那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

八王子五行歌会ネット歌会より 作品募集のお知らせ

2014年01月28日 | 八王子五行歌会

以下、次のネット歌会の募集要項を発表します。

①題詠は「」とします。歌の中に題詠を入れても入れなくても自由です。新作に限ります。

②作品投稿者はこの掲示板に「匿名」で、また「メルアドも書き込まず」に投稿して下さい。
 中高生の応募も歓迎します。

③月刊五行歌4月号に間に合わせるために2月15日辺りを目安に、最低10人以上の投稿で〆切ります。上位三席は歌会レポートとともに掲載されます。

④参加費用は無料です。本部への協力金は私の個人負担とします。

⑤なるべく多くの人に投稿を呼びかけてください。私事ですがハードスケジュールが続いているため、常連投稿者で採点集計などの協力の出来る方はメールを下さい。

⑥過去の参加者以外の方は、私のメルアドまで自己紹介をお願いする場合があります。住所氏名を名乗る必要はありません。また過去の参加者の紹介があればそれだけでもOKです。全く初めての方の場合、リアルな歌会に準じて、一応簡単な自己紹介をお願いする次第です。よろしくご理解下さい。

以上です。

八王子五行歌会はネット歌会の形式の可能性を探る場でもあります。スケジュールや体調などの都合でリアル歌会に行きにくい方も、住んでいる地域を問わず自由な時間に参加できます。様々な個性や作風がぶつかって切磋琢磨し、独特のハイブリッドな何かが生まれることを期待しています。

投稿用掲示板は http://gogyoka.bbs.fc2.com/ です。皆様の参加をお待ちしています。

 

 


競馬の話+世界観を詠む歌について

2014年01月26日 | 芸術・表現

このところ硬い話題が続いたので、今日は気楽に書きます。

医師から「ハードワークをしないように」と釘を刺されているのですが、せざるを得ない状況にあるため、週末は俗世を離れて競馬でもしようと2ヶ月ほど前から数年ぶりに再開し始めました。学生時代から続け、競馬攻略本に分担執筆したこともあるぐらい熱中していたので、以前は競馬新聞を睨むと「荒れるか硬いか」ピンと来たのですが、ブランクがあったためにカンが鈍くなり、頭の中にデータが溢れ混乱しています。こんなことにもリハビリの時間が必要なんだなぁ、と実感しました。第一用事が多すぎて真剣に専門誌を読む時間が足りません。1レースを検討するのに最低2時間はかかりますが、その前にやるべきことを済ませていると真夜中になってしまいます。

今日は荒れそうな2レースを予想し、共に本命サイドが来て外しました。即パットを使っています。3百円だけ残っていたので今日はこれでお仕舞いにしようかと思いましたが、京都の最終レースまでに30分余裕があったので、見つめていると16頭立てで11番人気の馬(ゼッケン9番)に穴を開けるファクターが揃っていたため、そこから1,2番人気と、もう一頭さらに人気薄の14番人気の「穴の穴」に馬連の3点買いをしたら、久しぶりに会心の的中でした。結果は以下の通りです。

受付番号:0003 受付時刻:16:18 受付ベット数:3
受付内容
件数 場名 レース 式別 馬組 金額 的中
(1) 京都(日) 12R 馬 連 ながし 軸馬:09
相手:01,10,11
各100円(計300円)
的中
購入金額 300円 払戻金額 7,510円

2番人気→11番人気(⑩-⑨)で決まったわけです。首の差で3着に1番人気(⑪)が来ました。

穴のファクターとは何か?当然言いません。

様々な競馬に関するデータを探していたら、サイトを開くと情報が流れる仕組みがあるのでしょうね、次々と有料予想のメルマガが届くので送信停止の作業に追われています。当たり前のことですが、本当に予想が当たるなら馬券師で生活できるので、それを会員に教えてわざわざオッズを下げるようなことはしません。先物取引の情報を教える電話も時々掛かってくるので、経済の知識として雑談をすることがありますが、本当にその通りなら人に教えず自分が買うでしょう。

一つの喩として言えば、追い切りも競馬予想のファクターの一部ですが、美浦に8つ、栗東に7つ、合計15のコース(坂路を含む)があります。かりにフルゲートで18頭が出走するとして、18頭の馬が調教の段階でそれぞれどのコースでどの程度の力で(馬なり、一杯、強め、ゴール前だけ追う、など)、何月何日に何回調教し、そのときの馬場の状態(良、稍重、重)はどうだったか、などのファクターがあり、さらに坂路以外はトラックマンが手動で計るので0.2秒程度の誤差が出ます。これを比較しているだけでアッという間に時間が過ぎていきます。「調教の読み方」だけで一冊の本が書けるでしょう(血統重視のファンのために分厚くて高価な競走馬の血統事典が出版されていますから、実際にそういう本があるかもしれません)。

