夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

東京新聞の「小春日和」の問題

2011年12月03日 | 言葉
 東京新聞の「知っている? 知りたい コトバ 言葉」と言うコラムを私はいつも興味深く読んでいる。書いているのが校閲部の記者だ、と言う事もある。校閲と言うのは単に文章の表記に目を光らせるだけではない。内容にも十分に目を光らせている。言うならば、新聞の本質的な面が現れていると思っている。言い替えれば新聞の良識とも言える。

 さて12月3日は「小春日和」を取り上げている。以前に同紙のこの欄で「小春日和は晩秋から初冬にかけての暖かい日和のことなので、使い方に注意が必要と、書いた記憶がある」との文章で始まる。記者は英語での小春日和であるインディアンサマーが分からなくて恥ずかしかった、と書いている。
 そして日本では「春」を用いるのに、欧米では「夏」を使い、加えて「女性」で表現していると言う。ただ、日本でも沖縄では「小夏日和」と言い、「寒くなってからの暖かい日にそれぞれの思い入れを感じます」と記事を締めている。

 それぞれの思い入れと言っているが、その思い入れとは何だろう。春と夏と、言葉が違うのだから、それぞれに思い入れが違っていると考えるのは当然だろうが、それがどのような思い入れなのか、を考えなくては記事にはならないだろうと思う。
 私は咄嗟に、日本の夏と欧米の夏とは違うのではないか、と考えた。欧米の夏は、日本のような亜熱帯の酷暑の夏ではなかろう。
 そして、それ以前にこの記者が「小春」をどのように理解しているのか、と大きな疑問を持った。
 「小春」とは『新明解国語辞典』は次のように説明している。

・小春=[暖かくて、いかにも春らしい気分がする意]陰暦十月の異称。

 これは非常にまずい説明だ。この説明だと「陰暦十月=暖かくて、いかにも春らしい気分がする」となってしまう。陰暦の十月、現在の11月が、暖かくて、いかにも春らしい気分がする、などと言う馬鹿な事があるものか。
 『明鏡国語辞典』は「小春=陰暦十月の別称」で、「しばしば春に似た温暖な晴天が現れることから」と説明している。これが正しいはずだ。だからこそ「小春日和」と「日和」の言葉が付くのである。

 そして「日和」もきちんと考えるべきである。
 「日和」は「天候。空模様」の意味が第一に挙がっているが、多くの辞書が二番目として「晴れて良い天気」を挙げている。『新明解国語辞典』も「晴天」の意味の用例に「小春日和」を挙げている。つまり、同辞書でも「小春日和=陰暦十月の晴天」なのである。そして、「小春=陰暦の十月」だから、十二月や一月、二月に「小春日和」を使うのはおかしいはずである。

 欧米での「夏」を用いた言い方だが、記事が挙げているのは、
・ドイツ=老婦人の夏。
・ロシア=婦人(女)の夏。
・英国=聖マルタンの夏。
・米国=インディアンの夏。

 ドイツ語とロシア語は分からないが、英語を辞書で調べてみた。

・インディアンサマー=晩秋の暖かい日が続く時期。偽りの多いインディアンが送って来た夏で、夏だと思ったらすぐ寒い冬が来る、というのがこの句の起源。『新グローバル英和辞典』
・インディアンサマー=米国北部などの晩秋の暖かく乾燥し霞のかかった気候。『ジーニアス英和辞典』
・インディアンサマー=特に米国北部の晩秋・初冬の、温暖で乾燥し、かすみがかった気候。『グリーンライトハウス英和辞典』

 「聖マルタンの夏」はほとんどの辞書に無く、ただ一つ「聖マルタンの日」があったが、それは11月11日である。
 しかし『プロシード和英辞典』には「インディアンサマー」には次のような説明がある。

・インディアンサマー=アメリカ北部、カナダで10月から11月ごろにかけて一時的に暖かくなる期間に名づけられたものである。また、イギリスでも同じような現象が見られ、「聖マーティンの夏」と呼ばれている。

 イギリスでは女性の夏ではなく、男性である聖マーティンの夏、なのである。
 フランス語でもイギリスと同じく「聖マルタンの夏」で、『プログレッシブ仏和辞典』は「(11月11日の聖マルタン祭のころの)小春日和」と説明している。

 記事の言う「欧米では夏を使い、加えて女性で表現している」は挙げられているドイツとロシアの言い方ではそう言えるが、イギリスとフランスではそうは言えない。「夏」は共通だが、何の夏なのか、は国によってどうも違うらしい。

 英語でサマーを引くと、次のような説明がある。
 「通例、米国では6、7、8月、英国では5、6、7月とされ、最も快適な季節」。
 「美しい夏の日」は二冊の辞書に用例として挙げられている。つまり、「夏=美しい」が成立している。その夏が日本の夏とは違うのは明らかだ。日本なら、「美しい春」とは言うだろうが、「美しい夏」とは言わない。
 こうした事を考えれば、日本の夏と欧米の夏とが事情が異なる事が分かる。それはそれぞれの思い入れなどではなく、単に季節その物の違いに過ぎない。何しろ、一冊の辞書では、イギリスとアメリカでは「夏=最も快適な季節」なのである。

 女性の夏、聖マーティン(マルタン)の夏、インディアンの夏、に「女性を加えて」は通用しない。だから、沖縄ではなぜ「小夏日和」と言うのか、もきちんと考えるべきだろう。この記事は「単なる春と夏の違い」だと考えているようだが、だからこそ、校閲には新聞の良識が現れるのだ、と私は思っている。