雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

 猫爺のエッセイ「せめてラジオ聴かせたい」

2014-09-30 | エッセイ
   ◇かあさんが 麻糸紡ぐ 一日紡ぐ
   ◇おとうは土間で わら打ち仕事 お前もがんばれよ
   ◇ふるさとの冬はさみしい せめてラジオ聞かせたい

 これは、前回投稿のエッセイ「あかぎれに生味噌擦り込む」の続きである。今回は「せめててラジオ聞かせたい」の部分を、クイズ番組の回答者が聞いて、「ラジオも無いなんて」と、クスクス笑っていた。

 この歌が発表されたのは1956年、終戦(1950年)間もなくのことである。当然我が家にもラジオなど無かった。子供ながら余所の家から流れてくるラジオドラマに耳を傾けたものだ。
 
 たしかタイトルは「ショーチと約束」、中村メイ子さんが、朝鮮人の少年ショーチと、学校の先生の声を使い分けて、ショーチのお婆さん役は北林谷栄さん。舞台は海の茅ヶ崎。

 ショーチが食べ物を盗むのを知った学校の先生が、「人の物を盗むことはいけないことだ」と、ショーチを諭し、これからは盗みはしないと約束させる。間もなくショーチが学校に来なくなった。先生は忙しさに紛れて、ショーチとの約束をすっかり忘れていたが、思い出してショーチの家を訪問する。

 そこには、痩せ衰えたショーチと、お婆さんが、布団に包まっていた。おばあさんは声も出せない程弱り、ショーチは力ない声で、
   「先生、ボク先生との約束を守ったよ」

 先生は、諭しただけで、何のフォローもしなかった自分を反省する。

 このドラマのバックに流れていたのが、フェラーリ作曲のオペラ「マドンナの宝石」の間奏曲。盗み繋がりというところか。


 現在であれば、ラジオなど数百円で買えるが、私などは、ラジオがある家は、大金持ちのように思えたものだ。それも、たいていの家は、再生式(並三)ラジオというチューニングをとるときに「ピーピーガーガー」と、煩い受信機。スーパーヘテロダイン式(五球スーパー)受信機は高級品であった。

 我が家に初めてラジオが入ったのは、私の手づくり鉱石ラジオだった。


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