「犯罪と刑罰(1763)」チェーザレ・ベッカーリア/訳:小谷眞男 2011東京大学出版会
18世紀の若者(25歳)がこんなことを書いていたなんて!
あ、でも、どの時代でも理屈好きの若者はいるよね。
テーマも原始社会の成立からずっと問いかけられ、話し合われてきていることだ。
日本の司法界、政界、立法・・・恥ずかしくならないか?
P8序文 「大部分の法律は、ごくわずかな人たちの情念の道具にすぎないか、場当たり的に作られたにすぎないかの、二つに一つである」
P143「大した問題ではない行為まで犯罪とするのは悪法」「法律の大部分は特権を定めたものに過ぎない」「犯罪を防ぎたいと望むならば、法律を単純明快にすればよい」
P11 法律=バラバラに独立した人間が、一つに統合して社会を形成していく条件。
P16 立法者(国会議員)=社会契約(選挙)によって統合された社会全体を代表する。
P27 刑罰が犯罪を誘発し、新たな刑罰を生む。
P39 市民はどんな時に有罪になるのか知らされていなければならない。
(日本の現行は、だれも見ないような場所に張り出して「知らせた」とするので、マスコミが取り上げなければ誰も知らない)
P53 拷問(長時間の取り調べ)の弱点は、弱者を陥れ、頑強な悪人が無罪放免となることである。
P61「人々の犯罪は、君主の財産だったのである」ああ、痴漢冤罪、交通違反罰金・・・
P62 なんとしてでも被告人を犯人に仕立てようと罠をかける。
P66「自由の剥奪はそれ自体が処罰である」刑罰は迅速に!
(日本の現行では、逃げる心配のない人間まで簡単に長期間の勾留を裁判所が認める。自白を引き出すために)
P101「市民を勾留するかどうかの判断を、法律の執行という役割を担うに過ぎない司法官の自由裁量に任せるのは、間違っている」
P67『犯罪』と『刑罰』の結びつきをきちんと認識させるためにも、刑罰は迅速でなければならない。(抑止の効果のためにも)
P68「処罰を、犯罪の性質と、できうる限り一致させる」
これは「目には目を」ではなく、「性質」だよね。暴力に暴力ではなく、暴力には看護かな。ごみのポイ捨てには地域清掃とか。
P87「刑罰のもたらす苦痛が、犯罪によって得られる利得を超過しさえすれば十分」
(現行日本では、「○○円以下」「○○年以下」なので、大規模犯罪ほど犯罪によって得られる利得の方が多い)
P91 死刑=一人の市民と敵対する国民全体の戦争
死は抑止力となるか?社会に害を与えると決めた人間を止めることはできない。
終身隷役刑
P105 刑事と民事の違いが分かりやすく書いてあった。民事や刑事とは書いてないが、『公共善』なる言葉で説明している。「刑罰を科す権利は、ひとり被害者だけのものではない。市民個人は、ただ権利の中の自分の持ち分を放棄することができるだけである」
P129~130 懸賞金について否定的に書かれている。そうだなぁ、懸賞金がなくての情報提供は信用できるけど、懸賞金目当ての情報は怪しく感じるよね。日本でもやっている人たちがいるけど、効果はほとんどないのではないか。だって、結構そういうのって自分から言いたくなるものだし。
P139「武器を持ち歩くことを禁ずる法律は…」やあ、うん、まあね、日本とアメリカの違いを見せてあげたいね。武器が身近にある危険を取り除いた方が生活しやすいんだけどね。治安の問題だよね。
法律が社会を作り上げている契約だとするならば、社会の変化に合わせて法律も変わっていかなければならない。
法律が正しく変わっていけば、司法の判例もそれに合わせて変えることができるようになる。
だが、現在の日本においては、立法と行政が近過ぎることで「特権を定めた」「複雑にして犯罪を増やす」法律がいかに多いことか。また、社会の変化についてこられない法律の姿も多々目にしていることだろう。
そんな状況の中、全体の中ではまだ大きな問題となっていないとしても、立法こそが一番の犯罪になってはいないか。その刑罰はどうすればいいのだろうか。