那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

微笑禅の会ネット会報、平成28年新年号

2016年01月26日 | 微笑禅の会ネット会報

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」への提案に共鳴される方は私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp までメールを送ってください。特にアイム南の元職員の峯尾さん、殿塚(チャーミングな看護婦さんです)(この二人は囲む会に賛同されていました)畑さんはもしこのブログを読んでいたらメールを下さい。ぜひ八王子五行歌会の掲示板に投稿してください。

また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。

初めてこのブログを読む人にとっては「春名先生を囲む会」の意味が分からないでしょうから説明します。春名先生は私がアイム北野というデイサービスで出会ったアンチエイジングのプロフェッショナルで様々なサプリメントをメーカーに発注したり、様々な発明をされている医大の教員です。そこで、「春名先生を囲む会」を作り、春名先生だけでなく一芸に秀でた人に講師になってもらい、その後で懇親会を開こうと思いつきました。これは私が発案して様々な妨害が入り空中分解してしまった「ロータス文化学院」の再現、という意味合いもあります。ですから、春名先生の講義だけでなく、私も(坐禅、シュルレアリスム、合気道、五行歌など)、鍼灸院の院長先生(FTという神秘的な施術法やランチェスターの法則、極真空手の変遷)等々、様々な能力を持っている人を集め、講師は飲食料は無料として、お酒を飲める人は4千円、飲めない人は3千円とし、八王子市平岡町にある夢庵(西八王子店)という和風のファミレスに集まることを企画したわけです。このブログを読まれ囲む会に賛同された立川の便利屋さんも素晴らしいHPを作っているので、この人にも講義をしてもらおうと思っています。現在の賛同者は約8~9人ですので夢庵に問い合わせたところ平日の夜なら奥の座敷に4人掛けのテーブルがあるので、一回目の囲む会はお互いの時間を調整してそこに集まることにします。もし16人集まった場合は座敷を全て借り切れるとのことでした。特に決まった飲食料金は必要ありません。このブログを読んでいる皆様の中で一芸に秀でた人はもちろん、日常のためになる有意義な話を食事やお酒を飲みながら聞きたいと思う人は上記の私のメルアドまでご連絡下さい。 

昨日、春名先生と話し合って決まったことがあるので報告します。毎月第二金曜日の午後7時から囲む会を催すことになりました。講義は8時から1時間です。一回目は春名先生が長生きの秘訣について講義されています。質問タイムもあるので皆さんもドンドン質問してください。二回目は私が五行歌の歌会を行います。題詠は炎ですが、これを作品の中に入れても入れなくても自由です。五行歌は五行以外にルールが無く、添削をしません。三席までに入った人は月刊五行歌誌に基本的に作品レポートと共に掲載されます。出品料は無料です。作品が出来た人は私のメルアドまで送ってください。また当日は採点をするためにペンを持ってくるようにお願いします。ぜひ16人集めて夢庵の一室を借り切りたいものです。春名先生はプロジェクターを持っているのでスライドショーを見せながら講義したい、とおっしゃっています。

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全国の微笑禅の会の会員の皆さん、遅ればせながらあけましておめでとうございます。九州地区代表もK君からは今年も年賀状を頂きました。

約束通り手紙を書いてメールが来るのを待っていましたが、三々五々と集まったために今年はやや遅れて初のネット会報を出すことにしました。

去年の目標は健康に気を付けながら創造的な仕事をすることでしたが、今年もさらに健康に気を付けながら創造的な仕事をしようと思います。また創価学会の邪魔が入るといけないのでブログには書きませんが、今年は様々な芸術の世界で栄誉を受けることになるでしょう。

また五行歌では2度8番目の巻頭を飾りました。8番目の巻頭とは見開きの1頁目に作品が掲載されることです。およそ3千首の中の8番目です。さらに巻頭以外の作品群は1~6にランキング付けされますが、私は昨年はランキング1を維持してきました。

非常に嬉しいお知らせがあります。東京理科大を卒業し東京工芸大の大学院を出た後、アメリカに留学して理系の学問をしながら、中国で繊維関係の仕事をし、黒字を出すときは数億、赤字を出すときも数億というビジネスのある意味天才肌の方が微笑禅の会の会員になり、昨日我が家まで来られて坐禅の基本と密息、坐禅の理論などを学んで帰られました。帰りがけに歩行禅の練習をして得るものがあったとのことです。また日本に戻られたばかりなのに早速介護関係の面接に合格し、帰国中の1か月の間に40万円を貯め、中国に行ったら繊維と介護の仕事を両方手がけようとのことでした。私のような器用貧乏にはつくづく素晴らしい才能だと思います。

歩行禅はいまネット検索をかけると一般的になっており、特に茂木健一郎(創価学会の男妾です)が本「脳と心の整理術(php)」にして以来さらにいっそう一般的になったようですが、歩行禅という修行方法を編み出したのは私です。私の歩行禅は自分の名前を土踏まずの下に踏みつけ、自分を殺し、雑踏の中で無念無想になる訓練です。

また私は「初めて見た」と言われたことが何度かある旨、このネット会報に書きました。郷里愛媛で自動車教習所に通っていた時、適正検査の判断力の部分(簡単に言えばIQテストです)で満点を取った時、教官の一人が10年以上ここに勤めているが、満点を取った人は初めて見た、と言われました。次いで某脳波研究所の所長は我が家に来て脳波測定器で私の瞑想中の脳波を計ったところ、あらかじめリミットを最大に上げておいたのにローアルファー波(最高に心地よい状態)と覚醒シータ波(熟睡中や女性がエクスタシーのために気絶した時の脳波)が一瞬のうちにリミットを振り切ったときに「初めて見た」と言われました。残念ながら悟りという主観的な現象を客観的な数値で証明したこの実験は当時乱立していた私への中傷ブログを読まれたために、会社としてのリスクは背負いたくないとのことで中止になりました。また当時の記録も公開できなとのことで、実に残念ですが、必ずあることが起きますから、その時はまた別の方に測定してもらいます。

私は50を過ぎてから合気道(養神館)の道場に通うようになりました。そこで中島師範が「あなたのように上達の早い人は初めて見た」と言われました。中傷ブログ(犯人は創価学会員と私を恨んでいる実験映像作家、そして例の中田聡と一時期微笑禅の会の代表を任せていた鈴木正道です。これらへの中傷は現在弁護士に委任して頂きプロバイダ責任制限法の範囲内で納得できるまで攻め抜いてもらう所存です)では私が合気道を習ったのは一週間程度だろう、と書かれているそうですが、実際はほぼ1年半、受けた試験は全て合格しています。また私の基本動作は「白帯レベルのものではありません」と中島師範よりお墨付きを頂いています。

それから「時を斬る」のブログで有名な伏見顕正師に四柱推命と密教で占ってもらったところ、「一本のパワーラインでも物凄いのに6本もある一般人は初めて見た。常人を超えた方のようです」とメールにありました。そのメールはプリントアウトして私の手元にあります。見たい人にはいつでも見せてあげましょう。

またこれはつい最近の出来事ですが、私が通っているデイサービスにあるレッグプレスというマシンで、私が80キロの負荷を掛けて100回連続で運動しているのを見たスタッフが「初めて見ました」と言われました。最高200キロの負荷をかけることが出来ますが10回ぐらいなら出来ます。

またこれは、初めて見た、と言われたわけではありませんが、別のデイサービスで週に一度の筋トレでベッドに仰向けになりブリッジをしているので、今日同じことをやったところ、所長から「ブリッジは危険ですからベッドから落ちないで下さい」と言われたので、普段からやっているので大丈夫だと答えました。また別のデイサービスでブリッジをしている時にたまたケアマネさんが見て「凄いですね」と言われたそうです。また同じ別のデイサービスで私が看護婦さんを相手に切り返し(剣道の稽古の一つ)をやっているところを同じケアマネが写真に撮ったところ、早すぎで写真に写っていなかったそうです。そこでスタッフから見学者がいるときにはもっとユックリやってください、と言われましたが、素早くやるのが切り返しですから、ユックリやれと言われても私には出来ません。

とにかく、今後新たな微笑禅の会に入会した人が中国で更に微笑禅の会の会員を増やしてくれるのが楽しみです。

今後は年に4回ぐらいは紙媒体の微笑禅の会の会報を出すことにします。私が小野洋子のような資産家であればもちろん無料で行いたいのですが、微笑禅の会を維持するために年会費は5000円とします。また手紙に書いた通り、規約の変更を公にします。以前の規約は

②微笑禅の会は、一切の勧誘を禁止する。「桜李ものいわずとも下おのずから小道をなす」の通り、会員が隣近所の付き合いの中で人格者として尊敬されていれば、自ずと人が集まってくる。黙って入会を待つこと。

でしたが、自公連立政権が綿々と続く中で時代のエトスが最悪になり、このような楽観的な方法では世直しは出来ません。そこで創価学会を反面教師として、一人の会員が10人を勧誘し、その10人がそれぞれまた10人を勧誘する、という言う風にすれば、世直しは可能になります。

さらに我が家に来られた新しい会員の方にも話しましたが、「地位も名誉も金も要らない人間ほど怖いものはない。しかし天下国家について語りあえるのはこのような人物だ」という旨のことを西郷隆盛は述べています。また私の心の師匠である山本玄峰師も同じことを述べていますが、両者とも、地位も名誉も金もあったからこそ、このような言葉が吐けたことを忘れてはいけません。従って、いつも私が言うように、無執着にも執着せず、地位も、お金も、名誉も、愛情も、健康も、執着すべきものは執着し、そのうえで世のため人のために人生を賭けるのが、微笑禅の会の会員の使命だと思います。

以上で微笑禅の会のネット会報新年号を終わります。

 


微笑禅の会ネット会報平成27年12月号(補筆:2)

2015年12月06日 | 微笑禅の会ネット会報

ブログを読む前に集団ストーカーに興味のある方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 

私の人生を変えた決定的な出来事について一つ書き忘れてことがあるので付け加えておきます。

私が郷里で学習塾に成功し年に純益が1000万ほどあったときに、以前からしばしば誘われていましたが、大学院の指導教授から、「君を絶対に教授にするから早稲田大学の非常勤講師として赴任するように」と言われました。薄給の非常勤講師になって妻子を養っていくことは地方在住の人間にとって過酷なことですが、いま住んでいるマンションを買う頭金ほどの蓄財があったため、そのマンションに自分たち家族も済めばギリギリの生活ぐらいはできる、と考えた末にこのマンションを買い、妻子を連れて上京することになりました。

ところが、その指導教授は、依怙贔屓といってもいいほど私を買ってくれたのですが、おかしな癖があり、周りから嫌われている人物から先に就職を斡旋していきました。現場の映画製作者から「小役人の典型的な人物」と称される教え子を文科省の役人にしたり、ろくな研究論文も書いていない日大芸術学部からの学歴ロンダリング組を私よりも先に正教員にしたり、またコネで立命館大学に正教員として選ばれることが分かっている相手のアテウマにされたこともあります。二人とも私の後輩で日大からの学歴ロンダリング組でした。これらの就職の斡旋のすべてに私の指導教授が直接関与していたわけではありませんが少なくとも最初の道筋を付け、その経緯はご存じだった筈です。

彼らと比べ、私の研究論文、評論、その他の対外的活動と比較すればどう見積もっても私の50分の1未満の実績しか挙げていなかったのは事実です。私のHPの下のほうに私の執筆リストがまとめて掲載されているので疑われる方はご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/

そこで研究論文を書くと「査定」といって論文を認める作業があるのですが、私の後輩が私の論文を査定するというおかしな状態に置かれてしまいました。しかし4年間はその状態に我慢しました。

読者の中には私が大学教員としての適性を欠いていたのではないかと邪推する方もおられるでしょうが、それは逆立ちの論理です。私が東京工芸大学に赴任して3年目のオリエンテーションの時、50人ほどの教室は一杯になり、さらに通路にまで学生が行列を作るほどになったため、大学の中で一番大きな教室に移動することになりました。また東京工芸大学が私の改革案を飲まず、さらに退職金まで払わないために結果的に個人訴訟をする準備までに進んだのですが、その旨を授業中に述べたところ、最後のレポートに学生たちは、「先生が辞めたら東京工芸大はただのバカ大学になってしまいます」とか「なぜ〇〇先生が教授で那田先生が非常勤講師なのか理解できない」等々書いています。それは今でもダンボールに保存しています。また学生から絶大な支持を受けていることは以前に書いた微笑禅の会ネット会報に書いているので、次のurlをクリックしてジックリと呼んでください。私が大学をクビになったとか、学生に相手にされていなかったなどという風評被害に終止符を打っておきます。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/5af6faaf861af9149a0105a2b9452adb

また私が早稲田大学を3年で辞めたのは最初の契約通りのことであり、受ければ誰でも合格する早稲田大学専門学校(ここには映画の専門家がおらず、理工学部の教授たちの天下り先になっていました。最初のオリエンテーションを受け持ったのも私です)、また理工学部では頭の固い学生たちの思考を柔軟にするというミッションを受けて確か二年ほど集中授業を行いました。これらを合わせると早稲田で教えた期間は6年間になります。東京工芸大学では7年間教えましたが、これは低賃金で長年に渉って働かせることを禁止する労働基準法違反になります(今は派遣法が施行されたのでこの限りではありません)。

話を元に戻します。不思議なことに私が作っているHPに、まさにこのブログのように、創価学会を批判したり、また蓮実重彦を批判すると、それを読んで私の指導教授にわざわざご注進する人物がいました。それを読まれた指導教授は、電話一本で済むことなのに、私の住む八王子から指導教授の研究室(もちろん早稲田大学の中にあります)に呼び出して、「こういうことを書いていると君の出世の妨げになるから書かないように」と助言されました。それは指導教授の親心だとは十分理解しています。

しかし私はこう思いました。そもそも私よりも私のブログを読んで指導教授にチクル相手が悪いのではないか、また思ったことを黙っていないと正教授になれないとしたら、それは言論の封殺であり、知識人こそ世のため人のために命を捨てて正論を吐く立場にあるはずだ、そこまでして猟官運動はしたくない。だったらいっそのこと私はアカデミズムの世界から身を引こう、と考えました。

理由はそれだけではありません。個人情報になるので敢えて触れませんが、このことを一番喜んだのは私がお世話になっている心療内科(私は重い不眠症です)の医師と私の母親でした。心療内科の医師は「これまであなたの話を聞いていて一番のストレスは指導教授からのプレッシャーだった。それはいいことをした」(個人情報の部分は伏せてあります)と言われ、母親は「あの人は男性にしてはヒステリックすぎる」と漏らしました。

というのは「世界映画大事典」(日本図書センター刊行)の原稿を頼まれたのですが、私は当時学習塾の仕事で忙しかったのと、完璧主義という性格のため、原稿の締め切りを伸ばし伸ばしにしていました。指導教授からは原稿の材料になる資料を指摘してもらいましたが、それはとっくに所有していました。それでは物足りないと思って原稿が書けなかったのです。そういう事情は話していたのですが、指導教授が電話口で「君は一体やる気があるのか、それともないのか!」と叫ぶように言われたことを母は聞いていたからです。そこで私は寝る間も惜しんで原稿を書き終えましたが、なんと私が原稿を提出してから、最後の原稿が揃うのにあと10年もかかったのです。

