那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

次郎物語

2011年11月05日 | 書評、映像批評
『次郎物語』(清水宏、1955年、白黒)

 {あらすじ}

村一番の旧家で元士族の本田家には3人の男の子がいるが、次男の次郎は母親のおっぱいの出が悪いこともあって、分教場の小遣いをしている女性が乳母となって育てている。その女性には女の子がいるが、実の子供より大事に育てる。
 ある日、次郎は家に引き取られる。母は冷たい感じのする人で、祖母は封建制度の悪いところを全部引き継いだような身分主義者。次郎はこの家が気に入らず、乳母を慕う。ただ父親への尊敬の念はある。
 懇意にしている医者の娘に美しい女性が居る。次郎はこの女性にほのかな好意を寄せるが遠くに嫁に行ってしまう。
 父親が他人の保証人になったことから莫大な借金を背負い、大邸宅は売り払われて、町へ出て酒屋を営むことになる。これをきっかけに次郎は母の実家に引き取られる。
 母は思い病に罹り、実家に静養に来て次郎と暮らす。そしてそこで息を引き取る。
中学になった次郎は、酒屋の父親の元に引き取られる。父には後妻ができる。他の兄弟二人は後妻に対して「お母さん」と呼べるが、次郎だけは「おばさん」としか言えない。
 そこに乳母とその娘がやってくる。娘が学校も出たので、この家の奉公人になるのだ。子供たちがこの娘のことを「○○ちゃん」と呼ぶと、祖母が、奉公人は呼び捨てにしなさい、と注意する。次郎は、祖母に反感を持つ。
 修学旅行になる。1年生から3年生まで一緒に旅行に行くので、次郎は兄と一緒の旅行になる。学校の決まりで、お小遣いは一人5円と決まる。兄が、みんな隠れてそれ以上持って行っているんだ、とせがむと、祖母は、今は昔と違って贅沢はできない、兄は3円、次郎は1円で上等、と決め付ける。
 修学旅行先で、兄が上着のポケットに余計に2円入っていたことに気づく。次郎は兄にだけ祖母がやったのだろうと思っていたが、自分の上着を見ると自分にも2円余計に入っている。後妻が入れてくれたものだと知る。
 兄は祖母にお土産を買うが、次郎は後妻にお土産を買う。
修学旅行から帰った次郎は、後妻(義母)を探して「お母さん」と叫びながら家の中を探し回る。裏庭にいた義母は、大喜びで次郎を探し出し、初めて「お母さん」と呼んでくれたことに感謝して、次郎を抱きしめる。


{批評}

ご存知のとおり、児童文学の名作・下村湖人の「次郎物語」の映画化である。
たまたま私はこの小説を読んでいなかったので、小説と映画を比較することなしに、先入観を持たずにこの映画を見た。あまり評価の高くない映画だが、とんでもない、堂々とした佳作である。
 私は『しいのみ学園』を批評したとき、清水宏の真骨頂は、その「即興演出」からくる「ポリフォニックな構造」にあり、物語が単線的になると、凡庸な監督に落ちる、と書いたが、この意見は取り下げねばならない。
 この映画は、物語が単線的に進んでいくが、非常に良くできていて見ごたえがある。その理由を述べる。
第一には、主役が次郎という子供であることだろう。次郎役は小学生と中学生と二役になっているが、特に小学生役(一般公募で選ばれた)がいい。演技が素直で、きかん気の強い少年の性格が良く出ている。中学生役もそれなりに自然な演技をしている。物語が単線的であっても、少年の演技には計算外の「自然」が含まれていて、人為のいやらしさを壊す力がある。
 ここでテマティック批評あるいはモチーフ批評的な見地から一言言えば、清水宏は作品の中で「子供を走らせる」ことを好む。この映画でも、何度も次郎や他の子供たちは走る。3里も離れた病院に薬を取りにいく、といった場面もあり、途中で上着を脱いで上半身裸になって走り続けるシーンもある。実際、子供というものはパタパタとよく駆け出すものだ。走る、という演技は演出を超えた、肉体の自然の表出だ。特に子供の動きには、人間の本能を刺激して、愛らしさ、いとおしさを感じさせる力がある。清水監督はそのことをよく理解していて、わざと子供を走らせているのである。
 ついで、ロケーションと撮影の技術である。室内撮影も多いのだが、『しいのみ学園』の時と異なり、非常に大きな旧家を使っているために、広々とした空間性を感じることができる。
 清水監督はその空間性を出すために、ロングショットを多用している。例えば、二人の人物が対話をするときの切り返しのショットを例に挙げると、人物Aが喋っているときにはバストショットで撮影し、それに対して人物Bが答える場面では、逆アングルから10メートルも離れたロングショットを用いる、といった具合である。こうした工夫によって、屋敷の広々とした空間性が体感できて、芝居に「自然」の空気が舞い込む。
 それから、露出がシャープで非常にいい。『しいのみ学園』の場合は、アンダー気味で、しかも涙のシーンが多くて鬱陶しかったが、この作品では程よいシャープな露出になっていて、人物と周りの風景とがバランスよく映っている。
 それから、これまで書こうと思いながら書きそびれていたが、清水映画は音楽がいい。特別な使い方ではなく、悲しいときには悲しい曲想の音楽を、楽しいときには楽しい曲想の音楽を、といった実に素直な使い方だが、繊細に音楽を取り入れて、旨く観客の心をリードしている。
 以上が技術的に見たこの映画の素晴らしさである。
一方、物語を見直すと、この映画は、喪失の映画である。次郎は、実母の愛を拒否し、乳母を失い、医者の娘を失い、祖母への愛を拒否する。少年にとって母の愛は不可欠だが、次郎にはそれがない。愛を喪失した上に、旧家の厳格すぎる教育、世間体を気にする表面的な道徳の中で、心をかたくなに閉ざし、ますますきかん気の強い、強情な少年に育っていく。その閉ざされた心を開くのは、後妻になってきた義母である。
 愛の喪失と発見の物語である。その少年の寂しい情緒を、村の風景や広々とした旧家の佇まいが育む。

私はこれまで見た中で清水宏の最高傑作は『有りがたうさん』と『按摩と女』だ。特に『按摩と女』のポリフォニックな構造と、即興演出による雰囲気の取り入れは、これまでに見た日本映画のなかでは突出して優れていると思っている。しかし、『次郎物語』のような原作と脚本がしっかりした、単線的な物語映画を撮らせても、それなりに巧いということが分かった。私は、これまでの経験から、原作が名高い文芸映画というのは、大抵つまらないので、この映画もあまり期待せずに見始めたのだが、見るに従い、ぐんぐん惹きつけられ、巨匠清水宏の腕前に脱帽した。たいしたものである。
 なお、『次郎物語』は何人もの監督が映画化しており、中でも島耕二監督の作品が傑作として名高い。しかし、清水宏のこの作品も捨てたものではないことを、再度強調しておく。



歌女おぼえ書

2011年11月05日 | 書評、映像批評

『歌女おぼえ書』(清水宏、1941年、白黒)



{あらすじ}

時は明治30年代。男3人、女1人の旅役者が山道を歩いている。
ある田舎宿に泊まる。そこには大店の製茶問屋の主人が来ており、芸者の到着を待っている。
芸者の到着までの暇つぶしに、旅役者の女・お歌(水谷八重子)が踊りを披露する。
旅役者の男たちは女が足手まといとなり、この宿に売り去ろうとする。
それを聞いた茶問屋の主人が、同情と酔狂心から、自分の店に連れて帰る。
 大勢の手代や女中から、お歌は邪魔者扱いを受ける。女学校に通う娘も、お歌を嫌う。
突然主人が死亡する。東京の大学にいっていた長男(上原謙)が戻って、家計を調べてみると、借金だらけ。
長男は、全ての従業員に暇を出し、自分は大学を中退して店を一から再興させようとする。
お歌は、二人(小学生の弟と女学生の妹)は私が見るから、あなたは大学を卒業しなさい、と訴える。
長男は考えた末に、突如として、他人のあなたに兄弟を任せることはできないが、女房にだったら任せられる、俺の女房になってくれ、と言って、求婚する。お歌、うなづく。
 広い屋敷にお歌と二人の子供。弟は同級生たちに、お前の家にはお化け(お歌のこと)がいる、と苛められ、姉はお歌になつかない。茶問屋に金を融通していた男の家が弟と姉を引き取るが、やがて、やっぱり家がいいと、二人ともお歌の元に戻ってくる。お歌、長男の言葉を信じて二人を懸命に育てる。
 そこへ、アメリカのトーマス商会の支配人がやってきて、この店のお茶がアメリカで非常に評判が良かったので、今年も注文したい、今休業中なら商標だけでも貸してくれ、と言ってくる。
 お歌、自分を拾ってくれた故人となった主人と長男のために、このチャンスを生かそうと考える。そして商標を貸すだけでなく、製品もこの店で引き受けることにする。そして同業のお茶問屋の経営者たちに何度も頭を下げて、新茶を廻してもらう。
 これを機に、店に再び暖簾が下がり、元通りににぎわい始める。
長男が大学を卒業して店に帰ってくる当日、昔の旅役者の仲間が金をせびりにくる。お歌、何を思ったか、その男と一緒に姿をくらまし、元のたび役者の生活に戻る。
 長男はお歌を探し回る。
遂に、お歌の前に現れる。お歌はわざと嘘をついて「かたぎの暮らしは窮屈です。旅役者なら好きなときに起きて好きなときに寝れるし、タバコも吸える」と悪態をつく。長男はお歌を平手打ちして、「そんな女が自分の弟たちを育てて、店を復興できるわけがない。俺の女房になってくれ」という。
 そのとき、芝居が始まりお歌の出番となる。お歌は鏡の前に座り、嬉し涙を流す。
お歌は、長男の嫁としてお茶問屋に嫁入りする。


