千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

ぼくたち どうなるの

2013年04月22日 | 日記




ぼくたち
どうなるの
どうなっちゃうの
ねえ おしえて

講師の頭上よりも もっと高い位置から聞こえてくる
ねえ おしえて おしえて おしえて
あの子の声のような気がして 涙が流れ落ちる

ねえ おしえて おしえて おしえて
ぼくたち どうすればいいの




 はじめに

 この本には、自分で考えることをだいじにしようという祈りがこめられています。
 わたしたちは、自分で考えて、自分で選び、自分で自分の人生を決めていかなければなりません。
 生きるとはそういうことなのだと思います。
 たとえば、あなたが友だちやクラスでなにかを決めるとき、みんなで話し合うはずです。けれど、原子力発電所は、あなたが生まれてきたときから、すでに「ここに」あったのです。
 子どものあなたは、それが必要かどうかを考えることも、話し合うことも、選ぶことも、決めることもできなかったのです。
 自分たちの現在と未来がかかっていることなのに、賛成も反対も、「考えるから、少し時間を下さい」ということさえできなかったのです。
 そのうえ、放射能による被害を、いまも、これからも受け続けることになります。
 とても不当なことに思えます。けれど、歴史とはそういうものなのです。
 だからこそ、自分が生きているかぎりは、自分の決断を大切にしなければなりません。
 友だちや、家族みんなでこの本を読んでください。そうして、話し合ってみてください。
 いろんな意見があるでしょう。大人も同じです。
 けれど、だいじなことは、正しい知識をしっかりと学び身につけて、自分で「考え」、自分で「選び」、「行動する」ことです。
 それは、原子力発電のことだけでなく、生きていくうえで、もっともだいじなことなのです。
 自分でなにかを決めるのは、ちょっとドキドキすることです。
 でもドキドキする瞬間は、あなたがあなたを生きているあかしなのです。
 自分で決めないと、責任をとることもできません。
 あなたが、ほかでもない「あなた自身」を生きていくうえで、少しでも役に立ってくれたら・・・・・・。そんな祈りのような願いをこめて、小出裕章さんと野村保子さん、そしてわたしたち編集部は相談しながら、この本をつくりました。


 わたしの願い 小出裕章

 たとえば、あなたのクラスに34人の生徒がいるとします。その中の33人が、あることを賛成したとします。よく考えて賛成というひともいるし、あまり考えずに、「みんながそうなら、そうしよう」と、まわりに合わせてしまうひともいるかもしれません。
 クラスは、あなたひとりを覗いて、「賛成」の意見でまとまりそうです。けれど、あなた自身は、どうしても賛成できません。そのとき、あなたはどうするでしょう。
 たったひとりで、33人を前に「反対」といえるでしょうか。
「いえない」とあなたが思うのなら、それはなぜでしょう。みんなとちがうと、クラスで浮いちゃうから?孤立するから?みんなに合わせておいたほうが、らくだから?ひとりだけちがうと、「かっこつけて」とか「目立ちたがり」とか、「生意気」といわれそうだから?そして、仲間はずれやいじめにあいそうな気がするから?
 理由はたぶんいろいろだと思います。しかし、反対なのに、反対である自分を消して、まわりに合わせた自分を、いつか「いやだな」と思うようになりませんか?
 そうして、いつも、まわりに合わせてしまうことがあなたの「くせ」になって、ずっとそんなふうに生きていくことになったら、あなたは好きでいられるでしょうか。
 みんなの意見にむりに自分を合わせることに必死だった11歳のある子は、ある日、いいました。
「ずっと、ずっと、消しゴムでゴシゴシ自分を消しているみたいだった。そんなの、いやだと思いながら、ゴシゴシ消していた。そしたら、自分が消えて、自分でなくなっちゃったみたい」と。
 わたしは、日本という国がひとつとなって、原子力発電に賛成するひとたちがどんどん多くなっていくときにも、反対をしてきたひとりです。
「たいへんだったでしょう」と、よくいわれます。
 けれど、わたしは、そうは思いません。
 自分に対して誠実に生きることはとても気持ちのよいものです。自分にウソをつくことのほうが、私にはたいへんなことであり、いやなことであるからです。
少なくともわたしは、自分の考えを裏切らずにすみましたので、ありがたい人生だと思います。
 しかし、充分に原発の危険性を伝えることができず、今回の事故が起きてしまったことは、とてもくやしい思いがします。
 原子力発電は、あなたのいのち、あなたの人生に直接かかわることですから、しっかりと学んでください。
 わたしはやがてはいなくなります。あなたよりずっと年上なのですから。
 そのときに、自分で考えて、ひとりでも行動できる、そういうひとになってほしいと願います。そして思ったことをひとに伝えて、みんなで話し合いながら未来を考え、決めていくような社会がくることをこころから願います。 

