那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

りんごが落ちるのは当たり前か

2012年10月17日 | 芸術・表現
疲れて転寝していたら午前0時を過ぎたので昨日の投稿が出来なかった。

私は大学院の修士課程を修了した後、様々な事情があり郷里愛媛に10年間ほど妻子を連れて帰郷していた時期がある。

そのとき映像作家・金井勝氏のHP「映像万華」にエッセーを投稿した。「愛媛からの手紙」というタイトルの連続ものだったが、インテリや研究者には非常に評判がいい。簡単な話、芸術というものは人間にとって必要不可欠なものではない、ということを証明したエッセーである。

以前からロジェ・カイヨワを含めて色んな「遊び」「笑い」に関する文献を集めて「趣味学」のような研究をしようと思っていた。過疎の盆地で10年の間に芸術家一人いない環境で暮らし、人間は趣味、遊びがないと狂ってしまうが、芸術はあってもなくてもいいオマケである、ということが分かった。

そこで趣味と芸術の構造を比較し、芸術研究者が現れ議論が沸騰して○○学会などができ、制度化されると大学教育システムの中に組み込まれ、本来持っていた芸術の危険性が消えてしまう・・・・・凄く簡単に言えばそういうことを書いた。

すると案の定、ケチを付けたがる人間は一杯いるから、「那田の言ってることは当たり前じゃないか」と2ちゃんねるかなにかに書いた人物がいる。そういうのには嫌というほどあっているので無視した。

リンゴが落ちるのは当たり前、という人間の中で、何故リンゴが落ちるのかと疑問に思う人間が稀にいる。そして万有引力を発見する。当たり前のように見えることに対して、何故?と疑問を抱くのが研究というものだ。万有引力というと私は、地球儀がイメージされて、南極と北極で人間が逆さまに立ってい様子が浮かび、なんとなくウキウキしてくる。

たしか太宰治のお兄さんだったか「一言で書けば済むものを、なぜそんなにダラダラと長ったらしく小説にする必要があるのか」と小言を言ったとき、太宰は「それで人が納得するならね」と応えた記憶がある。
 無念無想になれ、というのが本当に分かるには一生かかっても無理かもしれない。頭の先で理解するのと、体得するのとでは天地の開きがある。

芸術、この過剰なもの。無駄なもの。愛しながら憎む腐れ縁の恋人のような存在です。
 そういえば、この数年全く遊んでないなぁ。






正気と狂気

2012年10月15日 | 世直しのためにどうすべきか
http://rishibue.kir.jp/search-mad.html に次のような解説がある。

狂気と正気

二つは同じ精神状態の2つの側面。互いが互い故に存続して居る。この狂った人間社会に適応する為に歪み狂ったのが正気、適応出来ずに落ちこぼれたのが狂気に過ぎない。宇宙から見ればどちらも狂い病んで居る。小さな精神病院の外に、社会と言う名の大きな精神病院が在るに過ぎない。
 本来は両方共が人の精神の1部分であり部品でしか無い。狂気と正気の両方を常に併せ持ち、それらを含んで居ながらも超越した、もっと大きな心こそが、人の心だ。

インドの乞食は子供が産まれると、実の我が子の腕や脚を切断してしまう。より注意を引き、より稼ぎが良く、より確実に生きて行ける様にだ。彼らは彼らなりに自分の置かれた立場に適応し、生き延びて居るのだ。彼らは属する社会に適応して居る。そして言うまでも無く狂って居る。彼は知らない、自在で輝く人生がすぐ横で自分を待っていることを。彼は知ろうともシナイ、誰をも犠牲にしない全く新しい社会の可能性を! 彼らが狂って居るのと全く同様に、ほとんどの地球人は狂って居る。命有る者にとって生き延びることは大事なことだ。しかしもっと大切なことが在ることを決して忘れてはならない!

大気中のフロンはこれから10年掛けて何億人を殺すと思う? 大勢の同じ地球人が飢え死んで行く横で、アメリカ人はたったの2億人で地球上の全食料の何十%を無駄にして居ると思う? 今世紀に入って白人は何億種の動植物を根絶やしにしたと思う? しかも彼らは食べる為では無く、カネや顎の骨や耳たぶが欲しくて殺すのだ。環境ホルモンは一体何種を既に絶滅させ、これから何種を滅ぼすのか見当も付かない有り様だ。既に人間自体の未来が閉じているかも知れないのだ。ミドリ十字は今までに何百人殺してこれからは何千人殺すと思う? 原子爆弾は2発で何十万人を殺したと思う? 半世紀も経った今だ32万人がその後遺症に苦しんでいる! 彼らは死ぬまで第2次大戦を生きなければならないのだ! オウム真理教は宗教をカタって数人を殺したが、キリスト教は一体何億人を殺したと思う? 今だに世界中で宗教の名のモトに人殺しや痴話喧嘩が横行して居るが、そんなモノは宗教でもナンでも無い! 宗教とは人を解き放ち生かしきるモノだ! それが何であれ押し付けたり奪ったりしはしない! 決してしない!!!!

