千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

創作 淑乃は今 後編 七

2016年07月31日 | 日記

                            最終章       



 高原を彩るクリンソウが咲き出した。
 六月の季節にふさわしい花だ。赤紫色の花が何とも愛らしい。サクラソウ科の多年草で高原の湿地帯を好むようだ。
 淑乃と数馬の散歩時に見つけた。
 さすがに知人が増えた土地で手を組む動作は避けるようになった。肌が触れあう感覚で歩いている。そうすることで、お互いの血脈が流れていることを体感出来るのだ。
「可愛い花、すらっと背が高くて素敵な花ね」
「淑乃ちゃんにそっくりだね」
「あら~、お上手ね。お世辞は無用よ」
「ばれたか、気障なセリフはやめとこう」
「もお~っつ、可愛くない人・・・」
 背の高い数馬を、淑乃は伸び上がって叩く真似をした。

 背後から声がした。田中さんだった。二人の会話は気にしてないようだ。仲のよい二人の存在は、既にこの地にとけ込んでいるのだ。
「クリンソウが綺麗でしょう。私たちが植えたのですよ。観光地ですから、通りがかりに目をとめて下さればいいかと思いましてね。少しはお役にたてたようですね」田中さんは笑みを浮かべた。
「田中さんが植えたのですか」数馬が、お花畑を見渡しながら言った。
「地域の年寄りたちと一緒です。コスモスのようにタネ捲きからやりたいと思ったのですが、上手くいきません。高原のお花畑の苗を分けていただきました。三ヶ所ありますが、なかなかどうも・・・群生になるには何年もかかるでしょう」
「大変なんですね。でも皆さんの努力のおかげです。クリンソウですね」
「湯沢高原にはいっぱい咲いているはずですよ。いろんな高原植物が育っています。ウスユキソウも今頃じゃなかったかな」
「ウスユキソウ?聞いたことがありますね」
「エーデルワイスの仲間じゃなかったかしら。サウンド・オブ・ミュージックで確か」
 淑乃が思い出して言った。
「ああ、そうですね。多分仲間ですね。漢字で薄い雪の草と書きます」
「薄い雪の草、イメージが浮かんで来ます」スイスの国境に咲く高山植物が瞼に浮かんだ。
「訪れたいと思うだけでまだ・・・」数馬も付け加えた。
 湯沢高原も行っていなかった。数馬も忘れていた。苗場のドラゴンドラにも乗っていない。この地には訪れたい場所がいくつもあった。淑乃は穏当な性格で、何一つ媚びも要求もしなかった。済まないと思った。
「梅雨どきは出かけるのも億劫になりますね。ここのクリンソウに目をとめてくれて嬉しくなりました」
「雨が降ると、畑は放りっぱなし。止んだとき慌てて草を抜いています」
「慣れないから仕方ないですよ。村越さんの畑も見ているんですがね」
「すみません。草取りまでして下さって。そうじゃないかと・・・」
「いいんですよ。畑が好きになるのも時間がかかります。少しずつ覚えていくんです。茄子とキュウリが大きくなって来ましたね」
「ありがとうございます。もう採れ頃でしょうか」
「大きいのは大丈夫ですね。トマトも少し色づきましたね。楽しみですね」
 田中さんは、数馬の畑まで見廻ってくれているようだ。
「寄り合いがありますので、お先に」
 先を急ぐ田中さんに、深々と頭を下げた数馬と淑乃だった。
 林道を曲がった所に田中さんの奥さんがいた。近づく田中さんが何やら話している。奥さんが振り返って笑顔で手を振った。
 淑乃も手を振った。足早に歩く二人の姿は林の奥に消えた。林があり、森があり、急な坂道や、ゆるやかな坂道、幾多の小道が連なっている。
「忘れ物を取りに行った田中さん、待っていた奥さん、ってとこかな」
「淑乃ちゃんは想像力が豊かだね。追跡でもしてみますか」
「そこまでは・・・」
「じゃあ、畑に寄ってみる?」
「行ってみようか。でも、畑に行くなら長袖と虫除けパウダー持ってくればよかった。それと長靴と・・・」
「そうだね。やめとこう」
「ごめんなさい。蚊に弱くて」
 淑乃の肌は蚊に負ける。刺された皮膚が真っ赤に腫れ上がる。長年地方に住んでいながら、抵抗力がない肌だとは思いもしなかった。
 数馬は筋肉質で山歩きで肌も焼けているせいか、防備万端であれば虫も近づかない。農作業は何とかやってはいたが、若くはない身体には堪えている。田中さんのようにはいかない。
 田中さんのような目標となる人がいて、この土地での暮らしに希望を見いだしたのだ。
 淑乃と歩く人生。
 どこまでも、淑乃と手を取り合って歩いていこう。
「思い出したわ。サウンド・オブ・ミュージック・・・トラップ大佐と七人の子供たち。子供たちの家庭教師を薦められた、修道女見習いだったマリア・・・子供たちと合唱団を結成するお話。戦時下にあって、ドイツとイタリアの併合に反対するトラップ大佐一家が中立国スイスに亡命するのよ。最終的にはアメリカに渡った。マリアが自伝を書いた本当の物語よ。オーストリアの象徴として、エーデルワイスを愛でて歌ったの。素敵なお話ね」
 歩きながら淑乃が熱っぽく語った。
 数馬は相づちを打ちながら、二人で暮らす平穏な幸せを思った。



