雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「吉良の仁吉」

2016-04-29 | エッセイ
 吉良の仁吉(大田仁吉)の物語も、様々であるが、浪曲家、二代目広沢虎造(脚本)のものが泣かせてくれる。

 仁吉は若いが清水の次郎長と兄弟分の盃を交わす仲であった。次郎長一家で三年世話になった仁吉は、生まれ故郷の三河の国吉良に戻って、吉良一家を構えた。仁吉二十一歳のときである。

 それから何年か経ったある日、仁吉一家に、以前に兄弟分の盃を交わした神戸一家の貸元(親分)神戸の長吉(かんべのながきち)が相談にやってきた。

 神戸一家は子分、数十名という小さな一家だが、父親から引き継いだ荒神山の縄張りを持っていた。この縄張りは年に一度、諸国の親分衆が寄り集まって、大きな賭博が行われる。その、たった一度の賭博に依る収入は、千両を下らないとも言われたものである。
 この縄張りを、徳次郎一家の貸元、穴太徳次郎(あのう とくじろう)が信州浪人の入れ知恵で神戸一家に「いちゃもん」をつけて喧嘩を売り、縄張りを取り上げようと図った。

 穴太徳次郎は子分、数百人の大一家、それに比べて神戸一家はひ弱過ぎる。神戸の長吉は、普段心やすくしていた貸元衆をまわり加勢を頼むが、仮病を使われたり、長旅に出ていると嘘をつかれたり、はっきりと断られたりもする。
 もうダメだと諦めかけようとした時、義理に厚い吉良の仁吉を思い出して相談に出掛けたのだ。

 吉良の仁吉は、穴太徳次郎のやりかたに腹を立て、加勢を引き受ける。仁吉が真っ先にやったことは、嫁にしてまだ三か月の恋女房お菊(十八歳)に離縁状を投げたことである。お菊は穴太の徳次郎の妻の妹であったのだ。
   「恨むなら、卑怯者の徳次郎を恨め」
 仁吉とて、惚れて一緒になった女房である。断腸の思いであっただろう。

  ◇吉良の港は おぼろ月
   泣けば乱れる  黒髪の
   赤いてがらも 痛ましや
   お菊十八 恋女房

 「てがら」とは、日本髪を飾る赤い布である。

  ◇嫁と呼ばれて 未だ三月
   ほんに儚ない 夢のあと
   行かせともなや 荒神山へ
   行けば血の雨 涙雨
 
   YouTubeで、歌を聴く
 
 仁吉は、清水の次郎長に頼み込み、強力な子分衆の助太刀を得て、荒神山へ向かう。喧嘩には勝ったのだが、仁吉は徳次郎に雇われた猟師の鉄砲で撃たれて命を落とす。

 仁吉は死体となって、船で清水港に戻ってくるが、通夜の席で次郎長の子分の一人が、仁吉の長脇差と長吉に出させた長脇差を比較して皆の衆に見せる。
   「見てやってくだせぇ、仁吉の長脇差は、この通り…」
 刃がガタガタに欠けて血くもりが酷い。
   「それに引き換え長吉の長脇差は、刃が欠けるどころか、血くもり一つありやせん」
 長吉は、喧嘩の途中、どこかへ隠れていたに違いないと批判し、長吉を斬ろうとさえした。

   「ちょっと待っておくんなせえ」
 仁吉から事情を聞いていた者が居た。
   「仁吉さんは、長吉と荒神山へ向かう途中…」
 長吉に当て身を食らわせて縛り上げ、農道の小屋へ押し込めて荒神山へ向かったのだ。これは、長吉の年老いた母親を悲しませないための配慮であった。長吉が自分で縄を解き、荒神山へ駆けつけた頃には、喧嘩は終わっていた。   仁吉、二十八歳没

 この物語は、半ばフィクションであろうと思われます。(猫)
 

猫爺のエッセイ「軍歌・戦友」

2016-04-26 | エッセイ
 猫爺は、揺るぎない「反戦主義者」である。侵略、異宗教間、異民族間の争いなど、どのような理由があろうとも、戦争に正当性はない。

 その戦争の為に洗脳され、教育されて駆り出された人々が犯した「罪」は憎むが、その人々自体は憎むことは出来ない。彼らもまた戦争の被害者なのだから。

 この「戦友」の背景は、満洲事変であろう。この「事変」と言うのは、第二次世界大戦のように国と国が「宣戦布告」をして勃発するのを「戦争」と呼ぶのに対して、宣戦布告なしにおっ始める大規模な事件を「事変」という。
 
