リッスン・トゥ・ハー

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ピアノガールと形のない悪魔2

2007-06-10 | 掌編~短編
悪魔は彼女の周りにいつもいて、といっても彼女の部屋の中のみであったが、時々思い出したように話し掛けてきた。
最初、彼女はシャワーを浴びる時にも周りにいる悪魔に対して、恥らうようなこともあったが、すぐに慣れた。相手は悪魔であるし、形はない。あるのは悪魔という概念だけだ。慣れれば全く苦にならなかった。それどころか、悪魔は、いなくなった恋人の穴を埋めるに値するだけの存在になりえた。

悪魔は時々、ユリネのことを話す。それも同じ話だったが、彼女はいつ聞いてもはじめて聞いているような錯覚を受けたし、実際、その細部は聞くたびに少しづつ変わっていた。どれが真実でどれが真実でないかなんて曖昧なものだった。変わらないことはどのユリネも悪魔の、人間であった頃の悪魔のことを愛していて、綺麗な女の子であるという事だった。ただしそれは悪魔が言い張っているだけであって、本当のところは分からないのだが。

いくつか季節が変わった。
相変わらず彼は帰ってこなかった。彼女も半ば諦めていた。それは悪魔とのくらしで、分かっていた。悪魔が実際に存在して、その悪魔が彼は戻ってこない、といっているのだから。そういうことなんだと思った。
寂しさや、悲しさは、感じなくなっていた。それも慣れてしまった。
悪魔の言うとおり、すぐに慣れてしまったのだ。それを言うと、癪だったので、彼女は黙っていた。でも、悪魔には分かっているようだった。決して口には出さないが、ほらそうだろう、僕の言ったとおりだ、とでも思っているような気がした。

いつからか、彼女のほうから悪魔に話し掛けることが多くなった。悪魔からの返事が遅くなると、彼女は無性に寂しさを感じるようになった。
それこそが悪魔の怖さなのかもしれない。しかし、そんなことはどうでもよかった。ただ悪魔と会話をして、ユリネの事を聞いていたかった。
もしかしたら、私はユリネなのかもしれない。そう考える事もあった。しかし、いや、私は白くないし、何より皆に愛されていない。ここは雪の多い地方でもないし、とその考えを打ち消した。打ち消すたびに、それを残念に感じている自分がいることにも気付いていた。
つまりピアノガールは悪魔に惹かれつつあった。
恋愛に近い感情だった。

そのうち、いなくなった恋人のことを忘れてしまいそうになった。
どうして、悪魔が近くにいるのか、分からなくて考えていると、彼のことを思い出せた。