夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

政治家があまりにも信念が無さ過ぎる 

2011年02月12日 | 外交問題
  昨日、菅総理がロシアの大統領が北方領土を訪問した事を 「暴挙」 だと批判した事に対して、配慮が足りないと言っている人々を私は非難した。交渉、交渉とお題目ばかりを唱えているのではなく、具体的にどう踏み出せば良いと考えているのか教えて欲しいと書いた。
 これはその日の10時半頃のテレビ朝日のニュースショーで、コメンテーターが配慮が足りないと言い、そうした風潮がある事が根拠だった。私はその日の東京新聞の朝刊の 「本音のコラム」 での佐藤優氏の発言を読むべきだった。そのタイトルは 「卑怯者」。
 同氏は菅総理の 「許し難い暴挙」 との非難を 「日本の国民感情からすれば正しい」 と評価している。しかし次のように書いている。

 それならばなぜ菅首相は選挙直後の11月13日に横浜で行われた日露首脳会談でメドベージェフ大統領に対して面と向かって「あなたのやったことは暴挙だ。許せない」と伝えなかったのか。目の前では温和しい態度で、3ヶ月後に公開の場で激しい発言をするような人をロシア人は卑怯者とみなす。

 そうとは知らなかった。だから迂闊には物は言えないのだが、さりとて、私如きがすべてを知っている訳ではない。つまり、この菅発言は、首相としての一貫性を欠いているから不適切になるはずだ。佐藤氏が「国民感情からすれば正しい」と言う趣旨の事を書いているのがその証拠だろうが、実は、このコラムにはもっと価値のある事が書かれている。報道には表れないが、ロシア側の前原誠司外相に対する信頼感は強い、と前置きして、次のように書いている。

 前原氏が 「マスメディアや記者会見を通して外交交渉を行うつもりはない。ラブロフ外相と交渉する。そして閉ざされた扉の中で合意した内容に反するような発言は外でもしない」 という態度を一貫して取っているからだ。パフォーマンスに依存する菅首相よりも、ロシア要人との信頼を取り付ける前原外相の姿勢の方が国益に適う。

 重要な外交方針がころころと変わるはずが無い。そこには明確な信念があるはずだ。それこそ不退転の決意が要るだろう。不退転なのだから、言動にぶれがあるはずも無い。信念とか決意などのあまりにも無い人々が多過ぎる。
 私は自分自身、知恵は無いが勇気はある、と書いた。ロシアが仕掛けて来たら受けて立とうじゃないか、と言う勇気である。それをある人が、じゃあ戦争になったらどうするんだ、と言う。私の勇気は戦争をする勇気ではない。それは勇気ではない。ロシアだって馬鹿じゃないんだから、戦争など仕掛けはしないだろう。するとすれば、あの中国がやった姑息な手段のように、重要産物で日本には徹底的に不足している物を輸出禁止にするとか、兵糧責めとかの経済的な手段で攻めて来るだろう。だから、欲しがりません、勝つまでは、と戦争中の標語みたいな覚悟をするだけである。ケイタイが無くても平気、旨い物が食えなくても平気。
 現代人はあまりにも贅沢だ。我慢と言う事を知らない。それでは外国に侮られるだけだろうと思う。