私の体の一部はまだまだ健全な物が多いのですが、残念ながら寿命の方が尽きてしまいました。つきましては、使える臓器を必要な方に役立てて頂きたいと思い、差し上げる事にしました。そして私はどなたかの体の中で再び生き続ける事が出来ます。
有難うございます。一生大切にいたしますので、是非使わせて下さい。
と言うようなのが臓器移植でのやりとりではないだろうか。しかし現在は、臓器が欲しい、誰か健全な臓器を持っている人が死んでくれないだろうか、と心待ちに待っているような情況である。
使って下さい。では頂きます。ではなく、譲ってくれ、との一方的なお願いをしている。もちろん命の綱である人に取っては真剣その物である。提供する人が非常に少ないためにそうした現状になっている。それでも、当然にもらえるのではなく、あくまでも「お使い下さい」と申し出る人が居て初めて成り立つ。
本当はもっともっと多くの人が、どうぞ私の体をお使い下さい、と言っておかしくはないのだが、多分、認識不足に過ぎないだろう。どうせ灰にしてしまう物が、ある人々にとっては命その物になると言う事の認識が足りないだけの事である。
そうした大切な事を一体、どれほど認識させようと努力をして来たか。ほとんどの人が他人事のように思っている。話題になるのは、アメリカなどに渡って移植を受けるために多額の費用がかかり、その募金活動をしていると言うような話ばかりである。
大体が無責任である。自分達はやりたくないから、どこかよその国でやってもらってくれ、なのである。さすがに諸外国も堪忍袋の緒が切れた。自分達で解決せずにな何でよその国にばかり頼るんだ。そうなんですよ、我々日本人は自分の国の安全だってよその国に守ってもらおうと思っているんですから。
だから臓器移植の値段はどんどん上がる。結局は、自分達の責任に目覚めたのではなく、高くなってしまったから、安上がりに自分達でやろうじゃないか、あるいは、外国では受け入れてもらえないから、とそんな事が発端ではないのか。馬鹿にするな、と言うのなら、もっと前から真剣に考えておくべきだったのだ。
成立した臓器移植法改正A案は多くの人々が問題あり、と考えている。あまりにも拙速で、臓器欲しさの気持がもろに出てしまっている。欲しい臓器を目の前にして、人の死がどのような物であるかを忘れてしまっている。昨日書いたが、宗教心の無さがこうした場合に裏目に出る。
今、政治の世界では庶民の目は民主党に向いているようである。次の政権を担当させてみようではないか、と思い始めている。あまりにも自民党がだらしないからである。積極的な支持ではなく、ほかに選択肢が無いからのいやいやながらの支持であると私は思っている。
この臓器移植法案の衆院可決で、民主党・無所属クラブは反対した議員が賛成した議員より24人多い65人。棄権を入れれば更に6人増えて71人になる。社民党・市民連合にも共産党にも賛成者は一人も居ない。それでも可決してしまったのは、自公議員が多数だからだろう。それなら、参議院は逆転しているのだから、参院では否決されるかと見ていたら、何と可決してしまった。
つまり、民主党議員の多くが賛成に回ったに違いない。そうでなければ計算が合わない。それとも社民党も共産党も賛成に回ったのか。いやいや、そんな事は無い。社民党は反対と棄権、共産党は全員反対だ。民主党では賛成46人、反対48人、棄権10人。
衆院では過半数は112。民主党の賛成は41で過半数の36・6%。参院では過半数は104。民主党の賛成は46で、過半数の44・2%。明らかに衆院よりも賛成者の割合が増えている。公明党では賛成が14で、反対が6。これは衆院では賛成12、反対18だったから、明確に賛成に回っている。宗教団体が人の死をどのように考えているかを考えさせられてしまう結果ではある。
こうした事を考えると民主党の賛成派が増えた事が参院での可決に繋がっていると見るべきだろう。
こうした結果を見て、私は次の選挙でたとえ民主党が圧勝したとしても、その行く先には不安がある。人の死をいい加減に考えるような人間にどうして大事な国政を任せられるか。
衆院で反対した民主党及び無所属クラブの議員の中には、以下敬称略だが、枝野幸男、田中眞紀子、長妻昭、鳩山由紀夫、原口一博、細野豪志、前原誠司の諸氏が居る。
一方、賛成した同議員の中には、安住淳、小沢一郎、岡田克也、菅直人、小宮山洋子、仙谷由人、羽田孜、馬淵澄夫、松原仁、山岡賢次、渡部恒三の諸氏が居る。
以上、単に私がテレビなどでよく見掛ける顔ぶれだけを挙げたのだが、勝手ながら非常にがっかりした。岡田も菅も賛成なのか。菅氏は厚生大臣だった時、役人を叱りつけて薬剤エイズの隠している部分を吐き出せた。そう私は理解していたのだが、もしかしたら、間違っていたかも知れない。やっぱり、民主党は世間が言うように、単なる寄せ集めに過ぎないようだ。