{批評}

この作品はあまり評価は高くないが、私は感動して泣いた。
確かに、新派の大物女優・水谷八重子の演技は、他の出演者と比べると「芝居臭く」、少し浮いて見える。
しかし、その欠点は次第に薄れて行き、気にならなくなる。
 この映画でも、清水監督の「実写精神」は生きている。大きな木の林立する中をお歌が歩く場面や、大きな商家の中を自在にカメラが移動して空間の広さを充分に味あわせる場面など、清水宏のロケーションのセンスを存分に生かした演出が冴えている。
 小学校の土手からお歌の歩行を俯瞰で撮るショットなど、土手の部分が画面の3分の2以上を占めており、大変大胆な構図になっている。このあたり、自然の中の「点景」として人物が描かれる「清水調」は健在だ。

この映画は明治時代の旅役者という存在の意味を知らないと本当の感動は味わえない。
川端康成の「伊豆の踊り子」に描いてある通り、旅芸人とはなみの下層階級だった。
だから、茶問屋にお歌が連れて来られた時、女中たちはお歌を嫌うし、娘の女学生も冷たく当たる。
 ところがその下層階級の女が、自分を拾ってくれた主人への「恩」と、自分に求婚してくれた長男への「愛」を
支えにして、一度潰れたお茶問屋を復興させるのである。
そして、そういう卑しい階級の女であることを承知で長男はお歌と結婚する。
 このように、当時の身分制度を理解してこの映画を見ると、実に大胆で奇抜とも言えるストーリーになっており、この映画は一種のシンデレラストーリーだと分かる。
 (余談だが伊藤大輔の傑作『王将』も、主人公の坂田三吉がエタ階級の出身であるという隠れた意味を知ってみないと本当の感動は味わえない)
 お歌が、潰れた店を再興させながら、長男の気持ちを知りながら、あえて失踪する理由は、この身分の違いを本人が知っているからである。そのけなげさ、哀れさが、この映画の主旋律となって漂うために、最後に二人が結ばれるときに感動があるわけだ。

但し、ラストシーンには物足りなさが残る。
長男の求愛が本物だと知ったお歌→芝居が始まり、お歌は長男を置いて小屋に戻り鏡の前に座り、涙ぐむ。
ここでお歌の涙をクローズアップにして音楽を流して映画を終えるべきだった。
 実際にはこの鏡の場面の次に字幕が映り、お歌がお茶問屋に嫁として迎えられることが説明されて終わる。
この、文字による説明、で終わるところがあまりに淡白で頂けなかった。
 清水宏は、「大芝居」を嫌い、ドラマに大げさなクライマックスを持ってくるのを嫌う傾向がある。だから、ラストシーンをわざと恬淡とした形で終わらせたのだろうが、観客の眼から見れば、やはりお歌の言葉にならない喜びをともに分かち合って、思い切り泣いて終わって欲しい。いわゆるカタルシスが最後にもう一つ爆発しない不満が残る。

このような、部分的な欠点が残るものの、全体としては良くできている、現代の映画では決して味わうことのできない感動の残る佳作である。
 蛇足かもしれないが、タイトルの「歌女」は「うたおんな」ではなく「うたじょ」と読む。



しいのみ学園

2011年11月05日 | 書評、映像批評
『しいのみ学園』(清水宏、1955年、白黒)


{あらすじ}

児童心理学を教えている大学教授(宇野重吉)の家庭。兄弟の子供が居るが、その兄のほうが高熱を発する。病院で調べてみると小児麻痺で、片足が不自由になる。
 小学生になって、野球をしたがるが、同級生たちは仲間に入れてくれない。それどころか、みんなでビッコの真似をしたり、泥棒の濡れ衣を着せたりしていじめる。兄は、大きくなったら、小児麻痺の子供を集めて学校を作ろう、と決意する。
 ある日、小学校低学年の弟も高熱を出して小児麻痺にかかる。兄より重く、両足が利かない。
悩む両親。ついに、あらゆる財産を処分して、自分たちで小児麻痺で足の悪い子供たちを集め学校を作ることを決意する。名前は「しいのみ学園」となる。
 生徒たちが集まってくる。教授の教え子の一人(香川京子)が学園の教師になる。
そこへ岡山の鉄工所を営んでいる男とその後妻が小児麻痺の子供(テツオ)をつれてやってくる。
後妻が小児麻痺の子どもと暮らすのを、世間体が悪い、と嫌がるので、引き取って欲しいと男は言う。教授は、そんな子供を捨てるような動機では引き受けられないと一度は拒絶するが、そんな後妻に育てられる子供が可哀想になり、結局面倒を見ることになる。
 ある日、みんなで両親に手紙を書くことになる。テツオは「歌が歌えるようになったから、おとうさん会いに来てください」と手紙を書く。他の子供にはすぐに返事が来るが、テツオにはなかなか返事が来ない。返事を待っている間に、テツオは高熱を出して倒れる。医者に見せると、テツオは先天性の心臓疾患がある上に、急性肺炎になっていることがわかる。教授は父親にすぐに来るよう電報を打つ。テツオはうなされながら、父親の手紙が読みたい、という。女教師は、父親の名前で手紙の返事を書き、郵便局に出す。そしてその手紙をテツオの枕元で読み上げる。テツオはその嘘の手紙を聞きながら息絶える。
 教室の生徒たち、テツオの眠るお寺をあて先にして、全員で手紙を書く。書けた生徒から順番に手紙を読んでいく。女教師はそれを聞きながら涙が止まらない。
 生徒と教師、しいのみ学園の歌を歌いながら、その手紙を郵便局に出しにいく。


{批評}

『蜂の巣の子供たち』で戦災孤児を取り上げた清水宏はここでは、当時差別を受けていた小児麻痺にかかった子供たちを題材にしている。現在ではテレビのニュースやドキュメンタリーがこの種の話題を取り上げることがしばしばあるが、当時はこのような題材を取り上げることは画期的だった。
 そういう意味でこの作品は高い価値を持っているし、また割合評価も高い。
しかし、私はこの作品については、美学的な立場から高い点数はつけられない。
 まず、前半はほとんど室内撮影で、苦悩する大学教授一家を描く。露出もアンダー気味で重苦しい。
後半になり、しいのみ学園が出来た後、ピクニックのシーンや校庭で子供たちが遊ぶ場面に少し実写の明るさが見られるが、それでもいつもの清水監督の自然を背景としたオールロケーションの味わいからは程遠い。結局室内劇が中心を占めるのである。しかも悩んだり、泣いたりする場面が多く、新派悲劇的な古臭ささえ感じる。
 次いで、清水映画の特徴である、独立した各シーンが一つの宇宙を持っていること、つまりポリフォニックな構造がこの映画では見られない。物語が単線的に展開するのだ。前半は教授夫婦とその子供が主人公になり、後半は女教師とテツオが主人公になる。清水宏のポリフォニックな物語構造は、シーンごとに「即興で」味付けを施していったことで生まれたようである。しかし、この映画は原作に基づいてきちんと作られすぎているため、逆にそれが欠点となって、清水映画の個性を失っているのである。
 第三に、『蜂の巣の子供たち』では本物の戦災孤児を使っていたが、ここでは本物の小児麻痺の子供を使わずに、子供たちに芝居でビッコの役をやらせている。この点が、どうも気になる。倫理的にも、大勢の子供にビッコのまねをさせるのはどうかと思うし、演技の上でも、ちょっと無理があるように見える。ここは本物の小児麻痺の子供を使うべきだったと思う。
 最後に、あまりにこの映画は涙の場面、苦労の場面が多すぎることである。身障者の世界にも、笑いもあれば、喧嘩もあるだろう。しかし、この映画では彼らの哀れさばかり強調されていて、どうしても新派悲劇調になってしまう。このあたり、清水宏の素朴なヒューマニズムが裏目に出ている。もっと透徹した眼で身障者のリアリティを描くべきだろう。
 以上の理由から、私はこの映画を評価できない。ただ、彼の着眼点が、時代の先端を行っていた、それだけは価値がある。清水は「自然」と「長閑さ」を描くと天下一品だが、このような単線的な物語を描くと凡庸に落ちてしまう。
 ヒューマニズムと美学という2点に問題を絞って考えると、清水は前者に留意したために彼独自の美学を退けてしまっている。表現者は、両者を両立させねばならない。いや、悪魔のように冷徹な眼で、美学を優先すればこそ、ヒューマニズムの訴求力が生まれるのである。『蜂の巣の子供たち』で清水は美学を優先することが出来たが、この作品ではそれが出来なかった。原作に忠実でありすぎたこと、小児麻痺の子供たちに「憐れみを抱きすぎたこと」が、このような欠点を生み出した理由だろう。残念だ。



