私が居ない時、犬はとても静かなのだ、と言う。だが、私が家に入ると途端に騒ぎ出すのだそうだ。勤めから帰って来た時、誰も迎えてくれないのに、犬だけは大喜びで迎えてくれると言うのが相場らしいから、私の場合もそれなのだろう。しかし我が愛犬の場合は度が過ぎている。
家に入って、まずは鞄を置き、鍵や定期や腕時計などをしまい、コートなどを脱ぎ、などをしている間にも、早く挨拶をしろ、とうるさくせっつく。分かったよ、ちょっと待ってくれよ、などと声を掛けながらそうした事をしているのだが、一向に収まらない。それにトイレにも行きたい。本当は玄関を入るなり、すぐに抱き上げたりすれば良いのだろうが、コートに毛が付くのが煩わしい。特に毛の付き易く取れにくい材質のコートなのである。
食事の前に風呂に入ろうかと眼鏡を外せば、ワンワンワンと大興奮して風呂場に走って行く。息子が、うるさいから、抱いて行けば静かになるよ、と言うのだが、すぐに走り出しているんだから、とても追っ付かない。それに洗面所には家内が行こうが息子が行こうが知らん顔をしているのに、私の場合だけ騒ぐのである。別に私と一緒に風呂に入る訳ではない。子犬だった時には一緒に入っていた。風呂場の椅子はちょっと大きめで、その後ろにちょこんと座る。だから私は前半分にやはりちょこんと座って体を洗う。湯を掛ける時にも犬にあまり掛からないように、遠慮して掛ける。
で、いつの間にか一緒には入らなくなった。その代わり、私が洗面所でひげをそったりしていると、風呂場に入れろ、とうるさく催促する。仕方がないからドアの鍵を外してやると、風呂場に入ってドアを閉めて、ドアをガリガリ引っ掻いて騒ぐのが定番となってしまった。うるさいからドアを開けると出て来て、すぐにまた中に入り、中からドアをバタン。それでまたまたガリガリ。何が面白いのか、その繰り返しなのである。ドアを閉めておけば、開けろとうるさい。
それで今では洗面所に居る時には犬を洗面台の上に乗せてしまう。不思議な事に、それでおとなしくなる。
最初にきつく叱らなかったのがいけないのだ、と今更言われても後の祭り。それに、やるのは私の場合だけなのだから、しつけのしそこないとばかりも言えないと思う。で、私を親だと思って甘えているのか、それとも仲間だと思ってやりたい放題なのか、と考えてしまうのである。家内は、もちろん、仲間よ、と突き放す。いや、そうじゃないよ、と私は反論する。この犬はね、自分が我々と同じ人間だと思ってるんだ。だから仲間なら、みんなも同じ仲間になる、と。
じゃあ、母親だと思ってるのよ、と家内。いいよいいよ。どうせ私は甲斐性がないさ。一家の主人にはふさわしくないんだから、母親で結構さ。うん、本当に犬は私を父親ではなく、母親だと思っているようだ。朝だって、家内はとっくに起きているのに、私が寝ている間は犬も私のそばで寝ている。仕事場に行けば付いて来るし、ベランダに出れば、やっぱり付いて出る。
あんまりそばにいるもんだから、時々、ついうっかりと踏んでしまう。すると猛烈に怒る。キャイン、痛いじゃないか、気を付けてよ、と言うなら可愛らしいが、鼻にしわをよせて、猛烈に抗議をする。この野郎、気を付けろ、俺が居るじゃないか。
本当にもの凄い剣幕なのである。ごめん、ごめん、と撫でたり抱いたりして謝るのだが、どうしてどうして、許してはくれない。怒るのは誰に対しても同じである。冗談で、お前なんかダイッ嫌いだ、などと言おうものなら、誰が言っても途端に怒り出す。こうなると、親子関係ではない。仲間意識である。
うーん、やっぱりどこかで間違えたのだ。犬はボスに従う習性があるから、人間を、我が家では三人だが、我々の誰をもボスと思わせて置かなくてはいけなかった。三つ子の魂百までも、と言うから、この我が儘で、でも馬鹿ではないこの犬とこれからも丁々発止とやって行く事になる。
どうも私は犬に教えられる所が多分にあるらしい。
