千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

こんな日は

2014年08月24日 | 日記

こんな日は旅に出よう
重たくなったトランクを持って

まっすぐ伸びた
レールの上を走る
ガタゴト列車に揺られて
行き着くところが海辺の町なら
夜になってもかまわない

できれば寂れた海辺がいい
潮風と
干し魚の臭いと
かすかに見える朽ちかかった小舟と
素足に冷たい砂浜と

静かな海辺の夜の
潮騒に
全てを脱ぎ捨てた身体を預けて
重いトランクを暗い海に投げ捨てるのだ

こんな日は旅に出よう
トランクが重たくなってしまった
こんな日は

                    (azumi)

 想像の中にいる私・・・
 赤いトランク。物置の奥にあるのかな。
 思い出せない。赤いトランクは被写体として絵になるが、想像上の私は一つ編みのお下げである。重くなった赤いトランクをあっさりと海に投げ捨てるなんて・・・
 あくまでも想像の中の私のなせる仕業などで、お許しを願いたい。

 NHKテレビで写真展のことを伝えていた。

 中俣正義 山内与喜男 二人展
 ~十日町・むらとまちの暮らし~
 会場 十日町市 情報館 ギャラリー

 昨日の晴れ間に出かけてきた。

 中俣正義(1918~1985)
 魚沼の風土と自然、山岳、佐渡の風土を撮りつづけた写真家。
私の叔父である。
 親交があったという山内与喜男氏は十日町市の方なので、写真は観るだけに留めた。十日町の町中行事が多かった。


 中俣正義 作品(一部)

 雪季市   1955・1・15     十日町市




 ほんやら洞   1956・1・14     十日町市




 雪中を行く人びと  1957・1・18     松之山より外丸へ




 松之山の風景   1957・1・18     松之山より外丸へ




  コロ出し   1957・1・18     松之山




 (コロとは、囲炉裏、竃、風呂の燃料に使う丸太のこと)

 情報館 喫茶ルーム メニュー   可愛らしかった






 折り紙で折ったものの数々。思わず笑みが浮かぶ。300円のコーヒーも美味しかった。














 情報館裏側大公開もやっていた。
 普段見ることができない場所を、こどもも大人も一緒に探検?させてもらった。



 災害のニュースで締め付けられていた心を取り戻すことができた。



 山肌をえぐる土砂の傷痕が幾筋も並ぶ映像を見て、神話に出てくるヤマタノオロチを連想した。一つの胴体にたくさんの頭と尾があり、からだは幾つもの谷や峰 にわたるほど大きい。それが年ごとにやってきて人の命を奪っていく。
 広島市の北部を豪雨が襲い、多くの犠牲者が出る惨事となった。わずかな間に平年の8月 の1カ月分以上が降ったのだからたまらない。安佐北区や安佐南区の住宅地を土砂や泥水が覆った。時間帯も災いした。真夜中に荒れ狂った天が恨めしい。
 「忘れまい 大災害」。そう刻まれた石碑が安佐南区の西隣の佐伯区に立つ。 毎年、追悼の集会がある。1999年6月29日にも広島は惨事に見舞われた。今回と同じように、集中豪雨によって土石流や土砂崩れが発生し、多くの命をのみ込んだ。
 国は「6・29」を受けて、土砂災害防止法をつくった。危ない地域を通称イエローゾーンに、特に危険なところはレッドゾーンに指定する。後者では宅地開発などに規制がかかる。広島の教訓が生んだ法律は果たして今回、生きたのか。
 もともと山地の地質がもろいところに山すそまで切り開いた宅地の危険性は、すでに15年前に指摘されていた。「忘れまい」の誓いにもかかわらず繰り返された悲劇に、災害に立ち向かうことの難しさを思う。
 ヤマタノオロチはスサノオの一計で退治されたが、天災は絶えることがない。
 国や自治体はもとより、私たち一人ひとりも生き延びる知恵を確かめ直す必要がありそうだ
                  (朝日新聞 天声人語 8月21日)


 新聞の「天声人語」・・・
 私も、とてつもなく大きな大蛇が荒れ狂う様を連想した一人である。
 神は大蛇に身を借りて怒り狂っておられる。
 何故なのか・・・
 それは・・・

 花崗岩が風化してできたもろい地質「まさ土」、夫の郷里山口県防府でもまさ土による集中豪雨で甚大な被害が出ている。
 2009年のことだ。
 水はけがよく、校庭の敷土に使われたと聞く。
 丘のような低い山が多い。
 広島のように開発が進んでいたなら、同様の土石流災害が起こらないとも言えない。



 7月31日以降各地で発生した大雨を、
 「平成26年8月豪雨」とした。

 多くの犠牲者が出た。
 未だ、行方の分からない方々がいる。

 ご冥福をお祈り申し上げるとともに、
命の火が消えないでいて下さる方がいらっしゃるのではないかと祈らずにはいられません。