 「満洲事変」は、関東軍(日本)の策略で、南満州鉄道(日本所有)の線路を故意に爆破し、これを中国軍の仕業だとして、それを口実に事変(戦争規模)を勃発させ、満洲を占領したものである。

 軍歌「戦友」の二人は、この戦争に駆り出された若者たちを想定したものであろう。この二人が「御国の為」だと洗脳されて命がけで戦っている心中を想うと、涙を零さずにはいられない。もっとも猫爺は、自分の書いた小説を読み返して、涙を零すような「変態」ではあるが‥。

 このフルコーラスの動画は、もともとYouTubeにアップされていたものに、猫爺が勝手に歌詞を表示せたものである。この行為が良いのか悪いのかよくわからないが、悪いのであれば「削除」してくれるだろうと、高を括っている。

猫爺のエッセイ「日本の神話、古事記」

2016-04-23 | エッセイ
 猫爺の空想的解釈を述べてみよう。(ちょっとだけ修正版)

 古事記は、天地の始まりから述べられているのだが、宇宙は混沌としているものから何となく出来上がっていくようである。地上と言えば、陸地も海もなく、ゼリー状のものがウネウネとしているばかりであった。宇宙が出来上がる以前に地上が有ったのは、猫爺の-憶測に過ぎないが、実は神話とは神が主役だと考えがちであるが、人間が主役なのではないだろうか。

 混沌とした宇宙に、「独り神」といわれる男でも女でもない神が、何処ともなく現れ、いつのまにか消えてしまう。この形すらわからない神々を「コトアマツカミ」と言い、その神々が消えた後に、「双び神(ならびがみ)」という五組十柱の神々が生まれてくる。この神々は最初泥のようであったが、代を重ねるたびに人間のような姿になって来る。「神が何故人間の姿に?」それは人間が主役である証拠とも言えよう。

 双び神は七代(神世七代=カミヨナナヨ)続き、七代目に現れた双び神が、イザナギノミコト(男)と、イザナミノミコト(女)である。
 この夫婦の神たちは、神の国、高天原(タカマガハラ)の神々に、ウネウネしているゼリー状の地上を鎮めよと命じられる。
 夫婦の神は、天の浮橋(アメノウキハシ)という空中に架かる橋の上に立ち、天の沼矛(アメノヌボコ)という棒の先に両刃の剣が付いた矛で地上のゼリーを掻き混ぜて引っこ抜くと、しずくがポタリと地上に落ちた。これが固まってオノコロ島が出来たのであった。

 夫婦の神たちは、この島に天の御柱(アメノミハシラ)と八尋殿(ヤヒロドノ)という広々とした神殿を建て、ここを夫婦の住居とした。
 この夫婦神は、スーパー多産系で、超スケベであった。「お前の足りないところを、俺の余分な部分で埋めよう」と、自然に性交を思いつき、北海道と沖縄を除いた日本の国土、大八島(オオヤシマ=本州・九州・四国・淡路・壱岐・対馬・隠岐・佐渡)を次々と産んだ。
 猫爺のこと、それら産む様子を想像してみたのだが、途中で挫折してしまった。お産の慣用句に「小さく産んで、大きく育てる」というのがあるが、きっとそれのスーパー版であろう。
 この夫婦神、「ヤリまくり、産みまくり」で、ポコポコと八百万(ヤオヨロズ)の神々を産んでいくのだが、火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲノカミ)またの名を 火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)通称カグツチを産んだあと、イザナミノミコトは死んでしまう。カグツチが火の神であった為に、イザナミの腹の中では羊水に覆われているが、破水して生まれ際には火で覆われていたのだ。赤ん坊の出口を大火傷したイザナミは、それがもとで死んでしまったのである。
 夫のイザナギは怒り狂って、罪のないカグツチを斬り殺してしまう。そのカグツチの流した血や死体から、多くの神々が生まれることになる。この生まれた神々は、カグツチのクローンであろう。

 イザナギは、妻イザナミのことが忘れられずに、呼び戻そうと黄泉の国へ出かけるが望み叶わず戻ってくる。汚れた躰を浄めようと禊(ミソギ)をするが、この禊で多くの神々が生まれる。イザナギの両目や鼻や垢から生まれた太陽神である天照大神(アマテラスオオミカミ)や乱暴者で八岐大蛇退治で知られる須佐之男命(スサノオノミコト)、夜の食国(オスクニ=国家)を任された月読命(ツキヨミノミコト)もクローンと言えるだろうが、杖や帯やブレスレットからも神々が産まれている。まァ、神の仕業なので、凡人ごときが突っ込みをいれることは出来ないが、神世とは不可解なものである。