蜂の巣の子供たち

2011年11月05日 | 書評、映像批評
『蜂の巣の子供たち』(清水宏、1948年、白黒)


{あらすじ}

戦後まもない下関駅。復員兵の青年が駅に降り立つと、何人かの戦災孤児がやってくる。食べ物をやると、片足の男(孤児たちの親分)に取り上げられる。
 また、故郷が戦災に会い、帰るところのなくなった女性もここで思案にふけっている。
復員兵と、片足の男と、孤児たちは、トラックに載せてもらって旅をする。
 途中で子供たちは片足の男から逃げて、復員兵と一緒に行動し始める。彼らは塩田に行って働く。
働いて食べる食事は美味しいと、と復員兵は子供たちに教える。
 一番小さい子供のヨシ坊は、たまたまめぐり合った、帰るところのなくなった女性と一緒に、彼女の親戚のある島に渡る。
 いつまでも、親戚の家にいるわけにもいかず、女性とヨシ坊は島を去り、たまたま復員兵たちと出会う。復員兵はヨシ坊を引き取り、一緒に四国に渡って、森林伐採の仕事に就く。
 ヨシ坊は大病に罹る。彼はサイパンから離れるときに、母親を海で亡くした経験がある。それで、海を見たら病気が治るので、山の頂上まで負ぶってくれ、と仲間の孤児に頼む。孤児はヨシ坊のための牛乳を一杯をもらうことを交換条件に、その仕事を引き受ける。
 傾斜の急な山を孤児は必死にヨシ坊を背負って登る。とうとう海の見える頂上につくが、そのときヨシ坊は死んでしまっていた。子供たちと復員兵はヨシ坊を海の見える山の頂上に埋めて、四国を去る。
 神戸に渡ると、孤児たちを仕切っていた片足の男が、故郷を失った例の女性に売春婦の仕事をさせようとしていた。復員兵は片足の男を殴りつける。
 復員兵は自分の育った感化院に、孤児たち、片足の男、女性を連れて行く。感化院の教師と子供たちは、彼らを大歓迎して迎える。


{批評}

ストーリーの主な部分は上記した通りだが、清水監督の真骨頂は、全編オールロケーションで、室内場面がほとんどない風景の中、子供たちが実に自然な演技を繰り広げることだ。
 この映画も戦後間もない都会の焼け跡や、塩田、森林などを「実写精神」で、堂々と明るく描いている。
ストーリーを追いかける、のではなく、その場その場のシーンのリアルな空気を吸う楽しさ、これが清水映画の本当の味わい方だろう。
 戦後、世界の映画界に強烈な影響を与えたものに「ネオリアリズム」がある。この作風は高名な映画批評家のアンドレ・バザンにより、「中心のない構図」あるいは「映画よりも現実を信じる」というキャッチフレーズで有名になった。しかし、私はネオリアリズムの作品を見るたびに、キャッチフレーズの割には、構図は綺麗で人物中心だし、物語主義で、ハリウッド映画と大差ないのが不満だった。
 むしろ清水宏のこの映画こそネオリアリズムの精神にふさわしいと思う。自然の中の点景として人物が置かれ、子供たちや登場人物は、ほとんど「棒読み」のような台詞回しだが、それがまさにリアリズムを生み出している。
 特に見せ場は、孤児の一人が、ヨシ坊を背負って山の頂上に上る場面。ほとんど省略せずに、延々とよじ登る。その様子を、隣の山にカメラを置いて望遠で撮影する。力技の、胸に迫る演出である。また、ヨシ坊が死んだのを復員兵に知らせるために孤児が山を駆け下りるシーンは、ワンショットで捉える。このカメラワークのこだわりによって、山の空間性が体感できる。
 この映画は、イタリアのネオリアリズムが生まれる前に作られたが、ネオリアリズムの美点の全てを備え、さらにそれを超えていると私は断言する。

 ちなみに、文献を読むと、この映画に出てくる8人の孤児たちは「本当の孤児」で、さらに、清水宏は彼らを自分の家で育てていたのである。そういえば、この映画の冒頭に「この子たちに見覚えはありませんか」というタイトルが現れる。だから、この映画は、戦災孤児の里親や親戚を探すための映画でもあるわけだ。
 こうなると、もうこの作品はフィクションとは言いがたい。ネオリアリズムを超えている、というのは演出や撮影だけのことでなく、その背景にある事実性においても言えるわけである。
 この逸話、清水監督の人間性を良く表している・・・・・・・・・といっても、彼が素晴らしい人間であった、というわけでもない。文献を読むと、彼は自信過剰で小心で、ホラ吹きで、あまり評判のいい人物ではなかったようだ。一例を挙げれば、小津安二郎が癌で「イタイイタイ」と苦しみながら死に、清水宏がポックリ往生を遂げたのを知った映画関係者の一人は「これだから神も仏もない」と嘆いたそうだ。それぐらい、あくの強い、一筋縄ではいかない人物であったようである。そのような人徳の欠如が、彼の作品がそのレベルの高さの割りに、これまで評価が低かった原因の一部でもあることは確かである。
 いずれにせよ清水宏の映画は冴えている。こんなすごい監督が、世界的に知られていないというのは、日本文化にとってもったいない。是非、海外で回顧上映し、日本映画の底の厚さを知らしめたいものだ。


2011年11月05日 | 書評、映像批評
『簪(かんざし)』(清水宏、1941年、白黒)

{あらすじ}

日蓮宗の蓮華講の集団が山奥の温泉宿に泊まる。
そこには、学者(斉藤達雄)、傷痍軍人らしい青年(笠智衆)、新婚夫婦、孫二人を連れた老人、の4組が長逗留している。
 学者は議論好きでいつも不満を漏らし、トラブルメーカーだが人のいいところもある。
蓮華講の団体が帰った後、青年が風呂に入ると、簪を踏みつけて足を怪我する。
 学者が宿の主人に激しく抗議する。しかし青年は、この怪我は「情緒的なものを感じる」という。
学者先生は、だったら、その簪の持ち主は美人である必要がある、と解説する。
 すぐに、蓮華講の一人の女性から、簪をなくしたので探してくれ、という手紙が宿に届く。
宿の主人が、その簪で客が怪我をしたことを伝えると、女性(田中絹代)は、詫びにやってくる。
 簪の持ち主が美人だったことで、学者以下、長逗留の人々は青年のために喜ぶ。
女は、長逗留の人々の歓迎を受けて、自分もその宿に長逗留する。青年は子供たちと一緒に、歩行練習をしている。女も青年を励ます。
 この女、東京で愛人をしている身の上らしい。しかし、これらの人々に囲まれた温泉でのひと時に心が洗われ、愛人生活をやめる決心をする。
 長逗留の客は、一組ずつ東京に戻っていく。青年も東京に戻り、葉書をくれる。温泉で同宿した人々と東京でも常会をする、足も良くなり、松葉杖からステッキに代わった、という内容である。
 誰も居なくなった山奥の温泉町を女は一人で散策する。


{批評}

この映画は、原作は井伏鱒二の「四つの湯槽」からとられている。
しかし、清水監督が1938年に撮った『按摩と女』に設定があまりにも似ているので、井伏の原作は一部を拝借しただけであろう。設定の類似とは、山奥の温泉が舞台で、東京で愛人をしている女性が主人公で、なおかつ愛人生活を放棄する話になっているところ、按摩や子供の様子が生き生きと描かれていること、などであり、雰囲気は二つの作品はそっくりである。
 清水監督のお得意のオールロケーション、メインストーリーだけでなく各シーンが独立した世界をつくり、表現世界にリアリティと雰囲気があること、熱演をさせず自然な演技を求める点など、この映画でもあちこちに見ることが出来る。
 ただ、作品の出来としては『按摩と女』のほうが上だ。撮影も、この作品では露出オーバー気味になっていて、白が飛ぶ。夏のムードは出ているが、かなり気になる。