こういうことが積もり重なって私は指導教授に絶縁状を書きました。同時に指導教授の細君は実験映像作家で、私の批評を楽しみにしてくれていましたが、夫と絶縁して細君と交友するわけにはいかないので、その旨も絶縁状には付け加えました。

普通から見れば、なんともったいないことを、と思われるかもしれませんが、これは私の性格ですので治しようがありません。この話は私の後輩たちの間で「弟子が師匠を破門した」と語り草になっていると聞きます。

私にはたとえ殺されようが筋を曲げることのできない遺伝的な体質のようなものがあります。

以上、書き忘れていたことをここで補筆する次第です。


「微笑禅の会ネット会報新春特別号」第2部(B)

2015年02月11日 | 微笑禅の会ネット会報

前回は達磨までを伝説的存在としたが、慧可以降は実在したと考えていいようだ。彼の過激な思想はかつての会報で紹介したが、再録する。

8)善惡を超える思想の危険性 http://www.eonet.ne.jp/~sansuian/zen/eka3.html

 空思想の「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」「煩悩即菩提」は、文字面 を受け取れば、煩悩をそのまま涅槃とする悪い現実肯定となる。それを回避しようと、事に即して経験することを強調した慧可であるが、観念によって引き起こされるあらゆる感情を「自心現量 」として斬って捨て、時間的統覚を否定する時、それは因果の撥無になりかねず、さらに分別 による二見を超えることも、一歩を誤れば、善悪双方の肯定になり、全てが許される自由へとエスカレートしかねない。次の説示はそのような危惧を抱かせるのに充分である。

十九「燃し、法仏、法僧に依って行道する時は、善惡好醜・因果 是非・持戒破戒等の見有ることを得ざれ。・・・・若し、人、戒を破り殺を犯し、淫を犯し盗を犯して、地獄に堕することを畏れんとき、自ら己れの法王を見れば、即ち解脱を得ん」。

 たしかに罰を恐れて、戦々兢々としていた心も、壁観に凝住すれば鎮まって安楽となろう。しかし、それは悪を止める力になるだろうか。また、すでに犯した悪はそれで果 たして清算されるのだろうか。さらに殺・淫・盗・妄語には、それによって深く傷付く他者がいる。その他者の問題はどうなるのだろうか。

 達摩の思想には、「我が宿殃にして、悪業の果 の熟するのみ」というように、自分の過去の罪とそれに関わる因果の論理が貫徹されていた。しかし慧可の場合は、宿業や罪という観念は、きっぱり捨てられている。

四一「痴人は亦た言う、我は罪を作れりと。智者が言う、汝の罪は何物にか似たる、と。此れは皆な縁より生じて自性無し。生ずる時に既に我無きことを知れば、誰か罪を作り、誰か受けん。経に云う、凡夫は強いて分別 して、我は貪り、我は瞋恚すという、是の如き愚痴の人は、すなわち三悪道に堕つ、と。また経に、罪性は内に非ず外に非ず、両つの中間に非ず、というは、此れは罪の処所無きことを明かすなり。処所無しとは、即ち寂滅の処なり。人の地獄に堕つるは、心に我を計して憶想分別 し、我は悪を作して我が受け、我は善を作して亦た我が受くと謂うに由る。此れは是悪業なり」。

 罪業の呵責は、たしかに過去に為したことに囚われた心の作用であろうし、その果 である地獄の苦しみを思い描くことも想像に過ぎなかろう。しかし、この慧可のように二見を持つことの方が悪業であるとまで説けば、悪因悪果 ・善因善果は否定されてしまう。次の言葉はそのことを危惧させずにはおかない。

十六「若し禁戒を犯したる時は忙怕せんも、もし怕るる心の不可得なるを知れば亦た解脱を得る」。

 これは文字通りとれば、戒律を無視することにもなりかねない。時あたかも戦乱の時代で、戦いのため、他者を殺し、傷つけ、あるいは物を奪って生きていかざるを得なかった人々が大勢いたに違いない。彼等は慧可の説くところを行じて安楽を得たかもしれないが、果 たしてそれが真の解決であろうか。

 自己(我)を幻とすることは、他者をも幻とすることである。自他を含む仏法のリアリティが慧可には言表されていない。もし敬虔な綿密な仏道としての日常生活を欠落させた時、慧可の説く道は因果 を撥無した無戒非道のあり方に堕さないであろうか。慧可は七仏通戒をも妄想として斬る。

五九「又た経にいう、一切の悪を断ち、一切の善を修めて、成仏することを得、と。答う、此れは是れ妄想して自心に現ずるのみ」。  禅宗が武人の宗教という趣きを呈するとき、その危惧はさらに増す。

 たしかに危険な思想だが、存在と当為、という概念を用いるならば、慧可は徹底的に当為を排除しリアルな事実だけを見つめている。人間以外の動物や草木鉱物には自意識がないために善悪という概念がない。慧可の悟りはその次元で語っているために一見危険のように思えるが、存在(万法)から文化のルールを斬り捨て自然の実相を見た場合、慧可の言葉は純粋理論としては正しい。この視座から見れば、アポリアの壁となった「自然の無関心」や、欄干の上をハイハイする赤ちゃんで例示した評価の差異は乗り越えられる。心も分別も幻に過ぎない(色即是空)のだから・・・。

問題はこの解説者が危惧するように、現実社会でそれが通用するかどうか、罪無くして死んだ人間やその縁者がそれで納得できるか、という感情や道徳(まさに当為と文化)の側面である。つまり人間は生きている以上、空即是色が常に着地点になるからだ。そこで、「無門関」の百丈野狐が意味を持つ。これもかつて会報で解説したが再度解説する。

百丈の野狐

百丈和尚、凡そ参(さん)の次で、一老人有って常に衆に随って法を聴く。衆人退けば老人も亦退く。忽ち一日退かず。師、遂に問う、「面前に立つ者は復た是れ何人ぞ?」

 

老人云く、「諾(だく)、某甲(それがし)は()なり。過去、迦葉仏(かしょうぶつ)の時に於いて曽(か)って此の山に住す」。因みに学人(がくにん)問う、「大修行底の人還って因果に落ちるや?」。 某甲(それがし)対(こた)えて云く、「因果に落ちず」。五百生野狐身(やこしん)に堕(だ)す。

 

「今請う。和尚一転語を代わって貴(ひと)えに野狐を脱せしめよ」。遂に問う、「大修行底の人還って因果に落ちるや?」。

 

師云く、「因果を昧(くらま)さず」。老人言下(ごんか)に大悟。

 

作礼して云く、「某甲(それがし)、已に野狐身(やこしん)を脱して山後に住在す。敢えて和尚に告ぐ。乞うらくは、亡僧(もうそう)の事例に依れ」。

 

師維那(いのう)をして白槌(びゃくつい)して衆に告げしむ、「食後(じきご)に亡僧(もうそう)を送らん」と。大衆言議すらく、「一衆皆安し、涅槃堂(ねはんどう)に又た人の病む無し。何が故ぞ是の如くなる」と。食後(じきご)に只だ師の衆を領して山後の嵒下(がんか)に至って、杖を以って一死野狐を挑出(ちょうしゅつ)し、乃(すなわ)ち火葬に依らしむるを見る。

 

師、晩に至って上堂、前の因縁を挙す。黄檗便ち問う、「古人、錯(あやま)って一転語(いってんご)を祇対(しつい)し、五百生野狐身(やこしん)に堕(だ)す。転々錯らざれば合に箇の甚麼(なに)にか作(な)るべき」。

 

師云く、「近前来(きんぜんらい)、伊(かれ)が与(た)めに道(い)わん」。黄檗遂に近前、師に一掌を与う。

 

師、手を拍(う)って笑って云く、「将(まさ)に謂(おも)えり、胡鬚赤(こしゅしゃく)と。更に赤鬚胡(しゃくしゅこ)あり」。

 

この老人は慧可の思想のお手本どおり、悟れば因果律の束縛から逃れることが出来る、と答えたために狐に身を落とし5百回生まれなおしても人間になれなかったが、百丈和尚が「因果をくらますことは出来ない」と言うのを聞いて大吾したという話である。判断や道徳は幻だから因果律はない、と答えると現実社会では通用しない。しかし、因果律は絶対だというとアポリアを解くことは出来ない。だから「ある」とも「ない」とも答えず、「ごまかせない」と答えたところに妙味がある。

面白いのは若い黄檗が師匠に「もしあの老人が最初から因果をくらますことは出来ない、と正解を出していたらどうなったんですか?」と(わざと)師匠に質問したとき、師匠は「いいことを教えてやるからこっちへ来い」と黄檗を呼んで一発殴り「ここに達磨さんがいたぞ」と大笑いして拍手した、というオチである。

つまり、この野狐の話は百丈和尚の作り話で、因果に落ちるのも危険、因果に落ちないのも危険という両否定、言い換えれば色即是空空即是色の両肯定を面白おかしく説法したのだから、チャチャを入れるなよ、と解釈する以外にない。

善因善果悪因悪果は、逆に非常に危険な因果律である。原理主義の宗教の場合、言うことを聞かない奴(敵対者)は「野垂れ死にするまで攻め抜け」となりかねない。最後には「悪い奴は死ぬべきだ」となり、サリンを撒いたりヤクザに殺人依頼をしたり、あるいは電磁波や超音波などのハイテク機械を使って、人為的に因果律を完成させようとする。

例えば、過去の戦争で「正しいほうが勝った」事実が一度でもあるだろうか?戦争は双方の正義の定義の違いから生まれる以上、善悪は全く関係ない。鉄砲を持ったほうが勝ち、大砲、機関銃を持ったほうが勝ち、飛行機による爆撃が勝ち、結局国際法を無視した都市大空襲と原爆という非戦闘員の大量殺戮をした連合国が勝って、東京裁判で日本の行為は「悪」となった。これがリアリズムである。連合国から見れば、この歴史は「善因善果悪因悪果」の因果律通り、となるが、日本から見ればどうだろう?いうまでもない。現実を直視すれば「「善因悪果悪因善果」のほうが普通だと分かる。

ここで一般論として宗教の意義を整理することにしよう。宗教とは

1.悪いことをするとお天道様が見ていて罰が当たるよ、という道徳を強化するための戒め。条件反射に例えれば、道徳の条件付けの役割を果たしている。(人間は宗教の戒律がなければ共食いまでする野蛮な動物だった)

2.死の恐怖の克服。哲学と宗教の決定的な(構造的な)違いはここにある。永遠の生命を説かない宗教はない。基本的には輪廻転生(天国や浄土も一度だけの輪廻転生思想に分類できる)であり、禅は人それぞれだが、個我を消す訓練により万物と一体になることで乗り越える。あえて誤解される言い方をすれば、見性体験は「梵我一如」の感覚に非常に似通っている。

 

もちろんこれだけでなく、科学が未だ解明していない祈りの効果(解説がややこしくなるので省略する)や、前世や死後の世界の存在を科学によらず、総合的直観力で予測した部分もあり、一部の科学者はそれを実験により解明しつつある。

要するに、因果律の否定はニヒリズムや無秩序な世界を生み出し、その原理主義的肯定は必然的に敵対者への憎しみと殺人に直結する。だから「因果律をバカにしてはいけない」と中庸をとる、というのが「百丈野狐」の公案の優れているところである。とすれば、生悟り、独りよがりの悟りを示す「野狐禅」という言葉は本来は全く逆で、黄檗が見抜いたように野狐は、因果律の本質(嘘でも必要である、ということ)を引き出すための非常に優れた媒介であり、この野狐こそ方便の風を吹かせて如来の蕾を開かせた春風のような存在だと私は考えている。百丈和尚の作り話に登場するキャラクターとはいえ、凡人ではとても野狐のレベルにまで達することはできないからである。

もう直ぐ夜中の1時、明日は用事があるので、続きは遅れるかもしれません。この間にメルマガの紹介があるかもしれないことをお断りします。次回は「才能の問題」について話します。

 


「微笑禅の会ネット会報」新春特別号第2部(A)

2015年02月10日 | 微笑禅の会ネット会報

先ず会報が遅れたことをお詫びします。

多分この会報は今日一日では終わらないと予想されるので、夜中までに書いた段階で次回に回すことをお断りいたします。

①因果論の限界について

私が大学院の修士課程を修了して10年ほど郷里愛媛に妻子を連れて帰っていたとき、隣町に心療内科が出来ました。私は中学1年のときに太宰治の「人間失格」を読んだのをきっかけに重い不眠症になっていたため、高校を卒業してからは酒を飲まないと眠れなくなってアルコール性肝炎で苦しみ、その代わりに睡眠導入剤を処方されていましたが、地元の内科で処方されたハルシオン(金色)も効かなくなりました。冷蔵庫に数ヶ月分のハルシオンを寝かせて(横流ししたら一錠2千円で売れたそうです。売ればよかった、というのは冗談です)、また飲酒を始めたときその心療内科が開業したと聞いて受診したわけですが、医師は私の顔を見ただけで「鬱病です」と答えました(ベテランになると表情だけで病名が分かるそうです)。そこで薬の処方と共に4年間カウンセリングを受けました。

偶然、ユング派のカウンセラーの方で、非常に面白く効果的な治療をしてくれました。その人が最初に「私は因果律は無視し、結果的に鬱病が治る方法を使います」と言われたので、何故ですか?と聞き直したら「もしお母さんの眼の前で子供が車に轢かれて死んだとします。お母さんが鬱病になって、何故私の子供は死んだのですか?と聞かれたら、傘を差して歩いていたら風が吹いて車道に飛んでいったので、それを拾おうとしたときに車が走ってきたからです、と答えてもお母さんの苦しみは無くならないでしょう?」と答えられました。

これは非常に含蓄のある言葉です。以前のネット会報でも問題にしたように、フクシマの原発事故で多大な犠牲者が出ました。そこにはチンピラもあどけない赤ちゃんも、善人も悪人も様々な人間がいたのに、その人間の善悪に関係なく一気に津波が巻き込み亡くなられました。

私なりに解釈すると、善因善果悪因悪果の仏説は「自然の無関心」の前にあっけなく崩壊したわけです。車に轢かれた子供も、お母さんが「なぜそのときに風が吹いてきたのですか?」と聞いたら、「自然は人為に無関心だからです」で終わってしまいますね。因果関係を直線的に辿っていくとここで議論はストップします。アポリアの壁です。

ところが仏教は因果論を前提に成立しています。そもそも故・中村元博士によれば、釈迦は我々が思っているような人物ではなく後世に作られたイメージであり、教えも「執着するな」程度のことしか残していないわけですから、「聖徳太子はいなかった」というレベルで論じれば「お釈迦様はいなかった」と言ってもいいでしょう。大乗非仏説を持ち出すまでも無く、また「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」の教えさえ、伝説を元に展開しているに過ぎません。この仏教協会は日本人への愚民化運動ではないか、と考えたくなるほど無執着を説くので、だったらさっさと自殺すれば?と突っ込みたくなります。