 夕刻、長靴で入った畑で数馬は、キュウリ、茄子、インゲン、ルッコラ、バジルの収穫物を篭に入れて大満足だった。ミニトマトも色づいてきた。もうすぐバジルを散らした生野菜のサラダが食べられる。
 明朝は早起きして草取りをしよう。
 天気予報は晴れのはずだ。
 シンクの前で夕食の準備をしているだろう淑乃が目に浮かんだ。


 エントランスに数樹がいた。円柱に寄りかかって何かをやっている。
「数樹君じゃないか。何やっているの?」
「あ、こんにちは。おじさんを待っていたんだ」
「こんにちは。恵太君とママは」
「おじさんのお家だよ」
「そうか、おじさんは畑に行っていたからね」
「うん、知ってるよ」
「待っててくれたんか」
 数樹が笑顔で頷いたので、数馬は嬉しくなった。
「何やってんの」
「ラインだよ」
「そうか。おじさん知らないからね」
「ゲームも出来るんだよ。今やってるところ」
「そっかあ。後でおじさんにも教えてよ」
「いいよ。あんまりやっているとママに怒られるけど」
「やめとこう。ママに悪いから」
 エレベーターではなく、階段を上った。
 数馬は息が切れたが、運動だと思ってできるだけ階段を使った。
 五階までを、数樹はゲームをしながら足早に上る。
「数樹君、待ってくれよ」
「遅いんだね。ゆっくり上っていいよ」
 踊り場で顔を出した数樹はにこっと笑った。