 古事記のなかには、不思議で漫画的で面白いエピソードがたくさんでてくるのだが、この物語は何のために作られたのであろうか。
 神々の子孫が、やがて「神武天皇」へ行き着くのだが、ここで猫爺の空想的解釈を述べさせていただくと、この神話(物語)は、神武天皇から始まる天皇を神格化するために作られたのであろうと考える。作られたというよりも、豪族の命によって「作らされた」というべきかも知れない。

 古事記は「口伝え」で、稗田阿礼(ヒエダノアレ)の記憶をもとに太安万侶(オオノヤスマロ)が、雇い主である元明天皇の命を受けて編纂したものとされているが、いくら記憶の天才だとて、一人でこの膨大な物語を記憶していたとは考え難い。
 稗田阿礼は一人ではなく、集団であったかも知れない。また、この膨大な物語は、太安万侶の創作も組み込まれた脚本であろうと想像する。

猫爺のエッセイ「園児の遊ぶ声が煩い」

2016-04-21 | エッセイ
 今、食事の支度をしながら、テレビの音声に耳を傾けていたのだが、自分の家の近所に幼稚園が建つのを反対して、市に陳情する人々が増えているのだそうである。 その結果、幼稚園の周りを高い防音壁で囲ったり、地下に遊び場を造っている幼稚園もあるそうだ。

 我が家の向かいにも大きな公園と、並んで小学校がある。200メートルほど離れたところには、幼稚園も建っている。元気な子供たちの声が聞こえてくるうえ、土・日曜日には、公園で野球少年の叫び声が聞こえる。あの元気な声を、煩いと感じる大人がいることが、猫爺には意外なことでである。

 煩いと感じることがあっても、幼稚園であればたかだか午前中の3時間程度ではないか。それが我慢できないのは、近隣の人々のエゴとまでは言わないが、心の狭さは否めないのではないだろうか。

 家の近くで、子供の声ひとつ聞こえない環境など、寂しいものだと思う。あの元気に騒いでいる子供たちが、日本の将来を背負っていくことを考えると、窓を閉め切って我慢をしてあげるのも、我々大人の勤めだと思う猫爺の考えは、時代に不相応なものだろうか。

猫爺のエッセイ「染井吉野に実がならない理由」

2016-04-17 | エッセイ
 「猫爺の日記」で、ふざけ半分に「染井吉野に実がならない理由」を書いたが、今、読み返して自分が書いたことなのによく分からなかった。どうせ記事にするのなら学術的ではなく、猫爺なりの解釈で、真面目にエッセイとして書き直してみようと思う。

 お花見と言えば、桜花である。桜花と言えば、白に近いピンクの染井吉野がお馴染みであるが、春になれば霞か雲かと咲き誇り、我々の目を楽しませてくれる。

 この「さくら」、実が一つも実らないのは、「そんな品種」だと思いこんで、「何故?」と疑問を持つ人は少ないのかも知れないが、染井吉野は不稔性(不実性)ではない。ただ、自家不和合性と言って、自分の木に咲いた花の花粉では結実しないのである。この染井吉野の近くに、同じ時期に開花する桜の木があれば、染井吉野も「さくらんぼ」を付けるはずである。

 ここで、こんな疑問を持っていただければ、猫爺としては「シメシメ」と言いたいところである。

   「桜の木なんて、一本だけ植わっている処ばかりではない、まとまって500本も植わっているところもあるではないか、そこでも実はなっていないぞ」

 実が成りにくい原因を先に書いておくと、染井吉野は「クローン」だからである。誤解されると困るので、クローンは実が成らないのではなくて、クローンだからこその理由があるのだ。ここで、染井吉野が生まれた江戸時代のお江戸の町へタイムスリップしてみよう。

 お江戸の町は「染井」というところに住んでいた植木職人が苦労(?)して「江戸彼岸桜」と「大島桜」を交配させて「染井吉野」という新種の桜を作り出した。ここに生まれた「染井吉野君」は、ハイブリッドというか、雑種であって、クローンではない。この染井君か染井さんかわからない桜を育て上げ、別の桜と交配させると「染井吉野」は姿を消してしまう。そこで手っ取り早くクローンで増やすことにしたのだ。

 クローンと書けば、クローン羊を思い浮かべて何やら難しいことのように思うが、猫爺も結構クローン植物を作っているのだ。例えば「ポトス」の茎を水に差しておくと根が出てくる。これを植木鉢に植えてやると、一丁前の観葉植物になる。これが枝を貰ったポトスのクローンなのだ。さつま芋の植え付けも、クローンを利用したものであろう。



