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さんぽみちプロジェクト

さんぽみちプロジェクトの記録。
和歌山新報で日曜日一面に連載中の「WAKAYAMA NEWS HARBOR」と連携。

人形で地域の思いを伝播 「ハワイアンモンクシール」の保護活動

2025-04-12 16:41:56 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、幸せを運ぶ守り神としてハワイで大切にされているウミガメ「ホヌ」を保護する法制度を取り上げた。海洋生物の保護対象はホヌに限らない。
今週は、ハワイ諸島の固有種で、乱獲により生息数が著しく減少したアザラシ「ハワイアンモンクシール」を保護するユニークな取り組みを紹介したい。


【写真】ハワイアンモンクシールの人形

ハワイアンモンクシールは体長が2m以上、体重が150kg以上のアザラシ。主に魚類、甲殻類、軟体動物を食べる。19世紀、油の採取を目的に乱獲されたことで著しく生息数を減らしたことをきっかけに、時の大統領であるルーズベルトが法律を設け、保護する法律が成立。以降、保護活動が盛んになり、現在は1400頭ほどという。

ワイキキビーチにも現れることで知られ、砂浜で日向ぼっこをする姿は愛くるしい。ホヌと同様に一定距離を保つことが法律で定められ、50フィート(約15m)以内に近づくと罰せられることがある。姿を見つけると地元の保護団体の職員が駆け付け、立て看板を立て距離を保つよう促すなど、希少な海洋生物を守る動きが定着している。

ワイキキビーチ近くにあるキャラクターをあしらった土産品を販売する店で、ハワイアンモンクシールの人形を見つけた。愛くるしい表情に貫録のある体つき、そこにアロハシャツをイメージさせる生地で作られたもの。収益の一部が保護活動に役立てられるという。

購入することで地域の環境保護に貢献でき、旅行者が自国に持ち帰り誰かにプレゼントすれば環境教育の一環になる。顔を見るたびに環境への意識の高まりも期待できる。旅行者が訪れた地域に貢献し、大切にされている思いを伝播させていく。ハワイアンモンクシールの保護活動から、レスポンシブル・ツーリズムを推進する意義を感じた。

(次田尚弘/ホノルル)
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法律で海洋生物を守る 幸せを呼ぶ海の守り神「ホヌ」

2025-04-05 19:20:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、ハワイ州で展開されている「レスポンシブル・ツーリズム」の取り組みを取り上げた。ハワイでは人と海洋生物の共生を目指すために定められた州法とアメリカ連邦法がある。今週は、ハワイの海洋生物を保護する取り組みを紹介したい。

ハワイで人々に愛され、大切な存在として親しまれているのが「ホヌ」。現地の言葉でウミガメを意味し、幸せを運ぶ海の守り神として古くから大切にされている。日本とハワイを結ぶ日系の航空会社がホヌをあしらった旅客機を専属的に運行するなど、日本人にとっても馴染みのある存在である。


【写真】ワイキキの海を泳ぐ「ホヌ」

神聖な存在であるホヌを守ろうと州法では10フィート(約3m)以内に近づくことを禁止されており、これに抵触すると厳しい罰則を受けることになる。ワイキキエリアの護岸を歩いていると、目の前の浅瀬の海でホヌを見つけた。近くにはシュノーケルを付けた男性が静かにホヌの泳ぎを見守る姿があり、地域の人々の心を豊かにしてくれる神聖な生き物として、愛され親しまれていることを実感した。

遠く離れた和歌山県内にもウミガメが訪れる浜がある。みなべ町の「千里の浜」や、お隣の三重県紀宝町がアカウミガメの産卵地であることは、このコーナーでも取り上げた。太平洋沿岸に限られたものと思いきや、昨年夏には和歌山市の「磯の浦」で姿が見られるなど、和歌山県民にとってもウミガメは身近な存在。