 起きてしまった原発の事故を起きなかったことにはできないし、過去を変えることはできないけれど、現在と未来をつくることができるのは、一人ひとりの「あなた」です。

 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏 講演会

 4月20日 南魚沼市民会館大ホール

 福島原発事故と柏崎刈羽原子力発電所
 ~騙された大人が今なすべきこと~




 原発は、原爆(核=原子力エネルギー使った爆弾)をつくるために開発された技術を発電に使ったもの。原爆が広島、長崎に落とされ、世界中で核実験が続いたとき、そこから放出された放射能がとても危険なことを知っていた。
 しかし、社会が大きく変わろうとするときに、より多くのエネルギー=電気が必要と思いこんだ。そして、発電のために、兵器の材料である核=原子力エネルギーを使うことにした。
 日本では原発を建てようとしたいろんな地域で、原発をつくろうとする電力会社と、そこに住みながら反対するひとびとは長い闘いを繰り返してきた。そして、たくさんの電気が必要だとする国策が勝利した。都会を避けての原発は、数々の問題を抱え、過疎化と生き残りに喘いでいた地方自治体に次々と建設される。
 核の「平和利用」に操られて・・・

 そして、3・11は起きた。

 福島第一原発事故が起き、放射能汚染がわたしたちの暮らしを大きく変えた。


(南魚沼市の汚染状態)
 福島第一原子力発電所の爆発事故により拡散された放射性物質は、新潟県にも到達した。栃木から群馬に流れ谷川岳をすりぬけて魚沼地方に到達。3月15日の天候は雪。夕方から空間線量が跳ね上がり最大値0・57ミリシーベルトを記録し、翌日の深夜からゆっくりと下降して行った。これを受けて県は空気中の放射性物質検査を行い、ヨウ素とセシウムを検出。しかし後日、モニタリングポストに不具合があったと公表し、現在も汚染状況から目を背けたままという。




 一昨年秋に行った教育施設の調査では、汚泥から0・5ミリシーベルト越える線量をカウントした地点があり、市はその汚泥検査を実地、3900ベクレルを越える高汚染であることが判明し最大値は79500ベクレルだった。しかし市はこの数値が検出された場所も学校も公表せず、除染済みであるとしていまだに市民にあきらかにしていない。
 この調査で最も汚染度が高かった、第一、第二上田小学校は両校とも291号線(旧清水街道)沿いの南側に点在しており、谷川岳から入り込み魚沼地方に拡散した様子が判る。
 米どころであり、農業の盛んな地域であることから農作物への影響が懸念されるが、県、新潟大学農学部教授の調査によれば、低い値の地点も多々ありながら汚染状態は極めて斑で、少し地点を移動しただけで数値が変わる状態。
 魚沼三山に囲まれたこの地は、四季折々の農作物や山の恵み、清らかな水には岩魚や山女魚が泳ぎ、この地に住む人々はたくさんの恵みを採取し加工することを楽しみながら暮らしてきた。この県境の山を越えて到達したというのに、山から水を引き込む田園やその下を流れる河川、畑や木々が汚染されていないとは到底思えない。我が市の放射能汚染は決して「機械の故障」ではないはず。小さな子供が田園や畑で泥まみれになって遊んでいる姿を、もう微笑ましく見てはいられない。無関心な自治体の犠牲となっている幼い子供たちを見るたびに、もっと大人がしっかりしなければと強く思う。(文章から抜粋)

                





 子供の命を守るのは、私たち大人に課せられた使命である。


(誠に申し訳ございませんが、コメントはお控え願いますm(_ _)m)