 で、お江戸の話に戻るが、大きく育った染井吉野の小枝を「接木」や「挿し木」でドンドン増やし、これを売り出したものが現代に咲いている「染井吉野」の桜になったのだ。

 現存する染井吉野は、全て雄株か、全て雌株である。しかも江戸で生まれた染井吉野のクローンで、兄弟でも親戚でも子孫でもなく、みんな同じ躰(?)の一部なのである。たとえば、染井吉野を密集して植えると、大きくなって競い合い、自分が生き残ろうとするが、隣に咲いている桜も「自分」であるから、いたわり逢って「共倒れ」になることもあるという、悲しい(?)運命を背負っているのだ。

 

 

 

猫爺のエッセイ「自分で付けた戒名(法名)」

2016-03-31 | エッセイ
 この記事は、2011年にふざけて投稿した記事を掘り起こしたものである。書いた本人でさえも忘れ去った記事が、どなたかの検索に引っ掛かって読んで(多分)くれた方がたったお一人だであるが居らしたので、気を良くしてして更新する気になった。
            
 戒名(法名)は、もともと僧侶に付けられたものだそうである。それが、いつのころからか、亡くなった一般人にも付けられるようになった。云わば、あの世での名前である。

 その戒名を生きている間に自分で付けたらどうだろう。お寺さんに聞かれたら「自分で付けるなんて、とんでもない。戒名は僧侶から授かるものだ」と叱られるかも知れない。しかし、戒名を一般人に付けるなどと云う慣習は、インドにも中国にも無い。まして、たった二文字で20万円以上、院号を加えて4文字になると、100万円をこえるそうな。

 ばちあたりかも知れないが、私にはかっての僧侶が思いついた「商魂」と思える。

 ためしに、自分で付けてみた。院号は、昔は大名クラス、今はお金持ちに付けられるそうであるから、貧乏人の猫爺は省略して、頭に来る「道号」は宗旨で決まる。私の実家は「浄土真宗」だから、「釋」。次の二文字は名号である。一文字目は、俗名「前山隆二(仮名)」から「隆」の字を使って、もう一文字は好きな文字、「情」を付けよう。後は。宗旨が「浄土真宗」なら、「信士」が付く。私の戒名(法名)は、

              法名 釋隆情信士 

 位牌は通販で、5千円程度から求めることが出来る。文字の書き込みも5千円程度である。


 実は猫爺、通販で既に作った経験者だ。一万円ちょっとで、立派な(か、どうか知らないが‥)「お位牌」が届けられた。

 2016.03.31 再投稿


 お位牌は、こっちへ置いといて‥(/・ω・)/

 
 ペヨングの「カップ焼きそば」が届いた。今までの「ペヤング焼きそば」と味は変わらない。液体ソースは、今までのとまったく同じで、ソース袋への表記も、「ペヤング」のままである。変わったのは、量が少なくなったのと、「かやく」の中に乾燥肉が無くなったこと。肉と言っても、「粉鰹節」を固めたものみたいな味がしていたので、むしろ無くなったことを歓迎する。

猫爺のエッセイ「宇宙人は居るか?」

2016-03-29 | エッセイ
 新しく始まったクイズ番組を視ていたら、小学生にアンケートをとり、回答割合をどちらが多いか当てる問題で、宇宙人は「居る」「居ない」と訊いたところ、「居る」と答えた小学生が多かった。同じ質問を大人にしたところ、割合は変わらなかったそうな。

 猫爺なら、「知的地球外生命体」を宇宙人というならば、100%存在すると答えるだろう。ただし、人間が「想像」あるいは「見た」という地球生物にどこかしら似た「宇宙人」は、嘘か幻覚か想像だと思う。

 では何故「100%存在する」と言えるのか。当然のことながら宇宙は無限大である。我々が存在する「太陽系」と言えども、銀河系宇宙の端っこにあって、湘南海岸の全砂の中の一粒くらいの存在なのだ。その銀河系宇宙規模の宇宙は、人間が確認しただけでも何百もあると言う。確認できない(地球まで光が到達しない)~系宇宙は、無量大数に存在するのであろう。