人間の人間の歪みを癒やすことは果たして出来得るだろうか。方法は全く単純で明快だ。この地球上の人間1人ひとりが、どうしようもなく狂った夢を己自身が生きてしまって居る事に、ただ気付けば良いだけだ。だがこの単純な事実を潔く素直に認める洞察力と器が地球人には有るだろうか。そこに在るかどうかすら判らぬ全く見知らぬ精神領域へと1歩を踏み出す勇気と覚悟が人間達には有るだろうか?あなたはどうだろうか!
_____________________________

この文章いいですね。「この狂った人間社会に適応する為に歪み狂ったのが正気、適応出来ずに落ちこぼれたのが狂気に過ぎない。宇宙から見ればどちらも狂い病んで居る」とか、いずれ書こうと思ってたことを書き切ってくれました。

ミシェル・フーコーもかつてチラリと読んだが、この名前が分からないHPの作り手のほうがずっと明快でいいですね。私のHPと相互リンク申し込みます(まだ活動中かなぁ)。
 

片付けられない症候群を理解する

2012年10月14日 | 医療、健康法

全くプライベートな話題だが、私が離婚した原因を簡単にいえば、妻が強度の片付けられない症候群であったことと、私は4~5回は我慢して爆発するタイプだということが半分ぐらいを占める。
 この病気は相当根が深いものなので、男女共に重要な情報と思い、簡単に紹介する。なおADHDというのは多動性の注意欠陥障害をいい、そこから多動性を抜いたものをADDと称する。以下の文章では区別せずに表記されている。

以下http://www2.ocn.ne.jp/~psyche/ad_basic.htm#kanbetu より引用抜粋

AD/HDがなぜ起こるのか、はっきりした原因はまだわかっていません。しかし、はっきりしていることはこれが脳の中枢機能の不全によって生じる発達障害の一種であるということです。AD/HDを持つ人の脳をスキャンすると、前頭葉前野の活動が低くなっている(特に、集中しなければならないような状況で逆に低くなる)などの特徴が見られると言われています。その理由の一つとして、前頭葉前野の活動を活性化させる働きをもった神経伝達物質(ドーパミン)の分泌が足りない(または不安定である)という要因が指摘されています。言い換えれば、AD/HDの症状が出現するおおもとの原因は本人の性格的な問題(怠け、努力が足りない、堪え性がないなど)でもなければ、親のしつけができていなかったせいでもないということです。
 
5.治療について

 AD/HDそのものは神経学的な”障害”であり、治療によってAD/HD自体が治るということはありません。しかし、本人や周囲をサポートするための治療法は存在します。
 最も重要なもののひとつは薬物療法です。AD/HDを正確に、確実に診断する必要があるのは、継続的な服薬で行動や症状が改善される可能性が高いから、というのがひとつの理由です。治療には、中枢神経刺激剤と言われる薬や、場合によっては抗うつ剤が用いられます。いずれも100%の効果は保証されておらず、中には薬物療法の効果があまり出ない人もいると言われています。中枢神経刺激剤は、普通の人が用いると依存性が生じる危険性のある劇薬指定の薬なのですが、AD/HDの人が依存性を生じることはあまりないと言われています(注意しなければ薬を服むこと自体を忘れてしまうのがAD/HD児・者の特徴です)。
   __________________________

これが最初から分かっていればなぁ、と思う。
少なくとも5~6年前ごろまでは、充分に睡眠を取る、ぐらいしか指示が出なかったし、カウンセリングに通わせても雑談だけで終わり、一向に行動療法に移らなかった。「薬で治るものではありません」と断言された。
 離婚の後にこれが「遺伝性の脳障害」と気付いた次第で、しかも「まず治らない」という意見が圧倒的。だったら私は怒らなかったのに・・・と後悔している。

「微笑禅の会」の「見性体験記」の中で妻の異常行動について触れている部分があり、「あれじゃ奥さんが可哀想」という意見が2つほどあった(友人と編集者です)。が、あれはまだ押さえて書いている。元妻を責めたくないのであえて書いてないが、耳を疑い目を疑うような言動が突然出てきて、一体どういう人間が混乱したことが何度もある。実態はさらに凄まじいものだった。だから行動障害にも分類されている。

私もバカではないから、怒った後は謝って一緒に酒を飲み(元妻は私より酒豪)、翌日は色んなプレゼントを買ってフォローしていた。しかし本人は更年期障害のためといっていたが、一緒に晩酌できなくなってからは団欒の時間が取れなくなった。