いうまでもなく追い切り情報は競馬予想のほんのごく一部です。タブロイド誌なら馬柱(出馬表)の一番下のほうにチラッと出ている程度で、普通は「キリが無いので無視する」部分です。その部分にすら無数と言っていいほどのファクターが隠れているのですから、競馬は奥が深く、単なるギャンブルではない「研究分野」だというのが私の持論です。

矛盾するようですが私はカジノ法案反対で、先日も「パチンコ廃止通信」の紹介をしたばかりです。知られている通りJRAはテラ銭を25%も取ります。さらに、仮に千円を即パット用にコンビニのATMからジャパンネット銀行に入金すると150円近い手数料を取られるので(自分の口座に自分が入金するのに何故手数料がかかるのか永遠の謎です)、800円の軍資金にしかなりません。ただ、パチンコと違って頭を使うから、年金暮らしのお年寄りの遊びとして私はお奨めしています。中央競馬は週末に限られ、いくら続けたくても12レースまでで普通は4時20分に終わりますから依存症が少ない健康的かつ知的な遊びだと思います。私のギャンブルは競馬だけなので競輪や競艇については全く分かりません。

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話題一転。

五行歌について以下のような文章を書いたので、一部編集して転載します。五行歌という文芸運動は草壁焔太先生が草案され、現在世界中に50万人の愛好者がいます。趣味、芸術を通して人柄を磨く、という強い信念があるために、平易な言葉で真実を詠む、という大前提があります。当然私もそれに共感して詠んでいるのですが、一つの壁にぶつかり、八王子五行歌会の掲示板に思っていることを投稿した次第です。以下、編集引用します。

2014/01/24 (Fri) 02:53:29

いま五行歌についてあれこれと考えていることがあります。

 一つは2月に題詠を決め4月号には月刊誌に載せたいのですが、子供から高齢者まで、というテーマに若干の懸念が。というのは今の子供たちは悪平等のために運動会でも全員一等賞になるぐらいだから、投稿して三席から漏れたときに傷つくのではないか、ということ。私は歌会を3回主催しながら毎回選外ですが、全く気にならないけど、子供の心を傷つけたら悪いし、といって同情(愛情)票が入るのも不自然だし・・・これが悩みの一つ。

次いで一首で「世界観」を詠みながら、かつ草壁先生のいう「自己神秘化」していない作品の模索です。私は今意識的に掟破りの仏教用語や観念語を使ってそういう歌を試作していますが、誰にでも分かる口語で世界観を表した歌を少し拾ってみました。

生まれ子がしだいしだいに知恵づきて仏に遠くなるぞ悲しき(一休禅師。後世の引用と少し違いますが、こっちのほうが一休らしい気がします)

心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん(伝・菅原道真)

我が我れと思う我が身は天の我れ我がものとては一物(いちもつ)もなし(黒住宗忠)

何事のおはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる(西行)

心こそ心迷わす心なれ心に心心許すな(沢庵禅師)

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)

次いで俳句ですが私の大好きな

鶏頭の十四五本もありぬべし(正岡子規)

普通の感性と知性だけでは徐々に訳が分からなくなります。「○○○○ その人と作品」といった解釈学の中で創造的批評により世界観の意味が明瞭になってくるものでしょう。
 普通は歌集や句集といった形で多数の作品を並べることにより言わばスナップショットを次々と見ているうちにその人の世界像や人生観や人柄が分かります。

しかし、一首、一句で世界観や人生観を一気に詠んだものの中にはどうしても謎が混じります。その謎を消そうと模索している訳です。

最後に解釈の仕方次第で意図が大きく変わる典型的作品を・・・と書いたところで夜中の2時半になりました。尻切れトンボですが後日にします。

 

2014/01/25 (Sat) 01:35:59

一首で世界を詠む歌について、凄いのを書き忘れていました。

あわ雪の中に顕(た)ちたる三千大千世界(みちおほち)またその中にあわ雪ぞ降る(良寛)

痺れますね。情景に込められた心境の高さは別格と思います。 また上に書いた

心こそ心迷わす心なれ心に心心許すな(沢庵禅師)

は、リズミカルな言葉遊びとお説教、と思われるかもしれません。しかしこの歌は知る人ぞ知る柳生但馬守宗矩に宛てた手紙(不動智神妙録と言われるが異説もある)に添えられた歌で、その手紙は『五輪書』『兵法家伝書』と並び剣道・武道の極意の書と言われています。これは斬り合いの最中の心の置き所を示したものです。

一首、一句の中に世界を詠み込む、という特殊な歌はどうしても禅など宗教に集中します。神道における言挙げと同様、禅も「言葉で真理は語れない」つまり不立文字の思想が根本にあります。尤も言葉を捨ててこそ言葉が自在になるという逆説が働くので禅者が書いた本は無数にあります。