余談はさておき、仏教の面白いところは大乗非仏説にもビクリともしなかった、つまり、教義が開放系になっているために、後世の僧侶の内証(悟り)がより優れていれば、全てを釈迦の教えとして自在に取り込んでいく力があったことです。ですからこれから使う仏教用語は現実の釈迦が説いたものではありませんが、所謂三身論を用い全てを仏説として述べることにします。

此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」からあの煩瑣な縁起説が展開していきました。法華経で言えば十如是がこれに当たります。余りに有名ですが、天才翻訳僧・鳩摩羅什が幾つかの文献を元に創作した部分です。漢訳だと以下の通り。

仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。

ラフに現代語にすれば

「私が最後に分かったことはとても難しく悟った者同士にしか理解できない。宇宙の真理とは、あるモノがある性質を持ってある形をとってある潜在能力を元に動き始めたとき、それが原因となり、さらに副次的原因を巻き込み、ある結果が生まれ、また副次的結果に広がる。この一連の因果の連鎖は全て一つである」

とでもしておきましょう。これを天台大師は「空・仮・中」の三諦(さんたい)から解釈するために日蓮宗では如是相以下を3回読み直します。

では、これが完全な因果律か、思考実験をしてみます。目の前で赤ちゃんが橋の欄干の上をハイハイしている。危ない、と思ってその子供を橋から下ろしてあやしてる人がいたとします。普通なら親に感謝され、それを見ていた他人に、よくやった、と褒められるでしょう。しかし、偏屈な親だったら「余計なことをするな。運動神経を鍛えているんだ」と文句を言われるかもしれないし、見物している人の中には「フン、偽善者め」と罵られるかもしれません。だから「因果」ではなく、「因縁果報」という副次的な要素を残している、と私は考えます。

以前私は「稲を植えて麦が育つか。ヒマワリの種を蒔いてバラが咲くか」と語っていましたが、水害や冷害にあえば何も育ちません。突然変異もあるでしょうし、放射能の影響でとんでもない奇形植物が生えてくるかもしれません。

ここから禅の話に移ります。禅の系譜も非常に曖昧で一応「伝説時代」として

釈迦摩訶迦葉阿難陀-商那和修-優婆毬多-提多迦-彌遮迦-婆須密多-仏陀難提-伏駄密多-波栗濕縛-富那夜奢-阿那菩底-迦毘摩羅-那伽閼刺樹那-伽那提婆-羅睺羅多-僧伽難提-伽耶舎多-鳩摩羅多-闍夜多-婆修盤頭-摩拏羅-鶴勒那-獅子菩提-婆舎斯多-不如密多-般若多羅-菩提達磨

となっており、インドから中国へ禅宗を伝えた達磨は釈迦から数えて28代目、5世紀から6世紀の人物とされていますが、150歳で亡くなったとか、座りすぎて手足が腐った(普通なら化膿して長寿は無理でしょう)など、歴史学としての真実性は疑われています。

 

さて12時を過ぎました。続きは明日にします。

 

 


微笑禅の会ネット会報新春特別号①(創価学会批判、中傷ブログのことなど)

2015年01月07日 | 微笑禅の会ネット会報

 微笑禅の会の会員の皆様、遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。また、暫く更新が途絶えていたことをお詫びします。今年もまた会員から年賀状を頂き嬉しさで一杯です。特に重態だったK君の直筆の文字を見て安堵しました。

 昨年の目標は「創造」でした。瞬間風速ですが月刊「五行歌」6月号では巻頭の二番目に自作が選ばれ(会員と同人合わせて約千人、平均五首を提出します。休む人もいるので最低でも2千首ぐらいが掲載されている筈です)、また私の論文に対する著作人格権違反に当たる論文が出たために逆に私の研究が再評価されるきっかけになったことなど、偶然も重なって一応の目標を達成しました。今年の目標は「体を癒しながらさらに創造的な仕事をする」です。

1.創価学会批判について

 ところで、昨年のノーベル平和賞を受賞したマララ・スフザイという女の子の演説は見事でした。その一節に「私には二つの選択肢がありました。一つは黙って殺されるのを待つこと。二つ目は声を上げ、そして殺されることです。私は後者を選びました」とあります。これは特殊な危険地域での決意のように思われるかもしれませんが、実は常に誰でもこの立場に立っています。例えばこのブログを読んでいる人は全員「100年後には必ず死にます」。どこかのカルト指導者のように脅かしているのではありません。言い方を変えれば「心配するな、必ず死ぬ」ということです。

 私が平成18年に「創価学会批判の要諦」という一文をHPにアップロードして以来、母と私への名誉毀損、母への脅迫が起こり創価工作員との法廷闘争が始まりました(創価と断定する根拠は長くなるので省略します。裁判所には準備書面として提出済みです)。

 平成19年には不審な男女が私のビルに入居し、男が私に絡んで来たので(側面入り身投げで)もう少しで殺すところだったことなど、当時の掲示板で報告した通りです。相手が逃げたので殺さずに済み、結局、契約更新前に追い出しました。また、平成21年の8月に妻子が突然失踪し、平成22年の4月、私が母を虐待したとして母は八王子市高齢者支援課(現在は福祉課)に「保護措置」と称して1ヶ月監禁されました。現在、情報公開・個人情報保護条例を使って応酬しているところです。

 応酬の証拠の一つとして「創価学会が尚史君(私のこと)を第一の標的として狙っている」と私の従兄弟(当時創価学会本部職員)が親族に語ったことも、親族から証言書をもらい八王子市に提出しています。これもかつて報告した通りです。

 つまり、私が創価批判をしてきたのは、マララさんと同じく、真実を述べて死ぬのがいいか、口を閉ざして死ぬ間際に後悔するのがいいか、素直に二者択一で選んだだけです。もっとも現在は一億総右翼とも言える時代になったので数多くの人が実名で創価批判を展開するようになり、創価批判に関する私の役割はほとんど終わったと感じています。長い道のりでした。

 平成22年の危篤以来、環境も体調も一変したために微笑禅の会の活動も自然とおざなりになっていました。そこで今年は微笑禅の会の運動を再活性化させることも目標に加えます。本来この運動は「日本に10人の坂本龍馬が現れたなら世直しは可能になるのだから、見性者を10人作ろう」との発想から生まれたものです。大本教の歴史も頭の隅のほうにありました。

 そこで先ず、前代表の鈴木正道氏の退会を私の判断で除名処分に切り替えます。その理由はかつてのネット会報に詳細したので繰り返しません。微笑禅の会は非宗教の在家の会ですからサンガ(僧伽)の形は取っていませんが、彼のとった行動は「破和合僧」に当たります。これは仏教の中では最も重い罪・五逆罪の一つです。

 次いで、手元に残っている会員名簿から会員に向けて活性化のアイデアを求める旨の手紙を出します。ともかく一人では無理な活動をこなしているので遅れ遅れになりますが、届いた際は宜しく御願いします。

2.中傷ブログについて

 色んなキーワードで検索をかけるとあちこちに私への中傷記事があるのに驚いています。全体像を纏めると私は「性格が凶暴で、女にだらしなく、アルコール依存症で、批評も研究も大したことがない」人間になっています。上述の名誉毀損裁判の場合も似たような印象操作がありました。どうしてもそういう人間に仕立て上げたいようですね。

 例えば、授業中にキャバクラの話しかしない(真っ赤な嘘)、キャバ嬢や芸者やコンパニオンと遊んでいる、携帯でデリヘル嬢の顔を見て楽しんでいる等々。私はこの人たちの心境がサッパリわかりません。なぜなら、座禅も瞑想も、フロイトのいうリビドーのなせる業だからです。日本医学の操体の原理が「快の追求」であるように、座禅もリビドーに従ってより良い生きかたを求めることで生が聖に転じるのです(さらにそこから俗に戻るのを悟後の修行といいます)。それが汚らわしいと思うなら感情も欲望もない涅槃(タナトス)を求めてさっさと自殺でもすればいいでしょう。

 女遊びが悪いのなら、清く正しくマスターベーションをしているほうがいいのですか?馬鹿馬鹿しい。私は大学生のときに35人の女性と深い付き合いをしました(当時は順番に相手の姓名を覚えていましたが途中で面倒になり忘れました)。ほとんどが逆ナンです。30代で軽く100人切りは達成しているでしょう。だから私は40代になってからは「女体の神秘」も「女心の謎」も無くなっていました。しかし、「人間は年を取ったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなったから年をとるのだ」という名言がありますから、ペタンコになった歯磨きのチューブを押し出すようにして遊んでいたのが真相です。こんなどうでもいいことを鬼の首でもとったかのように囃し立てて騒ぐのは、自分がそれに執着している証拠です。このブログで「オルレアンの噂」という書物を紹介したことがあります。全て自分の潜在的な欲望の裏返しにすぎません。こういう人には「風狂」や「偽悪趣味」と言っても理解できないでしょう。

 例えば禅における私の心の師である山本玄峰老師は五戒の全てを破っています。人殺しはしていませんが血盟団事件の特別弁護で「たとえ善人と言われようと国家に悪事を成すものは殺していいと仏は説く」と、殺人肯定のうえに嘘(妄語)までついています。その他については山本玄峰老師の伝記を読んで下さい。

 中傷サイトの作り手は「三羽の雀」「りゅうオピニオン」「ムーチョ」(この3人、あるいは同一人物かもしれませんが、このHNは「東村山市議暗殺疑惑事件」を追及した複数の知人を中傷しているので創価関係者だとほぼ断定できます)、彼らのパシリの「やれやれ」君、中田聡も常連ですね。さらに私に恨みがあるらしい実験映像作家が3~4人加わっているようです。そこにまた鈴木正道氏も混じって、ロムしていた傍観者すら呆れ果てて説教していましたね。再度コピペしましょう。

何だかなー (通りすがり)2011-02-17 12:27:19

N田先生というやからは知らない人なので擁護する気はないが・・・
中田氏や鈴木氏・・・を筆頭にしょうがない人立ちの集まりだね。烏合の衆!
味方だった人間を裏切り(見はなしかね)、敵の城に出入りできるなんて恥知らずも
いいとこ。
 まともな人間(まともではないと自ずから否定するでしょうが)とはおもえんよ。
N田氏と何があったかはわからんが、しょせんもともとの住人は内側の情報を聞き
出せて喜んでいるだでだよきっと。一緒にお茶でも!と言ってくれる人はいないん
じゃないですかね。(そんな気はないでしょうがね)

管理人さんもすごいひとだね。「攻撃する意図はありません。言葉はきつくても叱咤
激励のつもりですにゃ。」
 これって、本気?(何かあった際の盾がわりにするための飾り文句ですよね)
ここに書かれている内容や管理人さんが直に書かれた内容は叱咤激励には到底とれな
いです。
よってたかって一人をいじめる小学生の苛めのようなもの。愚劣。

人の悪口やグチを書いて、ストレス発散するのはもそろそろやめたら?
あなたがたが社会の本当のゴミにならないよう注意しておきます。

言い切りごめん。コメに反応しませんので失礼します。削除されても文句いいません。

 

 このコメントを読んで、常識のある人は分かってくれるんだなぁ、と感動しましたが、「内側の嘘の情報」であることを付け加えておきます。一般人から「ゴミ」と呼ばれるような人物を代表にしたのは結果的に私の責任です。既に証拠の一部を八王子警察に提出していますので、公訴時効と照らし合わせながら温かくなったころに決断することにします。

 ここで「カルトストーカー被害者を救う会」としても、彼らの手口を暴いておきます。以下、中傷ブログからコピペします。

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なんとなく先生の書き込みテンションが下がっています。かたっぱしからりゅうさん、TINさん、ナリス真塩さんの書き込みを削除したけれど、ボディーブローがきいてきたのかも。
さて、掲示板だけに限定していきたい「突っ込み」ですが、テンション下がるなら、積極的に取材に出向きましょう、ということで実験映画上映会にでかけたりして、上映後の打ち上げに参加したりして、先生の新規情報を収集しております。
それとはべつに、タレコミ、というとなんか下品ですけれど、情報提供をいろいろいただいています。ありがとうございます。
添付画像もそのひとつ。
なんと先生、看板出していらっしゃるのね。「なだリサーチ」
すごーい。すごいけど0120ナンバーの電話はかからないんですけど、なんですか、看板だけですか。躁病っぽい行動です。
さあ、先生のテンション低下につきあっていられない。こちらから燃料(情報)を小出しに投下していきますよーっと。
(あ、うしろの吉野家が問題の吉野家なのね。凄い位置関係)

_____________

 こういう風にシッカリと尾行し、集団で情報を集め、家の前まで来て写真を撮影し、中傷するわけです。あるいは一部はそう見せかけて引き篭もりになるよう仕向けているのかもしれません。ちなみに、最初は「なだリサーチ」をフリーダイヤルにしていたのですが、留守電を聞いてみると、延々と無言だったりテレビの音が入っていたりして、月に6万円以上の電話代がかかったために中止したものです。そういう業務妨害を自分たちでやりながら、躁病、と中傷する「自作自演」と「マッチポンプ」が彼らの手口です。

 ちなみに隣の吉野屋ですが、今は別のファーストフード店に変わりました。やれやれ君は私が業務妨害をしているとコメントしてきました。だったら何故私は訴えられなかったのでしょう。実際は、私のヘルパーさんが帰りがけに牛丼の弁当を買いに行き、「あの店はガラが悪すぎて女性一人では入られない」と語っていたように、近隣の住民は近づかなくなったからです。

 もうひとつ例示しておきます。中傷ブログはこの文章で更新が終わっています。

_____________

 気になっていることは、N氏の「日本刀所持疑惑」である。
自分の記憶では、だいぶ前に、N氏は日本刀を所持していると書いていた。そして、それを売ろうと試みたが、あまり高い値がつかなかったので売らなかったと書いていたと記憶している。
日本刀を持っていることを知り合いに自慢したのか、その知り合いがそのことを八王子警察に伝え、警察官が聞き込みに訪問したという事実もN氏自身が掲示板に書いていた。
じっさいのところ、どうなのだろう。日本刀を持っているのか、いないのか。
たびたび自慢げに、高校生の頃、剣道に打ち込んでいたことをN氏は書いている。
これらの事実をつなげてみると、かなり気になってくる。若い頃には剣道をたしなんでいた人物が、日本刀を所持していたという記述をして、さらにその人物は被害妄想を持っていて、近隣の住人すべてを敵視するような記述をしたこともある、ということになる。
すくなくとも「日本刀所持疑惑」に関してだけでも釈明しておいた方がいいと思うのだがどうだろう。