 その無量大数ある宇宙の中に、生命体を育み進歩させた星は、これまた無量大数存在して当然ではないか。その中に、「知的生命体(宇宙人)は居ない」という方が無理である。

 だが、地球上で発生し、変異と淘汰を繰り返して進化してきた知的生命体を(人)というのであれば、地球外の知的生命体は(人)とは言えないかも知れない。

 テレビなどで「宇宙人」だと言って見せてくれるものは、地球生物を変形したものであるが、実際に存在する知的地球外生命体は、人間には想像できない類の形態であろう。地球とは違う環境もとでは、地球とは全く違った形態を持つ知的生物になる筈だ。

 
 猫爺のSF的空想はこっちへ置いといて‥

 今日の昼餌は、だった。

猫爺のエッセイ「股旅演歌」

2016-03-19 | エッセイ
 ここのところ、猫爺はブログへの投稿をサボっている。こんなにサボるのは、入院していた時以外では初めてだろう。
 だが、サボるというのは正しいのだろうか。サボるとは、勉強とか仕事とか、やらなくてはならないことを怠けることの筈だ。ブログに記事を載せるのは、やらなければならないことではない。趣味を楽しんでいるのである。猫爺には、「ボケ防止」という目的もあるには有るが‥。

 若い方々のブログを拝見していて、更新が途絶えることが、まるで罪であるような意識を持っておられる方もいらっしゃるのだなぁと生真面目さを感心する一方、そのひたむきさを「余計なお世話」ながら心配する猫爺である。

 猫爺は若いときからそうであるが、趣味、興味は周期的にシフトする。文芸に熱を入れているかと思えば、アマチュア無線に懲り、電波を飛ばす為に態々山登りをしたり、バイクでツーリングをしてみたり、作曲に凝ったり、写真に凝ったり等々、移り気で一つのことに落ち着けない人間である。

 今はと言えば、ヨボヨボで行動範囲が狭くなり、音楽を聴くことが主になっている。それも、若いときには興味が無かった演歌を、年寄らしく好んで聴いている。演歌の中でも、「股旅演歌」がいい。
 股旅とは、江戸時代やそれ以前に足で歩いて旅をすること言ったものであるが、特にヤクザな男や女が賭博で旅籠賃を稼いだり、侠客一家で一宿一飯の恩義を受けながら旅をすることである。旅の目的は、たいてい罪を犯して無宿者になった者達が追手を逃れるための旅である。
 これに対して、武士や堅気の衆の歩き旅は、旅人の脚を馬の足に例えて「膝栗毛」といったようだ。


 猫爺の書く「連続小説」にも、この股旅のスタイルを使っている。その一番目が、肥桶を担ぐ天秤棒を持たせると天下無敵の「池田の亥之吉」である。この亥之吉、形(なり)はヤクザではあるが、無宿者ではなく実は大坂のお店(たな)の番頭である。しかもこのお店のお嬢さんとは許嫁で、末は暖簾分けをして貰える堅気で、ある目的を持って旅に出たのである。その目的とは、身を持ち崩したお店の長男が店を飛び出しヤクザに身を窶していると知り、同じく身を窶し、探し旅にでたのである。

 二番目に登場するのは、旅雀と揶揄(からか)われる「チビ三太」五歳である。たった五歳の少年が大坂から江戸まで旅をするのは到底無理であるが、彼には「中乗り新三」という守護霊が憑いているのだ。旅の途中、親に捨てられた同年の少年と、穴にはまり母狐に見捨てられた狐の仔が道連れになる。江戸には「池田の亥之吉」が待っている。その頃は、江戸の町に店を開いていた亥之吉のところに丁稚奉公し、棒術を教わるためだ。

 三番目に登場する旅鴉は「江戸の辰吉旅鴉」である。彼は、亥之吉の長男で、町で喧嘩に巻き込まれ、人を殺した結果の逃亡旅である。


 この投稿は、猫爺の「取り敢えず投稿」だなと気付かれた方、鋭いっ!

猫爺のエッセイ「猫爺はアボリジニ系?」

2016-03-11 | エッセイ
 酒に強い、弱い、または飲めないなどのタイプは、遺伝子によるものであることは、現在では多くの人々に知られるところである。
 酒(エチルアルコール)を摂取することにより、アセトアルデヒドという有害な物質を生じる。酒に強いタイプの人はこれを分解して無害な酢酸に代える酵素を肝臓内に持っている。酒に弱い、もしくは全く飲めないタイプは、この酵素の働きが弱いか、全く無いのだそうである。
 猫爺は、この全くないタイプで、注射を打つとき腕を消毒用アルコールを染み込ませた脱脂綿で拭いただけで赤く腫れたようになる。これは、アボリジニかモンゴロイド系の人間に多いらしい。
 これに対して、酒に強いタイプは、コーカソイド(白人)系か、ネグロイド(黒人)系だそうである。