ところで、辞世の歌も死ぬ間際に残すため思いのたけを詠み込みます。赤穂義士の辞世を紹介した通りです。この事件の発端になった浅野内匠頭の辞世の歌

風誘う花よりもなお我はまた春の名残をいかにとかせん

は凄まじい魂魄のようなものを感じます。

出だしの「風誘う花」は、伝統的には逆に「花誘う風」とされているようです。例えば

花誘ふ嵐の庭の雪ならで 降りゆく者は我が身なりけり(入道前太政大臣)

千萬の仇に迎えるもののふも 花誘う風はすべなかりけり(賀茂懸主季鷹)

という具合に「花誘う風」という言い回しは古くから「風が花(桜)を散らせる」場合に使われています。花が散るのを風が誘う、つまり花を風が連れ去っていく感覚でしょう。

「風誘う花」は詳しくは分かりませんがかなり珍しいのではないのでしょうか?花が子供のように風を慕って戯れている情景が浮かんできます。
 この歌を詠んだ旧暦の3月14日は現在の4月下旬で牡丹の花が咲く頃、風が吹いてもまだ散る桜の花が残っている時期と捉えてみます。当時浅野内匠頭は35歳だったことなど合わせると

風が吹いても未だ桜が散り、春の気配が残るこの季節、私はそれ以上にまだ青春の香りを残す年でありながら、お家断絶となって死んでいくこの思いをどのように表せばいいのだろう

という、言葉にならぬ思いを辛うじて言葉にした名歌だと思います。とにかく煩悶の深さが響いています。

ここに私の勝手な解釈を加えます。

春の名残をいかにとかせん、は「張るの名残をいかに解かせん」の掛詞で、「この張り裂けそうな遺恨をどうやって晴らせばいいのだろう」と解釈します。これはコジツケというほど突飛なものでは無く、短歌をかじった人なら普通に読み取る範囲でしょう。

そしてこの浅野内匠頭の魂魄を受けた義士たちが怨霊を鎮めるために討ち入りを決行したと考えます。

ストンと胸に入る歌、ズドンと胸を揺さぶる歌、また解釈の仕方によって益々想像が広がる歌、歌い手の背景を調べ読み手も経験を重ねるに連れてその奥行きの奥が体感できる歌もあります。

長くなりましたが、要するにいい歌を見つけたい、詠みたいものです。


パチンコ廃止通信第22号、および「河野談話」について

2014年01月22日 | 世直しのためにどうすべきか

先ず「パチンコ廃止通信」 第22号 平成26年1月22日発行の紹介です。

重要な部分を二箇所引用します。

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産経新聞 2014.1.9 22:36
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140109/kng14010922360012-n1.htm

『横浜市の林文子市長は9日の会見で、カジノを中心とした統合型リゾート(IR)の誘致に向けたプロジェクトチームを4月に設置すると発表した。人員規模など詳細は今後詰める。大きな経済効果が見込まれるカジノ誘致をめぐっては、東京都や大阪府なども名乗りを上げており、今月末に招集予定の通常国会でカジノ解禁法案が成立すれば、一気に「カジノ誘致合戦」が本格化しそうだ。

林市長は「臨海部の観光都市としての魅力を向上させる計画の中で、IRはカジノを含めなければとても成立しない。この考え方は庁内も同じ方向だと思っている」とカジノ誘致に乗り出す理由を説明した。カジノ誘致で税収が大きく増えたマカオやシンガポールを例に挙げ、「税収不足の中、カジノで経済効果を狙っていく」と強調した』

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競馬は、100円の売り上げに対して75円が配当になり、宝くじは48円が配当になります。100円を入れたら75円が出て来る自販機が競馬、48円が出て来るのが宝くじと言う自販機になります。競馬は「週1」、宝くじは「月1」だとすると、パチンコは「毎日」の頻度になります。

経営者の95%が外国人で、日本人が年間3000人以上が自殺させられ、460万人が中毒患者にされ、年間80人の子供が車中で死亡し、年間19~31兆円を売り上げるのが、パチンコ業界です。

海外では、中毒患者は、出入り禁止にした上で専門的なカウンセリングを受けさせる事が義務化されています、していないのは日本だけです。

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以上、論評の必要はないでしょう。

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尚、言うまでも無く私は河野談話の白紙撤回を求める署名をしています。日本軍が強制的に韓国の婦女子を慰安婦として強制連行したか? 研究上ではその証拠はゼロです。この問題は利権に絡む政治判断と同情論に引きずられ、「客観的事実」が「主観的思惑」の下に押さえ込まれて来ました。客観より主観を重視するのは、芸術は別にして、一般的には精神疾患の症状に分類されます。このために莫大な血税が使われ、様々な利権が生まれました。