______________

 この文章の上のほうに、自治会や八王子警察が私を危険人物と見ている、とも書いています。このブログでは上の文章と比べるとかなり真面目な書き方をしていますね。これは「法律に無知な人間に風評被害を広げる典型的な文章」です。日本刀を自宅で発見した場合は警察に届け出た後、教育委員会が管轄する鑑定で美術品として認められると「登録証」が発行され、それ共に所持していればなんら問題はありません。骨董屋さんなどで購入した場合はすでに登録証が付いていますから住所変更届けは骨董屋さんがやってくれます。

 本当に見え透いていますね。被害妄想、と決め付けておいて合法的に所持しているものをさも違法行為であるかのように見せかけ「日本刀所持疑惑」と勝手に事件にしています。日本刀など誰でも簡単に所持できるのに釈明とは・・・・・開いた口が塞がりません。ちなみに私が剣道に熱中したのは10歳から地元の警察道場で学びました。高校では1年、大学生になり1年古流剣法を習い、今でもたまに素振りをしています。お間違いなく。

 知り合いに自慢した、というのも嘘です。当時、岡村という自称集団ストーカー被害者(国分寺のヤクザを仕切り、亀井静香を動かせる力がある、那田さんは人が良すぎるから近藤勇、俺が土方歳三になる、等々と自己アピールしてきた人物)が毎日しつこく電話してくるので、とうとう頭に来て電話を叩き切ったら直ぐに警察がやってきました。そこで「一度も会った事がない」と答えたら警察も呆れて「分かった。適当にあしらっておく」と言って帰ったのが真相です。当時のHPに室内の写真を公表していたので岡村はそれを見て、警察に虚構を交えて通報したのでしょう。

 岡村は、慶応大学出身で真言宗の阿闍梨(あくまでも自称)、女性への接客をさせてくれたら天才だから仕事を斡旋して欲しい、というので(何故仕切っている国分寺で働かないのか、と聞いても一方的に喋り捲る)、知り合いのスナックオーナーに一応話を通して面接に行くよう告げたところ、「那田さんそれはスジが違うでしょ。私と一緒にそこへ飲みに行って一杯おごるのが男じゃないですか」と図に乗るので私がキレたわけです。このほかにも千葉の右翼を仕切っていると名乗る男など、この手の人物が何人も接近してきました。週刊新潮の記者や創価批判本を出している元幹部とも名刺交換し、特に後者には大変な迷惑を蒙りました。以前にも書いた通り、一番タチが悪いのがこの手の偽被害者、偽創価批判者です。

 ともかく、前の文章では「躁病」、ここでは「被害妄想」、八王子市高齢者福祉課は私を「精神病院」へ入れようとしました。100%マニュアル通りですね。私は一種の内部告発の文書だと思っていますが、『集団ストーカー教程』から一部を引用します。http://www.asyura2.com/0601/cult3/msg/128.html

①●手順1:『対象の身辺調査と個人情報収集・プロファイリング』
対象とその身辺、素行を徹底的に洗い出し、対象の個人情報を収集しプロファイリングし、それに基づいて基本的な工作シナリオを組み立てる。この段階では、本格的な尾行・盗聴・盗撮を行うためまず気づかれることはない。
 
②●手順2:『虚偽情報流布と対象の孤立化』
●手順1に基づき、対象に関するネガティブ情報を捏造し町内会・自治会を通じて近隣に流布させていく。また上層部を通じて職場にも流布させていく。この際に『社会的地位に基づく影響力』と『信頼すべき情報筋』を装い自治会役員・地域住民らを感化洗脳させていくと同時に、対象の信用と人間関係を破壊していく。この『社会的地位に基づく影響力』・『信頼すべき情報筋』を装う。その疑いが濃厚なものとして警察・防犯情報が浮上してきます。
 
③●手順3:『社会的総動員体制利用と心理学的犯罪テクニックによる攻撃』
●手順2で対象の人間関係と信用を破壊し孤立化させたところで、生活安全条例に基づく防犯ネットワーク活動及びその組織ネットワークをフルに利用(悪用)し、対象の包囲・追い込みを行うと同時に、精神異常者に仕立て上げるべく以下の心理学的犯罪手口が行使さる。この手口は組織的犯罪活動を隠蔽するため客観性を排除する手法でもあり、そのため傍からはまったく気づかれずに、対象にだけ分からせるように攻撃を加える手法でもあります。このような対象にだけ分からせるような心理学的犯罪手口を行使することによって、対象を客観性のない主観的状況状態に閉じ込めていきます。
  
④●手順4:『精神異常者に仕立て上げて一切の組織的犯罪活動を闇に葬る』
●手順2・3で対象を徹底的に攻撃したのち精神病院への誘導もしくは強制入院といった手段に訴え精神病院へ放り込んで医師の診断を下させる。
 
⑤●手順5:『ネット対策』
集団ストーカー活動が手順2~4の間に、ネット上において集団ストーカー被害の実態を暴露され始めた場合の対処要領とし以下に示すようなネット工作活動を行う。
【ネット工作活動】
●共産関連●共産ブラック●宮内庁の仕業●妄想●統合失調●病院へ行け●バカ扱い●電波●嘲笑●アドルト関連●無関係な話題の書き込み●無意味な文章やモナー絵によるスレ流し●もっともらしい屁理屈

(3)【その他関連事項】
●手順1~4までにおいて、盗聴・盗撮・不法侵入・薬物利用を行う。
  
①●盗聴・盗撮
集合住宅の場合、対象居室の上下両サイドをアジト化し室内盗聴・盗撮を行う。この場合、デジタル式盗聴器や有線式マイクカメラとテレビモニター等のハイテク機器により盗聴盗撮を行う。無線式マイクロカメラの場合は車両内でモニタリングする。また外出時における集団ストーカーの写真撮影は、対象への虚偽情報流布の材料として使用される。

 

以上、今回は2つのテーマについて話しました。ネット会報は2部構成にして、次回は因果論、才能の問題、そして私の善き助言者である玄侑宗久師の短編小説集「光の山」の読後感などについて語りたいと思います。今月中にアップします。

 


微笑禅の会ネット会報:平成26年1月号 迎春

2014年01月03日 | 微笑禅の会ネット会報

謹賀新年 今年も宜しくお願いします。

禅ではうかつに「明けましておめでとうございます」などというと、「何が目出度い!」と怒られることがありますが、この話は毎春しているので省略します。

年賀状には会員の皆様からのものもあり、戦友のように懐かしく、元気でいたかと嬉しい思いで一杯です。

既にお知らせしているように、HPの中のブログと掲示板はプロバイダから借りているものなので大丈夫ですが、その他の本文はindex.htmlごと削除され、またこのブログも掲示板もコバエたちの悪戯によりしばしば荒らされています。そういう状況ですので微笑禅の会やRJP基金、八王子五行歌会など全て更新することが出来なくなっています。ご承知置きください。

去年は「絆」が私のテーマでした。医療福祉関係者、呉竹会、八王子民商など幅広い方々と絆を結び、世界を広げることが出来ました。

今年のテーマは「創造」です。

私の父親も母方の祖母も助役だったせいか(先祖自慢と言わないでくださいねw。先祖の因縁ともDNAとも言います。話が長くなるので今回は省略します)、私は色んな世話を焼く癖があり、自分の創造的な活動を後回しにしてきました。つい先日もブログに書いたように、カルトストーカー被害者の大同団結を試み、無駄だと分かり止めました。創価学会の裏組織に代表される集団ストーカーの被害者、批判者の中には、被害妄想に陥り既に手遅れの人の他、まともなコミュニケーションが不可能で礼節も弁えない人、さらに(これが結構多いのですが)内部分裂を企んでガセネタを流す二重スパイなどが入り乱れ、魑魅魍魎が蠢く手が付けられない状態になっています。世間の良識ある人は公然と批判しなくても充分に分かっている、と信じてもっと自分の創造性に結びつく楽しい活動を積極的に行うことにしました。

それから、どんなにささやかでもボランティア的な行為は清々しいものですね。私は遺族ですので靖国神社で昇殿参拝をして以来、大祭ごとに遊就館の無料入場券などが送られてくるのですが、現在歩行障害があるために電車などには乗れません。そこで捨てるのはもったいないと思い、あるサイトで呼びかけたところ直ぐに希望者の方が現れました。上手くタイミングが合って早速初詣に出かけられ感謝の言葉を頂きました。

また長男が使っていた結構高価だった勉強机(蛍光灯や本棚がセットになった大型のもの)も、あるサイトで無料で差し上げると呼びかけたら2日で3人の希望者が現れました。ニスや溶液などがあれば補修して綺麗な状態で差し上げるのですが手元にありません。それを断った上での申し込みなので、申し訳ないような嬉しいような不思議な気分です。

本題に入ります。

微笑禅の会の皆様や興味をお持ちの皆様には、今年も健康と愛情と経済力には大いに執着し、地域の人々に慕われる存在になって頂きたいと思います。

坐禅のコツに関しては、大抵のことは語り尽くしたつもりですが、一つ言い忘れたことがあります。これは結構大事なことだろうと思います。

どうしても雑念が湧く場合、必ず視点が動いています。微笑禅の会の方法は、1Mほど前に白いものを置いてそこに視点を置く(凝視はしない)というものです。その時、「目で見るのではなく丹田で一点を見る」ように試みてください。目で見ていると脳に意識が上るために雑念が湧き易くなります。意識はあくまでも丹田に置くのですから、丹田から見ることができるようになれば雑念は湧きません。

これは、密教系は意識を上(脳)に置き、禅は意識を下に下げる、と言われることの応用でもあります。脊梁骨を逸らす以外は全身脱力して頭は休息状態です。顎の力を抜き、少しぐらい口を開いても構いません。また眠いのに坐禅をする意味は全くありません。仮眠をとって頭が冴えたときに行ってください。

あとは直接対面しないと伝わらない部分もあります。2つの講師派遣サイトがHPに貼ってありますが、現在の体調では余り遠くまでは行けません。3割は派遣会社の手数料になることをご承知頂き、送迎つきなら私のほうで出来るだけ料金は値下げ交渉します。会員の方々が坐禅会を開いているところに出かけたいものです。直接自宅に来て頂ければもちろん無料で坐禅会をします。

私の現在の体調は節制の成果が少しずつ出て筋力などはかなり回復して来ましたが、糖尿病による多発性神経炎(ニューロパチー)と、パソコンのし過ぎによる重い坐骨神経痛が重なったもの、そしてプラスアルファー、つまり原因が分からない部分があります。踝から下の痛みは尋常ではなく、五行歌で表現すれば

 

剣山の上を素足で歩く
痛みに耐えて
冬の散歩
無の一文字を
杖の代わりに

といった感じの痛さで、とにかく歩行禅をしながら治療しています。とにかくこの痛みを治し、また合気道道場で師範の方々と稽古をしたいものです。

正義を貫けばゴルゴダの丘。キリストは処刑に日蓮は流罪に逢いました。会員、名誉会員の中でもとりわけ真面目に修行されたかたのうち二人は偶然か必然か、共に「部下の不始末」により経済苦、そして生死を彷徨う大病をされました。私も危篤で2週間の意識不明、さらにもう一度危篤寸前で救急車で運ばれています。偶然にも二度とも名医中の名医に当たり、蘇生しました。生きた菩薩行をした証拠です。今年はもっと楽しく、もっと我侭に生きましょう。人生で今が一番若いとき、苦労したぶんの倍返しで楽しさが待っています。

 

自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するは悟りなり

以上で今年最初のネット会報を終えます。




微笑禅の会ネット会報平成25年8月号 (川上雪担老師から受けた点検の詳細)

2013年08月28日 | 微笑禅の会ネット会報

以下、mixiの川上雪担老師のコミュニティより引用します。

______________

 *川上雪担老師は平成23年5月20日、遷化されました。 

『座禅はなんでもありありのめっちゃくちゃ、でたらめわがままいっぱいがお薦めです、けつぶんまくってこれだけやってんのに、なぜなんにもしてくんねーんだって座禅に食ってかかる、てめえ殺すぞってなもんです、お行儀見習いじゃないんです、標準通りするんじゃない、おれはおれだ、おれが200%おれにならんけりゃこの世はなんの意味もない、歴史なんぞ糞食らえ、モーツアルトが好きならモーツアルトと刺し違えろ、- 』 


  住職 川上雪担(かわかみせったん) 

 昭和11年神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業後、新潟市内の高校で教鞭を執る。三年後思うところ あって出家、福井県小浜市発心寺僧堂に掛搭。以降日夜坐禅に明け暮れるが、この事なかな手に入らず、あるとき浜松市、井上義衍老師の事を聞き及んで早速かけつけ、しばらく逗留。ほどなく法の一端をかいま見る。昭和47年大本山総持寺に安居、その後新潟県東山寺の住職となる。その後も義衍老師の接心に通い、あるときもと脱落底なるを知る 。 

____________________

私が川上雪担老師に電話して点検を受けたのが老師が遷化される直前の5月だった。奥様らしき年配の女性が出られ「今日は法事に行って疲れ、今寝ていますが、少しお待ち下さい」と言われ、待っていたら運よく電話に出られた。

老師を知ったのはある人物から「今のあなたを指導できるのは川上雪担老師と福井県小浜の発心寺の原田雪渓老師しかいない」、と教えられたからである。二人の師匠はともに井上義衍老師。井上義衍老師の師匠は原田祖岳師であり、原田師は曹洞宗ながら臨在の公案を自在に取り入れたことで知られ、その弟子の一人・安谷白雲師は同じ方法を用いて三宝教団を作られた。三宝教団には私の質問にわざわざ手紙を頂いた外池禅雄師がご健在である。その手紙は宝物として大切に仕舞っている。

つまり私が微笑禅の会を作る前から助言を頂いたのは、同い年の玄侑宗久師(師は慶応大学出身なので禅の修業で早慶戦をしましょう、と言って私とメルトモ的関係になり、非常に多忙な中で教義上の質問に常に的を射た助言を頂いている。心から尊敬できる方である)、そして外池禅雄師、故・川上雪担老師の3人である(他にも助言してもらった方がいるが名前を忘れてしまった。「人間禅」の方だった)

玄侑宗久師は私が最初に見性体験をしたとき、祝福の言葉とともに何十回も見性を繰返した中国の禅者のことを教えられ、私が居士だからだろう「維摩詰(ゆいまきつ)」を手本にするように、と助言を頂いた(たまたま維摩経は私の大好きな経典で、あれほど文学的で華麗な経典は他にないと思われる)。

以上は「見性体験記」の中に書いてあるので、遷化直前に点検して頂いた川上雪担老師の言葉を今回は紹介する。

(これは以前作っていたHPや、現在のHPになっても掲示板で何度か語ってきたが、掲示板は作るたびにサイバーストーカーによって荒されるために現在はエッセー的なものはこのブログのみになっている。私は見ていないが、ストーカーたちは私が削除した掲示板を復活されて中傷ネタにしているらしい。事の真相は会員の方々や常連読者の方々は充分ご存知の通り。幾らIPアドレスを禁止にしてもプロキシを使って粘着を繰返し、まともな議論が成立しないので削除しただけの話である)

