なのはな村通信 (都城市 社会福祉法人なのはな村)

宮崎県都城市「社会福祉法人なのはな村」理事長・フジサキが発信するブログ。日々のよしなしごとを、つれづれなるままに。

8月15日 T君の絵

2012-08-15 13:50:00 | なのはな村日記

この絵の作者T君とも、Yっこさんほどではありませんが長いお付き合いです。

表面的にはとても穏やかに見えるT君ですが、内面は果たしてどうでしょう。この絵をご覧になれば、T君の内面も見えてくるような気がします。

 

そのT君、病院(特に注射)が嫌で、一度身体をこわしたときも大学病院に運び込まれるまで、誰も気がつきませんでした。

大手術に耐え無事生還したとき、なのはな村の嘱託医S先生がしみじみと言ったものです。

 

                「T君、不死身やねえ。」

 

それ以来、T君は病院が大好きになってしまって、定期検査等の採血も注射の跡をフジサキまで見せにやってきます。

 

T君の絵が少し変わってきたようにも思います。

穏やかな感性が育っていっているようにも、フジサキは感じます。

お父さんが亡くなられ。お母さんと二人暮らし。

GH等の地域生活も、視野に入れておかなければならない時期です。


8月13日

2012-08-13 09:31:02 | なのはな村日記

きょうは、盆の入り。

畑の片隅に見つけました。

花の名前を聞きましたが、もう忘れてしまいました。

 

たんぼの合鴨も大きくなりました。

今年は一生懸命お仕事をしてくれてるみたいで、ヒエもみあたりません。

 

今朝は鶏や田んぼのことを済ませて、GHへ。

家に帰る人を見送ったり、ホームに残る人の様子観察を兼ねて少しばかりお話。

自分の意思(どこまでが、というと疑問が残りますが。)でホームで過ごすことを選択した人、帰りたいのに帰る家のない人が、半数を超えます。盆の間は世話人さんが1人で良いかなと思っていたのですが、申し訳ないですが二人出勤にしていただきました。勿論、生活支援員も出勤です。

日頃、ホームにあまり顔を出さないフジサキも、精一杯遊びに行こうと思います。

 


8月11日 土曜日(2)

2012-08-12 11:50:18 | なのはな村日記

すっかり忘れていました。

毎月11日は、イオンデー(黄色いレシートデー)

帰宅の途中、思い出して急きょユーターン、イオン早鈴店でお買い物。

ところが、盆前のせいかレジには長蛇の列。フジサキは正直言うと、列に並ぶのが大の不得手。大好きな蕎麦屋でも、列に加わることが出来ず、きびすを返します。

随分と悩みましたが、ようやく買い物をする決心が出来ました。家にあるものを思い浮かべながら、ひとつひとつかごに入れていきます。ビールも箱でまとめ買い。これだと家人に説明がつくので、1人にんまり。

 

こんなに買い物をしたのは久しぶり。どのボックスに入れようかと迷っている方には、なのはな村が良いですよ、と、丁寧に御教示、御説明。

(溜まった黄色いレシートの額に応じた、商品券をいただけるのです。)

ちなみになのはな村のボックスは、一番上の左端です。

毎年、ありがとうございます。


8月11日 土曜日

2012-08-11 13:31:02 | なのはな村日記

 

蕎麦屋に変身した「遊楽」です。

まだ、一度も御来店されていない人、人生に相当に損をしていますよ。

早く、いらっしゃい、いらっしゃい。

それはさておき、きょうは盆前の土曜日。本来ならなのはな村は休みですが、あまりに休みが長くなるということで、希望者は出勤日。もっともM精肉店の仕事もありますし、「遊楽」も「なのはな食堂」も営業です。

福祉事業所といえ、一般企業には負けおられません。

 

ただ、きょうは給食がないので、「なのはな食堂」の弁当を希望者には注文して頂きました。

フジサキは見るだけでしたが、おいしそうでしたよ。


Yっこさん

2012-08-09 11:48:56 | なのはな村日記

Yっこさんの、初作品です。

とてもとても失礼な話ですが、だれしもびっくり仰天してしまいます。

かく言うフジサキも、然り、です。

ビーズの穴にゴムを通し、配色の良いブレスレットを作るなんて。最後の縛りは支援員に手伝ってもらったようですが。

<o:p> </o:p>

紙が破れるほど、鉛筆が折れるほどの勢いでぐるぐると円を描き、「オトウチャン」(Yっこさんはフジサキのことをこう呼びます。フジサキの3,4番目の子どもは、生まれたときからのお付き合いです。今でもYっこさんに頭が上がりません。)、あるいは「ハナコチャン」(Yっこさんの親友で、つぎはぎだらけの強面のセルドロイドのお人形さんです。)と、見せてくれます。これが今までのYっこさんの唯一のアートでした。

<o:p> </o:p>

Yっこさんとのお付き合いの初めに、Yっこさんのお母さんが話されたことが今でも忘れません。27年前のことです。

<o:p> </o:p>

「何も出来ないと言われて普通の学校から出されて、養護学校でも何も出来ないとお客さん扱いで、施設に預けようとするとシケンの結果、自宅待機になるし・・・」

<o:p> </o:p>

まあ、それが縁で、なのはな村・フジサキ・Yっこさんとの巡り合いがあったのは事実ですが。

<o:p> </o:p>

Yっこさん、なのはな村では鍛えられましたよね。

「食べたごはん茶碗は、自分で片付ける!」えらそうにトクチャンが言ってましたね。

「卵を割るから、卵拭きはYっこはダメ。」またもやトクチャン。

でも、いつか卵拭きが出来るようになっていました。

<o:p> </o:p>

もうひとつ、お母さんの言葉。

「Yっこはよそでは生活できないので、私が死んだらこの家をグループホ-ムに出来ないかしら。」

<o:p> </o:p>

フジサキ、忘れてはいませんから。