昨日のブログで紹介した西村修平さんと韓国のテレビ局員との会話で解るとおり、韓国側が出す強制連行の証拠は「河野談話で認めたではないか」という逆転した論理です。

私のブログの読者の大半の方々は知悉されているはずですが、一応西村さんのブログから入ってhttp://www.kounodanwa.net/ をご覧下さい。

wikipediaの「河野談話」もかなり詳しくその欺瞞性を暴いています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E9%96%A2%E4%BF%82%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%B5%90%E6%9E%9C%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B2%B3%E9%87%8E%E5%86%85%E9%96%A3%E5%AE%98%E6%88%BF%E9%95%B7%E5%AE%98%E8%AB%87%E8%A9%B1

こういうことに血税を使わず、宗教法人への優遇税制を廃止すれば消費税など必要なく、お釣りが生まれるでしょう。消費税の問題に関してはhttp://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0628.html の簡潔な一文をご覧下さい。

以上です。



 

 


山路越えて(主権回復を目指す会の紹介を兼ねて)

2014年01月21日 | 芸術・表現

西村修平さんの「主権回復を目指す会」のブログを紹介します。最新記事に感動的な動画がありました。


       韓国MBCに逆取材
MBCは朝鮮人婦女子20万人拉致・連行の根拠を示せ!

 youtube
 https://www.youtube.com/watch?v=PS6faJv-IpE
 ニコニコ動画
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm22686777


ぜひご覧下さい。私は強く共感しました。

この頃の風潮として創価学会の裏組織への批判者の言説が韓国人や在日への非難と一体化しており、私は強い危惧を覚えていました。「博士の独り言Ⅱ」でさえそうです。が、この二つのテーマは、当然のこととして峻別すべきです。何度も繰返してきたので飽きていますが、政府見解と個人の思想は別、個人も十人十色です。悪い日本人もいれば善良な韓国人もいます。創価の裏組織であくどいことをやっている人々は国籍や生まれに全く関係なく、サイコパス的な「歪んだ心をもった人間」です。本当に批判すべき対象は創価の「批判者は地獄に落とせ。子孫まで祟れ」という宗教とは真逆の「教義」です。

西村さんは日本軍が20万人もの朝鮮人婦女子を強制的に拉致し従軍慰安婦にしたという捏造(すでに証明済み)を韓国のテレビに対して抗議する中で「朝鮮人は誇り高い民族だろ。私は朝鮮人を尊敬している」と明言し、「なのに同胞が目の前で拉致されたとしたら、なぜ男たちは黙っていたのか?」と詰め寄ります。また、日本人が韓国で「日本人を皆殺しにしろ」と言われたら怒るのが当たり前だ、と在特会を批判しつつ在日の心情に共感を示されています。

この咄嗟の言葉(心の力)により韓国のテレビ局と在日の青年は反論できず頭を下げて去りました。見事です。批判の仕方によってここまで相手の態度が変化するのかと感じ入りました。

西村さんは短歌、歌舞伎などの伝統文化にも造詣が深く、優れた歌を詠まれます。過去何度か紹介しました。


脈絡もなく、私の郷里と隣町の境界にある法華津峠の石碑を思い出しました。以下引用します。

 

  1. 山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし。
  2. 松のあらし、谷のながれ、みつかいの歌もかくやありなん。
  3. 峯の雪とこころきよく、雲なきみ空とむねは澄みぬ。
  4. みちけわしくゆくてとおし、こころざすかたにいつか着くらん。
  5. されども主よ、われいのらじ、旅路のおわりのちかかれとは。
  6. 日もくれなば、石のまくらかりねの夢にもみ国しのばん。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%B7%AF%E3%81%93%E3%81%88%E3%81%A6 には以下のような紹介があります。
____________________

西村清雄が作詞した、もっとも有名な日本人の創作讃美歌の古典。

1903年(明治36年)2月上旬、宇和島教会で伝道を続けていたアメリカン・ボードの宣教師コーネリア・ジャドソンの応援の帰り、鉄道が開通していなかったので、法華津峠鳥坂峠で夜を迎えた。大洲まで五里もあると思うと心細かった西村は、三輪源造が新作讃美歌を見せてくれたことを思い出して、『ゴールデン・ヒル』(Golden Hill、作曲は一説にAmzi Chapinとも)の歌調にあわせて、一句一句作った。一節できるごとに歌ってみたら、寂しさがなくなり、山路を楽しむことができた。これが、「山路こえて」という讃美歌である。これが1903年の明治版讃美歌に採用されもっともポピュラーな讃美歌になり、今日も讃美歌の404番として有名になった。1952年(昭和27年)に、この曲を作った法華津峠に歌碑が立てられた。松山バンドの信徒たちは、自己の心情に福音の響きを反響させ、その信仰体験を詩歌として表明して、日本の文化的感受性をもて福音に応答するように勤めていた。この讃美歌はその信仰の姿勢の代表的な例である。

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曲と一緒に聞きたい方は http://www.youtube.com/watch?v=CByREWaFFrI をクリックして下さい。