チャットなどをして遊んでいると、片付けられない女性が時々いる。これは危険だなぁといつも思う。上記の引用文の書き手は、女性を哀れむ側に立っているが、多くの場合、アスペルガーや自己愛性人格障害などと複雑に入り組んでいて、普段は従順なのに、例えば、資格を取れば、と参考書を渡しても、「面倒だから絶対に嫌」と頑として受け付けないなど、別人のような部分がある。何事においても中途半端だから、結局「2度手間だから俺がやる」になって、ますます負担を背負うことになる。ズボンの裾上げをさせても必ず糸がほころびるから自分でマツリ縫いで直したものだ。

今は甘やかしてくれる両親や、頼ってくれる子供達がいるけど、親が死に子供が独り立ちしたらどうなるんだろう。様々な不満や怒りはあったけれど、病気と分かった以上は責める気はさらさらない。むしろ不憫に思う。


 


川上雪担老師の言葉 

2012年10月13日 | 

いつもそうだが、特にこのところ一人では解決不可能な問題が山積して頭から足の先まで痛いところだらけ。特にパソコンの打ちすぎで腱鞘炎一歩手前まで来ている。オマケに風邪を引いて熱がある。フト、そういえば、同じようにトコトン困ったときに川上雪担老師に電話で点検を受けたことを思い出した。
 難しい問答は省略するとして、「修行をやめて入院して体を治しなさい。どうにかなる」という助言を頂いた。まもなく倒れ、危篤状態から奇跡的に蘇った。
 新潟のお寺の住職さんだからズーズー弁かと思っていたら、横浜生まれの東大卒で、綺麗な標準語だった。点検を受けた直後に亡くなられた。肉声を聞いていて良かったとつくづく思う。


川上雪担老師は平成23年5月20日、遷化されました。以下
http://www17.plala.or.jp/tozanji/bn/tanosiizazen.html より


楽しい座禅


「坐禅が楽しいという人がいる、不思議なことだ。」と、言う人がいる。
「坐禅が楽しいという、不思議だ。」
 これ答えなんです。不思議-思う議にあずからず、思想思念の他にというんです、だから楽しいんです、無上の楽しさがあります。

 坐禅をやってみる、足が痛い、ま-るで死ぬ思いがする。ちょっと慣れると妄想頻出して、わけがわからない。とりとめがない。もうちょっと坐って比較的静かになる、すると自分を眺め暮らしている、目は外向きについているのに、なぜか自分という暗影が見える、あるいは真っ暗がり、あるいは深淵のように思い違え。でもって静に入ったなどいってみても、結局なんにもならない。
「坐禅してみたけど、なんにもならない。」
という感想です。

 二三日前にもそういって来た人がいた、
「参考書、仏教解説読んだけど、いっているようにはならない。」
という、どうも十人百人そんなふうです。
どうしたらいいか。
「歩くとき歩くばっかりでしょう、歩き方を観察したり、歩く研究をしていたら、うまく歩けない、いいですか、坐禅のとき坐禅すりゃいいんです、自分を観察してああでもない、こうでもないしない、吐く息吸う息数息観も、ただもう坐るっきり、それがほんとうに出来たとき終わるんです。」

 わたしとしては、こういうっきりなく、只管打坐とは、ただうちすわる、まるっきり手付かずということです。これがそう簡単にはできない。
 なぜか。

 人間もとこうあるっきりなのに、人間とは何か、人間らしくと思案する、どうもマンガみたいことを、だれかれ大真面目にやって、結果間違いだらけってことあります、(ひゅ-まんの追求に答えが出ないこと、よってかくの如し)=人類の歴史って思いませんか。
 やりゃあやるほど、正確に見えれば見えるほどおかしくなっちまう、迷い込んでへんてこりん。
 どうですこれ、坐禅してるときとそっくりでしょう。

 坐禅は温室ですと、先師老師がいった、他日異日必ず花開くと、禅=単を示すと書くんです、わたしどものもとそっくりのありよう、付け足すものなんにもない、これっきりです。

 これがどうできているかというと、心経にあるとおり、五蘊皆空、度一切苦厄です、どんな厄介ごとも苦しみも、妄想なんもかもとっつかない、不染汚という、染みがつかない、なぜならなんにもないからっていうんです。
 なんにもない=無眼耳鼻舌身意です、目がどこにあるか、知らないんです、目で見るということを知らない、見るものと見られるものの区別がつかない、以下同文ってこってす。
 いいですか、目はここにある、目で見ている、そんなの当たり前じゃないかという、でも体にはこれを知る感覚器官はないんです。後念の知識、教えてもらって習い覚えたんです。
 つねる、痛い、でもどこ痛いかわからないなど、これ実感ですからたしかめてみて下さい。
 無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法と、わたしどものありようを、改めて記載しなければならないほど、後念の知識観念概念生活に、がんじがらめになっている。

