さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

紀州藩主・浅野氏が献上 天然記念物「家康手植のミカン」

2017-09-17 13:36:47 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
家康紀行は前号より舞台を静岡市に変え、大御所・家康公の居城であった「駿府城」を取り上げている。

家康の十男、紀州徳川家の祖である徳川頼宣が慶長14年(1609)から10年に渡り城主を務めるなど、紀州との関わりも深い。駿府城内でそれを更に感じさせるものを見つけた。

駿府城公園の中央に位置する「徳川家康公の像」のすぐ側に「家康公お手植のミカン」と札が掲げられた一画があり、覆われたフェンスの中に数本のみかんの木が茂っている。

【写真】家康手植のミカン(駿府城公園)

今から400年以上前、家康が将軍職を退き駿府城で隠居のおり、当時の紀州藩主であった浅野氏から献上された鉢植えのみかんを、家康が自らの手で当時の本丸の庭に移植したものであるという。
鎌倉時代に中国から伝わった紀州みかん(コミカン)の一種とされ、香りが強く種のある小粒の実ができる。

以前、浜松編の「三ヶ日みかん」で紹介したが、紀州みかんは静岡におけるみかんの起源を知るうえで貴重なもの。
これらは昭和25年「家康手植のミカン」として静岡県指定天然記念物に指定されている。

現在も300㎏近い実をつけ、毎年12月初旬になると収穫作業が行われる。
昨年は地元の中学生が郷土学習の一環として収穫に携わり、駿府城や家康の歴史を学ぶ機会になっているという。
また、収穫されたみかんは市内の文化財資料館や日本平動物園などで希望者へ配布。
例年、家康の顕彰にあやかろうと、みかんを求める市民も多い。

400年以上の歴史を経て、今なお駿府で大切に受け継がれる紀州みかん。
紀州を起点に広がったみかんの歴史を知ることで、和歌山の魅力を見つめ直したい。

(次田尚弘/静岡市)
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大御所・家康公の居城 静岡県静岡市「駿府城」

2017-09-10 13:34:56 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では70年以上前に浜松で製造、引退から40年余りの時を経て、圧縮空気方式で復活を遂げ第二の人生を歩み出した、有田川鉄道公園の蒸気機関車を取り上げた。
今週から家康紀行は駿府(静岡市)へと舞台を変える。

静岡県静岡市。温暖な気候と豊かな自然に恵まれ古くから今川氏や大御所時代の家康の城下町として栄えてきた。
葵区、駿河区、清水区の3区で構成される人口約70万人の政令指定都市。

駿府城は市の中心部に位置する。室町時代、今川範国が幕府から駿河守護職に命じられ、以後、今川氏により治められた。今川義元の頃、家康は7歳から18歳までこの地で人質として暮らした。桶狭間で今川義元が織田信長に討たれ、今川氏は急速に衰退し永禄11年(1568年)武田氏の駿河侵攻により駿府を追われた。

天正10年(1582年)家康が駿府の武田氏を追放。同13年(1585年)駿府城の築城を始め、居城を浜松城から移した。同18年(1590年)豊臣秀吉により関東に移封され一時は豊臣系の中村氏が城主となる。

関ヶ原の戦いに勝ち、慶長8年(1603年)征夷大将軍となった家康は江戸幕府を開くも同10年(1605年)将軍職を息子の秀忠に譲り、同12年(1607年)大御所として駿府に入った。
この際、城の拡張と修築、安倍川の堤の改修や城下町の整備が行われ現在の市街地の原形を造った。

同14年(1609年)からは家康の十男、紀州徳川家の祖である徳川頼宣が、和歌山城へ移封される元和5年(1619年)までの10年間、城主を務めている。

寛永12年(1635年)城下の火災により建物の大半を焼失した後、御殿、櫓、城門以外、天守などが再建されることはなく現在に至る。


【写真】復元された駿府城「東御門」

平成に入り巽櫓や東御門が復元。駿府城公園として市民に親しまれている。

(次田尚弘/静岡市)
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浜松生まれ、第二の人生歩み出す 有田川鉄道公園「D51 827」

2017-09-03 13:37:28 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では浜松が誇るB級グルメ「浜松餃子」の背景とその魅力を取り上げた。今週は時を同じくして浜松で生まれ、この春、和歌山へやって来た蒸気機関車を紹介したい。


【写真】有田川鉄道公園を走る「D51 827」

「D51 827」。デゴイチの愛称で親しまれる蒸気機関車が、有田川町の有田川鉄道公園に搬入されたことを本紙で御存知の方も多いと思う。
夏休みに合わせ、運転体験や乗車体験など様々な試みが行われ地域を大いに盛り上げたこの車両は、1943年、浜松市の国鉄浜松工機部で製造された。

米原機関区の所属となり、終戦後の1946年から1973年まで岐阜県の中津川機関区で活躍。中央西線(名古屋-塩尻)の電化に伴い、1973年7月9日の電化記念お別れ列車として運行された後、同年11月22日を以って引退。「SLの雄姿を後世に残したい」との思いから愛知県あま市の男性が購入し、私有地に保管庫を建て40年余り大切に保管してきた。

今年になり鉄道車両などの重量物を輸送するアチハ株式会社(大阪市住之江区)が譲り受け、4月18日に同公園へ搬入。
石炭や火を使わず圧縮空気方式で動くよう整備された車両は、ボイラー技士の資格が無くても運転ができ安全。

先月27日、夏休み最後の乗車体験では幼児を連れたファミリーで賑わい、1日の乗車人数は600人を超えた。
同社によると9月以降のイベント開催は未定。デゴイチを全国にリースし地方創生に役立てると同時に、蒸気機関車の文化や技術の伝承を図りたいという。

浜松に生まれ、和歌山で第二の人生を走り出したデゴイチ。全国の街へ子供たちの歓声と地域の活力を届けて欲しい。

(次田尚弘/浜松市)
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