この歌には次のような意外なエピソードがあります。

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信仰の明澄さを日本の原風景によって、詩情豊かに歌い上げたこの賛美歌は多くの人々に愛唱された。1つ例をあげる。作家三浦綾子に「母」という長編がある。戦争の時代に築地警察署で、特高警察の手によって拷問の果てに殺された作家小林多喜二の母の一生を描いている。
 多喜二の母は晩年キリスト教に近づき、自分の葬式はキリスト教でしてもらおうと思うようになった。その多喜二の母がその死の日まで、愛唱していたのがこの「山路越えて」であったという。
 「うたってみれってか。……ちょっとご詠歌に似てるどもね。6番まであるけど、3番までうたっているうちに神様の所さ着くべさ。……わだしね、この歌大好きなの。それはね、わだしの生まれた所秋田県だべし。ほら、大館って、忠犬ハチコーで有名な所ね。あそこの奧の田舎がわだしの生まれた故郷だども、この歌うたうと、あの辺りが何とも目に浮かぶのね……あの辺りの山ば、イエスさまの手にすがって歩いて行く自分の姿が、はっきり見えるみたいで、この歌うたうと、何とも言えず安らかな気分になるんだ」
(『母』三浦綾子 角川書店)
 
http://www.trancewave.tv/~iyosaiken/saiken/2001_09.php

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私は4番と5番の歌詞に激しい感動を覚えました。勝ち負けに関係なく、終わりの無い抵抗、終わりのない模索は、そのその行為そのものが尊いと知りました。4番から5番への逆説的な飛躍の意味を静かに味わいたいと思います。

 


菊竹六鼓のこと

2014年01月13日 | 歴史

ネット上の知り合いから菊竹六鼓のことを知った。以下プロフィールと彼の書いた記事を引用する。今日は風邪気味なので論評は加えず、引用のみに留める。こういう日本人もいたことを、この時代だからこそ肝に銘じたい。右翼左翼の2項対立は現在通用しない。右も左も「愛国心」は同じで、そのベクトルが異なるだけだ。現在必要なのは日本人が菊竹六鼓のような気骨を心の芯に据え、個々の立場で可能な限りの抵抗すること、と強く感じる。

①プロフィールhttp://fukuoka-senjin.kinin.com/data/item/637 より

1880年01月25日~1937年07月21日
明治13年~昭和12年

浮羽郡吉井町生まれ / 五・一五事件の翌日05月16日付け西日本新聞に掲載された論説「首相凶弾にたおる」を執筆する。

1932年(昭和07年)05月15日、時の首相犬養毅が海軍の青年将校に暗殺された。この事件に際し多くの言論人が口をつぐむなか、軍部を痛烈に批判した言論人が福岡にいた。福岡日々新聞の編集局長菊竹六鼓である。

福岡日々新聞の軍部批判に対し「久留米師団の軍用機が威嚇のため福博の街に飛来し、福岡日々新聞社の上空で爆撃訓練をした。」という伝説まで生まれた。この反骨の編集局長は後に長谷川如是閑とともに世界新聞協会の「世界の報道人百人」に日本から推薦された。

1880年(明治13年)、うきは市吉井町福益の豪農菊竹辰二郎の次男として生まれた。六鼓は二歳の時、左脚を負傷して骨髄炎となり、何度も手術したが成功せず、これが原因で生涯脚を引きずった。六鼓の号はこれにちなむという。

六鼓は障害によって言論界に身を投じる決意をし、久留米中学明善校から東京専門学校(現・早稲田大学)英語政治学科に進学した。しかし、障害のため東京の「国民新聞」(徳富蘇峰)に入れず、1903年(明治36年)地元の福岡日々新聞社(西日本新聞の前身)に入社。27歳の時、野口静子と結婚した。静子は看護士として働き、質屋通いをしながらも五人の子どもを育てるなど、六鼓を物心両面で生涯支えた。

六鼓は、市民の目線からエリアの問題を果敢に取り上げた。1905年(明治38年)、日本海海戦(05月27日~28日)で大勝利し、国中が戦争の勝利に高揚していたとき、堅粕の踏切番の11歳の娘宮崎お栄が線路を歩く人に危険を知らせるため、紅白の旗を振り、自らが轢死した事件を「理想の死」として掲載した。また公娼廃止を主張したため、遊郭業者が自宅まで押しかけてきて凄んできた。しかし公娼廃止の論陣を変えることはなかった。

1911年(明治44年)に編集長に就任、1928年(昭和03年)に編集局長となった。編集局長時代の1932年(昭和07年)、五・一五事件が起きた。翌日(05月16日)に「首相兇手にたおる」の論説を掲載し、夕刊に「軍人が国を誤る・・・」を載せ、軍部の暴力を厳しく糾弾した。新聞各社が軍部の圧力に屈し口をつぐむなか、菊竹六鼓は「うちはいつもの通りいきましょう。」との方針を確認し、05月17日は「敢て国民に覚悟を促す」、05月19日は「騒擾事件と世論」を掲載した。福岡日々新聞の論説に久留米第12師団の将校達は「反軍」だと怒り、軍用機の威嚇飛行の噂さえ流れた。