 猫爺の若い頃は、この知識を持たない人が多く、「男の癖に酒が飲めないなんて‥」「意気地がない」「だらしない」と、言葉での虐めに遭ったものだ。おまけに、「訓練して下戸を克服しろ」とまで言われたこともあった。これを現代の知識では「訓練などによって克服することは絶対に不可能である」と言われている。猫爺も、訓練すれば克服出来るものと信じ、目を回したことが幾度となくあった。
 医師たちの宴会に於いても、全く飲めない若い医師に「一気飲み」を強要して、その若い医師を死に至らしめた痛ましい事件もあった。
 現代では、このようなことは先ずはないと思うが、偏見を持った人間はいつの世にも必ず居るものだ。

 偏見と言えば、性同一性障害の人に対する無理解も非常に多い。これをその人の趣味だとか、「こんな風に育てた覚えはない」と、我が子を非難する親さえも居る。これは、環境ホルモンの悪影響で障害を持って生まれて来た子供に、親が「こんな子供に産んだ覚えはない」と、我が子を非難しているようなもので、的外れというものだ。

猫爺のエッセイ「ヒー」

2016-02-03 | エッセイ
 猫爺は、酒もダメなら、ピリ辛もダメという、人生の楽しみの半分は損をしている。その猫爺が、最近「◇×△ヤ」の「辛ムーチョ」なるポテト・スナックを食べ始めた。周りの者が不思議がっているのだが、訳はこうである。

 根っからの「いやしんぼ」なので、食間につい菓子を口にしてしまう。酷いときは、菓子で腹が膨れて食事の時には既に満腹であったりもする。「辛ムーチョ」は、この防止策なのだ。
 細い棒状のポテトを一本口に入れて、袋のキャラクタ「ヒー婆ちゃん」よろしく「ヒー」。スナックは長持ちするうえ、口寂しいのも解消する。

 最近、当ブログに来られる方々の中で、「猿轡小説」で検索されておられるのが目立ってきた。「どれ」と、「猫爺 猿轡」でグーグル検索をしてみると、当ブログの記事が五つもヒットした。なるほど、猫爺は猿轡小説を書いていたのだ。
 だが、決して「SM小説」を書いているつもりはない。事件の小道具として猿轡を登場させているのだ。もう一件。どこかで「男色爺の小説」と書かれていた。こちらも「猫爺 男色」で検索してみると、二つヒットした。いずれも、弁解の余地なしか。

 そう言えば、「歌をわすれたカナリヤ」の歌詞を、SMみたいに茶化した掌編があった。

   ♪歌を忘れたカナリヤは、柳の鞭でぶちましょか♪

 あの一節に、猫爺は「ローソクを垂らす」を加えた。立派なSM掌編だ。こちらは、カナリヤが「ヒー」

猫爺のエッセイ「趣味としての創作」

2016-02-01 | エッセイ
 若い方々の「現代小説」を読ませて戴いて、この中から未来の芥川賞作家や、直木賞作家が生まれるのであろう予感に胸躍らされます。

 小説を書きたいのですが、「わたしは長い文章が書けなくて‥」と、諦めてはいませんか? 長い文章は、短い文章の集まりなのですよ。稚拙な文章は、いくらでも後で直せるのですよ。物語を組み立てるのは、電子回路に似て、小さな回路の集まりで出来上がっているのです。

 昔、猫爺小学生の頃、「スーパー・ヘテロダイン」という回路のラジオが組める学友が居ました。猫爺などは、たかだかゲルマニューム・ラジオしか作れませんでしたが、半田ゴテの先から松脂の臭いがする煙を燻らせながら、回路図を傍らに広げ作業をすすめている学友を見て、「コイツ凄いなァ」と、尊敬の眼差しで見たものです。

 しかし、自分もやってみると、「何だ、こんなの簡単じゃないか」と、思えるようになりました。そうです、順序を追って、一つ一つ組んでいくと、次第に完成していくものなのです。
 出来上がったものを見て、「わーっ、自分には難しすぎる」と思えても、やってみると出来るものなのです。

 ラジオを組み上げてみて、電源を入れても鳴らないこともありました。どこかで間違えているのです。そんな時は、回路図通りに組みあがっているか、もう一度点検をするのですが、小説だって同じことです。もう一度読んでみて、ストーリーが成り立っているか、熟語や文法は間違っていないだろうかと点検するのですが、猫爺のような趣味で書いている場合は、何度でも修正ができます。

