俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

珍名(2)

2012-01-31 14:44:41 | Weblog
 なぜ珍名が増えているのだろうか。薔薇などと名付けられた子供は気の毒だ。試験の度に名前を書くだけで数秒掛かってしまう。
 珍名を付ける親の多くはクリエイティブでないのに自己顕示欲が強い人だろう。普段、創造的なことは何もできないので名付けで憂さ晴らしをしているのだろう。名前は親が勝手に決めることができる。彼らは「俺だけが創れる独創的な名前だ」と自己満足しているのだろう。まるで造物主気どりだ。
 才能の無い人ほど個性を主張したがるものだ。凡庸な人は小さな違いを針小棒大に主張して凡庸でないと懸命にアピールする。才能に恵まれた人は差異を強調するよりも普遍性を重視する。
 彼らの多くが阿呆であることは漢字を知らないことからも分かる。海月と書いてウヅキとかカヅキとか読ませようとする。私はクラゲと読む。海星と書いてカイセイと読ませるが私はヒトデと読む。心太と書いてシンタと読ませるが私はトコロテンと読む。もしこれらの漢字を知っていたら決してこんな変な名前は付けなかっただろう。
 極め付けは椿子だ。ツバコと読むのかハルコと読ませるのか知らないが私は迷わずにチンコと読む。彼女の両親は「椿説弓張月」という小説を知らないのだろう。可哀想に彼女の渾名は「チンコ」で決まりだ。
 珍名は児童虐待の一種だろう。子供を親の所有物だと思っているからこんな自分勝手な名前を付けて子供を苦しめる。揚蝶(アゲハ)のようなホステス紛いの名前を付けられた子供の老後は惨めだ。

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