なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

人がうごめく東京

2006-06-12 16:00:23 | 日記
井の頭線を明大前で待つ。

京王線と井の頭線が交差する駅だ。
階段をダッシュで駆け下りる人がいる。

突き飛ばされそうになった。怖くなって壁際にたたずむ。
電車ついたらしい。
電車を下りた人が階段をあがる。

壁ぎわで身を硬くして人々が通りすぎるのを待つ。

電車がゴーと過ぎていく。

ホームには誰もいない。次の電車はとボードをみれば、5分後には急行が到着とのこと。

誰もいないのでどこに待てばいいのかと思案している間に
次々と人が湧いてくる。

一体どこからくるのかと不思議でならない。
一番前に並ぶわたしの前を次々と人が横切る。

3分経過。ホームはもうすでに人の列で幾重にも並ぶ。
たった3分、でだ・・・。

4分経過。もちろんわたしの後ろにも10人以上の列。
わたしのすぐ脇にも人の列が、、。

5分経過。ホームは人ひとひとひとの群れ。

電車が入ってくるむねのアナウンスあり。
滑り込む電車、ドアはわたしの待つ場所から少し離れて開いた。

人がだっだっだっと下りてきた。
開いたドアまでたどり着きたい。のに、
わたしは人の波に押し流されてしまった。

日曜日だというのに混んでいた。いや普段はもっとすごいのかもしれない。
時刻は朝の10時30分。
渋谷経由、品川で羽田行きに乗換予定。

一番前に列にいたわたしなのに、乗りこむときはびりっけつ。

一事が万事、こんな調子の東京のろのろ物語。
キップを買うのにも後ろで順番を待たれると慌てて、
エートエート乗り換えは、、、、と、
指でおっていたら指が触れてキップが出てきてしまった。り、。

人湧き出る東京。人見失うなう東京。わたし迷う東京。

人がうごめく東京。目と目が重ならない。目と目が合わない。
合わさないようにしている東京の人々。

羽田に着いた。ホッとしたが羽田にも人々はうごめいていた。
雨が続く沖縄。

書くということは

2006-06-12 14:13:10 | 日記
先週、職員4人を連れて県外研修にでかけた。
千葉県の富津市にある和光保育園への実習研修である。

3日間、職員は自分なりのテーマをもって参加した。

3日目には、学んだことをレポートにして提出することになった。
学ぶという行為はインプットにあたる。

学んだことをまとめるという行為はアウトプットにあたる。

沖縄側から15人が参加した研修である。同じ場で同じときに、同じことをみたり聞いたりした。
にもかかわらず、提出されたレポートは、誰一人おなじことを書いた人はいない。

一人一人のテーマがまず同じでなかったことになろうか。

保育士の声かけから、自分の保育を振り返った人もいる。
こどもの遊びこむ姿から自分の保育を振り返った人もいる。

保育者同士の動きとタイミングを見事だったと感じて我が園を振り返った人もいる。

鈴木園長の話しの一つ一つが心に響いたと、このことはどの人も共通に記されている。

レポートを読み合わせることで、自分ひとりの気づきとは別に他者の気づきをも学んだことになる。

学んだことをそのままにしないで、書いてみることで今回の研修は思ったよりも充実した。

書くということを苦手としている人は多い。抵抗を覚える人されいる。
それは、立派に書かなければならないというプレッシャーがあるからに違いない。

今回のように、学んだことをすぐに書き出すことで、
自分が何を学んだのか、何に意識を向けていたのか、まず自分が知ることになっただろう。

互いに関心の向け方が違うことを学ぶ。表現の違いを知る。そのことを通して
その人の内面を知ることもできた。

話し上手ではないけれど、考えていたことはすごいことだったと相手のことを理解した。
表面的ではない学びをした人がいいることも知った。

書いたものを交換することで、書き方、まとめ方の違いを知る。
上手に書くことよりも、すぐに書いてみることの大切さを知ったであろう。

もう「書くことが苦手です」ということばを聞かないで済むかな。とすこし期待。


毎年、大勢の研修生を受け入れてくれている和光保育園に感謝。多くの学びをありがとう。

見て学ぶ、聞いて学ぶ、体験したことをこれからの保育に生かすことを期待したい。