海洋生物を温かい目で見守り、地域の文化として大切にする取り組み。保護するための制度を設けざるを得ないこともあるが、レスポンシブル・ツーリズムの観点で、地域の文化と歴史的背景を理解し、誰もがあたりまえのように自然と共生できる社会になることを願いたい。

(次田尚弘/ホノルル)
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地域への思いやりを育む「レスポンシブル・ツーリズム」の取り組み

2025-03-30 15:27:16 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号より、ハワイ州独自のSDGs「アロハ・プラス・チャレンジ」を取り上げている。責任ある観光を意味する「レスポンシブル・ツーリズム」の具体的な取り組みを紹介したい。

持続可能な観光を意味する「サステナブル・ツーリズム」については、和歌山市においても数年前から観光協会と事業者が協力した取り組みを行い、筆者も携わってきた。サステナブル・ツーリズムは環境保護や地域経済の維持を重視し、オーバーツーリズム対策、宿泊施設が提供するアメニティに使われる材料や提供方法の見直し、地域の食材を使った地産地消の促進などが一般的。一方でレスポンシブル・ツーリズムは、観光客自身がその地域でどのように行動すべきか、個人の責任ある行動を促し意識させることを重視する。

ワイキキエリアの一部ホテルでは宿泊者にマイボトルを提供。共用部に浄水された水を自由に入れることができるコーナーがあり、外出の際もここで水を入れ持ち歩くことを推奨。マイボトルは記念に持って帰ることができる。


【写真】ホテルで提供される「マイボトル」

他にも宿泊者限定のワークショップとして、地域の花を使った首飾りの「レイ」作りや、ウクレレの演奏体験、ビーチクリーンなどを催している。これまでは旅の思い出作りのサービスのひとつであったかもしれないが、地域特有の文化がなぜできて現代まで継承されているかを知り、理解することでその地域への敬意や愛着が生まれ、おのずと観光客の行動の変化やリピートにつながっていく。

地域の人々には観光客に情報をわかりやすく伝え、観光客はそれを積極的に受け取り意識的に行動する。そこには互いの共感や思いやりが重要。おもてなしを超えた観光客とのコミュニケーションが求められている。

(次田尚弘/ホノルル)
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ハワイ州独自のSDGs 「アロハ・プラス・チャレンジ」

2025-03-23 17:00:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、条例で景観や治安維持に取り組む、ワイキキビーチの対策を取り上げた。今週はハワイ州が推進する持続可能な社会づくりの取り組みを紹介したい。


【写真】「ラナイ」からビーチとダイヤモンドヘッドを望む

ワイキキのリゾートホテルの魅力のひとつであるのが「ラナイ」。ラナイとは客室から出られるベランダのことで、椅子や机が置かれ、ビーチやダイヤモンドヘッドを望みながらゆっくりとしたひと時を過ごすことができる場所。ホテルによってはラナイでモーニングの提供を受けることもできる。

客室とラナイを行き来するなかで気付いたことがある。隔てる大きな窓が少しでも開いていると、客室の空調が止まるということ。環境保護の取り組みの一環で、外気が客室内に入り温度が上昇することで、不用意に空調が稼働することを防ぐため、扉にセンサーを取り付け、空調を操作しているという。これはホテル独自の取り組みであるが、ハワイ州が推進する様々な取り組みがある。

ハワイ州は国連が進める持続可能な開発目標「SDGs」を基準に、独自にゴールを設定した「アロハ・プラス・チャレンジ」という特別なプログラムを設けている。歴史を辿ると約50年前に「ハワイを思いやる心」という意味がある「アラマハワイ」の概念が生まれ、国連総会でSDGsが採択される以前から、持続可能な社会を実現するための6つの取り組みを定め、世界に先駆けた活動を推進している。

6つの取り組みとは「クリーンエネルギーへの転換」「地産地消の促進」「天然資源の管理」「固形廃棄物の削減」「地域コミュニティの促進」「環境経営と教育の推進」を指し、官民が一体となった「レスポンシブル・ツーリズム(責任ある観光)」が進んでいる。