 たしかにそりゃ、音は耳で聞くという知識は必要なんだけど、それによって実際を離れてしまう。
 せっかく単を示そうと思っても、おいそれとそうは行かないんです。
 物心つくとからに、がんじがらめ生活を強いられて来た、それをいったん元へ戻す、ぶち破る必要があるんです。
 でないといつまでたっても、坐禅が坐禅にならない、苦痛と我慢大会ばっかりで、ちっとも楽しくならないんです。

 不思議じゃないからです、妄想を追い-とは無意でない、妄想を生み出す自分がその妄想を追う、有意です、ありっこないことをやっている、苦しみの原因です、人はないものに苦しめられる、しばらく確かめてみて下さい。
 自分を眺め暮らすのも、坐禅はこうあるべき、思想理屈をこねまわすのも同じ二人三脚です、いったんこれを止めるんです、無理強い止めるってじゃんしに、自然に止む、これ只管打坐です、でないと弊害があります。

 一つこっきりになる、思想と自分と同じならな-んもない実感です、ついに忘我。自分を観察しないということが始めです。
 ですから「楽しい」の実際は、坐っていながら(なにしていてもです)自分というものがまったくない、外と内の区別がないんです、じきにそれを見ている自分がないんです、不思議です、たとえようもない平らなふう、度一切苦介の現実です。
 こうなって初めて坐禅が坐禅になるんです、元の木阿弥自分というものの実際を知るんです、如来来たる如しです。

 そう長くはかからないんです。こういうことがあると知って、まっしぐらです、たいてい三カ月も坐っていりゃちらとも気がつくものです。
 ですから、坐っていてなにがあっても、手を付けない、なりふりかまわずってことです、坐すとき坐すっきり、歩くとき歩くってこと忘れている、でないとうまく行かない、坐すとき坐を忘れている、手放しのときそっくり終わるんです。
 乃至は人生思想道徳なんのかのうっとうしいこと、そっくり終わるんです。



一目惚れの話

2012年10月12日 | 恋愛 愛情

八王子五行歌会(http://gogyoka.bbs.fc2.com/)の代表をさせて頂いている関係もあり、恋の歌について考えているうちにフト思いついたことがある。

元気な人は中高年になっても一目惚れをするかもしれないが、普通思春期から40代ぐらいまで、シンクロニシティと共に一目惚れ体験が頻繁に起こるものだ。
 まさに見詰め合った瞬間から魔法にかかったようになり他のことが考えられなくなる。

これはユングに言わせると、男の場合は自分の中の女性的な部分(アニマ)、女性の場合はその逆でアニムスという元型があり、偶然そのタイプに出会ったことから生まれるらしい。

現在の精神医学は薬の投与と問診が主流だから、ユングは超心理学という怪しげな神秘主義と見られているようだが、一目惚れのシステムや意味のある偶然の一致について研究し続ける、というのは非常にロマンティックだなぁ、と思ってしまう。

考えてみると、歌謡曲やハリウッド映画などはほとんどがラブストーリーだ。種の保存という本能から見れば、恋や性欲は当たり前だが、一目惚れというのはその中でも非常に特殊な体験で、元型といった概念を取り入れないと説明がつかないように思う。

こういう一目惚れ体験は想像力の源でもあると同時に、典型的なのが「嘆きの天使」という映画で、大学教授がキャバレーの踊り子に夢中になって社会的信用を全て失う、という破壊的な側面もある。逆バージョンは「八百屋お七」の物語で、近代詩歌の翻訳の大家・堀口大学は 

八百屋お七が火をつけた
お小姓吉三に逢ひたさに
われとわが家に火をつけた
あれは大事な気持ちです
忘れてならない気持ちです

と歌ってこの狂恋を称えた。この話が元になってエミール・ゾラの「ナナ」という小説になったといわれている。
 日本というのは面白い恋愛文化があり、「よさこい節」もそうだが、どうせやるなら磔や火あぶりになるほどの恋をしろ、という極論を愛する傾向がある。

それはともかく、一目惚れという体験があるうちが花で、忙しすぎたりストレスが溜まりすぎたりすると、美人はおろか美しい風景を愛でる余裕も無くなる。また若いときに遊びすぎると女性に対する謎が消える。
 自分自身の体験を言えば、全て美人という前提の上で、暗い病んだ印象の女性に一目惚れし、次第に頭が良くて気が強い女性に惹かれ、今は嘘がつけない幼子の仕草が可愛い。
 ちなみに女性の場合、女らしさという社会的な仮面(ペルソナ)が弱まり、アニムスが強くなりすぎると、頑固なフェミニストになって男を困らせたり、強烈な教育ママになって子供を困らせたりするらしい。

