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さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

住民と観光客を守る ハワイの「TSUNAMI」対策

2025-05-24 20:12:40 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、和歌山県内で生み出された漁法がハワイに渡り、現地の人々と共に磨き上げられた技術が逆輸入される形で和歌山に定着した「ケンケン鰹」の歴史と魅力を取り上げた。
距離は果てしなく遠いが海でつながるハワイ。雄大な海に囲まれたハワイも日本と同様に津波の脅威がある。今週は地域住民と観光客を守る、ハワイの津波対策を紹介したい。


【写真】津波からの要避難区域に新設された看板

オアフ島内を歩いていると沿岸部の地域で目にする真新しい看板。「TSUNAMI HAZARD AREA」の大きな文字と共に高い波が描かれている。ホノルル市は2023年からオアフ島内の津波警戒地域に約300個の看板を設置し、有事の際の避難を呼びかけている。

オアフ島には世界的な津波予測を行い、太平洋地域における津波警報の発表を行う「太平洋津波警報センター」があり、オアフ島のみならず、日本を含む太平洋地域に警報を発表する。海外で起きた地震による日本への津波の影響を伝えるニュースなどで、この名称に聞き覚えがある方がいるかもしれない。

津波警報には日本よりも段階が細かく分けられ、影響が出ないレベルの「情報声明」から「ウォッチ(警戒注意報)」「アドバイザリー(注意報)」「ワーニング(警報)」「エキストームワーニング(大警報)」まで存在する。

警報が出ると、10階建て以上(鉄筋コンクリート造)のビルの4階以上に避難することが求められる。要避難区域に居る場合で、市営バスを見かけた場合、手を挙げて乗車の意思表示をすれば、収容能力がある場合は乗車を拒否できないというルールがあり、避難所まで送り届けるという仕組み。土地勘がない観光客にもわかりやすい、津波対策の取り組みが進められている。

(次田尚弘/ホノルル)
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磨き上げた技法を逆輸入 すさみ町の「ケンケン鰹」

2025-05-17 13:30:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、マグロやカツオをベースにした、近代におけるハワイの新たな食文化として人気がある「ポケ」を取り上げた。和歌山県からの移民がハワイにケンケン漁の技法を伝え、現地の漁業振興に貢献したことは前述のとおり。ハワイの人々だけが恩恵を受けたかと思いきや、実は和歌山県の漁業振興にも貢献している。今週は、ハワイに伝えられた後のケンケン漁の歴史を紹介したい。


【写真】すさみ漁港に水揚げされた「ケンケン鰹」(写真提供:和歌山県観光連盟)

そもそも「ケンケン」という言葉は何に由来するのか。諸説あるが、ハワイのカナカ語が語源とされる。船を走らせながら疑似餌を曳く際に、疑似餌がピョンピョンと跳ねる様子を指しているという。

ではなぜ和歌山県でケンケンの名前が使われているのか。それは、明治41年(1908年)にハワイから帰国した和歌山県出身者が、ハワイに持ち込んだケンケン漁の技法を現地で磨き上げ、それを和歌山県に持ち帰ったことに由来。ハワイの漁師らと改良を重ねた漁法は日本でも成果を上げ、やがて日本全国に広まることになる。

すさみ町では、この漁法により獲れたカツオを「ケンケン鰹」と名付けブランド化。1本ずつ釣り上げられたカツオをすぐに活け締めにし、冷蔵されることから鮮度が高く、その旨さは一般的なカツオと比べ群を抜く。

現在も100隻を超える「ケンケン船」が在籍し、同町における漁獲高の約7割を占めるほど。和歌山で生まれた技法をハワイに伝え、いわば逆輸入する形で磨き上げた技術が現代の和歌山に定着しているという事実。
遠く離れた言葉が異なる地域で、現地の漁師らと協力し技を磨いていくことは並大抵のことではなかったはず。現地特有の言葉が名付けられ、両国の架け橋となっているエピソード。次代に語り継いでいきたい。

(次田尚弘/ホノルル)
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マグロやカツオをベースに 新たなハワイの食文化「ポケ」

2025-05-10 19:23:30 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、百数十年前、和歌山県出身者がハワイに伝えた「ケンケン漁」が、現地の漁業振興に貢献したという歴史を取り上げた。ハワイといえば、ステーキをはじめとした肉料理のイメージが強いが、海の幸を使ったご当地ならではのグルメがある。今週はハワイで獲れた新鮮な魚を使った料理「ポケ」を紹介したい。


【写真】ハワイで親しまれる「ポケ」

ポケは魚介類の刺身を小さなブロック状に切り、醤油をベースとしたタレで和えたものをライスの上に乗せた料理。ポケとはハワイの言葉で「小さく切る」を意味する。具材として主に用いられるのは、マグロやカツオ、サーモン、タコなど。
ポケの起源はアメリカ西海岸や日本・中国などのアジアからの移民が来るよりもはるか昔のこと。獲った魚に塩や海藻、果実をすり込んだものがはじまり。醤油が使われたのは、アジアからの移民がハワイに持ち込んだことがきっかけとされる。