(次田尚弘/ホノルル)
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条例で景観・治安を維持 一大リゾート「ワイキキ」の対策

2025-03-16 18:03:33 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、美しい白砂のビーチを形成する「白良浜」と「ワイキキビーチ」の歴史を取り上げた。
一大リゾート地であるワイキキビーチでは、その景観や治安を維持するために様々なルールがある。今週はハワイ州における条例について紹介したい。


【写真】パラソルが並ぶ「ワイキキビーチ」

まずは、公共の場所での飲酒の禁止。美しい砂浜と海を前に思わずビールやカクテルを飲みたくなるものだが、ビーチでアルコールを飲むことは罰金の対象。ビーチに隣接するリゾートホテルにはレストランやバーが設置されておりそこでの飲酒は問題ない。他にもルールがあり、アルコール飲料を缶や瓶のまま手にして街を歩くことは禁止されるなど、飲酒については厳しいものがある。

タバコについても同様でワイキキビーチは全面禁煙となっている。一部のビーチでは通り抜け以外のビーチの利用を禁止しているところも。

近年、海に生息するサンゴ礁に海水浴客が使用する日焼け止めの成分が深刻な影響を与えていることがわかり、有害成分を含む日焼け止めの販売を禁止。日本からの持ち込みは可能だが、環境保護に配慮したものを使用したい。

アメリカと比べマナーや治安が良いとされる日本。白良浜の場合はどうか。白浜町では2008年から白良浜を「禁煙ビーチ・ごみポイ捨て禁止ビーチ」としている。違反しても罰金は無い。訪れる観光客の意識に委ねられている。

来月には大阪・関西万博が開幕。和歌山県も世界から注目され、観光客の流入も進むだろう。条例を設けマナー違反を抑制するのではなく、観光客が訪れる地域のことを理解し、自律した行動を取ってもらえることがベスト。ますます地域の特性をわかりやすく発信する必要がありそうだ。

(次田尚弘/ホノルル)
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原点は天然か人工か 「白良浜」と「ワイキキ」の歴史

2025-03-09 19:43:10 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、白浜町と友好都市提携を結び、白砂が特徴である「ワイキキビーチ」の歴史と両市の関係を取り上げた。ワイキキビーチと白良浜はなぜ白砂なのか。両者の歴史を深堀したい。


【写真】湿地帯から美しい砂浜に変貌した「ワイキキビーチ」

かつてワイキキビーチが湿地帯であったことは前述のとおり。火山に近いことから、溶岩に由来する
玄武岩の黒い砂利が広がり、衛生的にも優れない環境であったという。ハワイはサトウキビ栽培などの第一次産業が盛んであったが、ハワイ州となってからは主産業を観光に変えようとする方針が掲げられ、投資家による大規模な開発が進んだ。港湾設備や運河が作られ、島内外から運ばれた白砂でビーチを形成。それに沿うようにしてホテルが建ち並び、現在の美しいリゾート地が出来上がった。港湾が整備されたことで大型客船の就航が叶ったことも発展の要因として大きい。
一方、白良浜は古くから海水浴場として知られ、大正の頃までは白砂が採取されガラス原料として使われていたほど。白砂の約9割は鉱物である「石英」であり、これを多く含む砂を加熱し溶かすことでガラスの原料になる。
かつては遠浅で、砂を踏むとキュッキュと音が鳴る「鳴き砂」が楽しめる砂浜であったが、高度成長期から周辺地域の開発が進んだことなどが原因で、白砂が流れるようになり減少。平成元年からはオーストラリアから砂を補充し、かつての姿を復元している。
歴史を辿ると白砂が特徴の美しいビーチという観点からは、原点が天然か人工かという違いから、白良浜の方が歴史が深いといえよう。とはいえ、両者は白砂を共通とする友好関係。ワイキキビーチが世界のリゾート地として親しまれる背景に触れていきたい。
(次田尚弘/ホノルル)
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白浜町と友好都市提携 ホノルル市の「ワイキキビーチ」