老師との点検は、突然妻子が失踪した上に、私を介護に愛媛から上京した母までが八王子市高齢者支援課の確信的悪意により保護措置(私が母を虐待したというシナリオ)として隔離されている最中で、最も苦しい時だった。記憶を呼び起こして以下会話を再現する。

私「私は微笑禅の会という一派を作っている八王子市の那田尚史と言います。お疲れのところ点検をお願いします」

老師「君は見性したというが、俺は悟ったという意識が残ってないか?」

私「さらさら残っていません」(以下、私の心境を問う質問が続けてあった。私は思ったままを素直に答え、その後現況を要約して打ち明けた)

老師「君は大変な苦境にいるようだが、そのカルト宗教というのは具体的になんだい?」

私「創価学会です」

老師「ああ~、創価か! あそこは悪い! なるほど分かった。地元で誰か君を助けてくれる仲間はいないのか?」

私「八王子は創価市と言われるぐらいですから、私を助けるような勇気のある人物はいません」

老師「いま君はどんな修行をしているんだ?」

私「多忙なので家では坐禅を組まず、用事で外に出たときに歩行禅をしています」(当時はいまほど歩行障害がひどくなかった)

老師「君はまず体を治すのが先決だ。一切の修行を止めて入院しなさい」

私「私が入院すると失踪した妻子や監禁中の母の問題、それから様々な手続きが山のように溜まっているので入院は不可能です」

老師「那田君、自己を運びて万法を修証するを迷いとなす。万法すすみて自己を修証するは悟りなり、というじゃないか」

私「(この正法眼蔵の現成公案にある一説は理入のときに何度も考えたことがあるので、天から下った言葉のように胸を打った。そこで咄嗟に) 住職様、分かりました。お言葉のとおりにします」

老師「辛いときには、仏様~辛いよ~、と嘆きなさい。そうすれば天地が動き人が動いてどうにかなるから」

私「誠に有難う御座います。住職様に電話した甲斐がありました」

老師「悩んだときにはまた電話してきなさい」

私「有難う御座います。住職様もいつまでもお元気で」(この段階では涙が零れていた)


以上である。

私は入院しなかったが、片っ端から市議やデイサービスに電話を掛けまくったところ、偶然にデイサービスの経営者で男気があると評判の高い市会議員が母を助け出してくれ、緊張の糸の切れた私は、その10日ほど後に倒れ、救急車で運ばれた。救急隊員が色々な病院と連絡をとり偶然運ばれたのが今は潰れた八王子駅のすぐ近くの多摩相互病院。偶然にも担当医が確か東大病院の外科部長だった人で(元院長で当時は顧問をされていた)、この人にしか出来ない達人業で、頚動脈から4,5本の点滴の針を心臓に向けて刺すという治療を行ってもらった。しかし、私は2週間意識不明の危篤に陥った。病院関係者全員がもうダメだと判断して、私のケアマネージャーと母が看取りに来たらしいが私は全く覚えていない。2週間後に気付くと、私は両手両足をベッドに括りつけられていた。無意識に暴れて点滴の針を外すと、血が噴出して看護士では対応できないからである。さらに導尿されて尿はベッドの横の透明な袋に溜められ身動き出来ない状態だった。

意識回復後、担当医は「もう足の拘束は外していい」と言われたが、看護士が言うことを聞かず、さらにナースコールのボタンを手が届かないところに置いて「看護士は家政婦じゃないの。急がしいんだから一々呼び出さないこと」と、鬼のような表情で言った。

意識回復後、私は担当医と婦長(士長)と看護士(全員女性)がいる前で、「こんな態度の悪い看護士たちのいる病院には居たくない。点滴も導尿カテーテルも外せ。家に帰る」と主張した。そして看護士が行った行為を全て暴露した。担当医は「いま退院すると君は死んでしまう。それでもいいのか?」と聞いたので、「死んでもいいです」と答えた。担当医は暫く考えて「1週間だけ待て」と言われたので(或いは五日だったかもしれない)、私も考えた挙句「では待ちます」と答えた。

医師が不在の夜間に看護士たちが悪いことをしないよう、母が夜も付き添うことを条件に出していため高齢者支援課の職員もその場に来ていた。私は母を監禁していた当の相手に「新入居者の本契約を済ませていないから早く帰らないといけない」というとその職員は「本契約はハウスコムとの間でもう終わってますよ」とニヤニヤ答えた。私は意識不明のときに子供たちの夢を見続けたので「子供たちが帰っているかも知れないから」というと「子供は帰っていませんよ」と答えた。

高齢者支援課の一職員が何故私の営業内容や家族問題まで把握しているのだろう?誰でも不思議に思うに違いない。これまでに起こった事件を俯瞰的に見れば直ぐに謎は解ける。つまりこの職員と上司たちはまず間違いなく創価の手先だと私は推理している。それは、この監禁事件以前から連続して起きた様々な「生存権を脅かすような出来事」を繋ぎ合わせた合理的推理であり、単純な思い込みではない。一部後述するが、腐るほどの証拠を積み上げた上での心証である。だから私はその職員に「お前は池田大作の犬だろ?犬ならごちゃごちゃ言わずにワンと鳴け」と怒鳴った。職員は「そこまで言いますか?」と言い返したので、「当たり前だろ。ほらワンと鳴いてみろ」と挑発した。(ちなみに情報公開請求した結果、この会話は省略されており、私が手足を拘束され、異常者でもあるかのように書いてあった)。3年以上前のことだが、私は「忘れられない病気」を持っているので、この会話は正確に再現している。この要求はいかにも底意地の悪そうな士長(年配の女性)が、「それほど元気なことを言う人に付き添いは要りません。ダメです」と言って拒絶された。(こういう病院が潰れるのは当然で、後日ネットを見ても「看護婦の態度の悪さに怒りが収まらない。二度と行かない」というクチコミを多数見つけた)

市の職員が帰ったあと、担当医は急患のオペがあり一時病室から消えられたが、30分ほどして血の付いたゴム手袋の姿で戻ってこられた。「あれっ、先生、オペはもう終わったんですか?」と聞いたら、本当に嬉しそうな柔和な顔で「まだ途中だけど、那田君の様子を見にきたんだよ」と言われ、直ぐにオペに戻られた。

地獄に仏とはこのことだろう。私が医師の言葉に従っただけでなく、高齢者支援課の工作員に放った言葉で全てを理解されたのだ。これが良識ある八王子市民の本音で、10人に9人は私のように言いたいのだが、面従腹背で黙っているだけなのである。担当医の行動が菩薩のように見えた。

数日経って、まだ黄疸が残っていたが4日間だけ諸手続きを済ませるために外泊許可をもらったまま、私は家庭裁判所や母の監禁の問題、その他の手続きに追われ、遂に病院に帰らなかった。病院からは体調を気遣う手紙が届いた。

まだある。私の母を助け出した市会議員に感謝して、母のデイサービス(ニチイ)をその市議の経営するデイサービスに変更し、同時に私の所有するマンションの西側の壁に市議の後援会連絡所の看板を設置し、壁半分は市議の所属する自民党に自由に使ってもらうことにした。

その結果なにが起こったか?先ず看板が誰かに引き剥がされ、地面にこすり付けたらしく市議の顔の部分を中心にペンキが剥げてしまった。私は顔にギザギザな擦り傷がついたその看板を一旦倉庫に仕舞って、剥げた部分に色を塗り、工業用ボンドで一層強く壁に貼り付けた(縦1Mほどのものである)。するとしつこいことに(しつこいからストーカーと言われるのだが)黒服の男が2~3人現れ、入居者が見ている前で、その後援会の看板に立小便をして「俺たちは県外から来たから捕まらないぞ」と言い残して消えた。入居者の奥さんは直ぐに110番通報したらしい(その旨、外出中の私の携帯に連絡が入った)。ほぼ1時間後帰宅した私は、まだ警察が来ていないと聞いて驚き、自ら110番通報した。やってきた新米警官が入居者に事情を聞いた後で私の部屋に挨拶に来た。人相を見て真面目な青年だと分かったので「警官を志望するぐらいだから正義感は人一倍強いんだろうが、だんだんと正義感が消えていくのが八王子の風土だから、今の気持ちを忘れないように」と教えた。

ちなみに「創価学会批判の要諦」(2006年7月26日に前のHPに書いたもの。現在でも、有名な‘阿修羅’を含め複数の人が引用している)を書いたあと最初に起きたのが、母と私への名誉毀損と母への脅迫事件だったことは既に何度も書いている。母が住んでいた西予市野村町の自宅に、提訴して審理中にも係わらず被告の立場の男が脅迫に来て、秘密録音した内容をディスクに変換して裁判所に提出した。愚かなことに、その中に自分の脅迫の言葉も残っていた。また、その仲間も静岡からわざわざ母の家を訪れ、ビデオテープを廻した上で、母に「貴方は本当は従軍慰安婦だったでしょう」と態度を一変させて罵倒した。母は助役の娘であり軍属として満州に渡った証明書も持っているし、この発言は第三者の証人がいなくても「伝播可能性の法理」によって立派な名誉毀損行為である。ともかく、単なる私怨でここまでお金と時間をかけて行動することはありえない。常識のあるひとなら「組織犯罪」と分かるだろう。私は一応探偵なのでその決定的証拠を幾つも記録して、信頼できる人物には既に送ってある。

さらに看板事件と同じ黒服の男2~3人が一人暮らしの母の家を訪れ、「創価学会会員の脱会を勧めているのはお前だろう。俺は隣の宇和町の青年部の○○だ」と名前を名乗り、合計3回ほど脅しに来た。たまたま母の家の正面に退職警官が住んでいたので誰何して追い返し、私が本人訴訟した際には「現認書」を書いてもらい、その他複数の証言書を添え、またそれが創価の組織犯罪であることを立証する決定的な証拠を出した。それも被告に散々嘘の準備書面を書かせた上で「隠し玉」として提出したが、地裁では事実調査は一度もされなかった。

高裁は一審で事実調査は終わったという前提で審議を進めるので、法令違反、憲法違反、判例、新しい証拠などだけを提出することになる、私は2時間でA4で8枚の上告の訴状を書いて提出した。二人の被告は一度も法廷に現れないまま私たちの敗訴となったが、これも稀有な判決として歴史に残るだろう。高裁の裁判官4人のうち、一番左の一人は私を燃えるような怨念の目で睨みつけていた。この時は一緒に活動していた瀬戸弘幸氏が傍聴に来ていただき、母を紹介した。ちなみに、そういう判決が出るのは一審の裁判官の態度から分かっていたので私は甚平姿で原告席に座った。知り合いの弁護士は「そういうのが裁判官の心証を悪くしたんじゃないですか?」と言ったが「裁判官の心証」とは法律用語では「提出証拠や文書の説得力を元にした事実の存否判断」のことであり、スーツを着ていようが着流しだろうが、全く関係の無い問題である。先に結論ありき、だということはとっくに分かっていた。

話が脇に逸れたが、まだ後日談がある。

私が意識を回復した後に八王子保険所の職員が2人病室にやってきた。上司の若い女性(仮にNさんとしておこう)は、一目見ただけで尋常ではない目付きをしていた。彼女は私には断酒治療が必要だから精神病院に入院するよう、実にしつこく説得した(集団ストーカーのマニュアリ通りで笑えますね)。私が事情を説明して、そんなことをしている場合じゃないといっても、何度もオームのように同じ勧誘を繰返す。部下の青年がその女性の話を遮って病室を出るように促してくれた。

さらに、Nさんは今度は母のいるデイサービスに現れ、私を精神病院に入れるようにと母をしつこく説得した。これまでのいきさつを充分に知っているデイサービスの責任者の女性がNさんを外に追い出したらしい。帰ってきた母からその様子を聞いた。八王子の公務員の中にはこういう連中が要所要所に配備されているのである。まあ日本中どこでも公務員試験は形式だけで決まるから、八王子でなくても同じ状況なのかもしれない。

私が受けた具体的な組織犯罪について、私は半分も公にしていない。第三者が信じられないような事実は皆隠している。証拠の残っているものだけでも上記のような信じがたい事実があった。まあ、ご苦労様としか言いようが無い。

本題に戻る。要するに、川上雪担老師が言われた通り、評判のいい市議に無事母は救い出され、入院も名医に当たって危篤から蘇生したわけで自己を運びて万法を修証するを迷いとなす。万法すすみて自己を修証するは悟りなり の言葉の通り万法が動いてくれたのである。

以上、私と川上雪担老師の点検とその時の状況を丁寧に紹介した。さて、今回のブログのもう一つのテーマはここから始まる。

禅における祈り(祈祷)の方法とはこういうものである。禅は仏教の中で最も密教性が薄く「大般若祈祷会」を例外として、基本的に祈らない。普段の心がけと禅定を繰り返して悟っていれば、あとは万法(全存在)が成すがままに任せておけば、どうにかなるという教義である。「自分が一生懸命頑張って世界の真相を見極めようとするうちはまだ迷いだよ。世界のほうが勝手に動いてくれて思うようになるときに本当の悟りというんだよ」というのが禅の祈祷法なのだ。つまり、「破れ坐蒲(ざふ)に座り 祈らず願わず 言葉も私も消える」訓練(私は苦行は嫌いなので、これを趣味道楽にするのがコツだといつも言っている)をするだけである。

しかし、再再考してみよう。私と天地が一体になり、私と万物が同根となり、私(個我)への執着が消えたときに、思うがままに状況のほうが動く、と言っても、「思うがまま」の中には祈りが存在する。例えば日蓮宗は「日蓮密教」と言われるぐらいだから、祈祷は得意技で、日蓮自身も様々な祈祷を行っている。だから祈りの形は大きく違うが、禅が祈りを全否定しているわけではない。

なるべく合理的に説明したい。例えば、私が坐禅をしているときは、丹田呼吸をして非常に細く長い呼気になる。これは交感神経を押さえて、副交感神経を活性化させる効果がある。このときに驚くべき脳内快感物質が出るのは過去に説明した通りである。脳波も目覚めたままシータ波になる。

逸話の一例は記すと、私は「余命3週間」と言われた猫の癌(絶対に治らないと言われ、火葬して高尾のペット霊園に埋葬する見積もりまで取った)に罹った猫を、坐禅のときに猫を膝の上において、操体の要領で、祈るのではなく、自分の至福の快感を伝えるという方法で、完治させたことがある。「見性体験記」に書いた通りで、5~6年前の話だから当の獣医が覚えているかどうか知らないが、病院の名前も書いてある。多分カルテが残っている筈だ。癌に罹った猫の両足は伸びたまま動かず、頭は痙攣し、餌も食べない状態だった。私の妻はただ泣くだけだった。それが治ったのだから奇跡と言っていいが、「治るよ」、と私は家族に宣言していた。切れた手足が生えることは無いが、免疫系等の病気ならどんなカルト邪教でも奇跡的に治癒した体験談が幾らでもある。NK細胞や自己治癒力を強くする手伝いをしただけのことで、出来る人には簡単に出来ると思う。