清水監督が二つの作品で、東京で愛人をしている女が山奥の温泉町にきて、愛人生活をやめる決心する、という同じ類型の人物を描いたことについて考えてみたい。
 この時代は、女性が働くことを「職業婦人」と呼んで、一種差別されていた。上流、中流の家庭の女性は働かずに、家に居るのが常識だった。このように、女性の就労に社会が扉を開いていない時代、お金持ちの愛人になる、というのは、現在と比べればかなり多く見られる現象だった。
 私の母の姉妹たちは大正から昭和初期の生まれだが、彼女たちの年代の考えでは「甲斐性のない男の妻になるよりは、甲斐性のある男の妾になったほうがいい」という。最近もそんな話をしているのを聞いて、驚いたことがある。
 戦前生まれの事業家、政治家などは「妾の一人や二人いるのは男の甲斐性」と言ったものだ。
こういう時代だから、妾=愛人になって生きた女性は数多かっただろうと思われる。しかし、清水監督の考えでは、そういう生き方は「悲しいもの」として写ったのだろう。贅沢は出来なくとも、遊んで暮らせなくても、愛人業をやめて自活するのをよしとする「道徳観」が彼にはあったからこそ、このような連作を作ったのだろう。
 私の家は、私が生まれたころ遊郭を営んでいたために、芸者衆が周りに一杯居た。そういうこともあり、私が小学校のころ、元芸者で愛人を営んでいる女性の家に母と遊びに行ったことがある。その女性は、飛びぬけた美人で、こざっぱりした家に住んでおり、白い猫を飼っていた。子供心に私は、愛人というのはいいものだな、と感じた記憶がある。
 働かず、人より贅沢な暮らしをする。その代わり、日陰の身分で、死んでも同じ墓には入れない。遊びと性の対象ではあっても、そこに家庭の温かな愛情は存在しない。そういう妾・愛人という存在に対して、清水監督は「憐れ」の感情を抱いたのであろう。この当たり、私と感覚は違うが、彼の人間に対する強い愛情を感じる。

余談だが、ヒロインの田中絹代と清水宏は結婚した後、離婚している。
 また、『簪』のように、一つの宿を舞台にさまざまな人間模様を交錯させる設定を「グランド・ホテル形式」という。映画『グランドホテル』から命名されたものである。



按摩と女

2011年11月05日 | 書評、映像批評
『按摩と女』(清水宏、1938年、白黒)


{あらすじ}

トクさんとフクさんという二人の按摩が山奥の温泉町に向かって山道を歩いている。この二人、盲人ながら足には自信があり、毎年この険しい道で「目明き」を何人抜いていくかを楽しみにしている。
 その二人を追いこす馬車の中に、謎の女(高峰三枝子)と、子供をつれた男(佐分利信)がいる。
按摩たちは、按摩専用の宿に泊まって、温泉宿に仕事に出て行く。
 トクが謎の女の元に呼ばれて按摩をする。このトクは盲目ながら勘がよく、さっき馬車で追い越した女だと察知する。その宿で、入浴中の客の金が盗まれる事件が起こる。
 トクは、温泉宿のキクという仲居に惚れているが、この謎の女にも心を奪われる。
子供をつれた男と謎の女、いつしか仲良くなる。子供は甥にあたるテテナシゴで、男は独身ながら世話をしていることが分かる。男も、子供もこの謎の女に惹きつけられ、逗留を伸ばす。
 謎の女がいく先々で盗難が起こる。トクは犯人がこの女だと直感する。
とうとう警察がこの温泉町を包囲して、逗留客を片っ端から調べることになる。トクは謎の女のところへ走っていき、宿から連れ出して逃げさせる。
 トクは、目明きには見えなくても、メクラには分かる、あなたが犯人でしょう、という。女は、それはトクの勘違いだと述べる。この謎の女は、東京である男の愛人をしていて、妻子に迷惑をかけるのが嫌で、こんな山奥まで来ているのだと告げる。
 翌日、女は馬車に乗って別の温泉に向かって旅立つ。トクは眼は見えないが女が去っていくことを悟り、馬車の後を追いかけようとする。


{批評}

この映画は傑作である。
上記のように「あらすじ」を綴ったが、この映画は非常に込み入った作りになっていて、あらすじを追っていくような見方になっていない。
 なんといえばいいのだろう、ポリフォニック、というと分かりやすいかもしれない。メインストーリーと別に、各々のシーンが「独立多声旋律」的に、味わい深いエピソードや雰囲気に包まれている。例えばこの映画に、100のシーンがあるとすれば、そのシーン一つ一つが、俳句なり短歌なりに詠めるような、小宇宙を作っているのだ。
 例えば、子供が退屈で、トクさんと水泳をするシーン。トクは盲目だが、飛び込みも水泳も出来ると言う。トクがパンツ一枚になったところに、謎の女が現れる。トクはあわてて着物を着るが、裏返しになっている。女がそれを指摘して着なおすのを手伝ってやる・・・・・・・といったシーン。
 あるいは子供が橋を渡ろうとすると、4人の按摩に片っ端からぶつかってしまう、といったシーン。あるいは、雨の中、川にかけられた木の橋を傘を差した女が渡っていくシーンでは、二度のフェイドアウトでジャンプカットになる情緒たっぷりのシーン・・・・・・等々、メインストーリーと関係ないシーンが独立した小宇宙を作っていて、山奥の温泉町のリアリティと雰囲気をかもし出している。
 また主人公というものがいない。謎の女にも、按摩のトクにも、佐分利信にも、その甥にも、平等に焦点が当てられている。さらに言えば、ハイキングにやってきた学生たちや旅館の番頭や仲居たちにも、観客の脳裏に強い印象を残す。
 だから、この映画は、どんな映画だった?と聞かれても、答えにくいが、とにかく「いい映画だった」と答えるしかないような、そんな作りになっているのである。
 脚本も清水宏。清水宏という監督は確かに一種天才的な才能をもっている。撮影と編集も自由自在。溝口健二のような長廻しがあるかと思えば、短いクロースアップもある。シャローフォーカス気味で、温泉町の長閑なうらぶれた感じが良く出ている。

なお、些細なことだが、この時代には言論の制約が今ほど厳しくなかったので、現在の禁止用語=メクラという言葉が頻繁に出てくる。按摩が自分のことを称して「メクラ」というのだ。道路で前を行く人にぶつかって文句を言われると「メクラが人にぶつかるのは当たり前でしょ」と言い返したりする。それが自然で実にいい。
 メクラを盲人と言い換えようが、カタワを身障者と言い換えようが、意味内容は同じである。それを、使ってならぬとマスコミが自重することに、偽善を感じずにはいられない。
 禅の世界でも、悟りというのは「オシが夢を見たようなもの」で、とても表現できない、などという。
差別用語も、立派な歴史を残す日本語である。メクラ、オシ、ツンボ、ビッコ、チンバ、エタ、ヒニン、チョン、ロスケ・・・・・・・これらの言葉を抹殺しても、指示対象は消えるわけではない。むしろこういう言葉をいかに味わい深く使うかが文学者の腕の見せ所なのだ。

話が逸れたが、この映画は実にいい。現在の巨匠ではとても作れない。私はこの映画を見ながら、こんな温泉町に行って、按摩に肩でも揉んでもらいながら、高峰三枝子のような世捨て人の愛人崩れと酒でも飲みたいものだ、あの川で子供と魚釣りでもしたいものだ、とすっかり映画に描かれた世界の虜になってしまった。
まさに描かれた虚構の世界に「匂い」があった。
 清水宏という監督、『有りがたうさん』にせよ『小原庄助さん』にしろ大したものだ。今後も注目していきたい。




非常線の女 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

ある会社の真面目そうな事務員(田中絹代)は、社長の息子に好かれているが、実はこの女はチンピラの情婦である。彼女の男の元ボクサー譲二(岡譲二)は、数人の子分を連れており、けんかに強い。
 ボクシングジムに通う大学生は、譲二に憧れてチンピラの仲間入りをする。それ以来、賭けビリヤード場に入り浸っている。素行の悪さに気づいた姉は、譲二のもとに現れて、弟を元に戻すように言ってくれ、と哀願する。譲二は、学生を姉のもとに帰す。
 このことをきっかけに譲二は姉を好きになる。情婦は、二人を分かれさせるために姉のもとにピストルを持っていき脅そうとするが、姉の純情さに打たれて帰る。そして、譲二に、カタギの生活に戻ろうとせがむ。
 学生、姉の会社のレジから金を盗んで逃げている。そして譲二にその欠損を埋めるために200円貸してくれ、という。
 譲二は学生を追い返すが、カタギになるまえに一仕事して金を稼ぎ、学生を助けてやろうと考える。
譲二は情婦の勤める会社に乗り込み、情婦と二人でピストルを社長の息子に突きつけ、200円を奪って逃げる。そして学生と姉の住むアパートに金を届ける。
 二人が逃げようとすると警察が囲んでいる。二人は二回の屋根から飛び降りて夜の町に逃れる。が、情婦は、いっそ捕まって刑に服してから生きなおそう、という。譲二は女を置いて去ろうとするが、情婦は彼の足をピストルで撃ち、二人とも警官に捕まる。