五・一五事件の一周年の1933年(昭和08年)、「憲法かファッショか」の論説を掲載したが、同年日本は国際連盟を脱退し、一歩一歩と暗い時代に進んでいった。 1935年(昭和10年)に福岡日々新聞社副社長兼主筆に就任した。

羽織袴で通し「古武士」といわれた反骨の言論人菊竹六鼓はデリケートな神経の持ち主でもあった。若くして編集長になった六鼓は、先輩のイジメにあいノイローゼ気味となった。これを献身的に支えたのは妻静子であった。また公娼廃止を唱えながらも、妻以外の女性と情を交わしたことも弱さのあらわれであった。

1937年(昭和12年)07月、結核で倒れた六鼓は、新聞社の仲間や家族に後事を託し、皆に看取られながら薨じた。享年57歳であった。

k・s

②彼の書いた記事 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E7%AB%B9%E5%85%AD%E9%BC%93 より

理想の死

花の下にて春死するも理想の死なるべし。巌頭に所感を書して飛瀑に投ずる(藤村操のこと、転記者但書)も理想の死なるべし。されど、かくの如きのいわゆる理想の死なるものは、世を棄て世に棄てられたる、要もなき望みもなき出家者流の蟲のよき注文のみ、宇宙と人生と社会と人間とを誤解悲観したる末の自暴のみ。風流はあらん、同情は価いするべけんも、光輝ある尊敬すべき理想の死にはあらず。社会は空想にあらず実際なり。人生は素見(ひやかし)にあらずして真面目なる一大目的を有す。この真面目なる人間の実際社会における理想の死とは、正にその本務に斃れ、職務に殉ずるものならざるべからず。人、必ずも寿命ならずして死するも須いず、ただ高尚優婉なる理想に生くべきのみ。然れども死せば、願わくば理想の死を死なむ。 吾人に突如としてこの言あるは他なし。吾人は眼前のわが福岡において、近く四日以前において、光輝ある崇高なる理想の死を見たればなり。鉄道踏切りの一少女お栄によって示されたる一例が、吾人を感激することのあまりに劇しければなり。そも少女お栄とは誰れ、しかして彼女は如何にして死したるか。請う、少時事実の概要を語らしめよ。

少女お栄は福岡市外堅粕村松園の鉄道踏切に旗振りを務めとする山崎某の次女に生れたり。かれが高崇なる死の実例を示したる六月十七日は、あたかも少女の母某が病死後三七日(みなのか、21日法要、転記者但書)の仏事を営みし日とて、父と姉とは仏前に参じてあらず、すなわち今年わずか十一の少女お栄は健気にも紅白の旗採りて、その日信号の務めに就きたるなり。

同日、午後6時35分、篠栗行列車が黒煙をあげて進み来たりとき、少女は驚けり、線路に通行する人あると認めたり。かかるとき人と列車とに注意し警戒するは、正に少女が父と姉の当面の職務なりしなり。しかして、父と姉とにかわりてそのつとめにつきたりし少女が双肩の重任なりしなり。

彼女は呼べリ、旗十字に振りたてて呼べリ、列車来たる!列車来たる!危険なり避けよ避けよと大声に呼べリ。しかれども何事ぞ、人はなお知らざるのごとし。列車は容赦なく轣轆として来る。今は猶予すべきにあらず、少女はたまりかね身を躍らして第三踏切より第四踏切に進み行けり。旗振りたてつつ小さき声を振り絞りつつ、大胆にも進み行きたるなり。列車来たる、危険なり避けよ避けよと旗振りたてつつ、小さき声を振り絞りつつ進み行きたるなり。

少女は人を危険より救わんとして、身の人よりもなおさらに危難に瀕せるを忘れたりしなり。否な、彼女は自己の危難を念とするにはあまりにも職務に忠実なりしなり、あまりに人を救わんとするに急なりしなり。皇天に謝す。彼女が最後の一声はついに一人を惨死より救えり。しかれども何事ぞ、彼女は遂に職務に斃れぬ。行先長き彼女は、わずかに十一年の生涯をもってその生命を未来に移せり。吾人が筆を心悸に震わしつつ。一篇、理想の死と題して世人に紹介せんとする少女お栄が高崇なる死の顛末はかくの如し。

吾人は、かつて英文読本において、少女ケートの伝を読んで小さき胸を躍らせたることあり(近頃の小学読本にも其訳文ありと聞けり)。しかしてこの読本を有する国民を羨みしことあり。しかれども、今やさらに心悸の劇するを覚えつつ、眼前の事実をとってわが福岡県人とともに世人に誇りうるを悦ぶ。 可憐なる一少女お栄を有したることは、永遠にわが福岡県民の誇りなり。 広瀬中佐を出さざりしことは決して福岡県民の恥辱にあらず。東郷大将をださざりしことは決して、福岡県民絶大の恨事にはあらず。しかれども一少女お栄を出したりしことは福岡県民の永遠の誇りなり、名誉なり。