つまり①自分の苦しさを消す、②一緒に「苦しさを消したい」と感じている存在の思いを実現する、この2つは合理的な解説が可能になる。問題は、共に祈ることもせず、むしろ反感を抱き、あるいは洗脳され、または意図的な憎しみを抱いているような相手を対象にして、祈りに効果があるか?という点だ。

もしこれが可能だとすれば、自分の祈りを伝える媒介が存在しなければ説明が付かない。この不思議な媒介を中村天風(宗教否定論者)は宇宙霊と呼んだ。ユングの思想や量子力学では存在の統一性を示す様々な現象が認められているにせよ、人間の心が他者に通じる具体的な前提、例えばテレパシーは実在する、という科学的証拠がなければ「祈りの効果」の根拠が壊れてしまう。

私は現在、体が幾つあっても足りないほどの重要な雑務を抱えているので、真剣な理入をする時間が取れないが、私の善き助言者・ 玄侑宗久師は複雑系の理論でその仮説は説明が付く、と言われている。

人間の思いを受け取る「宇宙の意思」のようなものがあるかないか? それは霊能者にしか分からない、と神秘の世界にお任せするという態度では仏教の根本テーゼの一つ、無疑曰信(疑いなきを信と言う)が壊れてしまう。疑って疑って検証を繰返した結果、なるほどそうか、と理解するから信仰なのであり、ここを無視して信じることを「盲信」とも「狂信」とも言う。言うまでも無くこういう人々はカルト、セクトと呼ばれ、敵対者を不幸にすることが正しいと思い込むことすらあり、結果的に最初から信仰が無く、お金のためなら何でもやるサイコパスと同じ精神構造になっていく。

これから先は私の課題であると共に、微笑禅の会の会員だけでなく、信仰を持つ人々全員の課題として残しておこう。


もう午前4時を過ぎた。出来るなら中村天風のように冬でも早起きして冷水に浸かるような生活をしてみたいものだ。

最近時々youtubeで合気道の達人たちの技や解説を見ているが、藤平光一は独特で、自分の求めているものに非常に近い気がしている。暇なときに調べてみよう。

読者の皆さんも課題について調べ、実践してみてください。最後に、断酒を口実に精神病院に入れようとする保健所職員がいたら叩き出しましょう。肝臓が悪くなったら自然に酒が不味くて飲めなくなり、自然に禁酒できます。特に酒を愛し、一生酒を飲みたいと思っている人間は自然に自己コントロールが可能です。とにかくマニュアル通り、段取りのままで、面白いことをする人が一杯いますね。

そういう訳で今日はこれで失礼します。話がアチコチに飛びましたが、非常に重要なテーマを書いたつもりです。

 


微笑禅の会ネット会報平成25年8月号 閑話休題(風評流布の構造)

2013年08月26日 | 微笑禅の会ネット会報

昔行っていた授業のように、途中で雑談を入れます。但し本質と係わる雑談で、中傷や風評被害の構造に触れようと思います。

噂、都市伝説を研究した名著に「オルレアンの噂」があり、作者のエドガール・モランは、wikiによれば

エドガール・モランEdgar Morin、本名Edgar Nahoum1921年7月8日 パリ - )は、フランス哲学者社会学者である。ユダヤ系スペイン人(セファルディム)の出身である。その仕事は諸学問の境界を横断する超領域性で知られている。また、文化人類学者ジャン・ルーシュと共同監督した『ある夏の記録』(1961年)によって、ヌーヴェルヴァーグ映画監督としても知られる。

とあり、実験映画・シネマヴェリテとも絡んで私にとっては興味深い人物です。「『オルレアンのうわさ - 女性誘拐のうわさとその神話作用』、杉山光信訳、みすず書房(初版1973年 をhttp://www5d.biglobe.ne.jp/DD2/Rumor/column/la_rumeur_d'orl'eans.htm より要約して引用します。途中多くの省略があることをお断りしておきます。

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 『オルレアンのうわさ』とは、1969年5月、フランスのオルレアンに流れた女性誘拐の噂の事です。
 オルレアンは、パリの南方100kmほどのところにある、当時人口十数万人の地方都市でした。この街にあるブティックで、女性が消えると言う噂が流れたのは、1969年5月のことでした。最初期のうわさは、若い女性がブティックの地下にあるという試着室に入ると、催眠性のある薬品を嗅がされたり薬物を注射されたりして、前後不覚になったところを誘拐され、外国の売春宿に売り飛ばされていく、というものです。当初は1軒だけだとされていた、女性誘拐を行なっているブティックは、次第に数を増やしていき、最終的には全部で6軒のブティックと靴屋が、この事実無根の風聞の対象とされました。実はこの6軒の店舗うち、5軒までがユダヤ人経営の店であり、残る1軒も、噂の少し前、ユダヤ人の前店主から引きつがれた店でした。

 モランはこの噂が、思春期の少女にありがちな、性的なものへの恐れと憧れの中から生まれた物だとしています。最初期の噂は、『神話』化し、社会問題となった後期型の噂と違い、いかにも根も葉もない世間話といった趣の話でした。噂を生み出した女学生達自身にしても、この話を現実の出来事と考えていたとは言えないようです。

モランは、少女ら以外で最初にこの噂に反応したのは、母親や女教師など、少女達との接点がある大人の女性であったと指摘しています。そのかかわりの構図とは、この噂を否定することで、少女らの性への芽生えを抑圧しようとした、というものです。結果的に、この反応が、それまでほとんど女学生の間にのみ広まっていた無責任な噂話を、より多くの人に広める契機になったようです。

 やがて、この噂が広範に広まるにつれ、ある一つの新しい要素が付加されていきます。それが、『誘拐を行なっているのはユダヤ人である』、という民族差別的な内容でした。当初は、どことなく淫靡な雰囲気を醸し出しているだけだった噂が、ユダヤ人という触媒を得たことで、オルレアンの人々にとってより現実的な脅威として認識されるようになり、急速に拡大していきます。
 やがて、猛威を振るった噂騒動も、発生から数週間が経つうち、急速に沈静化へと向かいます。けれど、噂が完全に消滅したかと言えばそうでもありませんでした。『ブティックから女性が消える』と言う、騒動のきっかけとなった巨大な噂それ自体は瓦解しつつも、この噂が持っていた多種多様なモチーフごとに細分化され、それを発展させた、多くの『ミニ神話』という残滓はなおも生き続けます。
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つまり、噂、風評というのは、その底に噂を広める人にとって「都合のいい願望」と「無意識の欲望の抑圧」によって広まる、と分析したわけです。

私は「創価学会批判の要諦」(2006年7月)をウェブ上に書いて以来、とんでもない犯罪(助役の娘で軍属だった母を従軍慰安婦と決めつけ、私の論文や批評を読みもせず全て価値が無いと断定する工作員の登場、等々)に巻き込まれて名誉毀損訴訟を起こし、妻子の失踪(言論の暴力によるDVシェルターへの保護から妻の両親さえ住所が分からない状態が2年続き、そこから移転後の住所を知って2年以上になります。もちろん接見禁止=保護命令は出ていません)、八王子高齢者支援課による母の保護処分(私が高齢者虐待をしたという100%が作文に基づくもの)、相当重い刑事罰に相当する中傷ブログが立っている、など一般人では経験できない様々な犯罪にあってきました。

この中で、モランが指摘したのと同じ構造が底流にあることが分かっていました。これらの工作員の行動に共通する風評被害の目的が、「私の女性関係のだらしなさ」と「すぐに暴力を振るう」という神話を流布させようとしていること、その筋書きに早くから気付いていました。

特に、「微笑禅の会」の活動にしても「ロータス人づくり企画」の様々な構想にしても、現代の道徳や価値観を糾すという目的が根底にあります。ですから、これを潰すには過去に「悪の論理」に引用したとおり、その主導者のシモネタを流布させるのが一番効果的なわけです。

そしてモランが指摘したように、風説を流す主人公自身が無意識に、自分自身の劣等感(男の嫉妬は凄まじいですからね。怨念の塊になります)と性的欲望を暴露しているのです。具体的に言えば、韓国人の留学生と同棲していた、人妻と付き合っていた、石和のコンパニオンと恋仲になった、キャバクラに通っている、デルヘル嬢の写真を見ている(代表の座を一時譲った人物すらここに拘りました)、そして100%根拠のない「幼女に性的悪戯をした」「デリヘル嬢を買って支払いに文句をつけた」と、どんどんエスカレートしていきました。

こうすることで、こんな人間が禅の指導をする資格はない、こんな人間が道徳教育や世直しをする資格がない、と神話化に方向性を持たせたいのですね。創価中学自主退学にも裏があるはず、早稲田卒業も嘘、修士論文は他人が書いた、大学辞職も本当はクビだった、中央義士会の顧問は経歴詐称(その事情はブログに説明済みです)、等々、嘘も100回つけば事実になる、という悪の論理で確信的に神話化を強めていったわけです。

噂によって自分たちの組織を批判する人間を社会から抹殺するための実に幼稚なシナリオで、もっと推敲して欲しいと思いますが、実はこの単純な手口で充分なのです。つまり「人間は人間にとって狼ですから、噂がその主人公の評判を高めるほうに広がることは絶対にありません」。権力への欲望に囚われて生きるしかない人間は、常に「自分のほうが上位に立つように噂を解釈する」からです。簡単に言えば、人間は「人をけなして喜ぶ本能を持っている」ということです。

滑稽なのは、下半身スキャンダルの内容です。人妻と付き合ってどこが悪いのでしょう。もう姦通罪はありませんよ。キャバクラ遊びは東京では一流企業の接待にも使われます。バブル崩壊以後デリヘル(新風営法により合法)には女優なみの美人が集まり、それを見て楽しむことのどこが悪なのでしょう? 悪い悪いと囃し立てている人間は、本当は自分もそんな体験をしてみたい、また本当は自分がデリヘル嬢を買いたい(或いは買ったことがある)と思っているから、そこばかり気になるわけです。モランが言ったとおり「性的なものへ憧れ」が隠れた悪評を流す人々の深層意識、つまり自分でも気が付かない本音です。

禅の指導者が酒を飲み、女遊びをしてはいけない、などというのは思い込みに過ぎず、己の心境の低さを物語っています。遊びは大いに結構。良寛、一休禅師の人生を調べて御覧なさい。公案にも恋や性愛がテーマになっているものがあります。ちゃんと読んで心境を述べて欲しいものです。もし私に甲斐性があれば、不遇に生きている女性を片っ端から恋人にして幸せにしたいぐらいです。

さらに「よさこい節」の価値観から見れば、どうせやるなら掟を犯して晒し者にされ国外追放するぐらいの恋をせよ、という思想があり、戦前の映画では「狂恋もの」というジャンルがありました。八百屋お七などその典型で、坪内逍遥は恋人に逢いたいために大火を起こしたお七の恋心を絶賛しています。大体、不倫や娼婦や芸者との恋愛をタブーにしたら、日本の芸術の殆どが消えてしまいます。歌舞伎、文学、演劇などなどの名作の大半はこの種のものがテーマです。私は「五行歌」同人で「八王子五行歌会」の代表を務めていますが、大いに恋をせよ、不倫上等、という気風があり、主宰の草壁焔太先生自身が性愛の重要性を力説されています。事実、自分を振り返ると、夜の帝王、キャバレンジャーと言われていた時代が最も精力的に仕事をこなしていました。テストステロンが出なくなると全てにおいて活動的でなくなります。現在の私は意識不明の危篤2週間から蘇生し、リハビリの途中ですから、恋愛に興味がもてず、禁酒も続け、坐禅が唯一のストレス解消法というストイックな生き方をしています。これは正しいようで本当は悪い状態です。趣味道楽は人間を健康に保つ構造的に不可欠な要素ですから、これが消えると生の全体のバランスが壊れます。危篤から蘇った人なら分かる筈ですが、そういう体験をした人は滅多にいないでしょうね。

ともかくこういう訳でオルレアンの噂を分析したモランがズバリと指摘したとおり、噂を流す人々は己の無意識の性的欲望を否認して私に投影し、自分の差別意識(邪魔な存在への殺人願望)を自分で暴露しているわけです。モラン自身がユダヤ系スペイン人だったので、この著作には身につまされる思いがあったでしょう。現在は「都市伝説」の構造を知る上での古典となっています。

ところで、昔のHPに書いた映画批評の中から法廷映画の傑作について書いたものが出てきたでここに復元します。モランの考察と合わせてお読み下さい。

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『12人の怒れる男』(シドニー・ルメット 1957年 白黒)

 


{あらすじ}

スラムに住む18歳の少年が、「父親をナイフで刺し殺した」として第1級殺人罪で死刑に問われる。無作為に選ばれた12人の陪審員たちが、殺人事件に対する評決を下すまでを描いた法廷劇(密室劇)だ。

  はじめはたった1人の陪審員だけが「無罪」を主張していた。それが、議論を重ねるに従って少しずつ「無罪」が増えていく。「有罪に決まっているじゃないか。早く終わらせて帰ろうぜ」。そんな空気が議論を重ねるうちに少しずつ変わっていく。「疑問があるから話し合いたいんだ」。そんな主張が少しずつ受け入れられていく過程が息詰まるタッチで描かれる。

  ドラマは、裁判所でのすべての審理を終えたところから始まる。見知らぬ者同士の12人の陪審員は、株の仲買人、会社社長、建築家、広告会社社員、時計職人、高校のフットボール・コーチなどと職業はさまざまだ。移民もいれば、スラム出身者もいるという具合に階層も幅広い。夕方からの野球のナイター見物を楽しみにしている男もいる。「義務だからここの場にいるが、陪審なんて早く切り上げて帰宅したい」。多くの陪審員はそう思っている。

  評決は全員一致でなければならない。有罪の評決が出れば、少年は電気いすで死刑になることが決まっている。1回目の投票では、ただ1人の陪審員(ヘンリー・フォンダ)だけが「無罪」を主張した。圧倒的多数の11人は「有罪」だった。「無罪の証拠はなかった。目撃者もいる。事実は動かせない」というのが「有罪」の理由だ。これに対し、ヘンリー・フォンダは訴える。「6日間の証言を聞いて、あまりにも明確なので奇妙にさえ感じた。弁護士は十分な反対尋問を行っていない。手抜きをしている。目撃者は1人の女性だけ。あとは物音を聞いた老人と状況証拠だ。この2人の証言が間違っているとすれば?」

  陪審員たちの空気は、明らかにヘンリー・フォンダに冷たかった。なぜ1人だけ、みんなと違うことを言うんだ…。どこにでもいるんだ、そういう奴って…。しかし彼は言う。「人の命を5分で決めてもし間違っていたら? 1時間話そう。ナイターには十分間に合う」

  そして、議論が始まる。「非常に珍しい型」とされた凶器のナイフは、どこにでもあるナイフだったことが分かった。再投票で10対2になった。「無罪」評決に転じた老人が言う。「有罪に確信がないだけで、この方は1人で闘ってこられた。大変な勇気だ。だからこそ彼の賭けに応じたくなった。有罪だとしても、もっと話を聞きたい」。うんざりした表情ながらも、陪審員たちの議論は続けられることになった。