筆者はホノルル市の北東部に位置するマノアという地域でポケを食した。硬めに炊かれたライスの上に、脂がのったマグロとカツオをベースとしたブロック状の刺身が散りばめられている。その上に、小さく刻まれた海苔、青ネギ、オニオン、ゴマが醤油ベースのタレで和えられ、さらに小粒のイクラと天かすが振りかけられている。

味は日本の海鮮丼と大差はないが、ライスが固くパサパサしているからか、より魚介のうま味が感じられる。青ネギや天かすは日本人向けにアレンジされたものなのか、その真意はわからない。

共通して言えることは、ベースに使われているのはマグロやカツオ、そして醤油の味付け。ケンケン漁がもたらした、新たなハワイの食文化と言って、過言ではなさそうだ。

(次田尚弘/ホノルル)
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ハワイの漁業振興に貢献 県出身者が伝えた「ケンケン漁」

2025-05-03 21:23:23 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、ハワイの文化と観光が融合した「サーフィン」の歴史と今を取り上げた。雄大で美しい太平洋に浮かぶハワイ。日本からは約6600kmのはるか南西に位置するが、和歌山とのつながりも。今週は、和歌山とハワイの歴史と今を紹介したい。


【写真】群青色のハワイの海

時は今から約140年前。1885年、日本政府とハワイ王朝で締結された協定に基づき、22名の和歌山県人がハワイに移民したことは前述のとおり。当初は3年間に限りサトウキビ畑で就労する契約であったが、1898年のアメリカ併合後、自由に仕事を選択できるようになり、この頃からハワイへの移民者が増加。

和歌山県内からは主に串本からの移民者が多く、ハワイで漁業を営んだという。ケンケンカツオの漁法で有名な「ケンケン漁」の技術をハワイに持ち込み、先住のハワイの漁師らが行っていた疑似餌を用いた漁法に応用し、成果をあげるように。

ケンケン漁とは、イカに見立てた疑似餌(ケンケン)を引きながら船を進め、カツオなどの魚を釣り上げる日本式の漁法。主に串本の田並地区からの移民が増え、昭和初期には250名余りになったという。

1924年、ハワイの日本総領事館が行った調査によると、オアフ島の全ての漁師のうち、約38%が和歌山県出身者であったという記録があり、ハワイにおける漁業の礎を築くことに大いに貢献したようである。

1925年には和歌山県出身者らで作る県人会が設立されるも、世代が変わるにつれ徐々に衰退し2002年に解散。和歌山とのつながりが薄くなることが懸念されたが、昨年「ハワイ県人会」が再興。ハワイと和歌山の関係が深まり、交流が生まれることを期待したい。

(次田尚弘/ホノルル)
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地域の文化と観光が融合 「サーフィン」の歴史と今

2025-04-26 16:41:30 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、持続可能な観光地を目指し導入されている、ハワイ州における宿泊税「TAT」を取り上げた。ここまで、魅力的な観光地として維持・拡大するための制度に触れてきた。ここからは、ハワイ特有の文化や歴史と、和歌山県の関係を紹介していきたい。


【写真】ロッカーに立てかけられた「サーフボード」

ワイキキビーチといえば海水浴のイメージが強いが、少し沖の方に目を向けると無数のサーファーの姿が見える。

サーフィンの歴史は深く、西暦400年頃、ハワイを含むオセアニアのポリネシア地域の漁師が編み出した、波乗りの技術とされる。1700年代後半、イギリス人の探検家によるハワイの発見から、ポリネシアにヨーロッパから宣教師などが移り住み、布教の妨げになるとしてサーフィンが禁止され文化が衰退。1900年に入りワイキキビーチを中心にサーフィンの文化が復活し、当時、オリンピックの金メダリストとして活躍していた、ハワイ出身の水泳選手「デューク・カハナモク」が、サーフィンの魅力を世界に普及させ、世界的なスポーツとして拡大を遂げた。

ワイキキの街を歩いていると、ビーチへと続く通路沿いに、サーフボードを保管するためのロッカーが存在する。壁に立てかけられ、チェーンなどで施錠する仕組みで、ハワイを象徴する風景のひとつである。利用料は月額約55ドル、年額約500ドル。サーフィンを愛する地域の方々が日常的に楽しめる文化が根付いている。

ワイキキではないが同じオアフ島内で、世界最高峰とされるサーフィンの大会が開催。高さ13メートル以上の波が終日続くという条件を満たす、限られたタイミングでしか開催できない厳格な大会。昨今は和歌山県出身者が招待されている。海を通じた交流が増えることを期待したい。

(次田尚弘/ホノルル)
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