2025-03-02 19:43:50 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号より、日本から約6600㎞離れた常夏の島「ハワイ」を取り上げている。今週はハワイ州の州都、ホノルルにある「ワイキキビーチ」を紹介したい。


写真】白い砂浜が美しい「ワイキキビーチ」

ワイキキは浜辺に沿ってホテルが建ち並び、観光客を魅了するリゾート地。約3㎞に渡り、綺麗な白砂が特徴の砂浜が「ワイキキビーチ」である。

ワイキキビーチは「コロニーサーフビーチ」「カイマナビーチ」「カピオラニビーチ」「クイーンズビーチ」「プリンス・クヒオビーチ」「ロイヤル・ハワイアンビーチ」「グレイスビーチ」「フォート・デ・ルッシービーチ」「デューク・カハナモクビーチ」の8つのビーチの総称。

ホテルから直接ビーチへ行くことができる賑やかなビーチもあれば、比較的海水浴客が少ないビーチまで、その装いは様々である。

かつては湿地帯でハワイ王朝の保養地として使用されていた。ビーチになったのは1920年頃から。島内のノースショア地域やカリフォルニアのマンハッタンビーチから白砂が運ばれ、ビーチを形成していったという。

湾曲した地形に白い砂浜といえば、和歌山県民にとって身近な存在であるのが「白良浜」。白浜町にある約620mのビーチでワイキキビーチと酷似し、ホテルが近接するリゾート地としての共通点もある。

この共通点を活かそうと、平成12年に白良浜とワイキキビーチが「友好姉妹浜提携」を締結。翌年にはホノルル市を親善訪問し、平成15年にはホノルル市から代表団が来町するなど交流が進み、平成16年には白浜町とホノルル市が「友好都市提携」を締結するに至っている。

以降、親善訪問をはじめ双方が連携した催しが開催されるなど交流が活発に行われ、昨年20周年を迎えている。

(次田尚弘/ホノルル)
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豊かな自然と温暖な気候 和歌山とも縁深いリゾート地「ハワイ」

2025-02-23 17:00:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
2011年1月に初号を掲載した本コーナーは今日で700号を迎えた。15年目に入り当時22歳であった筆者はこの春37歳を迎える。和歌山と関係がある地域や食べ物、地域振興の先進事例を取り上げてきた。続けられているのは読者の皆さんのあたたかい応援と、スポンサーである株式会社南北様の理解のおかげ。感謝の気持ちでいっぱいである。これからも皆さんが和歌山の魅力に触れ、誇りに感じられる情報を発信していきたい。

日本から南西に約6600km。常夏の島と称され、新婚旅行先としても人気が高い「ハワイ」。真っ青の海と空が美しく、年間を通して温暖な気候が魅力的である。700号を記念して、和歌山との歴史や文化、リゾート地としての先進的な取り組みについて紹介していきたい。


【写真】ワイキキビーチやダイヤモンドヘッドで有名な「オアフ島」

筆者が渡航したのは昨年12月。関西空港からの直行便で片道約8時間のフライトである。日本との時差は19時間。日本を夜に出発すると、到着時の現地時間は日本を出発した日の朝となる。
ハワイは、中部太平洋に浮かぶアメリカ領。ハワイ州の州都「ホノルル」があるのがオアフ島。白い砂浜が美しい「ワイキキ」や、火山の噴火により形成された丘が特徴の「ダイヤモンドヘッド」など、雄大な自然が魅力の一大リゾート地である。

日本との関係は1885年、日本政府とハワイ王朝で締結された協定に基づき、現地のサトウキビ畑で3年間の契約で労働することを条件に移民が始まった。移民した953名のうち22名が和歌山県人であったという。
第二次世界大戦の悲しい歴史もあるが、日本とは関係が深い地域。和歌山とハワイのつながりに触れていきたい。

(次田尚弘/ホノルル)
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豊富な種類に歴史あり 地域で親しまれる「柿の葉寿司」