 ドアを開けると談笑が聞こえた。
「お帰りなさい」淑乃がソファーを立った。
「お邪魔しています」恵太がニコニコしながら頭を下げた。真美子も微笑みながら頭を下げた。
「午後から湯沢に来ていたんですよ。数樹とフィッシングパークで釣りをしたり、湯沢高原でゴーカートに乗ったり、夕方からは岩原のイタリアンレストランに予約を入れてあるんですよ。友人がいるもんで。良かったら一緒に行きませんか。よっちんは夕食の準備にかかったところらしいけど」
 数馬は淑乃を見てから言った。
「いいですよ。淑乃ちゃんは行きたいって眼が言っています」
 淑乃は笑った。夕食の準備に取りかかったところに恵太たちが来た。まだ食材を冷蔵庫から取り出したばかりだった。それらは元通りに収納した。
「電話を入れてから来ようと思ったんだけど」
「いいですよ。行きましょう」
 初採り野菜を傍らに置いた。
「ほう、野菜が採れだしたようですね」・・・
「我が家の初採り野菜、まだこんなものですがね」
「こっちは高原地だし、家の方より遅いんですよ。田んぼを見ればすぐ分かる」 魚沼盆地に住む恵太には分かることだった。湯沢も奥に行くほど農耕が遅いということも。
 淑乃が野菜を水道水で洗い出した。
「バジルも採れたのね」
「少しだけね。ミニトマトも色づいたよ」
「うう~ん、バジルの香りがたまらない」淑乃はバジルの葉の匂いを嗅いでいる。
「バジル、いい匂いですよね」真美子も部屋に漂うバジルの香りを楽しんでいる。



「いいお店ですね。近いのに訪れたことなかったな。落ち着いたいい雰囲気だ。ふ~ん。冬はゲレンデになるんだね」
 湯沢のスキー場は数知れない。高度成長期に多くのスキー場やマンションが出来、退廃もした。この店は経営手腕があったようだ。バブルも乗り越え、店はいつ来ても客数が多く、予約を入れないと断られる場合がありそうだ。
「友達は厨房に入っています。後で顔出しするけど、何て言ったって味が抜群ですよ。人気がある訳だ」





 大きな丸皿にピッツァが運ばれてきた。
 同時に注文の飲み物がきた。数馬、恵太、淑乃は赤ワイン、真美子はレモンジュース、数樹はサイダーだった。
「乾杯といきますか」と数馬。
「真美子さん、悪いわね」淑乃は車の運転だから真美子が飲めない、と思っていた。
「いいえ、どうぞご遠慮なく」真美子は照れくさそうに笑っている。
「ママ、赤ちゃんが出来るんだよ」数樹もニコニコしていた。
「ま、そういうことになりました」恵太は数樹に先を越されたようだ。頭を掻いていた。
 口々に「おめでとう!」「乾杯!」の言葉が飛び交った。
 ピッツァは美味しかった。大盛りの野菜サラダと窯焼きソーセージ、スパゲッティも運ばれてきた。





 数樹の食欲には驚いた。五年生、育ち盛りなのだ。母親に子供が出来たと屈託なく言った。喜んでいるようだ。恵太との信頼関係が生まれていたのだ。淑乃は二人を心から祝福した。



「稔兄さん、多恵姉さんには言ったの」
「勿論言ったよ。喜んでくれた。今、三ヶ月、だよね」
「はい、報告が遅れて済みませんでした」真美子はノーベルトの涼しげな小花柄のワンピースを着ていた。
「そう、よかった。で、何月に・・・」出産経験のない淑乃には数字の判別に疎い。
「一月頃の予定です。悪阻もないんです」真美子は少し恥ずかしそうだ。
「いいわね~。楽しみだわ」
「迷ったんですけど、恵太が産んでほしいって言ったんです。数樹もケロッとして、妹が欲しいな、ですって」
「だって、ママが妹を産んでくれたらなって思っていたもん」大きいソーセージを頬ばりながら数樹は真美子の顔を覗いた。
「良かった。私も嬉しい」淑乃は心から思った。
 恵太は真美子と一緒になるだろう。期待と予感はあったが、肝心の二人の真意は分からなかった。多恵に聞いても、真美子のアパートに泊まってくることはある。真美子自身が高橋家に泊まることはなかった。数樹もいることだし、結婚の報告を双方の両親にしてはいない。稔も多恵もじれったい気持ちだったが、成り行きは二人に任せようと思っていた。最近の若者は昔と違う。 男女とも結婚という選択を急ぐ者ばかりではない。縁がなく独り身を続ける人間も多いが、四十代にさしかかって、結婚という意識に目覚めたカップルが多くなっていることも事実だった。