これから後、まだ一目惚れ出来るだろうか?それぐらいのエネルギーがあればいい歌が詠めるんだが・・・


 



信念と自在

2012年10月11日 | 世直しのためにどうすべきか
瀬戸弘幸さんのブログのコメントを読んでいたら

>・内閣府副大臣 白眞勲
・外務省アドバイザー 姜尚中(東京大学情報学環教授)
・内閣府顧問(男女共同参画) 辛淑玉(明治大学特別招聘教授)

とあり、驚いた。在日外国人の意見を聞くのは悪いことではないが、このメンツはひどすぎる。wikiですら
_______________________________
鄭大均は、金嬉老事件における辛の発言を引き合いに出して「メディアに登場する在日のなかで、姜尚中と辛淑玉ほど違和感を覚える人間はいない。辛淑玉に関して言えばその歯に衣着せぬ語り口はいいのだが、思いつきやデタラメが多すぎるのではないか。」「在日コリアンの被害者性という現実的であるかもしれないが非現実的であるかもしれない状況に、自己を憑依してものを語る傾向がある。」「辛淑玉の一見奔放な語り口が、驚くほど古風な被害者的立場や対抗主義的立場との見事な整合性を維持している。」と批判した[20]。
_____________________________
と書いている通り、一体どこの国かと思ってしまう。
鄭大均氏が指摘するように、日本は全て悪い、男は全て悪い、という一方的断定は批評能力の欠如、所謂イデオロギー、凝り固まった世界観でしかない。車のハンドルは座席から見れば丸いが、真横から見れば一直線。鉛筆でも横から見れば直線だが、縦から見れば丸いか6角形。人間は生まれたら死ぬ、という命題以外は、まず例外の無いルールはない。

http://www.geocities.jp/npowaro/raku-13.htm

↑これは横井小楠に関するサイト。独特の解釈だがwikiよりマシなので紹介する。
維新の十傑と言われる大人物にも関わらず、熊本出身の人すら知らないことがある。恐らく士籍剥奪された事件があるので(仲間と会談中に刺客に襲われたとき、本来なら素手で対抗すべきところ刀を取りに帰ったためと記憶している)、地元では嫌われてきたのかもしれない。大器晩成の典型のような人物で、頭が切れすぎて辛らつなことを平気で言うためか出世するのが遅く、高名になって数年後に暗殺されている。
 この人の口癖が「私は今日はこう思っているが明日になったら考えが変わっているかもしれない」で、山本玄峰も同じようなことを言っている。

なんに例えればいいだろう。拝金主義者は金儲けのためなら平気で人を騙し裏切る。これは『お金が全て』という精神的に歪んだカルトイデオロギーと言える。
 小楠も実学を重んじ経済改革に成功し名前を上げた人物だが、日本が富国強兵で大国を目指すのは、儒教道徳を世界に知らしめるためである、という信念があった。小楠の漢詩に

  明堯舜孔子之道   堯舜孔子の道を明らかにし
  尽西洋器械之術   西洋器械の術を尽くさば
  何止富国      なんぞ富国に止まらん
  何止強兵      なんぞ強兵に止まらん
  布大義於四海而巳   大義を四海に布かんのみ

とある。非常な理想主義者で、「徳」によって世の中を治める政治形態を模索していた。
 だから、徳治政治のためには当然経済力や軍事力は必要、そのためには時代の趨勢や情報によって自在に考え方を変える。但し、徳、という信念は変えない、というわけだ。
 
徳、大義とはなんだ?と言われるとまた話が長くなるが、とりあえず「止悪作善」と、他人に哀れみの情を持て、ぐらいでいいんではないかと思う。

今日はそんなところで失礼します。
 

思いつくままに

2012年10月10日 | 雑談
このところ私事で毎日忙しく、パソコンを連打して疲労が蓄積している。
それで、昨日はサボってしまった。タイトルだけ大げさにしたがw。
以下、思いつくまま。

心痛が激しすぎると人間は簡単に死んでしまう。自殺もあれば大病で死ぬ場合もある。
病は気から、は本当だ。しかし、気力の充実は、体の幹の部分(体幹)が丈夫でないとすぐに折れてしまう。1に体力、2に愛情、3に経済力、4に心の充実で、心云々というまえに条件が必要だ。拠正不ニとはいっても、私の知る範囲では心がけの清らかな人がバタバタ倒れている。