2025-02-16 17:43:00 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、熊野灘で獲れたサバが山間地域に運ばれ、郷土料理となった「柿の葉寿司」の歴史と文化を取り上げた。
サバを起点に始まった柿の葉寿司だが、現在は様々な食材を使ったものが販売されている。今週は地域性のあるバラエティ豊かな柿の葉寿司と、それぞれの食材が採用された経緯を紹介したい。


【写真】様々な柿の葉寿司(㊧ サケ ㊨ 昆布締めのタイ)

柿の葉寿司の詰め合わせに入っている代表格ともいえる存在が「サケ」。100年程の歴史があるとされ、文豪・谷崎潤一郎の小説にも登場し、塩気がサケに染み込み柔らかくなったさまを絶賛している。
サケが使用された経緯として一説には、林業が盛んな吉野地方に全国から労働者が集まり、労働者の田舎から日持ちがする魚として「塩サケ」が届き、それを柿の葉寿司に使用すると味わいがよく、地域に根付いたとされる。

続いては「タイ」。こちらは和歌山の海で盛んに獲れる魚である。これは、柿の葉寿司が生まれた経緯とつながってくる。ハレの日のめでたい場で振舞われるものであることから、「めでたい」との語呂合わせでタイが使われたという。それ故なのか、タイを昆布締めにして、さらにハレの日を飾るものとして販売されている。

他には「アジ」や「エビ」も。歴史は古くないようだが、柿の葉寿司を和歌山県や奈良県を中心とした関西圏に閉じたものではなく、その魅力を全国に発信しようと、広く好まれる食材として採用されたという。

これらは、柿の葉寿司の詰め合わせに入る代表的なものであるが、お店によって種類や味付けが異なり、同じ魚が使われていてもその味わいはバラエティに富んでいる。ぜひ、お気に入りの逸品を見つけてほしい。

(次田尚弘/和歌山市)
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発祥の経緯に和歌山県人「柿の葉寿司」の歴史と文化

2025-02-09 16:52:11 | WAKAYAMA NEWS HARBOR
前号では、果実よりもビタミンCやポリフェノールなどの有効成分が多く含まれる「柿の葉」の魅力を取り上げた。柿の果実を購入するとき、葉を目にすることは少ないが、「柿の葉寿司」として触れる機会は多いもの。和歌山県紀北地方や奈良県の郷土料理として親しまれる柿の葉寿司の歴史を紹介したい。


【写真】サバを使った「柿の葉寿司」

柿の葉寿司が生まれたのは江戸時代中期のこと。発祥の経緯は様々な諸説がある。高い年貢に苦しむ和歌山県南部の漁師が熊野灘で獲れたサバを塩で締め、奈良方面へ売り歩き、村々で行われる催事のご馳走として定着したという説。あるいは、紀の川を使って運ばれたサバが上流の地域で、催事の際に食べられたという説がある。

いずれも、海から離れた地域におけるハレの日の食材として広まり、やがて、容易に手に入りかつ抗菌作用が期待できる柿の葉を使うことで、保存食になっていったとされる。
発祥が和歌山県なのか奈良県なのか定かではないものの、山間地域の方々の知恵が集まった郷土料理であることに違いない。

和歌山県紀北地方や奈良県の名物として広く知られるが、日本各地にも存在。石川県加賀地方や鳥取県智頭地方にも存在。これらの地域ではブリやマスが使用される傾向にある。広げた柿の葉の上に寿し飯と魚の切り身を載せて巻くという作り方の基本は同じだが、太平洋側と日本海側で使用される魚が異なるなど地域性があり面白い。

サバを起点に始まった柿の葉寿司であるが、それぞれの地域の食文化によりそのバリエーションは様々。地域の特性や文化の違いで、異なる味わいが楽しめる。ぜひ、色々な柿の葉寿司を食べ比べてみてほしい。

(次田尚弘/和歌山市)
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