{批評}

舞台が日本であることを除けば、全くハリウッドのギャング映画であり、小津安二郎のアメリカ映画好みが全面に出た作品である。
 技術的には何回かの移動撮影があるものの、スタイリッシュでカット割りが細かい。フィルム・ノアール風に光と影の演出も目立つ。
 脚本の構成から言えば、サイレント時代なので仕方ないといえば仕方ないが、物語が単線的で、サブストーリーがなく、あっけないほど単純な物語である。もっとも、一般に小津安二郎映画は、単純な物語を特徴とするが・・・・・
 キャラクター論から言えば、この主人公である譲二と情婦は「グッド・バッド・マン」の典型だ。小津安二郎は『朗らかに歩め』でもこのグッド・バッド・マンを描いている。善良なところのある悪党、という意味である。
 余談になるが、グッド・バッド・マンは意外なほど多く映画の主人公になっている。座頭市、眠狂四郎、木枯らし紋二郎、それから喜劇になると、ハナ肇の馬鹿シリーズやフーテンの寅さんもそうだ。
 子分になった学生の姉の古典的な日本人像=道徳的で弟のために身を犠牲にして愛を注ぐ女、にあこがれるチンピラの情婦。そして同じように姉の健気さに心を奪われチンピラのヘッドから足を洗おうとするギャング。その心の動き方が、いかにも新派悲劇的である。戦前、洋画のヒットから日本語でもしばしば使われた「アパッシュ(チンピラ)」のかっこよさを、小津安二郎は出そうとしたのかもしれないが、そのかっこよさはこの作品には出ていない。
 この映画は、いかにもアメリカ映画のスタイルを踏んでいるがその心理的要素は和製の新派悲劇であり、この点で木に竹を接いだような違和感が残る。
 また、この映画は後半はスリルとサスペンスの物語(強盗と追いかけ)になるのだが、テンポがのろく、作品としては失敗している。
 小津安二郎というのは不思議な監督である。前年の『生まれてはみたけれど』のような小市民映画を撮り、この時点では天下一品の技量を見せているのに、まだこのようにアメリカ映画のコピー作品を作っている。この辺りの感覚が分からない。若気の至り、というものだろうか。
 この作品は、あくまでも研究者向きの素材であり、映画そのものを楽しもうという人には、退屈だから見ないほうがいいですよ、としかアドバイスできない。つまらない映画である。

母を恋はずや 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評



{あらすじ}

ある上流家庭。両親と小学生の兄弟が何不自由なく暮らしている。が、父親が突然他界する。
 その後も母一人と、兄弟二人、つつましくも仲良く暮らしている。しかし、兄が大学受験のときに戸籍を見て、自分が本当の子供でなかったことを知る(愛人の子供か?)。
 兄の大学合格にあわせて、山の手の豪邸から郊外の民家に引越しをする。母は、兄弟差別なく育てているつもりだったが、兄から見れば、自分をえこひいきして、弟に厳しいように見え、どうして同じように扱わないのか不満がつのる。兄は、弟に厳しく自分に甘い母親の態度に反抗し、母親に辛く当たって泣かせる。それを見た弟が兄をなぐる。しかし兄は殴り返しもせず、家を出て遊郭に寝泊りする。母親は、兄が自分の子供でないから、家を離れようと考えているのだ、と善意に解釈する。居続ける遊郭に母が迎えに来るが、きつい言葉を投げかけて帰らす。その様子を見ていた遊郭の掃除婦(飯田蝶子)、それとなく諭す。
 兄、非を悔いて、母と弟の元に戻り、一家はさらに郊外の家に転居して、仲良く暮らす。

{批評}

この作品は出だしの1巻と終わりの9巻が欠落している。
映画にとっては、致命的な欠落だが、残った7巻を見ることでそのスタイルの構造を見ることは出来る。
 率直に言って、この作品は小津安二郎の映画としては失敗作だろう。ロケーションが変化に乏しく、家の中での仕草と会話が延々と続き、見ていていらいらする。この作品は、母が継母と知った息子の心理的葛藤を描いた心理劇である。その心理の動きを、限定された場所での会話(字幕)で描くので、実に進行が遅い。
 ただ、小津の好み・・・・・・・大学は相変わらずここでも早稲田の大隈講堂の時計台を写し、遊郭の壁には洋画のポスターが貼られている。こういう決まりごと=儀式性は、小津に独特のものである。
 風俗の面から面白いのは、兄が居続ける遊郭の様子である。これは横浜本牧にある外人専用の遊郭(通称・ちゃぶ屋)を使っていて、非常にモダンな作りになっている。一階はバーで、二階は個室になっており、洋風建築。女たちは和服を着ているが、食べ物はサンドイッチ、と本牧らしいモダンな遊郭である。
 没落した家庭の大学生が何日も居続けられるのだから、昔の遊興費・女を買う値段は、相当に安かったのだということが分かる。戦前は土地の値段、家賃、食べ物の値段、売春の値段などが統制されていたので、今の世の中よりも随分暮らしやすかったようである。(うらやましい。私も遊郭に居続けてみたいものだ)
 この作品は、最初は会社経営者らしいブルジョア家庭を描き、徐々に庶民の生活に没落する一家を描いている。小津は巨匠になってからは、上流家庭や高給取りのサラリーマンを描くことが多かったが、戦前は、ルンペン・プロレタリアート(喜八もの)から、ブルジョアまで、幅広い世界を描いている。
 なお、この作品は、小津自身が、「脚本の練りが足りなかった」と述べていること、またこの撮影中に、偶然小津本人の父親も他界したことなどのエピソードがある。



浮草物語 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

旅芸人の一行、ある田舎町に到着する。
座長の喜八(坂本武)は、ご贔屓まわりに出かける、といって、おかやん(飯田蝶子)の家に上がり酒を飲む。
実は、おかやんと喜八の間には息子がおり、世間体をはばかって、息子には、父親は公務員で死亡した、と嘘をついている。高校生ぐらいに育った息子をみて喜八は目の中に入れても痛くないほど可愛がり、学問して立派な人間に出世しろと励ます。。
 一座の中のある女優は喜八の情婦となっている。毎日喜八が外出するのを不審に思った情婦は、劇団員から事情を聞きだし、おかやんの経営する飲み屋に行って酒を注文し、あてつける。喜八、怒って女を追い返す。大雨の中「お前と俺の息子は人種が違うんだ。近づくな」と怒鳴る。
 女、復讐のために同僚の女優に金をやり、喜八の息子を誘惑するように頼む。
息子は策略にはまり、その女優と夜毎逢引を重ねる。
 何日も雨に降りこまれた劇団は、解散することになる。道具を売って得た金を団員に配り、それぞれかたぎに戻る。
 おかやんの家にいった喜八。劇団解散の話をすると、おかやんは、親子3人で暮らそうと提案する。喜八、うなづく。うれしそうなおかやん。
 そこに息子を連れ出して夜遅く帰ってきた女優が現れる。喜八は彼女の顔を何度もビンタする。そして息子にもビンタを食らわせる。反発した息子は喜八を突き倒す。おかやんは、そのとき、実の父親が喜八であることを打ち明ける。そして、これまでずっと月々の学費を仕送りしてくれたことや、旅役者ゆえ父親であることを黙っていたことを告げる。
 息子、二階に駆け上がり一人になる。喜八は、普段世話もせずにいきなり父親だといっても受け入れるわけはない、はやり俺は旅に出るよ、一旗上げて出世して帰ってくる、と言う。そして息子を誘惑した女優はこの店に置いて面倒を見てくれ、とおかやんに言い残して夜の町に出て行く。
 駅に着くと、喜八の情婦が電車を待っている。二人仲直りして、一旗上げるために列車に乗り込む。


{批評}

戦後つくられた傑作『浮草』のオリジナル。小津安二郎がこの物語を気に入っていたことがよく分かる。
実はこの映画はハリウッドの『煩悩』という作品を換骨奪胎したもの。しかし、小津は見事に日本の風土にこの物語を移し変え、うらぶれた旅役者と隠し子の愛を描ききっている。
 技術的には、この作品ですでにローアングルが使われている。また人物の配置の「並列構図」、それから喜八と息子がハヤ釣りをするときの機械的な「類似動作」など、戦後の小津映画の特質が現れている。また、シークエンスの転換に、フェイドやディゾルヴを使わず、またエスタブリッシングショットも使わず、身辺にある小道具や風景の空ショットを使っている、という点でも、この作品は完全に小津安二郎調が現れている。

 「東京の合唱」を批評したとき私は戦前の小津には天才性はなく、職人監督、熟練工だといった。それが何かのきっかけで聖なる大監督になったはずだ、と書いた。まさにそのきっかけがこの『浮草物語』だったのではないか、と思うようになった。。
撮影、編集が完璧にスタイリッシュであること。そして、親子の愛、あるいは喜八とおかやんの「しのぶ愛」に主題が絞られている点、後期の小津安二郎映画の原点がここにある。
 たしかに『生まれてはみたけれど』も大傑作だが、この『浮草物語』で喜八と息子の愛のきづなを描ききったことで、小津安二郎は自分の進むべき道を見つけたのではないか。旅役者という卑しい身分の男が、息子に旅先から送金して、息子だけは学問をして出世して欲しいと願い、息子の前に出ては父親であることを隠して、一人のオジサンとして可愛がる、その健気な愛情が、観客の胸を強く打つ。同時に、そういう男を愛し、同居できなくても愛を信じるおかやんの愛の深さ。さらに、そういう事情を知りながら、腐れ縁でいつまでも男女の仲を続けている女優。さらにまた喜八の息子の童貞を奪う(と暗示される)若い女優が、最初は遊びだったのに、本気で惚れていく様子。
 この映画にはそれぞれこのように4つの愛が絡み合う。それがドロドロせずに、田舎町に来た旅役者というハレの空気の中で展開する。
 私が見た限り、小津安二郎が戦前に作った作品の中では『浮草物語』は、複雑な愛の交錯をさらっと描ききったという点で、またそのスタイルの完璧である点で、突出している。
 なお、この作品は「喜八もの」といわれる一連の作品群の一つであり、坂本武が社会の底辺に生きる人間を演じ、飯田蝶子が彼のコンビとして登場する。
 小津安二郎の映画のスタイル研究の上では『東京の女』とともに必見の映画である。


