俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

多・空くじ

2015-12-23 09:44:47 | Weblog
 昔の日本には頼母子講(たのもしこう)や無尽(むじん)と呼ばれる仕組みがあった。例えば住民10人が毎月1,000円ずつ出し合って順番に誰かが10,000円を得る。これはギャンブルではなく相互扶助だ。お金に困っている人に無利子で貸し付けつつ社会の連帯を図るシステムだ。沖縄には今でも模合(もあい)という制度があり多くの人が参加しているそうだ。
 これを金利で考えればこれがいかに優れた仕組みか分かる。仮に毎月会合をすれば、最初に取得する人は勿論、9番目に取得する人も得をする。9,000円を収めた時点で10,000円を取得できるからだ。たった一時のこととは言え、収めた以上の配当が得られる。しかし10番目だけは流石に何のメリットも無いが、社会貢献と割り切れば良かろう。寄付よりは負担が小さい。
 あるいは後の人ほど受け取り額を多くすることも可能だ。1番目は9,910円、2番目は9,930円とすれば10番目は10,090円受け取れる。救済という意味は薄れるが、訳の分からない金融工学よりもずっと納得できる。
 優れた仕組みがあればそれを活用しようとする人も現れる。不利な「10番目の男」を引き受ける見返りとして寺銭を得るのが胴元の役割だ。仮にそれが1回10円であれば、毎回の配当は9,990円となり、10番目の胴元は10か月目にようやく9,990円を得る。しかし寺銭の累計額が100円あるから90円得することになる。この程度の報酬なら妥当だろう。
 宝くじや富くじはこれとは全然違った仕組みになる。最初からゴッソリ寺銭を抜き、当りも輪番制ではなくランダムにする。つまり誰が得をするのか分からなくすることによって全員が幸運を得られるかのような幻想をバラ撒く。しかし配当率50%未満のギャンブルなどぼったくりバーのようなものだろう。
 宝くじは{買わなきゃ当たらない」と大々的に宣伝して射幸心を煽るが、この理屈は正しいのだろうか。論理的には間違ってはいないが詭弁に近い。同じような発想をする国家元首がいた。北朝鮮の金正日総書記だ。彼は「飛行機に乗らなければ航空機事故に遭わない」と考えて、モスクワまで24日掛けて列車で移動した。たとえ論理的には間違っていなくても行動としては気違いじみている。これは「飛行機に乗れば航空機事故に遭う」と誤謬推理をしたからだろう。同様に宝くじのCМに乗せられて宝くじを買う人の多くは「買えば当たる」と信じている。これは彼らの知的レベルの低さの現れだ。愚かな人を騙すことほど簡単な金儲けは無いが、それは詐欺師の手口であり国がやるべきことではなかろう。

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