 恵太は言った。
「結婚式はやらないよ。結婚レターで済まそう、と思っている。真美子のお腹が目立つようになってからの結婚式なんて、真美子が可哀想だよ。お腹の子に障ってもよくないしね」
「いい考えだと思うよ。僕たちも形式は辞退した。そうだよね」数馬が淑乃を見た。
「人それぞれよ。立場、親への配慮いろいろあるけど、恵ちゃんがいいなら何にも言うことないわよ」
「俺、あんまり拘らない方だから。出産までは真美子のアパートにいて、後のことはゆっくり考える。母さんには迷惑かけるけど」
「済みません。子供のことは考えてなかったんです」
「まあ、いいから、いいから、おめでたいことが二つ・・・真美子さんに悪いけど、今度は生ビールで乾杯だね」村越は本当によかったと思った。
 淑乃も満面笑顔だ。
「乾杯!!」「乾杯!!」
 恵太の友人が、サービスだと言って「バジルパスタ」を運んできた。
 バジルの香りが漂った。






「多恵姉さん、おめでとうございます。よっちんから聞きました」
「ありがとう。そっちに寄るから帰りは遅くなるって。毎度のことだけど」
「よかったわね。よっちんが幸せになって・・・」
「淑乃ちゃん、泣いているの?」
「そうです。嬉しくって・・・」多恵の声を聞いただけで淑乃は涙が出た。
「ありがとう。結婚式はしないそうだけど、二人に考えがあってのことだから何も言わないよ。次男、清二のところもやっと子が出来たらしいし、忙しくなりそうだね」
「清二君もおめでた?お婆ちゃんは大変だ。お婆ちゃんだなんてごめんなさい」
「いいんだよ。婆ちゃんだもの。数樹は本当に可愛い子だね。最初は遠慮っぽい子だと思ったけど、ギャグも言うんだよ。父さんまで負かされているよ」
「うん、いい子だわ。数馬さんも会うのを楽しみにしている」
「数馬さんそこにいるのかね?」
「はあい、います。数馬さあん」
「お姉さん、こんばんは。恵太君、ご結婚おめでとうございます」
「数馬さん、野菜づくり始めたんですって?」
「はい、まだ慣れませんが・・・」
「初めはみんながそうよ。だんだん面白くなってくる・・・」
「そうですってね。まだ試行錯誤の初期段階です」
「落ち着いたら遊びに来てよ。稔も待っているから」
「はい、そうします。稔さんによろしく」
 多恵と数馬のやりとりを聞いていた淑乃は、タオルを出して数馬の汗を拭いた。
「緊張し過ぎよ。多恵姉さんは怖くはないわよ」
「分かっているよ。やっぱり淑乃ちゃんは僕の愛しい人だ」
「そう、ありがとう。私の愛しい数馬さん」
 そんなやりとりの後、軽くシャワーを浴びた二人は、ソファに身を沈めながら赤ワインで若い二人を祝福した。


 日は沈み、漆黒の世界になった外界を眺めるでもなく、二人の来し方に思いを馳せているのだった。

 命の力には
   外的偶然を やがて 内的必然と観ずる 能力が備わっているものだ

                              小林秀雄


                               終わり



 暑中お見舞い申し上げます。

 今朝のNHKテレビ 小さな旅は「尾瀬の夏」でした。
 生き物と花々の楽園がタイトル、尾瀬の自然を懐かしんで興味深く画面を見つめておりました。
 至仏山はまさに花々の楽園でした。登山したことはありませんが、エーデルワイスが岩盤の間に咲いている姿に魅了されました。

 登ることはもうないと思いますが、夢はずうっと追い続けたいです。

 創作「淑乃は今」は、一年四ヶ月を経て終了となりました。
 スローな日記更新で辟易なさった方もお出ででしょう。
 よろしかったら時々は覗いていただけると幸いです。
 ありがとうございました。