東京の合唱 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}
大学の体育の授業のシーンからこの映画は始まる。教授が学生たちを厳しく鍛えているが、喜劇的な授業風景。
 時は流れ、その中の一人の男(主人公)、卒業して保険会社に勤めている。
結婚もして、小学生ぐらいの男女と、生まれたばかりの赤ん坊がいる。
小学生の男の子は自転車が欲しくてたまらない。父親のボーナスが出る日に、自転車を買ってもらうと約束する。
 ボーナスが出る。が、男の先輩サラリーマンで、もうすぐ功労社員として年金が出る予定の老人がクビになる。理由を聞くと、彼が勧誘した相手が、保険に入ってすぐに死んでしまい、会社に損失を出したからだ、という。
 その話を聞いた主人公、社長に直談判をするが、逆に怒りを買って彼もクビになる。
クビになった主人公、自転車を買えずに家に帰る。息子は泣いて抗議する。かわいそうになり、結局自転車を買ってやる。
 職探しをしているときに、娘が疫痢になる。入院させるが、治療費が払えず、妻の着物を売り払う。
職安をでたところで、大学の体育教師とばったり出会う。元教師は現在,洋食屋を開いたばかり。店を手伝ってくれれば、文部省に知り合いがあるから、就職を頼んであげようといわれ、話がまとまる。
 元教員は、男に店の名前を書いた大きなノボリを持たせ、自分はチラシを配って歩く。
たまたまそのそばを電車で通りがかった男の妻と子供たち、その姿を目撃する。
 男が家に帰ると妻がそっけない。そして口を開いて「いくら職がないといっても、世間に肩身の狭くなるような仕事はやめてくれ」と文句を言う。男は、雇い主は大学時代の教員だったと事情を話す。
 店が開店して5日目。洋食屋には、昔の教え子たちが集まっている。主人公の妻も子供を連れて手伝いに来ている。久々に出会った同級生たちはビールとカレーライスを口にして大いに盛り上がる。
 そこに元教師宛に手紙が来る。封を開いてみると文部省から就職の斡旋。主人公の男に女学校の英語教師の仕事が見つかる。男と妻、大いに喜ぶが、よく見ると場所は栃木県だった。男は顔を曇らせながら、妻に、いつか東京へ帰れるよ、という。
 同級生と元教師、立ち上がって大学の寮歌を合唱する。複雑な表情で歌う主人公。主人公の顔色を気にする元教師・・・・・主人公は明るい顔に戻って歌を歌う。


{批評}


まず技術的なことから。小津安二郎の編集はハリウッド流で非常にカット割りが細かい。アクションカットが多く、クローズアップも多い。但しクローズアップは顔にはなく、小道具に多い。
全体として全く「透明な編集である」。このアメリカナイズされた編集の中からあえて小津安二郎の特質を上げるならば、物語と関係のない風景(この映画の場合は煙突)に飛ぶ視点ショット、とやや混乱気味になる視点ショット(ミスマッチ)ぐらいだろう。この作品では視点ショットでない純粋な空ショットは(エスタブリッシングショットをのぞいて)ない。後期には消える移動撮影が何度か使われる。
 物語としては典型的な「小市民映画」である。小津安二郎の映画には自営業者が出ることが非常に少なく、私の記憶では東京以外の「地方」の生活を描いたことはない。(私の大好きな『浮草』を別にして)
 まるで小津にとっては、「東京でサラリーマン」をして暮らすのが最高の幸福であるかのようである。
このあたり、小さくとも起業家として生きるのを男の生き方だと思う私には全く分からないが、小津映画の特質がよくでている。「東京」「サラリーマン」そしてもう一つ「家族」・・・・・・・小津の映画からこの3つを取り去ったら何も残らない、といっていいほど小津はこの世界に執着を持っている。
 最近この映画批評で紹介している清水宏を比較した場合、清水の編集、撮影の自由自在さと比べると、小津安二郎のそれは様式的、あるいは強迫的といえるほど、カット割が細かく、また、清水の野外ロケーションによる「自然」の強調に対して、小津の世界は「こしらえ物によるリアリティ」である。そういう意味では両者は対照的だ。清水映画には自然の空気の匂いがするが、小津映画には匂いが全くない。また、演技に対して小津は非常に細かい注文を出している。清水のおおらかさと比べると、小津映画の登場人物たちは、まるで文楽の人形でもあるかのように、儀式的だ。
 なお、小津は大学を出たばかりのサラリーマンをよく描くが、彼らは郊外に必ず一軒家を持っている。戦前は地価が統制されていたので、東京でも簡単に家が手に入った様子がよくわかる。そういう意味では東京は今より戦前のほうがずっと住みやすい街だった。
 再度清水宏と比較すると、清水が弱者への同情という一種の思想から、愛人、孤児、身障者、などに対して焦点を当てたのに対して、小津の場合、戦前の作品を見る限り、これといった思想性は感じられない。職人として淡々と与えられた仕事をしているように見受けられる。
 これまで戦前の小津映画を何本も見てきたが、そこに天才性や思想の深さを読み取ることはできない。アヴァンギャルドにも染まらず、左派にも染まらず、その中間の小市民の生活を、喜劇性も幾分取り入れてノンシャランと描いている。小津が『晩春』のような大傑作をとるにいたるには何かきっかけがあったはずだ。戦前の彼はただの職人監督以上のなにものも見せていない。それが飛躍する契機は何か。今の私の関心はそこにある。戦前の作品を見る限り、小津は「巨匠」ではない。ただの熟練工である。



学生ロマンス 若き日   小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

都の西北=早稲田大学に通うチャランポランな遊び人A君。下宿の窓に「貸間あり」の張り紙をしているが、男が来ると断り、美人がやってくるとそれをきっかけにナンパしている。美人が現れて早速仲良くなり、部屋を出る約束をするが、翌日、美人が荷物を持ってやってきてもまだ引越しは終わっていない。あれこれナンパをしてやっと引越し。親友のB君の家に居候となる。実はこのB君の彼女は、A君の下宿に引っ越してきた美人。それを知らないA君。B君はスキー用の靴下を美人の彼女に編んでもらっていたのだが、図々しいA君は勝手に自分のものにしてしまう。
 大学の試験。全然勉強していない二人は落第ギリギリ。そんなこともお構いなしに二人は赤倉にスキーに出かける。そこには大学のスキー仲間も例の美人もやってきている。
 A君は大のスキー上手だが、B君はからっきしスキーは下手糞。この二人の前に現れた美人嬢。B君を無視して、A君は猛烈にアタックする。
 ところが、スキー仲間の一人と美人嬢はスキー場でお見合い。どうやらお互い気に入った様子で、A君もB君も振られてしまう。
 東京の下宿に戻った二人。しょげているB君にA君がアドバイスする。「心配するなよ。もっと美人を見つけてやるから」と言って、下宿の窓に「貸間あり」の張り紙をする。

{批評}

小津作品の中では現存する最も古い作品。フィルムがあちこち劣化していて見難い。
ボケと突っ込みの二人の大学生を使ったコメディ。これは松竹の城戸所長の考えで、新人には必ずコメディを撮らせたらしい。
 後年の「聖なる映画」監督・小津の面影は全く見られない。カメラワークも大胆に動くし、フェイドを多用している。
 小津得意の「空ショット」が数回現れるが、これはすべて「視点ショット」となっていて、後年のような不思議な使われ方とは全く機能が違う。
 取り立てて見るべきところのない平凡な学生喜劇である。
あえて言えば時代風俗が面白い。
1929年という「豊かな時代」の空気がよく出ている。
学生たちはパイプを吸っているし、部屋に張られたポスターはローマ字ばかり。挨拶にもドイツ語を使ったりと、当時の日本がいかに「欧米好み」だったかがよくわかる。質屋のことを「第七天国」と言い換えたり、モダンでノンシャランとした学生風俗が滲み出ている。
 もっとも、学生たちの大学教員に対する非常に恐れた態度が興味深い。ムジナとかヒゲとか渾名をつけて呼んで入るが、当の教授たちが現れると卑屈なほどにペコペコする当たり、戦前の学生は真面目だったのだな、ということが分かる。
 それから、作品の大半がスキー場でのロケというのもこの作品の特徴だろう。
こういう近代スポーツが積極的に取り入れられた時代を反映している。その一方で、学生たちは、アフタースキーに酔っ払って「佐渡おけさ」を踊りあうなど、日本の伝統的な遊戯と西洋文化との融合の様が面白い。
 この作品は、小津を研究的に見よう、という者にとっては貴重な作品だが、映画で感動しよう、と思っている者にはあえてお奨めできない。可もなく不可もない、ありふれた作品である。