家に入って、まずは鞄を置き、鍵や定期や腕時計などをしまい、コートなどを脱ぎ、などをしている間にも、早く挨拶をしろ、とうるさくせっつく。分かったよ、ちょっと待ってくれよ、などと声を掛けながらそうした事をしているのだが、一向に収まらない。それにトイレにも行きたい。本当は玄関を入るなり、すぐに抱き上げたりすれば良いのだろうが、コートに毛が付くのが煩わしい。特に毛の付き易く取れにくい材質のコートなのである。
食事の前に風呂に入ろうかと眼鏡を外せば、ワンワンワンと大興奮して風呂場に走って行く。息子が、うるさいから、抱いて行けば静かになるよ、と言うのだが、すぐに走り出しているんだから、とても追っ付かない。それに洗面所には家内が行こうが息子が行こうが知らん顔をしているのに、私の場合だけ騒ぐのである。別に私と一緒に風呂に入る訳ではない。子犬だった時には一緒に入っていた。風呂場の椅子はちょっと大きめで、その後ろにちょこんと座る。だから私は前半分にやはりちょこんと座って体を洗う。湯を掛ける時にも犬にあまり掛からないように、遠慮して掛ける。
で、いつの間にか一緒には入らなくなった。その代わり、私が洗面所でひげをそったりしていると、風呂場に入れろ、とうるさく催促する。仕方がないからドアの鍵を外してやると、風呂場に入ってドアを閉めて、ドアをガリガリ引っ掻いて騒ぐのが定番となってしまった。うるさいからドアを開けると出て来て、すぐにまた中に入り、中からドアをバタン。それでまたまたガリガリ。何が面白いのか、その繰り返しなのである。ドアを閉めておけば、開けろとうるさい。
それで今では洗面所に居る時には犬を洗面台の上に乗せてしまう。不思議な事に、それでおとなしくなる。
最初にきつく叱らなかったのがいけないのだ、と今更言われても後の祭り。それに、やるのは私の場合だけなのだから、しつけのしそこないとばかりも言えないと思う。で、私を親だと思って甘えているのか、それとも仲間だと思ってやりたい放題なのか、と考えてしまうのである。家内は、もちろん、仲間よ、と突き放す。いや、そうじゃないよ、と私は反論する。この犬はね、自分が我々と同じ人間だと思ってるんだ。だから仲間なら、みんなも同じ仲間になる、と。
じゃあ、母親だと思ってるのよ、と家内。いいよいいよ。どうせ私は甲斐性がないさ。一家の主人にはふさわしくないんだから、母親で結構さ。うん、本当に犬は私を父親ではなく、母親だと思っているようだ。朝だって、家内はとっくに起きているのに、私が寝ている間は犬も私のそばで寝ている。仕事場に行けば付いて来るし、ベランダに出れば、やっぱり付いて出る。
あんまりそばにいるもんだから、時々、ついうっかりと踏んでしまう。すると猛烈に怒る。キャイン、痛いじゃないか、気を付けてよ、と言うなら可愛らしいが、鼻にしわをよせて、猛烈に抗議をする。この野郎、気を付けろ、俺が居るじゃないか。
本当にもの凄い剣幕なのである。ごめん、ごめん、と撫でたり抱いたりして謝るのだが、どうしてどうして、許してはくれない。怒るのは誰に対しても同じである。冗談で、お前なんかダイッ嫌いだ、などと言おうものなら、誰が言っても途端に怒り出す。こうなると、親子関係ではない。仲間意識である。
うーん、やっぱりどこかで間違えたのだ。犬はボスに従う習性があるから、人間を、我が家では三人だが、我々の誰をもボスと思わせて置かなくてはいけなかった。三つ子の魂百までも、と言うから、この我が儘で、でも馬鹿ではないこの犬とこれからも丁々発止とやって行く事になる。
どうも私は犬に教えられる所が多分にあるらしい。
善かれ悪しかれ、犬はいつも真剣です。そんな姿を見るたびに、駄目な政治家達に、犬の爪のあかを煎じて飲ませたい、と思います。
本当にお宅の犬は、自分を人間だと思っているようですね。
「仲間だと思ってやりたい放題」なのだと存じます!(笑)
本稿を読んでいて、私のカミさん(専業主婦)を連想してしまいました。私が仕事から帰ってくるなり、今日はこれこれこうゆうことがあったんだよ、あれってどう思う?わたしはこう思ったんだけど、などなど私に付きまとって延々と何時間でもしゃべりまくります。
犬がいたら楽しいだろうなと思うのですが、飼ったとしても私たち夫婦には世話することができないので、あきらめています。
夏木さんと愛犬の関係は、ほんとうにうらやましいです。