洗脳やマインドコントロールは、誰でも簡単にかかってしまう。前者は暴力やドラッグ、ハイテク装置をつかった非合法なもので両者は方法が違うが、面倒なので洗脳という言葉にまとめれば、毎日テレビや新聞を読んでいるだけで国民は洗脳されている。ネットですら、偏ったサイトばかり読んでいると洗脳される。ただ、選択肢が多いので、多少批判能力があれば質のいいものを選ぶことができる。
 私は平成21年から体調を壊して何回か死に掛け、徐々に意識が回復するにつれこの3年の間に様々な変化が起こっていることに気付いた。浦島太郎のようだ。何がどうなったのか分からないが一緒に活動していた愛国者の間に内紛が起こっているし、日本の経済の出口も見えない。現体制に不満を抱く若者が増えているとは言え、一向に形(立法化、政策)になって見えていない。改悪ばかりが続いている。

研究や批評は、数多くの対象を比較検討して、引越しのようにダンボールに小分けし、あらゆる角度から分析(知性と感受性を使って)するのが基本的前提だ。だから、こういう研究があるのかどうか知らないが「批評の批評」つまり「批評学」をやろうと思ったことがあった。
 洗脳を解くには、第一の前提が「その特殊な組織の外に出すこと」で、洗脳された相手が物事を冷静に見れるまで「決して否定してはならない」というのが第二の前提だ。そして気長く、暖かく見守りながら、自分の頭で批評できるまで待つ。

若い頃は、徹底的なアナキズムに憧れた。今は一言で言えば「道徳教育」が日本に最も欠けていると思う。道徳、というと何か古臭いイメージがあるが、本当はそうではない。例えば昔の人なら赤穂義士を尊敬してやまないだろう。が、赤穂義士は集団テロリズムで切腹(名誉の死に方だが)させられた。乱暴に言えば、人殺しの罪人である。そういう人を義士と呼んで称えた・・・そういう道徳教育もある。
 反芸術の中にも優れた芸術があるように、反道徳にもすぐれた道徳はある。

これ以上長くなると雑談でなくなるので、また。、



案の定IPアドレスを悪用されていました

2012年10月08日 | 集団ストーカー被害者を救う会
まず今日の「博士の独り言Ⅱ」より抜粋・引用
____________________________

表題は、一般人のPCが「特殊なウィルス」(スパイウエアのことか)に感染し、当人が気がつかないところでIPアドレスが盗用され、そのIPアドレスをもとに「無差別殺人」などの予告を公的ホームページに書きこまれていたことが判った、と伝える記事(毎日新聞)である。特定の個人を狙った「特殊なウィルス」植え込みと謂うよりは、ネットに散布したそのウィルスにPCが感染した人のIPアドレスを使っての犯罪であるかに報じている。

 真相は未だに闇の中だ。しかし、“報道”から受ける印象としては、どこそこの個人による「悪さ」に映るが、しかし、大阪、三重県での同時多発的な事件の様子を拝察すれば、ここに極まるかの様相を呈している官公庁、企業などへのサイバー攻撃の一環であり、その庶民を標的にしたかのバージョンであると認識すれば、事件と時節との符合が判りやすくなり、関連性を否定できなくなるのではないか。

セキュリティソフトの話

 その他の選択肢でソフトを選ぶしかない。個人的にだが、そう考えた次第である。それとは別に、以前に、読者からいただいた「個人の作業中や、ネット環境を必要としない時はスタンドアロン(非接続)でPCを使う」方法とか。「どのような中古でも良い。USBメモリなどを差し替えながら、ネットに接続するPCと非接続で使うPCとを分けて2台構成で使用する」(要旨)、とのアドバイスが大変に参考になった。

 要するに、長時間ネットにつなぎ放しにしない。「亜」とはメル友にならない。見知らぬ発信元からのメールは開けない。知る人からのメールの添付物が有った場合も、先方に確認するなど要注意のもとにあつかう。万一の攻撃に遭った可能性が有る場合は、直ちに回線を切る。そのような工夫もまた有って先ずは良いのかもしれない。
_____________________________
これが今日のブログ内容です。

それで偶然の一致が2つ起きました。
①昨夜、常連のチャットに行ったら私のIPアドレスを使って、私が過去に発言した内容が書き込まれていて、それが話題になってました。不安定なサイトなので昔の記録か、と思い更新ボタンも押したのですが、日付を見ても間違いなく、私が入って、事情を説明し、みなさんビックリした次第です。
②さらに、博士の独り言Ⅱにコメントを書こうとしてもアクキンになっているので、昨日引用したフォーム(公開討論用)から博士にアクセスし事情を説明したら、「そういう操作はしていない。共有スパムと思われる。前書きに挨拶もせずに礼儀を失している。言いがかりはやめて欲しい」とお怒りの様子のメールが届きました。前書きには「毎日のように読んでいる愛読者です、引用させてもらいトラックバックも貼っているのにそちらのブログに反映されていません。コメントも書けない状態です」等々常識的な挨拶は書きました。
 ということは第三者が投稿内容を操作して一部削除したわけです。

