那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

思いつくままに

2012年10月10日 | 雑談
このところ私事で毎日忙しく、パソコンを連打して疲労が蓄積している。
それで、昨日はサボってしまった。タイトルだけ大げさにしたがw。
以下、思いつくまま。

心痛が激しすぎると人間は簡単に死んでしまう。自殺もあれば大病で死ぬ場合もある。
病は気から、は本当だ。しかし、気力の充実は、体の幹の部分(体幹)が丈夫でないとすぐに折れてしまう。1に体力、2に愛情、3に経済力、4に心の充実で、心云々というまえに条件が必要だ。拠正不ニとはいっても、私の知る範囲では心がけの清らかな人がバタバタ倒れている。

洗脳やマインドコントロールは、誰でも簡単にかかってしまう。前者は暴力やドラッグ、ハイテク装置をつかった非合法なもので両者は方法が違うが、面倒なので洗脳という言葉にまとめれば、毎日テレビや新聞を読んでいるだけで国民は洗脳されている。ネットですら、偏ったサイトばかり読んでいると洗脳される。ただ、選択肢が多いので、多少批判能力があれば質のいいものを選ぶことができる。
 私は平成21年から体調を壊して何回か死に掛け、徐々に意識が回復するにつれこの3年の間に様々な変化が起こっていることに気付いた。浦島太郎のようだ。何がどうなったのか分からないが一緒に活動していた愛国者の間に内紛が起こっているし、日本の経済の出口も見えない。現体制に不満を抱く若者が増えているとは言え、一向に形(立法化、政策)になって見えていない。改悪ばかりが続いている。

研究や批評は、数多くの対象を比較検討して、引越しのようにダンボールに小分けし、あらゆる角度から分析(知性と感受性を使って)するのが基本的前提だ。だから、こういう研究があるのかどうか知らないが「批評の批評」つまり「批評学」をやろうと思ったことがあった。
 洗脳を解くには、第一の前提が「その特殊な組織の外に出すこと」で、洗脳された相手が物事を冷静に見れるまで「決して否定してはならない」というのが第二の前提だ。そして気長く、暖かく見守りながら、自分の頭で批評できるまで待つ。

若い頃は、徹底的なアナキズムに憧れた。今は一言で言えば「道徳教育」が日本に最も欠けていると思う。道徳、というと何か古臭いイメージがあるが、本当はそうではない。例えば昔の人なら赤穂義士を尊敬してやまないだろう。が、赤穂義士は集団テロリズムで切腹(名誉の死に方だが)させられた。乱暴に言えば、人殺しの罪人である。そういう人を義士と呼んで称えた・・・そういう道徳教育もある。
 反芸術の中にも優れた芸術があるように、反道徳にもすぐれた道徳はある。

これ以上長くなると雑談でなくなるので、また。、