悲しい事に、政権担当としては二者択一しか無い。こうなると、やっばり私が常々思っている、政党なんか要らないのじゃないか、になってしまいそうなのだが。次の衆院選挙で決まる新しい政権に私はまるで期待を持てないでいる。
有難うございます。一生大切にいたしますので、是非使わせて下さい。
と言うようなのが臓器移植でのやりとりではないだろうか。しかし現在は、臓器が欲しい、誰か健全な臓器を持っている人が死んでくれないだろうか、と心待ちに待っているような情況である。
使って下さい。では頂きます。ではなく、譲ってくれ、との一方的なお願いをしている。もちろん命の綱である人に取っては真剣その物である。提供する人が非常に少ないためにそうした現状になっている。それでも、当然にもらえるのではなく、あくまでも「お使い下さい」と申し出る人が居て初めて成り立つ。
本当はもっともっと多くの人が、どうぞ私の体をお使い下さい、と言っておかしくはないのだが、多分、認識不足に過ぎないだろう。どうせ灰にしてしまう物が、ある人々にとっては命その物になると言う事の認識が足りないだけの事である。
そうした大切な事を一体、どれほど認識させようと努力をして来たか。ほとんどの人が他人事のように思っている。話題になるのは、アメリカなどに渡って移植を受けるために多額の費用がかかり、その募金活動をしていると言うような話ばかりである。
大体が無責任である。自分達はやりたくないから、どこかよその国でやってもらってくれ、なのである。さすがに諸外国も堪忍袋の緒が切れた。自分達で解決せずにな何でよその国にばかり頼るんだ。そうなんですよ、我々日本人は自分の国の安全だってよその国に守ってもらおうと思っているんですから。
だから臓器移植の値段はどんどん上がる。結局は、自分達の責任に目覚めたのではなく、高くなってしまったから、安上がりに自分達でやろうじゃないか、あるいは、外国では受け入れてもらえないから、とそんな事が発端ではないのか。馬鹿にするな、と言うのなら、もっと前から真剣に考えておくべきだったのだ。
成立した臓器移植法改正A案は多くの人々が問題あり、と考えている。あまりにも拙速で、臓器欲しさの気持がもろに出てしまっている。欲しい臓器を目の前にして、人の死がどのような物であるかを忘れてしまっている。昨日書いたが、宗教心の無さがこうした場合に裏目に出る。
今、政治の世界では庶民の目は民主党に向いているようである。次の政権を担当させてみようではないか、と思い始めている。あまりにも自民党がだらしないからである。積極的な支持ではなく、ほかに選択肢が無いからのいやいやながらの支持であると私は思っている。
この臓器移植法案の衆院可決で、民主党・無所属クラブは反対した議員が賛成した議員より24人多い65人。棄権を入れれば更に6人増えて71人になる。社民党・市民連合にも共産党にも賛成者は一人も居ない。それでも可決してしまったのは、自公議員が多数だからだろう。それなら、参議院は逆転しているのだから、参院では否決されるかと見ていたら、何と可決してしまった。
つまり、民主党議員の多くが賛成に回ったに違いない。そうでなければ計算が合わない。それとも社民党も共産党も賛成に回ったのか。いやいや、そんな事は無い。社民党は反対と棄権、共産党は全員反対だ。民主党では賛成46人、反対48人、棄権10人。
衆院では過半数は112。民主党の賛成は41で過半数の36・6%。参院では過半数は104。民主党の賛成は46で、過半数の44・2%。明らかに衆院よりも賛成者の割合が増えている。公明党では賛成が14で、反対が6。これは衆院では賛成12、反対18だったから、明確に賛成に回っている。宗教団体が人の死をどのように考えているかを考えさせられてしまう結果ではある。
こうした事を考えると民主党の賛成派が増えた事が参院での可決に繋がっていると見るべきだろう。
こうした結果を見て、私は次の選挙でたとえ民主党が圧勝したとしても、その行く先には不安がある。人の死をいい加減に考えるような人間にどうして大事な国政を任せられるか。
衆院で反対した民主党及び無所属クラブの議員の中には、以下敬称略だが、枝野幸男、田中眞紀子、長妻昭、鳩山由紀夫、原口一博、細野豪志、前原誠司の諸氏が居る。
一方、賛成した同議員の中には、安住淳、小沢一郎、岡田克也、菅直人、小宮山洋子、仙谷由人、羽田孜、馬淵澄夫、松原仁、山岡賢次、渡部恒三の諸氏が居る。
以上、単に私がテレビなどでよく見掛ける顔ぶれだけを挙げたのだが、勝手ながら非常にがっかりした。岡田も菅も賛成なのか。菅氏は厚生大臣だった時、役人を叱りつけて薬剤エイズの隠している部分を吐き出せた。そう私は理解していたのだが、もしかしたら、間違っていたかも知れない。やっぱり、民主党は世間が言うように、単なる寄せ集めに過ぎないようだ。
悲しい事に、政権担当としては二者択一しか無い。こうなると、やっばり私が常々思っている、政党なんか要らないのじゃないか、になってしまいそうなのだが。次の衆院選挙で決まる新しい政権に私はまるで期待を持てないでいる。