俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

予想と予言

2012-01-31 15:01:52 | Weblog
 私自身は競馬をやらないが、競馬場には予想屋がいるそうだ。レースの予想をしてその情報を売るというビジネスだ。直近のレースを当てた予想屋の所には多くの人が集まって予想紙を買うそうだ。
 予想屋同士は事前調整をしているそうだ。仮に10人の予想屋がいて同じ予想をすれば全員が外しかねない。予め調整をして10種類の予想にしておけば誰かの予想が当たる可能性はかなり高くなる。たまたま当たった予想屋だけが大声を出して、外れた予想屋は黙っていれば、人の注意は当たった予想屋の方へ向かう。こうやって誰かが当たるということを繰り返して商売を成立させる。
 予言も同じようなものだ。○月△日に地震が起こるとバラバラな予言をすれば誰かが当たる。外れた人は知らぬ振りをして、当たった人だけが得意気に自らの予言について解説する。こんな馬鹿げた予言を信じてはならない。
 一時ブームになったノストラダムスの大予言はもっと巧妙だ。曖昧な表現だから様々な解釈が可能になっている。1999年に空から恐怖の大魔王は降臨しなかったが、予言が2001年か2011年だったら9.11の同時多発テロや3.12の原発事故と解釈できる。
 50年後の予想など気楽なものだ。未来の恐怖を煽って好き勝手なことを言う。外れても責任が問われることは無い。こんな事情で似非科学が横行する。

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