嗚呼、少女お栄! 記者不幸にして口唇韻なく、襟懐また詩なし。晦渋の筆ついにこの一大文章一大詩篇を眼前にして、これを美化し、詩化し、賛美謳歌するあたわざるを憾む。

菊竹六鼓,  福岡日日新聞 明治38年6月22日刊



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2014年01月11日 | 世直しのためにどうすべきか

早速「主権回復の会」より

 

だから何なんだ?「遺憾」と「失望」の違い
http://nipponism.net/wordpress/?p=25799

<「遺憾」と「失望」は同じだ!靖国神社参拝に不快を示した米国を擁護する詭弁 >

      言うべきは、「米国は靖国神社の首相参拝に口出しするな」だ!

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全く同感です。

私の叔父(父の長兄)は日露戦争で旅順で戦死したため、私も遺族として靖国神社に昇殿参拝し大祭ごとに通知が来ます。何故アメリカが『失望した』などとケチをつけるのか、大きなお世話です。大東亜戦争に関しては様々な見解があるでしょう。が、日本人が血を流さなかったらアジア諸国の独立は無かったことだけは事実です。外交で解決出来ないときは戦争という選択肢が常識だった時代を現在の尺度から見ても意味がありません。アメリカだって今でも爆撃を続け大統領も各国首脳もアーリントン墓地に参拝しているではありませんか。

【先ず隗より始めよの解説】

【注釈】 「隗」とは、中国の戦国時代の人物、郭隗のこと。
どうすれば賢者を招くことができるかと燕の昭王に問われたときに郭隗が、「まず私のような凡人を優遇することから始めて下さい。そうすれば優秀な人材が集まってくるでしょう」と言ったという、『戦国策・燕』にある故事に基づく。
「隗より始めよ」「賢を招くには隗より始めよ」とも。
【出典】 『戦国策』
【注意】 「魁より始めよ」と書くのは誤り。
【類義】
【対義】
【英語】 Practice what you preach.(自ら説くところに実行せよ)
【用例】 「先ず隗より始めよというから、この企画を発案した私が自ら営業に回ろうと思っています」

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次いで「パチンコ廃止通信」より。重要点をいつもより長めに引用します。パチンコだけでなくカジノ法案にも反対の立場です。あとはブックマークから入ってご覧下さい。

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今回の法案は、カジノの是非の議論以前の問題!明らかなダメ法案!


1)「推進本部」の設置と「カジノ管理員会」設置のための法案であるが
 実質的に法案成立=カジノ解禁となる。

2) ガイドライン策定は国会で審議するものではなく、推進本部、管理委員会の
 一存で決定される内容であること。
 また、推進会議メンバーは内閣総理大臣が任命する委員20人以内、と
 されており、人選が総理大臣に一任されている点。

3) パチンコとの整合性の議論が全く行われない。
 よって、成立すればパチンコ、公営ギャンブルとの3本柱となる。

4) 現状、管理委員会が認可した事業者が運営することとしており
 実質的には民営カジノとなる。

5) カジノ管理員会は内閣府外局として設置されるが、その構成が法案に
 はっきりと明記されていない。
 
6) 入場制限システムは公営ギャンブル、パチンコ店と連動しない限り
 効果を発揮しない。また、具体的な依存症対策が検討されていない。

7) 入場料が長時間滞在の温床となり、予算以上に賭け事に興じる環境を作る。

そもそも、日本はギャンブル無法地帯であり、カジノを導入するには
リスクが大変高いということを認識すべきです。
法案としては散々たる内容であるということを、一人でも多くの方に伝えましょう。
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早い話、税金が欲しいだけなのでしょうが、それさえ期待できそうにないユルユルの法律のように思えます。勤勉な国民性を破壊し、射幸心を政府が煽るとは・・・・・。

日本が潰れるときは日本人自らが潰す、というのは至言だと思います。最後に五行歌を一首。

霙雨(みぞれあめ)の音を聴きながら
深夜パソコンを開く
革命の起きぬ国に
線香の火
一本ほどの抵抗 

 

 


微笑禅の会ネット会報:平成26年1月号 迎春

2014年01月03日 | 微笑禅の会ネット会報

謹賀新年 今年も宜しくお願いします。

禅ではうかつに「明けましておめでとうございます」などというと、「何が目出度い!」と怒られることがありますが、この話は毎春しているので省略します。

年賀状には会員の皆様からのものもあり、戦友のように懐かしく、元気でいたかと嬉しい思いで一杯です。

既にお知らせしているように、HPの中のブログと掲示板はプロバイダから借りているものなので大丈夫ですが、その他の本文はindex.htmlごと削除され、またこのブログも掲示板もコバエたちの悪戯によりしばしば荒らされています。そういう状況ですので微笑禅の会やRJP基金、八王子五行歌会など全て更新することが出来なくなっています。ご承知置きください。