淑女と髭 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

主人公の大学生は髭づらの剣道の達人。友人に男爵がいて、男爵の妹の誕生日に呼ばれる。
そこへ行く途中、女性を中心とした愚連隊に恐喝されているある女性を助ける。
男爵の妹はモダンガールで、仲間の女たちをあつめ洋酒を飲みながら洋楽をかけてダンスをしている。髭がやってくると、妹は嫌がる。女たちはからかって、ダンスを申し込む。髭は剣舞を舞ってしらけさせる。
大学を卒業して就職試験。たまたま恐喝を助けた女性が秘書を勤める会社に面接に行くが不合格。
しょげているところにその女性がやってきて、「髭のせいで不合格だったのだから、髭をそったらどうですか」とアドバイスする。
すっかり髭を剃った男は、すぐにホテルのフロントに就職が決まる。髭を剃ると見違えるほどのいい男になる。就職が決まった御礼に、以前助けた女の家に挨拶に行く。女性はお見合いを持ちかけられていたが、この男が好きになって、母親に男の気持ちを確かめて欲しいと頼む。
母親が気持ちを確かにホテルに行く。男はもちろんOK。そこへ以前とっちめた愚連隊の女がやってきて、髭の男とは気付かずにデートを申し込む。
男爵家の妹は髭をそり落とした男を好きになる。こうして男は3人の女から好意を寄せられる。
愚連隊の女を連れて、男は自分の部屋にやってくる。男は女に真面目に生きるように説得する。
二人がいるところに男爵家の妹と母親らが(結婚の申し込みのために)やってくるが、不良の女と二人でいるところを見て誤解し、怒りながら去っていく。不良女はその夜は男の家で泊まる。
朝早く、結婚を申し込んだ例の女が現れる。愚連隊の女性を見ても、動じず、眠っている男の着物を繕う。男が目覚めて、「女と一緒にいるところを見ても帰らなかったんだね」という。女は「私はあなたの心を確信していますから」と答える。男は大いに喜ぶ。
その様子を見ていた愚連隊の女。これから真面目に生きることを誓って二人の前から消えていく。


{批評}

前半は、出鱈目な剣道の試合や剣舞などスラップスティックコメディ風。髭を剃った後半から真面目な恋愛物語に変わる。
『若き日』(1929)の時と比べると、カメラワークが安定していて、かなりスタイリッシュになる。また髭の男の下宿の隣にある散髪屋の看板が「視点ショット」で何度も「空ショット」として写され、小津の独特の「空ショット」への執着がこの頃から現れている。
髭の男は当時、二枚目俳優として鳴らしていた岡田時彦(現在見るとそれほど二枚目ではない)。
 1920年代後半から30年代冒頭といえば、日本映画はアヴァンギャルドの時代であり、映画リズム論のみならずモンタージュの受容が盛んに行われていた。しかし、小津はその影響を全く受けていない。ハリウッドの喜劇映画に傾倒していたことが伺われる。
当時の芸術スタイルを分類すると、モダンボーイたちによる「アヴァンギャルド」、「エログロナンセンス」「プロレタリアアート」に三分できる。小津は明らかに「エログロナンセンス」と「小市民映画」(穏やかなプロレタリアサイド)の側に立っている。
 欧米の文化に憧れる男爵家に対して、剣道と愚直な正義心を貫く髭の男を生き生きと描いているところから見ても、小津の和風好みがよく現れている。また、貧しく生きる人間への暖かいまなざしも特徴的だ(松竹の好みでもあるが)。
 『若い日』と比べると作品として完成度が高く、なかなか面白い映画になっている。が、まだ名匠というほどの切れはない。そこそこによく出来た映画である。
なお、『若い日』もそうだったが、主人公の下宿の壁には映画のポスターが貼られている。このあたり、「自己言及的」映画の観点から小津の初期の映画を見ると面白いだろう。


東京の女 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

姉と二人暮しする大学生の男。男は姉の稼ぎで学費を出してもらっている。彼には恋人(田中絹代)がいる。
恋人と映画(エルンスト・ルビッチ他の『百万円あったら』とかいうオムニバス作品)を見る。
恋人のほうは兄と二人暮し。兄は警官である。
警官の兄が、妹の恋人の大学生の姉が働いている会社を訪れ、色々と調査する。
兄が妹に打ち明ける。学生の姉は、昼間はOLだが、夜は怪しい酒場で売春婦として働いており、ブラックリストに載っているというのだ。
妹は自分から、恋人の姉にそのことを告げようと思い、恋人の家に行く。
姉はまだ戻っていない。そこで学生にそのことを告げる。大学生の恋人は泣いて否定し、二人は気まずい関係になる。
姉が帰るのを待っている弟。姉に事実関係を問い詰める。姉は認める。姉の頬を何度もぶって、弟は外へ飛び出していく。
いつまでたっても帰らない。姉は、恋人の家に訪ねていく。ちょうどそこに兄の警官から電話がかかる。学生は自殺したというのだ。
翌日、死んだ学生の遺体のそばにいる姉と恋人。そこに雑誌記者たちがやってきてあれこれと質問する。「死因に心当たりは?」と聞かれるが姉は「なにもない」と答える。
二人の女性の悲しみをよそに、ブンヤたちは卑しい笑いを浮かべて家を出て行く。


{批評}

時間にして二日の出来事を描いた、一時間足らずのこの作品は、小津映画を研究する上で非常に意義がある。
所謂、小津のスタイルがこの作品に既に出ているのだ。
まずローアングルが使われている。
 次にカット割りが非常に細かい。つまりショットの数が多い。日本家屋で立ち居のアクションをするたびに細かくカットが変わる。また180度逆アングルショットもある。ハリウッド映画流のオーソドックスなつなぎで、ぼんやりしていると気付かないが、明らかにそれまでのコメディとは別のスタイルになっている。
 次に、モンタージュの影響がうかがわれる。
まず、姉が売春婦だったことを知った瞬間の部屋の薬缶の大写し。湯気を上げているストーブの上の薬缶が弟の心理的葛藤を表している。
それから、弟が自殺をしたと電話で知らされたとき。電話は下宿の大家らしい時計店にあるのだが、妹が受話器を置いた瞬間に、数多くの柱時計にショットが変わる。激しくうごく振り子の数々。それから妹の部屋にショットが移るときも、部屋の柱時計がアップになる。心の動揺と振り子の動きが「連想のモンタージュ」になっている。
但し、エイゼンシュテイン流のモンタージュではない。ロシア系の連想のモンタージュは物語世界と無関係のショット(hiper-situated shot)が突然挿入されるのだが、小津のモンタージュはアメリカ流の、その場にあるものに自然に視点が動く(situated shot)である。
このあたり、流行のモンタージュ技法を、噛み砕いて巧みに用いている。
 それから「視点ショット」ではない「空ショット」が使われている。
学生の自殺を知って泣きあう姉と恋人のシーンから、学生の遺体のある部屋に移行する際、普通ならフェイドかディゾルヴを使うのだが、室内のあちこちを空ショットで写してから移行する小津の独特のショットが現れる。
 小津はtransition shotにオプチカル・エフェクトを使うのが嫌いなのだろう。それでこの方法を発明した、と考えていいだろう。普通なら、エスタブリッシングショットとして、家の玄関とか部屋の全景を写すべきところだが、小津は物語世界の路傍にある風景を切り取ってエスタブリッシングショットの代理としている。これが小津の独特の空ショットの発想の源流だと思っていいだろう。

以上の点から、この作品は小津を研究する上で欠かせない作品になっている。
なお、物語に関して、売春をしている女は共産党と関係しており、それで警察のブラックリストに載っていた、という部分が削除されたらしい。この作品の上映時間が1時間程度と中途半端に短いのはそのためだと考えられる。
 この時代共産党は一斉検挙されて風前の灯だった。小津は、表立ったアカではなくプロレタリア映画と呼べるものは撮っていないが、小市民映画という穏やかな左派系統の作品を作ることで世相を描いている。戦後の小津作品は、大学教授や高給取りのサラリーマンといったプチブル家庭を撮ることが多かったが、この時代の小津はささやかな庶民の悲哀に共感している。全体的には新派悲劇の影響の濃い作品である。
 小津映画のスタイルを研究する上で格好の教材的価値のある作品である。

そうそう、劇中劇として映画を見ているシーンも面白い。スクリーンの縁を切って、映画の中に完全な形で映画が写される。また、その映画のチラシを大事に見つめるシーンもある。これまでの映画評に書いたように、小津は映画のポスターを作品の中に取り入れるのが好きだが、ここでは明白に映画を見ているシーンが使われている。もちろん、こういう自己言及的な作法は「異化」を狙ったものではない。映画が娯楽の王様であった時代の風俗をリアルに描いただけだろう。それにしても、このような自己言及のシーンがやたら多い。小津のシネフィユぶりが伺われる。