 「添削」とは、書き足したり、削ったりすることですが、原稿用紙に書くのと違い、ワープロソフトやエディタを使うと、なんと簡単で、しかもエコではありませんか。

 「校閲」とは、間違いを見付けて正すことですが、ただしい文章が書けなくても、情報はWebからいくらでも手にはいります。

 今の若い方々は、たいへん恵まれておいでです。「小説を書きたい」と思い立ったら、すぐにでも始められます。

 まずは、楽しいこと、悲しいことの空想、自己の体験から出たこと、友人の体験などと、題材は無数にあるのですから‥。

 「あっ、ごめん」爺のくせに、ちょっと生意気過ぎました。(久々に、敬語体の文章で投稿記事を書いてみました)

猫爺のエッセイ「年を取ると言うこと」その2

2016-01-29 | エッセイ
 昨年の秋のことだが、猫爺が乗り回して今は娘の物となった普通車を、草むしりのために1m前に動かそうとした。免許証は返却してしまって無免許だが、道路ではないので1m位は大丈夫だろうと運転席に座った。
 何が大丈夫なものか。操作要領はすっかり忘れてしまって、暫くはエンジンをかけるのも躊躇う始末。それでも、まだ大丈夫だと思い、鍵を回そうとしても回らない。気を落ち着けて、やっとエンジンをかけたものの、サイドブレーキを外して前進しようとしたら、「ガクンガクン」、そうだ、大昔、初めて車を運転をした時のあのへたくそぶりだった。
 もし、免許証を返却していないで、このまま道路に出たら、確実にアクセルとブレーキを間違えて何処かに突っ込んでいただろう。

 年を取ると、若い時には絶対にこんな間違いはしないだろうと思うことが多くある。可愛くて、些細な間違いだが、カップ焼きそばを作るのにお湯を入れる前にソースを入れてしまうことがある。それも、お湯を捨てる段になってお湯に色が付いているのを見て間違いに気付く有り様だ。
 そんな時は、市販の「とんかつソース」で間に合わせるのだ。

 年を取ると、元気な若い人が羨ましいと思うだろうが、決してそんなことはない。自分だって、若い時代を過ごしてきたのだから。
 ただ、羨ましい、妬ましいと思うのは、自分より年齢が上だと思える人が、元気に「ピョンコ、ピョンコ」動いているのを見る時だ。

 昼間のローカル局は、年寄りを対象にしたサプリの広告だらけだ。
 
  「私はこのサプリに出合って、こんなに元気になりました、これ無くしては、私は生きていけません」

 「個人の感想」と小さな文字で画面に出しておけば、医薬品顔負けの効能を喋っていても薬事法違反にならないのだ。薬事法なる物物しい法律も、広告に関しては「ザル法」と言わざるを得ないではないか。
 猫爺は、「あれが個人の感想か」と、文句を言いたくなる。素人にしろ、タレントにせよ、ギャラを受け取り用意されたセリフを散々リハーサルを行ったうえで喋っているのである。

 年を取ると、こんな白々しい広告にも、易々と乗ってしまう。

猫爺のエッセイ「ひゅードロドロ談義」

2015-12-18 | エッセイ
 猫爺の小説には、幽霊が時には主人公として、或いは脇役として登場している。それでは、猫爺は幽霊をどう考えているかをメモってみたいと思う。

 幽霊の認識は、人によってさまざまであるが、人が非業の死を遂げたり、この世に思いを残したまま死んだ者の非物質である魂が成仏せずに怨霊となってこの世に留まり、人の目に見えるというのがネットで調べて大凡の「説」のまとめである。
 この世に思いを残して死んだ人々は、戦争、災害、事故と数限りがない。その人々が幽霊となって大群で顕れないのは何故だろう。
 戦争で死んだ人は幽霊にならないという一説がある。恐らく、災害や不慮の事故で大勢死んだ者たちも幽霊にはならないという説も存在するのだろう。
 これは、幽霊の存在を肯定する宗教家とか、霊媒師とかが質問されて「言い訳」をしたのが始まりではなかったかと猫爺は想像する。
 失恋自殺をした美しい女が幽霊になって、災害で家族を残して死んでいった大勢の人々が幽霊になって顕れないのは如何にも片手落ちではないか。
 それでも、幽霊を目撃した人が多くいたり、非物質であるにも関わらず写真に写ったりするのは何故だろう。人の目や、写真に写るかぎりは、そこに光を反射する物体が存在しなければならない。
 人が何千人、何万人と死んでいった場所では、どうして光の乱反射が起こらないのだろうか。答えは一つだと思う。幽霊は「非物質」だからである。
 では、何故幽霊は存在するのか、または何処に存在するのかを猫爺なりに考えてみた。それは人の心に存在するのだ。そう考えると、幽霊は「非物質」ではない。「生きている人の脳」という物質の中に存在するのだ。