去年は「絆」が私のテーマでした。医療福祉関係者、呉竹会、八王子民商など幅広い方々と絆を結び、世界を広げることが出来ました。

今年のテーマは「創造」です。

私の父親も母方の祖母も助役だったせいか(先祖自慢と言わないでくださいねw。先祖の因縁ともDNAとも言います。話が長くなるので今回は省略します)、私は色んな世話を焼く癖があり、自分の創造的な活動を後回しにしてきました。つい先日もブログに書いたように、カルトストーカー被害者の大同団結を試み、無駄だと分かり止めました。創価学会の裏組織に代表される集団ストーカーの被害者、批判者の中には、被害妄想に陥り既に手遅れの人の他、まともなコミュニケーションが不可能で礼節も弁えない人、さらに(これが結構多いのですが)内部分裂を企んでガセネタを流す二重スパイなどが入り乱れ、魑魅魍魎が蠢く手が付けられない状態になっています。世間の良識ある人は公然と批判しなくても充分に分かっている、と信じてもっと自分の創造性に結びつく楽しい活動を積極的に行うことにしました。

それから、どんなにささやかでもボランティア的な行為は清々しいものですね。私は遺族ですので靖国神社で昇殿参拝をして以来、大祭ごとに遊就館の無料入場券などが送られてくるのですが、現在歩行障害があるために電車などには乗れません。そこで捨てるのはもったいないと思い、あるサイトで呼びかけたところ直ぐに希望者の方が現れました。上手くタイミングが合って早速初詣に出かけられ感謝の言葉を頂きました。

また長男が使っていた結構高価だった勉強机(蛍光灯や本棚がセットになった大型のもの)も、あるサイトで無料で差し上げると呼びかけたら2日で3人の希望者が現れました。ニスや溶液などがあれば補修して綺麗な状態で差し上げるのですが手元にありません。それを断った上での申し込みなので、申し訳ないような嬉しいような不思議な気分です。

本題に入ります。

微笑禅の会の皆様や興味をお持ちの皆様には、今年も健康と愛情と経済力には大いに執着し、地域の人々に慕われる存在になって頂きたいと思います。

坐禅のコツに関しては、大抵のことは語り尽くしたつもりですが、一つ言い忘れたことがあります。これは結構大事なことだろうと思います。

どうしても雑念が湧く場合、必ず視点が動いています。微笑禅の会の方法は、1Mほど前に白いものを置いてそこに視点を置く(凝視はしない)というものです。その時、「目で見るのではなく丹田で一点を見る」ように試みてください。目で見ていると脳に意識が上るために雑念が湧き易くなります。意識はあくまでも丹田に置くのですから、丹田から見ることができるようになれば雑念は湧きません。

これは、密教系は意識を上(脳)に置き、禅は意識を下に下げる、と言われることの応用でもあります。脊梁骨を逸らす以外は全身脱力して頭は休息状態です。顎の力を抜き、少しぐらい口を開いても構いません。また眠いのに坐禅をする意味は全くありません。仮眠をとって頭が冴えたときに行ってください。

あとは直接対面しないと伝わらない部分もあります。2つの講師派遣サイトがHPに貼ってありますが、現在の体調では余り遠くまでは行けません。3割は派遣会社の手数料になることをご承知頂き、送迎つきなら私のほうで出来るだけ料金は値下げ交渉します。会員の方々が坐禅会を開いているところに出かけたいものです。直接自宅に来て頂ければもちろん無料で坐禅会をします。

私の現在の体調は節制の成果が少しずつ出て筋力などはかなり回復して来ましたが、糖尿病による多発性神経炎(ニューロパチー)と、パソコンのし過ぎによる重い坐骨神経痛が重なったもの、そしてプラスアルファー、つまり原因が分からない部分があります。踝から下の痛みは尋常ではなく、五行歌で表現すれば

 

剣山の上を素足で歩く
痛みに耐えて
冬の散歩
無の一文字を
杖の代わりに

といった感じの痛さで、とにかく歩行禅をしながら治療しています。とにかくこの痛みを治し、また合気道道場で師範の方々と稽古をしたいものです。

正義を貫けばゴルゴダの丘。キリストは処刑に日蓮は流罪に逢いました。会員、名誉会員の中でもとりわけ真面目に修行されたかたのうち二人は偶然か必然か、共に「部下の不始末」により経済苦、そして生死を彷徨う大病をされました。私も危篤で2週間の意識不明、さらにもう一度危篤寸前で救急車で運ばれています。偶然にも二度とも名医中の名医に当たり、蘇生しました。生きた菩薩行をした証拠です。今年はもっと楽しく、もっと我侭に生きましょう。人生で今が一番若いとき、苦労したぶんの倍返しで楽しさが待っています。

 

自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するは悟りなり

以上で今年最初のネット会報を終えます。