隅に植えたという。
その後、このみかんの香りがよく甘くて美味しいと評判になり、数十本の苗木をつくり自宅近くに植えられ、いつしか地区全体に栽培が広がったとされる。
以降、200年程は紀州みかんの栽培が続いたが、天保年間になり「温州みかん」の栽培が取り入れられてからは、実が小さく種が多い紀州みかんの価値が下がり、明治からは温州みかんが農園で栽培されるようになった。
大正に入りみかんの市価が上がると栽培農家の数が増え、生産量の増加と共に全国に広まった。
これらの歴史を紹介する施設「みかんの里資料館」が地区内にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/a0/b2b41eaa1ebb78dd2216a19f0726db3d.jpg)
廃校になった小学校の校舎を利用しており、館内にはパネル展示をはじめ、かつて使われた農機具や地区内の写真が飾られている。
施設を管理する男性職員に筆者が和歌山から訪ねたことを話すと「30年程前、両県の商工会が交流会を催し和歌山へ行ったことがある」と思い出を語ってくれた。
次週に続く。
(次田尚弘/浜松市)
浜松を取材するなかで、和歌山とのつながりを見つけた。
今週は浜名湖北岸にある三ヶ日(みっかび)地区を紹介したい。
三ヶ日地区は東海道の迂回路である姫街道に面し、古くから三ヶ日宿として栄えてきた。
近年は静岡県を代表する温州みかんの産地として名が知られ、「三ヶ日みかん」のブランド名で主に東北から中部地方の店頭に並ぶ。
三ヶ日みかんの起源を辿ると「紀州みかん」に由来する。
江戸中期(享保年間)、三ヶ日地区の平山に住む「山田弥右衛門(やえもん)」が西国巡礼のため紀州を訪れた。
その際、和歌山県南部(那智という説がある)から紀州みかんの苗木を1本持ち帰り、自宅の庭の隅に植えたという。
その後、このみかんの香りがよく甘くて美味しいと評判になり、数十本の苗木をつくり自宅近くに植えられ、いつしか地区全体に栽培が広がったとされる。
以降、200年程は紀州みかんの栽培が続いたが、天保年間になり「温州みかん」の栽培が取り入れられてからは、実が小さく種が多い紀州みかんの価値が下がり、明治からは温州みかんが農園で栽培されるようになった。
大正に入りみかんの市価が上がると栽培農家の数が増え、生産量の増加と共に全国に広まった。
これらの歴史を紹介する施設「みかんの里資料館」が地区内にある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/a0/b2b41eaa1ebb78dd2216a19f0726db3d.jpg)
【写真】みかんの里資料館
廃校になった小学校の校舎を利用しており、館内にはパネル展示をはじめ、かつて使われた農機具や地区内の写真が飾られている。
施設を管理する男性職員に筆者が和歌山から訪ねたことを話すと「30年程前、両県の商工会が交流会を催し和歌山へ行ったことがある」と思い出を語ってくれた。
次週に続く。
(次田尚弘/浜松市)