雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

丑三つ時の日記7・切腹

2012-02-09 | 日記
  新渡戸稲造の著書「武士道」のうちより「切腹」を取り上げて解説したテレビ番組を見た。 責任のとりかた、罪の償い方で、潔く美しい死の儀式だと言う。 私には武士の遺伝子を引き継いでいないのか、全く理解のできない「惨たらしい」刑罰だと思う。 自らの意思というよりも、そうせざるを得なくさせて、逃げることが出来ない刑場に追い込んだ「刑罰」だと思うからだ。

 切腹ですぐに思い浮かべるのは「浅野内匠頭」。 殿中で吉良上野介への刃傷沙汰をやらかし、即日切腹を申し付けられた事件である。 吉良から嫌がらせを受けた浅野が、堪忍袋の緒を切って刃傷事件に及んだもので、「喧嘩両成敗」と、すべきところを、内匠頭だけに切腹をさせた幕閣のやりかたを批判するのはおかしいのでは無いだろうか。 私は決して吉良上野介贔屓ではない。 喧嘩の裁きを云々する前に、浅野内匠頭の犯した「ご法度破り」に注目すべきではないだろうか。 殿中(江戸城内)での刃傷沙汰は、厳しいご法度である。 刀を三寸(約9センチ)抜いただけでも切腹に値するところ、抜刀して相手を傷つけているのだから、絶対に切腹は免れないところである。 吉良上野介がどのような悪人だったかという以前に、浅野内匠頭は、刀を9センチ抜いた時点で、既に大罪を犯しているのである。

 赤穂浪士は、自分の命を捨てて主君の名誉を守った。 これぞまさしく武士道の美学とばかりもて囃され、年末になると映画やドラマがテレビで流される。 あの仇討に、私は疑問を抱いている。 武士道を貫いた美学ではなく、大石内蔵助の賭けではなかったのだろうか。 赤穂贔屓の江戸の風評に乗り、仇討をすることにより幕閣に反省を促し、あわよくば断絶になった浅野家を再興する望みを抱いて、ことに及んだように思われてならないのだ。  (写真は野良猫)