雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「的を得た話」

2015-05-12 | 日記
 言葉は時代で変化するもので、昨日までは「誤り」であったものが、今日から「正しい」となることもある。
 一つの例が「的を得る」である。すこし以前までは、「的を得る」と書けば「的を得てどうする、的は射るものだ」と、バカ扱いされたものだ。現に私が使っているワープロソフトは、さっき書いた「的を得る」という言葉の下に青い波線が入り、間違いだと指摘している。
 ところが、この言葉を誤用だと決めつけた『三省堂国語辞典』が、誤用説を撤回したことで、急遽「「的を得る」は正しいとなった。これは「的を射る」よりも更に「的を射た」ことばだそうである。

 もう一例、助詞の「は」である。これも「私わ」と書けば、それこそ「アホ」のように言われたが、最近は「わ」でも誤りではないそうである。そう言われたらそうである。言葉ではちゃんと「わ」と発しているのだから。これは、単なる取り決めであって、助詞の場合は「は」を使いなさいと教えられたから「は」を使っているのだ。これを急遽「わ」でも正しいとされると、年寄は違和感を覚えるが、若い人たちは、むしろ発音通りに「わ」と書くほうが違和感を持たないのだろう。
 メールやツイッターなどで、「私わ」「来年わ」と書かれていても、それを「間違いだ」と、指摘すれば、指摘した方が「アホ」扱いされる番だ。
 赤信号も、皆で渡れば青赤が反転して、赤が安全を示すようになるのだろう。古い例えだけれど。

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