どうもおかしいと思い、事前に左下にあるブックマークの私のHP「ロータス人づくり企画」には、「注意:当企画や世話人の名前を使ってネット上での中傷やメールなどで第三者に嫌がらせ行為をしている悪質な人物がいます。おかしいなと思ったら直ぐに私の元にご連絡ください。厳正に対処します」と明記しています。

とにかく第3者がナリスマシで悪口投稿すると、内部分裂が進みます。そういうことを充分にご存知の島津義広氏すらそういう対応です。また以前に書いたようにカルト脱会のプロですら中傷サイトを問題にされる現状です。

とにかくこういう時勢ですので、ネット犯罪には気をつけましょう。

尚、このブログへのトラックバックは事前承認になっていましたが、試しに暫く開放して様子を伺います。




博士の独り言Ⅱより

2012年10月06日 | 集団ストーカー被害者を救う会
以下、「博士の独り言Ⅱ」より引用します。
_____________________________

主張が有るなら顔を出すべし!

 かねてより問いかけをしたかった事柄の一つですので、旧来の読者のみなさまには恐縮ですが、以下、一度だけ書かせてください。

 本来、ブログは「個」の日記です。「個」が思うところ、気づいたところ、メモなどを記すのが日記に他ならないと考えます。また、日記は、本来、誰人にも披見すべきものではないと考えていますが、しかし、問いかけのために披露しています。関連する勉強会などで顔も出してみなさまにお会いしてまいりました。

 そうしたブログ活動に対し、多くのみなさまより激励や情報提供のご協力をいただき大変に感謝しています。しかしながら、その一方で、特に、ブログランキングへの復帰後、私という「個」に対する攻撃的な罵倒や、筋違いな中傷が異様に増えてまりました。特段、私の方は気にしてはいませんが、これら一部の人々を気の毒に思う。その気持ちがつのります。

 攻撃の「事の次第」を後に明確にし、ブログに残しておきたい事柄も多々有るため、そういう人々に告げておきたい。貴殿が話が通じない癒えぬ精神疾患者や「亜」の工作員でなく、まともに事実へ査及を望む日本人であれば、ハンドルネームで捨て書きして行かずに、下記の連絡窓口より連絡先を添付の上、私までご連絡願いたい。または、対する主張があれば、下記を通じてご連絡いただき、私の前に一人で顔を出し、対面で主張願いたく思います。

【連絡窓口】
-------

 これは正々堂々の議論の提案であり、他の多くの人々も迷惑を感じておられる一部徘徊の病理へ、正面からメスを入れるものです。この問いに応え得ないのであれば、当ブログを訪問iいただなくて結構です。以上、旧来の読者のみなさまには失礼しました。

平成24年10月5日
__________________________________

ついに博士さえキレたみたいですね。
これは「カルトストーカー被害者を救う会」に以前書いてきた問題です。要するに憂国の士のネット上の発言に対し、実名を披露せず全く根拠の無い誹謗中傷を繰り返すカルト工作員がいるというテーマで、私を中傷しているサイトも一部披露しました。

博士が「貴殿が話が通じない癒えぬ精神疾患者や「亜」の工作員でなく」と言っているのは、実はそういう連中と分かっているわけです。

私も2003年3月に「那田尚史の部屋」というHPを立ち上げてから、現在の「ロータス人づくり企画」へと、一時期両立させ、カルト問題は以前のサイトで、教育問題は現在のサイトで、と別けて使おうと思っていました。が、色んな現象が起こって前のを消さざるを得なくなり、今のHPになりました。この10年弱の間、支持者も多かったがどれだけ罵詈雑言されHPを外部から壊されたやら。
 
ところが勘の悪い人がいて、こういうガセネタを真に受ける人がいるんですね。真に受けるというか、真に受ける役もいたり、もっと悪質なのは仲間だと接近して情報を流したり、二重スパイで仲間内を分裂させたりする。

カルトからの脱会や洗脳を解く専門のNPO法人ですら、こういう工作を見抜けないのだから話になりません。

博士は元華族らしいし、皇室と繋がりがある方ですが、この人でさえ頭にきている。無理はありません。
 しかし、カルト集団ストーカーの大半は実際に精神を病み、精神病院の患者には元工作員が非常に多いそうです。これはネットにも出ていました。

集ストに関してはいろんな被害者の会があります。中にはまたまたいかがわしいのもある。信頼できるところと連帯して情報交換したいものです。被害者の方は左下のブックマークから入って、メールなり、ここにコメントしてください。