  同じアパートに住む老人と、目撃者とされる女性の証言にはあいまいな点が多いことが、白熱した議論と検証を通じて少しずつ分かってくる。8対4、6対6、3対9…、投票を重ねるに従って「無罪」の評決が増えていく。「なぜ無罪に変えた」「疑いの余地がある。不明確な点も多いし」。裁判所での事件審理自体に疑問を感じる陪審員が出てくる。

  「あの不良が。連中は平気でうそをつく。真実なんてどうでもいいんだ。大した理由がなくても奴らは人を殺す。気にするような人種じゃない。奴らは根っからのクズなんだ」。議論に興奮したのか、少年やスラム住民へのあからさまな中傷を夢中でしゃべった陪審員は、自分の心の中に強くある差別感情と偏見を自ら告白する結果になった。ほかの陪審員たちは絶句して無言で彼を非難する。「偏見抜きで物事を考えるのは難しい。偏見は真実を見る目を曇らせる。事実は私も分からないし知る人はいない。だが、われわれは疑問を感じている。そこが重要な点だ。確信もなく人の命は裁けない」

  最後まで「有罪」を主張し続けた男は、息子と喧嘩別れしてもう2年間も会っていないことで苦しんでいた。自分の息子と被告の少年を心の中でだぶらせて、だから「有罪だ」とかたくなに繰り返していたのだった。男は泣きながら「無罪だ」と言って机に突っ伏した。

  少年に対する評決はついに「無罪」で一致した。12人の陪審員は裁判所の建物を出て、それぞれの家へと帰って行く。 http://www.geocities.jp/ookaminami/angry-men.htmlより引用。



{批評}

この作品も映画研究者としては当然見ておくべきものなのだが、法廷ドラマということで、あまりに退屈そうな作品だとの偏見を持って今日まで見るのを延期してきた。それで退屈覚悟で見たのだが、案に反して、実に面白い。この作品のいい点を列挙しておく。
 この映画は冒頭とラストの数十秒を覗けば、上映時間の1時間半全てが、物語上の経過時間と一致する。その上、場所は陪審員の会議室を一歩も出ない。そういう時間と空間を固定した実験的な構造になっている。
 第二に、いうまでもなく、アクションもラブシーンもない、ひたすら会話が続くだけだが、これが脚本が抜群にうまく作られていて、会話の中で事件の全貌が少しずつ分かる仕掛けになっていると同時に、会話の中で陪審員一人一人の境遇や性格が徐々にあぶりだされるようになる。面白い話は少しも無いのに、ぐいぐいと観客を引き込んでいく作りになっている。
 最初無罪を訴えるのはヘンリー・フォンダだけなのだが、次に無罪に態度を変える老人(何と言う役者か忘れてしまったがさぞかし名優に違いない)が実に上手い芝居をする。私は外国の俳優に関しては無知に近いが、12人の陪審員全員が個性的なキャラクターを演じていて、実に芸が細かい。

限られた空間、上映時間と劇時間の一致、そして会話だけの映画、という極端にストイックは構造をもちながら、一瞬も退屈することなく最後まで魅入らせるルメットの技量は天才的だと言っていい。
 カメラワークは、極端な長廻しがあるかと思うと素早いカットバックがあったり、自由自在。白黒の画面も非常にシャープで魅力的だ。

ルメットの作品としては私は「セルピコ」「狼達の午後」を見ているが共に面白かった。社会派監督だが、この退屈させない技は大したものだ。

ある殺人事件を解明しながら、実は陪審員の心の傷や偏見といったものが、有罪無罪を決定する心の奥に隠れていることを暴露する。そして、民主主義というものは、ヘンリー・フォンダの演じる男のように、納得できないことを見逃さず、徹底して議論しあうことから生まれる、という強いメッセージ性ももっている。

未見の人にはお奨めする。というよりも、この作品は「見なければならない」映画史上の傑作である。

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私はモランの学説を読むよりも、この映画を見ることをお奨めします。私はこの頃「芸術」という言葉を使うことも抵抗を覚えるようになりました。しかし、映画でもこのレベルになるとアンガージュマンになるでしょう。

現実には中々映画のように、真相解明が出来てハッピーエンドで終わることはまずありません。ヘンリー・フォンダが演じるような人物が計画的に無力化、つまり消されていったからです。

モランはユダヤ人に対する差別が、ルメットはスラム街に住む人間への差別が、真実を見る目を曇らせて神話(噂の捏造)を作り上げていくことを喝破しました。被差別階級ですね。ところが私は先祖が武士であり(後村上天皇に仕えた守護大名です。和歌山県海南市からとりよせた公文書があります)、大学教員を延べ13年続け、東京工芸大では「伝説の授業」と言われて先輩から後輩に、この授業だけは受けろ、と言われるまでの名物になりました。だから、「先祖自慢ばかりする」「虚言癖がある」、「クビになった」等々の中傷をしないと気がすまないわけです。

権力を批判するとどういうふうに社会から抹殺されるか、その大掛かりな、典型的な実例をここに書きました。何かの参考になれば幸いです。

八王子高齢者支援課の策略により母は右肩の治療をしないまま一週間以上も嘘の自白の強要をされたために、現在右手の握力が殆どなくなっています。危篤寸前のときに私の子供に電報を打っても何ら連絡がありません。元妻の母親が協力してくれましたが、手の打ちようのない状況に置かれています。

しかし私は全く後悔していません。子供と逢えないまま今殺されても、全然気になりません。何故だと思いますか? 見性体験をしたといっても当然人間ですから心労で危篤にもなったし当然辛いですよ。しかし、フッと微笑が零れるときがあります。自分はこういう使命をもって生まれてきたんだなぁ、大変な宿題をこなさないといけないんだ、と今の苦境が楽しみに変化する時があります。この気持ちを共有できる人がいると嬉しいのですが・・・

今後は、祈りの意味、罰功徳論、遷化された川上雪担老師から受けた点検のより詳しい内容など、思うが侭に書いていく予定です。今回のように重要な雑談になる場合もありますのでご了承願います。以下、月刊五行歌の3月号の巻頭に選ばれた自作です。

夜中 台所の水滴の音で 目が覚める 握力が弱くなった母の 命の音


追伸:そうそう、このブログは「カルトストーカー被害者を救う会」も兼ねているので一言付け足します。マスコミが真実を報道しなくなって何年になるのでしょう。現在ですら電磁波や音波による敵対者への攻撃が妄想だと思っている人がいるようです。格好のブログがあったので貼っておきます。私も昔は信じていない時期がありましたが、100%事実だと分かりました。電磁波や音波で敵対者を殺したり病気にしておいて「仏罰が当たった」という、もっとも卑怯な、遠隔操作によるマッチポンプが日本中で実行されています。以下のブログと、そこにリンクされたブログを熟読して下さい。知性が少しでもあれば誰も反論できないはずです。(思考盗聴はありません。それは本当の盗聴の可能性が強いと思います) 暗黒時代ですね。念の為に「母と私が突然死した場合は必ず司法解剖すること」と遺言を残しておきましょう。 http://kkytea.blog44.fc2.com/blog-entry-132.html

今の政府が健全ならすぐさまこの凶悪犯罪を防止する法案を作るべきです。 

今夜はこれで失礼します。

 


善人の罪(微笑禅の会ネット会報・臨時増刊号)

2013年06月02日 | 微笑禅の会ネット会報

私がネット上で知り合い畏敬している方が以下の文章を書かれた。最近私が大きなテーマにしている「悪の論理・善の論理」を考える上で非常に参考になったので、以下本人の快諾を得て紹介する。

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良い人は早死にで、悪い奴ほど長生きする。とはよく言われる諺である。 
また、「あんなに優柔不断な奴が大丈夫でなぜあんなに立派な人がこんな災難に遭遇するのか?」とか理不尽な世間の現象に、「神も仏もあるものか!」と思う人が多いと思う。 
この世の中は悪人で生きるほうが安全なのか? 
この現象は、どのような理由によって説明できるのであろう? 

昔、「黒住の孝行息子」と備前藩から表彰された黒住宗忠という人がいた。 
この黒住宗忠は、一般的にはあまり有名な人ではないが、江戸幕末時代の宗教家である。しかも、死んでから孝明天皇から「大明神」を賜り、神様になった人である。(死後、宗忠神社も作られた) 

死んでから「神様」の称号を貰ったのは、秀吉や家康もいるし、菅原道真も神様に為ったけれども、実績によって天皇が敬意を込めて神様称号を贈った割には一般的に有名ではない。 
しかし、近代の神道を研究すれば、必ず根本に黒住宗忠に到達する位、神道の偉人であったと言えましょう。 
それ程、「すごい人」なんだけども空海程有名でないのは、宗忠が田舎(岡山)の一神主に過ぎなかったからであり、「文章は教えの神髄を伝えない」として「教えの本」を書かなかったからであろう。また新興宗教の教祖のように組織拡大に熱心であれば、もっと世に広がったであろうが、組織拡大に熱心で無かったのも原因である。 
しかし生前の信じられないような奇跡や類い希なる講話により、その名は天皇の耳まで到達し、宗忠の神社は天皇の祈願を特別に祈祷成就する「勅願所」神社にまでなったのである。 

その宗忠がいうには「善人に罪あり、悪人に道あり」という言葉を残している。 

さて、宗忠は、幼少の頃より慈愛の心深く、特に、生まれが、代々今宮神社の神主を務めていた黒住家の跡取りということもあり、神に対する信心も非常に深かった。 
先ほど書いたように、「黒住の孝行息子」と備前藩から表彰された位、彼の親に対する思いは純粋で周りの者の感動を呼ぶものであったらしい。 
しかし、家族仲も良い幸せな家庭は、突然の流行病によって一瞬にして崩れ去ったのである。わずか2ヶ月の間に相次いで両親を亡くした宗忠の悲しみは、想像を超えたものであった。夜に墓場で泣き続け、泣き疲れて体の冷え切った彼の姿を朝に村人が見つけることも多々あったという。このとき、宗忠 齢33歳で妻もいた。 

村人は「男が30にもなっていつまでも悲しむのも情けない」と励ますのだが、頭で判っていても彼の悲しみは癒えなかった。 
そんな宗忠もついに「肺結核」という当時では不治の病を宣告され、余命あと何日かの宣告を受けてしまうのである。 
村人達は「あんなに親孝行の人が死ぬなんて今宮の神は居ないものか?」と嘆いたという。 

いよいよ臨終が近くなった宗忠は、太陽を見たいといい、布団なり太陽の当たる部屋に皆で運んだという。太陽の光をぽかぽか浴びていた宗忠は、突然、「陽気になれ」と悟ったという。 
宗忠は「陰気を追い出して心を陽気にするのだ。たとえ一息でも良い。陽気になろう。それが、今までの親や神様への恩に少しでも報いることだと今まで気づかなかったのが悲しい。せめて死ぬまでは、少しの間でも恩返しをしよう。」と悟ったと同時に、この日を境に徐々に奇跡的に回復したのである。 

さて、そんな黒住宗忠が後年こう言った。 

善人にも罪あり、悪人にも道があり。悪人とても良き所は必ず有るなり。いっさい良きものと悪きものを入れ違えておるだけなり、天地の間に何一つ捨つるもの無し、捨つる人無し。」 

更に、「石川五右衛門は盗賊で決して手本にすべき人間ではない。しかし、あの心の強さだけは学ぶべきである。人に悪人無し。悪人と申すは、心の強きものにて、心の力余るだけのものが悪を致すものだ。その悪を止めれば本当の善人である。今、善人というのは、心弱気故に、悪をも出来ないに過ぎない。故に善人は、強き所を悪人より学び、我が道を守れば、これこそ真の道人(満ちる人)である

善人とは、気が弱く、クヨクヨする人を言うのであるが善人の罪とは、気が弱いので心が陰気になりクヨクヨし、陰気により、親神様から頂いている魂の力が働かず、次第に人生に自在がなくなる。即ち 罪とは「包み」であり、善人の罪とは、神の御霊の働きを知らず、陰気により心を痛める。心を痛めることは、自分勝手な陰気によって、神の分身を粗末に包み込むことであり、重大な罪である。という。 

その点、悪人は元気で陽気なので悪いことをしていても、当然 悪いことは神の心にはそぐわないとしても、心を痛める(産土神の魂を傷つける)という罪を犯さないので、陽気である時期は栄えるのである。悪人は悪徳満ちて陽気が欠けたときに滅びるが、善人も悪人も罪を犯しているという点が面白い。 

そうした考察があって、ついに宗忠は「心弱き小善人」に強さを与え、「心強き悪党」を正しき道に導く方法として「神の開運を祈る」という画期的な方法を編み出したのである。 

「神の開運を祈る?」 
「神様に自分の開運を頼むのではないのか?なんと高慢な!」 
と思われるかも知れないが、これこそ、黒住教の秘儀である。 

理由はこうである。 
人は神の分身であり、すべての人間は神と同じ魂を与えられている。 
しかし、人間は高慢で未熟な為、自分の中の神の魂を粗末にし、勿体なくも、邪見や毒素、悲しみや怒りによって魂を傷つけている。これは神を傷つけるのと同じである。人間一人一人が自分の魂を傷つけないように出来れば、すぐに地上に神の世の中が出来る。だが、それは頭で判っていても、とても人間の意志でできる技ではないし、説教で納得させうることも出来ない。 
だから神の開運をお祈りして、神力が自然に行き渡り、地上に高天原ができることを祈るのである。」 
いわば、天照大神の開運を祈願することと、自分の親の成仏を祈願することは同じであり、天照大神や親の開運が即、自分の開運でもある訳である。人間幸福の確実な方法は神様の開運をお祈りすることである。 

これは、コロンブスの卵のような発想である気もするが、「自分の開運を祈る」「周りの人の幸せを祈る」ことと、「神様の開運を祈る」ことは信心の深さがまるで違う境地であると思う。 

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ちなみに黒住教は現在でも岡山県に本部がある。

引用文の書き手は基本に愛国思想と神道があり、神道について殆ど知らない私には大変勉強になった。この黒住宗忠を禅の立場から解説しているサイトがあったので紹介する。http://rakudo.jp/ (後ほどゆっくり読んでください)

出だしの

良い人は早死にで、悪い奴ほど長生きする。とはよく言われる諺である。 
また、「あんなに優柔不断な奴が大丈夫でなぜあんなに立派な人がこんな災難に遭遇するのか?」とか理不尽な世間の現象に、「神も仏もあるものか!」と思う人が多いと思う。

という疑問は常々から私も抱いていた。だから「見性体験記」でも「微笑禅の会入門 実践篇」のDVDの中でも「強さ」を第一に強調している。中村天風流に言えば「積極的な言葉を使い、積極的なイメージを抱けば、既に成就している」、逆に言えば絶対に消極的な言葉・イメージを使わない、となる。

尤も、私は実体験を通して「堅すぎると/折れ/柔らかすぎると/曲がる/日本刀も人の心も」と五行歌を読んだように、何事も中庸が大切だと気付いた。だから、「強い心」と「心地よさ」が矛盾しない場所に自分を置くことが肝要だと現在は思っている。

