以前にも来てくださった東北の教会員の方が来訪。
前に来てくださってから現在までの状況をお話しする。その方自身の経験と重なるものがあるのだろう。思い出すように目頭を押さえられる。
進まない復旧。見えない復興。
なんだか教会が力になれていないような気持ちになる、と私が言うと、その方はおっしゃった。
ここに、十字架が高く掲げられていることが、いろんな人の力になる、と。
そう、我が教会の十字架は目立つ。能登を初めて訪れた方でも、列車から、国道から見える。ボランティアや支援で訪れたキリスト者がこの塔の下で祈っていた。ご挨拶してくださったかたもいるし、黙って立っていた方もいた。
そうやって誰かの力になり、その人が誰かの力になり、
十字架を高く掲げていることこそ、教会の存在意義。
写真は昨日礼拝に出席してくださった田口先生と釜土。青空に十字架が美しい。
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