とりあえずの政治的スタンス

2012年10月04日 | 世直しのためにどうすべきか

相変わらず忙しいのでとりあえず簡潔に。
先ず玉音放送の一部より
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯(かく)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ

 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内(ごだい)為ニ裂ク且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス



私は、昭和天皇の玉音放送を聴く限りでは、本音は反米、戦略的には日米同盟を今切ることは出来ないと思います。
 前にも書いたとおり、多数の市民を焼き殺した都市大空襲と、瞬間に人間を蒸発させた原爆、これは国際法違反ですから、アメリカが公式謝罪しない限り許せません。
 現在の日本は、軍事的にも経済的にもアメリカの属国になっているのはご存知の通りです。対等の関係になるのであれば自国防衛可能な軍事力を持たざるを得ません。

ついで、私はレイシストではないので、日本に住んでいる外国人を差別する言動は取りません。あくまでも人格主義です。
 私は研究者の端くれでもあるので(一時期は研究者を辞めていましたが、体力の回復と共に研究や表現の分野に徐々に復帰しています)、日本はアジアの中でずば抜けた文明、文化をもっていて、他のアジア諸国とは比べ物にならない、いや世界を見ても異常に民度が高い国だということは研究的に実証できます。有名な歴史学者が「もし生まれ変われるならイギリスの貴族か、江戸時代の庶民」と書いた通りです。
 が、日本人の中にも悪党が大勢いる、外国人の中にも善人も大勢いる、結局は個人の人格次第なので、ひとくくりにして○○人は日本から出て行け、というのは暴論以外の何者でもありません。それは「愛された経験の無い女性が作った怨念の悪法」といわれるDV法と同じで、全て男が悪く、女は正しい、というのと大差ありません。

極端なことを言えば、一度政権に共産党が入ってみたらどうか、と空想する時があります。日本共産党は北方領土は千島諸島まで日本のものだと、自民党より愛国的な党是すらあります。(本当はカイロ会議に従えば、千島諸島も南樺太も日本領ですが)。また竹島、尖閣諸島も日本領土と明記しています。もちろん、天皇制や軍事の点では全く相容れない部分もありますが。

何と言えばいいのか、今の政治システムに国民の怒りは爆発状態になっている事実を見据えた上で、種々の思想、イデオロギーはあっても、幕末の四賢公のような人物が互いに知恵を出し合い、反体制運動の内部分裂を解消し、愚民化教育を改めて行く必要があります。とりあえず私は教育の分野から世直し運動の一助になればと微力ながら努力しています。

誤解ある文章かもしれませんが、続きはまた書くことにします。
 



テストステロンが必要かな

2012年10月02日 | 恋愛 愛情

ブログは難しいなぁ、と思う。

掲示板で済ませていた頃は、今日は疲れたのでまた、で済むが、どうもブログは「中身の濃い完結した内容を書かねばならない」というイメージがあり、どうしても適当に終わらせることが出来ない。

で、今日は簡単に、私は「八王子五行歌会」の代表をしていて、常連の「かわせみ様」がいろんな助言をしていただくのだが(左下のブックマーク「ロータス人づくり企画」から入れるのでよろしく)若者はこういう詩歌に興味が少なく、興味のある年代はパソコンを使える人があまりいない、という2重の障壁があり、なかなか投稿者が安定して増えない。

それで、主催者の草壁先生も、かわせみ様も恋歌が好きで、中高年になっても恋の歌を詠うと元気が出る、と言われるので、私も一生懸命恋歌を詠もうとするのだが、このところどうしてもそれが出来ない。その理由を考えてみた。

1.若い頃に遊びすぎて、いい女も一杯いたが悪い女もそれ以上に一杯いて、女性へ対する謎が無くなった。言い換えると、恋愛がハレではなくケの状態になってしまった。
2、酒豪だったので40過ぎてからは酒を飲めば、女性の肉体に興味を失うようになった。これは肝臓病や糖尿病になったことも関係している。一時期直したがまた悪くなって治療中。
3.子供が生まれてから、過剰に父性愛が生まれ、さらに恋愛感情が消えていった。だから美人と恋の駆け引きをして遊ぶより子供と遊んでいるほうが楽しい。遊ばなくても仕草を見ているだけで心が洗われる。

ざっとこんなところだと思う。
そこで、ある人に相談したら、男性の中の女性ホルモンだったかな、テストステロンという物質が年とともに少なくなり、特に子供が生まれると激減し、このために男の更年期障害、鬱病その他の疾病が多発して、まさに恋愛感情がもてなくなる。こうなると、人間は生きがいを失って早く死ぬらしい。一種精力剤的な働きもあり、海外直輸入で買うと安いし、国内でも販売されている。

と、恋歌を詠うために、また健康回復のためにテストストロンを買おうかな、と考えているところです。