東京の宿 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評

{あらすじ}

小学生の子供二人を連れた父(喜八)が、仕事を探して毎日歩き回っている。が、雇い手がない。
子供たちは野犬を捕まえてお金に代えて飯代を作っている。彼等が泊まっているのは木賃宿。
そこには、小さな女の子を連れた綺麗な母親がいる。喜八とその子供たちは、この母子と仲良くなる。喜八はこの母にほのかな思いを寄せる。
 偶然飯を食いに入った食堂の女性経営者(おかやん、と呼ばれる。飯田蝶子)が喜八の昔の知り合いで、彼女のおかげで喜八は職にありつける。やっと安定した生活を営むことが出来るようになる。
 喜八が飲み屋で酔っ払っていると、例の母親が酌婦として現れる。事情を聞くと、娘が疫痢にかかり、お金が必要で酌婦になったという。喜八は、金は心配するな、という。
 喜八、食堂の女経営者に無心するが、断られ、泥棒をして、治療費30円を取ってくる。
それを二人の息子に渡して、例の母親のところへ持っていかせる。その間に、食堂の女経営者のところへいって、事情を打ち明け、しばらく息子二人の面倒を見てくれるように頼む。そして、警察に自首をする。

{批評}

音楽は「土橋式トーキー」によって流れるが、台詞の部分は字幕。うろ覚えだが、こういうのをサウンド映画といって、トーキーと区別していると記憶している。
 小津安二郎はこの当時、上流家庭、モボやモガ、大学生、サラリーマンを得意として描いていたが、この映画では、全く無学な下層労働者を描いている。同じ主人公と出演者による「喜八もの」と言われる5,6本の作品のうちの一つである。
 出だしのファーストショットは、空き地に置かれた巨大な木製の電線巻き。エスタブリッシングショットではなく、実に変わったファーストカットである。途中何度もこの電線巻きは登場する。このあたり、小津の風景ショット、空ショットの感覚は特徴的だ。作品全体のうらぶれた雰囲気を最もよく象徴する連想的モンタージュとしてこの道具を使っている。
 また、親子3人が並んで、それを斜め後ろから、横顔が写るように撮影する「並列構図」がこの作品でもみられる。小津の並列構図は『東京物語』などで顕著だが、すでにこの作品で使われている。
 下層労働者に眼が向けられている点、泥棒でトラブルを解決して自首する点、後年の小津安二郎の映画の扱う世界とは非常に異なっている。これは私の勝手な想像だが、この喜八ものは、山田洋次の「寅さん」シリーズの原型になったのではないだろうか? 寅さんと違って、喜八のキャラクターには喜劇性は少ないが、喜八の息子の一人が、喜劇的な存在として上手に描かれている。突貫小僧と言う名前の子役で、小津はこの子役を好んで使い、『突貫小僧』という小品もある。下町人情劇、ルンペン・プロレタリアートが主役であること、喜劇性の点で、「喜八もの」と「寅さん」は非常に近い。
 思いを寄せていた母親が酌婦となって偶然喜八の前に出てくる場面。喜八は、「あなただけはまっとうな職に就くと思っていたが、こんな仕事になぜ身を落としたのか」と言う。母親は涙を流して、娘が疫痢に罹り、お金が必要になったことを打ち明ける。
 このあたりは、戦前の時代風俗を知らないと理解しがたい。「酌婦」というのは「売春婦」を兼ねている、という事実が裏に隠れているのである。小津の『東京の女』でも、弟を大学に通わすために水商売に身を落とした姉が描かれ、これも売春婦で、弟はそれを苦にして自殺する。工場労働者の喜八がしばしば別座敷で酌婦相手に飲んでいる場面があるのだから、戦前の売春相場は相当に安かったのだろう。
 『生まれてはみたけれど』もそうだが、小津は子役の使い方が非常に巧い。この作品でも、喜八の息子二人が、娘と出会ったときに、ベロを出してベー、をする。女の子もベーをする。が、すぐに仲良しになる。
 こういう子供の無邪気な行動を演出させると小津は天下一品である。
上流家庭から浮浪者まで、大学教授からヤクザまで、小津安二郎の映画は幅が広い。基本的に職人監督としてスタートしている。そして熟練工になってから小津の独特の世界観が描かれるようになる。私が戦前の小津安二郎の映画を細かく見ているのはその軌跡を確かめたいからである。

青春の夢いまいずこ 小津安二郎

2011年11月02日 | 書評、映像批評
{あらすじ}

大学生4人組(ロケ地はまたしても早稲田大学)、3人は応援団に入っているが、一人(斉木)は入っていない。母一人子一人なので、遊んでいる余裕がないからである。大学の横にベーカリー(喫茶店)があって、そこの可愛い娘(田中絹代が演じている)は、4人のアイドルである。
 そのうちの一人(主人公の堀野)は会社社長の息子。叔父が見合いの相手を連れてくるが、片っ端から断っている。4人ともダメ大学生でカンニングばかりやっている。
 堀野が試験を受けているときに、父が危篤になる。急いで帰るが、すでに手遅れだった。死んだ父に代わって彼が社長の座に就き、大学は中退する。遊び仲間の3人は卒業を迎えるが、折からの就職難で、堀野の会社に入れてくれるように頼む。堀野は入社試験の解答をあらかじめ教えて、仲間は3人とも合格する。
 仲良し4人組ではあったものの、入社すると社長と社員。社長の堀野は同級生たちの卑屈な態度にいらいらする。
 お見合いを勧める叔父(副社長)に対して堀野は、好きな娘がいることを告げる。その相手は喫茶店の娘。
たまたまその娘が喫茶店をやめて仕事を探していることを知り、自分の会社にいれることになる。
 堀野は3人の学生時代の仲間を集めて、みんなのアイドルだったその娘と結婚したいと思っているが異存はないかと念を押す。全員異存はないと答える。
 その直後、斉木の母親が息子の就職に対するお礼の挨拶に堀野を訪ねる。その際に、喫茶店の娘と斉木が結婚の約束をしていることを知る。堀野は娘のところに行って心を確かめる。娘は、性格のおとなしい斉木さんが可哀想で、せめて私のようなものが妻になって明るくしてあげたいと思っていることを告げる。
 斉木の家に3人の仲間が集まり、斉木を慰めている。そして夜になって3人が夜道を歩いているところに、堀野が現れる。堀野は、昔の仲間が、友情を忘れて卑屈な態度をとっていることをなじり、斉木が、恋人すらも身分の上下にこだわって手放そうとしていることに怒り、鉄建制裁を加える。20回も30回も殴りつける。斉木は心から詫びる。
 新婚旅行の当日、堀野と仲間たちは会社の屋上にいる。列車がそのそばを通過する。斉木夫妻は手を振る。仲間たちも手を振る。

{批評}

この作品には奇妙な緊張感があり、なかなかの傑作である。私は2度ばかり涙を流した。
一度目は、喫茶店の娘が、堀野の気持ちを知りながら諦めて、一番うだつのあがらない斉木のために、「私のようなものでも妻になって、あの人を明るくしてあげたい」と結婚の理由を打ち明けること。
二度目は、堀野が斉木に、失恋の痛みも幾分か込めて、昔の友情を忘れ、社会的身分の違いから恋人を手放そうとしたことに理由に鉄拳制裁するところである。小津安二郎の映画にはほとんど暴力シーンは出てこないので、この場面は非常に迫力がある。
 この作品は、お金持ちのお坊ちゃんが、上司と部下という関係になっても、学生時代の関係のまま友情を保ちたいと思いながら、友人たちはそれができないことにいらだつ、という非常にロマンティックなテーマが流れている。とっぴな連想のようだが、加山雄三の「若大将シリーズ」の走りのような映画で、理想主義者のブルジョアジーが青春の夢を追いかけ、周囲に幸福をもたらしていく痛快なドラマ、と言えよう。
 見過ごしてはならないことは、この当時は共産党支持者が非常に多かったことだ。映画批評の世界も左派が大きな力を持っていた。左派からみれば、ブルジョアと労働者は敵対関係にあり、労働者がブルジョア社会を階級闘争によって潰していくのが必然的な原理、ということになる。小津安二郎はその闘争原理に代わって、ブルジョアのヒューマニズムにより、両者が融和できる世界を描いている。この辺りに小津安二郎の社会観がよく現れている。
 最後に、空ショットについて。斉木が堀野が喫茶店の娘と結婚する、と宣言するのを聞いて、異存はない、と答えたときに、視点ショットではなく、天井の大きなファンが写る。そのファンが回転をやめて静止する。これは
連想のモンタージュにもなっている。
 また堀野が斉木をなぐる夜のシーン。これも途中で五回ほども道端のポブラの木が写される。これは怒りの鉄拳の時は、怒りの連想のモンタージュとして、宥和したときは、心の落ち着きの連想のモンタージュとして作用している。この二つの空ショットを見て、小津安二郎の独特の空ショットは、もともとはモンタージュに影響されたものであったことを確信した。ロシア的な、物語外からの唐突なショットではなく、物語内部の事物にショットが切り替わるので見過ごしてしまいそうだが、もともとは連想のモンタージュである。この空ショットの使い方が、後日有名な『晩春』の壷のショットを生み出すわけである。
 とにかく、重いテーマを持っているが、爽快な気持ちにさせてくれる佳作。
戦前の作品の中でこれまでに私が見た中では、『生まれてはみたけれど』の次にランクされる。小津安二郎研究の上では必見の映画である。