俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

変異

2009-11-17 16:12:41 | Weblog
 個々の変異が大きいことは個体にとっては不利益でも種族にとっては有益だろう。選択肢の広がりが進化に繋がり得るからだ。
 個々の変異はランダムに発生する。暑さに強い者も弱い者も、飢餓に強い者も弱い者も生まれる。これらの変種の多くは親世代と比べれば不適応種だろう。親世代のほうが現在の環境には適応している可能性が高い。
 ではこの変種は淘汰されるのかと言えば、実は必ずしもそうではない。環境が変わりつつある時には一部の変種のほうが親世代よりも環境によく適応できる。これが進化へと繋がる。
 進化のプロセスは大量の変種を犠牲にする無駄遣いとさえ言える。しかしもし全く変異しない生物がいれば環境の変化に適応できず全滅してしまうだろう。
 変異の発生がどの程度の頻度及び質と量であることが個体と種族の双方にとって理想的であるかは判断しかねるが、人間においては、1月20日付けの「男は実験体」で書いたとおり、男は変異(実験体)の役割を、女は維持の役割を担っていると思われる。両性が変異をすれば次世代の変異が大きくなり過ぎるので、有性生殖をする人類は役割分担をすることによって変異による莫大な無駄を半減していると思われる。
 女のほうが変異が現れにくいということの極端な例として色盲や血友病などの遺伝病が挙げられる。男は両親から受け継いだ遺伝子の片方の異常で発症(変異)するが、女は両方の遺伝子で異常が揃わなければ発症しない。真に不公平な話だが、変異は男において発現し易い仕組みになっているようだ。こんな実例は意外と沢山あるに違いない。

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