 では、どうして人の目に映るのか。テレビで怪奇現象だとして奇妙な映像を見せて観衆を怖がらせているのは、他愛のない錯覚をさせる映像や、偽造映像をナレーションで巧みに真実らしく見せている所為である。

 幽霊の存在を信じるのは、人間だけであろう。猫や犬は得体の知れない「動くもの」におびえることはあっても、心霊写真を怖がることはない。幽霊の存在を信じ、怖がるのは人間であるからである。何千年の昔から信じさせられ、恐れてきた人間に「幽霊なんか無いさ」と言ったところで、心のどこかで存在を信じ、怖がっているものだ。それを猫爺は「人間らしさ」だと思うことにしている。

 猫爺にとって、幽霊は怖がるものではなく、楽しく一緒に遊ぶものなのである。と、「賢吉捕物帖」第九回で幽霊を登場させているが、ゆったりとした時間にはすぐ寝てしまうので、途中でストップしたまま中々はかどらない。「まーええやん」(+_+)

猫爺のエッセイ「幽霊、死神、貧乏神、鬼」

2015-12-15 | エッセイ
 猫爺が書くフィクションに登場する幽霊、死神、貧乏神、鬼などは、人を殺したり、人を怨んだりはしない。これは、意図したものでなく、気が付けばそうなっていたのだ。
 例えば、子鬼の阿羅斯であるが、節分の日に憤慨して下界に降りて来るが、女の子の病んだ心を治して帰って行く。(掌編小説・子鬼の阿羅斯)
 貧乏神は、ある貧乏な若い夫婦の家に棲み付くが、若い妻が産気づくと、福の神と共に何か手伝いをやれないものかと画策する。(短編小説・貧乏神)
 長編連続小説の能見数馬に始まって、佐貫三太郎、佐貫鷹之助、チビ三太ふざけ旅、江戸の辰吉などには、人情味に溢れる守護霊、その名を木曽の「中乗り新三」という幽霊が登場する。
死神は、死にかけた権爺の寿命を延ばしてやるが、その老いてますます盛んになった権爺が放蕩に走るという話になるが、死神は人間を黄泉の国へ引っ張り込んだりはしない。(掌編小説・死神と権爺)
反面、鬼退治の桃太郎が、桃太郎を拾って育てた欲深い老夫婦に洗脳されて平和な鬼ヶ島を衝撃する略奪者として描かれたりしている。(掌編パロディ小説・大きな桃)
へそ曲がりなのかな? 猫爺は‥…。


猫爺のエッセイ「神戸の温泉」

2015-12-12 | エッセイ
 神戸の温泉と言えば、日本三古湯の一つ「有馬温泉」だが、JR三ノ宮駅の敷地内を地下一キロまで掘削したところ、温泉脈を掘り当てたのだとか。近々、神戸に新しい観光地が誕生するのだろう。

 とはいえ、有馬温泉は万葉の昔から存在する由緒ある温泉である。その近くの有馬山を詠んだ紫式部の娘大弐三位こと、藤原賢子(ふじわらのかたこ)の歌がある。

 有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
 
 勝手に賢子の元を去り、長い間音沙汰の無かった男から手紙が着いた。それには、「あなたが心変わりしていないか心配だ」と、書いてあった。
 頭にカチンときた賢子が、この歌で返事をした。

  あんた、ええ加減にしいや、長い事この私を放ったらかしといて、「心変わりしてないか」とは、なんと言う身勝手な言いぐさやねん。まったくそうよ、そうよ、心変わりしたのは、あんたの方やおまへんか。わたしはあんたのことを忘れたりしているものですか。

 賢子はこう書きたかったのだが、優雅な平安時代の女性のこと、上の歌で返した。有馬山の近くに猪名川が流れている。その両岸は一面が笹原で、有馬山颪が吹くと「そよそよ」と葉擦れの音がする。その「そよそよ」を、「そうよそうよ」とかけて、洒落で返したのだ。

 実はこの和歌、「そよそよ」を引き出すためにだけ「有馬山」と「猪名の笹原」を大道具として使われただけである。猫爺も、有馬温泉が由緒ある温泉であることを語るだけの為に、小道具としてこの歌を引用した。(+_+)