面白いのは、善悪の問題より、強い心が神(天地でも宇宙霊でもいい)の意思と通じ合うという発想だ。詳細な解説を書くとキリが無いから結論だけ言えば、禅における善悪の問題は社会通念上の道徳観としての善悪とかなり違っている。そもそも善悪を差別すること自体が混乱のもとで、よく精神科医などが見性者の意識を「超自我(スーパーエゴ)」と関連付けるが、これは見当違いである。阿頼耶識にへばりついた「煩悩の腐臭」(熏習)を吹き飛ばした状態で、刹那に生滅し、かつ持続する名付けられない心の司令官、というしかないだろう。

かつて私は「風狂」に触れて、「最澄→日蓮の真面目系に対して、増賀→一休の風狂系(トリックスター系)を比較するのも面白い」と書いたことがある。風狂系の僧侶は敢えて戒律を犯し、狂人のように振舞った。つまり社会通念上の善悪を問題にしなかった。また、決して風狂系の人物ではなかったが、私が最も尊敬する山本玄峰師は「善にも強く、悪にも強い人間でなければ大きな仕事はできない」と述べ、「一人一殺」「一殺多生」の血盟団事件の黒幕・井上日召師を特別弁護している。そのときに「例え世間で善人といわれようと国家に悪をなす人間は殺していい、と仏は言う」と真っ赤な嘘(釈迦は殺人など肯定していない)を述べている。これは山本玄峰師ならではの啖呵(方便)であり、この発言を見ても一般社会の善悪と悟りを開いた人物の善悪は「超自我」を物差に測ることは不可能である。

なお話題が飛ぶが、この井上日召師を匿ったのが頭山満翁で、このところ話題にしている呉竹会会長の祖父にあたる。そして日召師が戦後作った護国団の先代団長だった石井一昌さんと知り合った縁で愛国右翼の指導者の方達と私は知己を得たという経緯がある。ついでに言えば、山本玄峰師が現・西予市城川町の龍澤寺(禅宗の中本山)を尋ね、龍澤寺の住職が釣鐘に息を吹きかけたらゴ~ンと音がした話を玄峰師は『無門関提唱』の中に書かれておられるが、その住職と私の母方の祖父(中城周三郎・助役など歴任)は親友で飲み仲間だった。こういう気持ち悪いほどの因縁が絡み合っている。また、私が電話した微笑禅の会の会員の中で、聞いた限りでは全員が武士の末裔だったので驚いたことがある。

ちなみに、前世、来世、輪廻転生の問題と合わせて、こういう不思議な因縁や遺伝子の影響力は禅のみならず「神秘的な事象を論理的に理解したい人間にとって」、真剣に研究すべき重要なテーマである。にもかかわらず、ある程度の修行を積みながらもそれを「先祖自慢」としか受け取れない人物がいるのも事実である。その人物を責めるつもりはサラサラない。蛇は一寸出ればその大小を知る。人は一言出ずるもその善悪を知る」と言われる通り、「変だぞ」と思いながらそういう人物を信頼した私が甘かったのであり、全ては私の不徳に起因する。

またまた話が飛ぶが、私は自分でも理解しがたい性格があり、敵対者からさえ「異常に寛容」と言われたことがある。それは「完璧な人間はいないのだからこの程度は我慢しよう」というのんびりした人間観と、「所詮人間はその程度のものだから仕方ない」というニヒリスト的な人間観が混じっているからだ。だから異常に優しい反面、ある閾値を越えた瞬間から殺気が出てしまう。これは欠点なのかもしれないし、必ずしも欠点ではないのかもしれない。

本題に戻れば、宗忠も丹田呼吸を実践していた。それから「神の開運を祈る」というのは微笑禅の会の言い方だと「神仏などいない。自分が神仏となって行動する」という発想に類似している。(もちろん、自力と他力は究極には一致するから微笑禅の会も祈りや祈祷を否定するものではなく、私自身歩行禅をするときは法華経題目の7文字に合わせていた)。

具体的に言えば、観音様に祈るだけでは私の言う(オスガリ信心、乞食信心)で、困ったときの神頼み以上のものではない。微笑禅に限らず、禅的な祈りは、超越的な観音様が外部にあってそれを拝むのではなく、「自分が観音様になる」のである。南無観世音菩薩という祈りは自分の中の観音様の力を引き出すことに他ならいない。DVDをご覧になれば分かるように自宅には観音菩薩、虚空蔵菩薩、不動明王を安置していたが、不動明王が少しも働かないときは明王の頭を叩いて「おい、いい加減に働け」と叱りつけたことさえある。もちろん、これは冗談にせよ、それぐらいの気迫がないと神仏を味方につけることは出来ない。

神仏己が心にましますに 他を祈るこそあわれなりけれ

我が我れと思う我が身は天の我れ 我がものとては一物(いちもつ)もなし

これは黒住宗忠が詠んだ歌だ。禅でいう天地と一体、万物と同根の思想と全く変わりない。

そろそろ夜が明けるので念のために繰返すが、単に「強い」だけではいけない。

「強い心」と「心地よさ」が矛盾しない場所に自分を置くことが肝要である。また、「善人にも罪あり、悪人にも道があり。悪人とても良き所は必ず有るなり」の内、前半は「気の弱い善人ではダメ」という意味だから同感するが、後半は私個人は遠慮する。つまり他人に任せることにしている。所謂「悪人正機説」は悪人が悪人であることを自覚反省するのが前提とされている(だから他力が主眼になる)。ここまで間口を広くすると折角菩提心を持つ人たちの精進の邪魔になってしまうだろう。果実も適度に摘果するように、折角のいい素質を思い切り開花させるためには教室を分ける必要がある。寿命が3百年ほどあれば別だが、反省出来ない悪人は浄土真宗にお任せする。

相当長くなったが、これを縁に神道や黒住教にも関心を持つことが出来た。本当に一生は書生であり、全ての人は(反面教師も含め)人生の師匠である。積極的に行動し人と触れ合うことの大切さを改めて思い知った。

多分幾つかの変換ミスがあるだろうが、添削は明日にまわして取り合えずこのまま投稿する。

 

 


微笑禅の会 ネット会報(平成25年5月号)

2013年05月29日 | 微笑禅の会ネット会報

今月は特に忙しくフラフラの状態ですが、そろそろ会報を出す時期なので簡潔に記します。

私の病状は様々な原因が重なっていますが、特に足首から下の麻痺と痛みが激しく、投薬治療だけで治らないので痛いのを我慢して歩くしかない、という、私が否定している苦行、荒行に挑戦中です。坐禅はほぼ毎日していますが、歩行禅は不可能です。微笑禅の会の特徴の一つは、心地いいから坐禅をする、心地いいから歩行禅をする、だから集中できて長く続くという理屈ですから、痛いのを我慢して歩く、では歩行禅になりません。その代わりに尊敬する助言者の方達に教義上の質問を繰り返し本来の意味の「無疑曰信」を実践しています。

①呉竹の歌

最近話題にしている呉竹会とその名称の由来になった頭山夫妻の歌の遣り取りについて、呉竹会の理事長と直接電話でお話させて頂き改めて理解が深まりました。まずその報告から。最近のブログで次のように解釈しました。

私はこの夫婦の歌の応酬の状況を全く知りません。単純に合理的な推理で読む限り、呉竹(ハチク)は葉が繁る細い竹ですから大雪が降れば埋もれ、あるいは折れるかもしれません。その「耐えかねる」景色を見て、「いと懐かしき今朝の面影」「力試し」と感じるのですから、弱いものへの応援、あるいは子供や夫の病気や苦境を心配する奥様の優しい心と知性が読み取れます。

呉竹の雪の重みに
 耐えかねて、
   いと懐かしき
    今朝の面影
     (頭山夫人)

(返句)
  呉竹の力試しや
    今朝の雪
     (頭山満翁)


私の解釈は大雑把には当たっていますが、細かい点を補正します。呉竹(ハチク、唐竹)は一つの節に枝が二つ出るのが特徴で葉が繁り、大きくなると20メートルにも達します。必ずしも細い竹ではないようです。次いで、どうも分からなかった部分が「いと懐かしき」でした。

理事長によれば、この歌は「どうしてもお金が工面できなかったときに奥様が困って夫の満翁に相談したときの歌」だったそうです。口語に直せば「どうしても借金できなかったわ。大雪に埋もれた庭の呉竹のように、また昔のような貧乏ぐらしが続きますね」「苦労をかけるが頑張ろう。雪が積もっても折れそうで折れない呉竹のように今が踏ん張り時だよ」、といった夫婦の会話です。

古来から呉竹の折れ曲がる音で積雪の激しさを知る、といった意味の短歌がありますから、それを踏襲したものでしょう。大アジア主義の理想の下に、日本のみならず朝鮮や中国の革命家たちに資金援助と助言を与えた頭山満は、人格・経済力ともにスケールな大きな人でしたが、こういう苦境の時期を乗り越えて来られたかと思うと切々と胸に響くものがあります。と同時に、奥様は満翁よりも15歳年下ですから、その利発さに感動します。貧乏暮らしの中、困った顔ひとつ見せず「いと懐かしき今朝の面影」とまるで貧困を楽しんでいるかのようで、満翁はこの奥様の存在でどれだけ助かったことでしょう。

②悪の論理について

呉竹会のHPにも引用されている至言を並べます。

 吉田松陰

 「至誠を貫行する為には、個人の修業完成ということが大事であり、 古の聖賢を模範とし、よき師、よき友を得て、自己の徳を磨き才能を伸ばしていく ことが肝要である」

「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」

作家 司馬遼太郎 亡くなる直前の言葉

 「太平洋戦争に負けたという事態よりも、もっと深刻な道徳的、倫理的試練に 立たされていることに国民は気づいてはいない。ここまで闇の世界をつくってしまったら、日本列島という地図の上で 国民は暮らしていくのだろうが、堅牢な社会を築くことは難しいだろう」

二人の言葉を比較すると非常に深刻な人生観の断絶が見えてきます。吉田松陰は「誠を尽くせば誰でも共感する」と言い、司馬遼太郎は「現在は闇社会で倫理観が壊れている。もう遅い」と言うのですから・・・・・。これが「時代のエトスの差」です。以前「悪の論理」という一文で、善が悪と闘ったら絶対に善が負ける、と書き、今後の処方箋についても何度か言及しています。これに関連して非常に面白い文章を見つけました。

http://akazukinverde.blog.fc2.com/blog-entry-13.html

に、「知られざるフリーメーソン」 訳者岸本完司、中公文庫、1990 第三部 インサイド・インフォメーション (164~169 )の引用があります。さらに、(筆者は「スティーブン・ナイト〈1951-1985〉、『Brotherhood,1983)』の中でフリーメーソンを露顕させたかどで殺害された)、と書かれており、単なるトンデモ学説ではなく、余りにも真実を突いているので紹介する次第です。

「組織を敵に回したなら、それと闘うしか勝つ望みはない。しかし闘おうが闘うまいが、ほとんどの人が最後には負けてしまう。つまり、信頼できる人間がいなくなってしまうのだ。いくら訴えてみても、内容が妄想のように聞こえるから、誰にも助けてもらえない。この世がすべて自分への陰謀だと思い込むパラノイア患者だと思われるんだ。奇妙な現象だ。ほとんどの人には妄想としか思えないような状況を仕立て上げて、人の生活を破壊する。抵抗をあきらめれば、被害者は破滅する。しかし抵抗したところで、破滅が少し先に延びるだけだ。闘ってみても、回りの人間が不幸に見舞われるから、家族にさえも背をむけられ、孤立してしまうこともある。家族には背を向けられる、回りには誰も協力者がいない……こういう状況になれば、それこそ連中の思う壺だ。新聞だって、目もくれようとしない。 なにが起きているかは、加害者と被害者しか知らないんだ。そんな犯罪から身を守る手立てはない」 

 私はこのブログの中に「カルトストーカー被害者を救う会」も設けて、色んな人と情報交換しています。いつもアドバイスするのが「客観的証拠を積み上げ、信頼できる仲間に配り、法律の改正を待つこと」です。被害を受けた高知の親友・田辺浩三氏は「気が付いたらジェットコースターに乗せられていた」と言っています。悪の論理を実行する者たちは「事実を語れば被害妄想の精神異常者のようにする」マニュアルを集団で仕掛けてきます。微笑禅の会の皆様や、今の日本に疑問を持って積極的な活動を行い被害に合われた方なら誰もが知っている事実です。さらに、事実を言いたいが言うと妄想と思われる、というのは典型的な「二重拘束」で相当のストレスが掛かります。これもマニュアル通りです。だから、禅を日常化して心を強くし、客観的な目(現実吟味)を培う必要があります。もちろん仲間を多く持つことも必須条件です。

「協力者がいなくなる」、これも体験された方には分かるでしょう。「協力すると被害が及ぶから、悪いけど協力できない」というのは子供のイジメの4重構造の中の「傍観者」の立場です。家族があり生活をする上では仕方の無いことでしょう。私が時々「悟らないほうがいい」と書くのは、その程度の自己保身と幸福は許されるはずで、それをを捨てろ、と強制することは誰にも出来ないからです。

「教育改革」「DV法批判」など書いていますが、こういう問題があらゆる面で蔓延している今の日本の状況が司馬遼太郎の言う「闇の世界」です。その危機意識を持っている、ただそれだけでも世直し運動の実践でしょう。それこそ頭山夫妻のように、戦う夫のために倹約しながら美味しい料理を作る女性は、夫と同じく顕彰されるべき存在だと思います。

③東久邇宮(ひがしくにのみや)記念賞受賞について

私は10代の頃から何故か絡まれ易い個性があるらしく、何かに対して一々弁明するのは人生の無駄ですが、微笑禅の会の会員や親友に誤解を与えるといけないので簡潔に記します。

呆れたことにこの賞を金で買ったという難癖をつけている人がいるとのこと。内訳を書きます。1.受賞した場合、手数料と懇親会費で3万7千円が必要。2.東久邇宮記念会は寄付で成り立っている。3.推薦してくれた人にお礼ぐらいするのは常識。以上は当該HPをよく読めば分かります。私の場合は諦めていた債権が10万ほど(石和温泉で一晩豪遊するのとほぼ同額)入ったので、何に使うのが最も意義があるか考え、受賞を選びました。「ロータス人づくり企画」を実現していくために役立つ、など様々な理由がありましたが、第一は東久邇盛厚殿下を尊敬していたからです。個人的な余談になりますが、記念賞の意義に触れて「自宅のお子様の部屋にも賞状を掲げる事です。この賞状が大きな教育になり、子供の人格形成に大きな影響をもたらします。子供から孫へ。その教育は代々伝えられます。無言の教育になるのです」とHPに解説してあり、会えない子供たちにコピーを送り、記念会に電話して本物かどうか確認するように、と書き添えました。現在子供達がどう考えているかは私の関知するところではありません。父親としての義務を果たしたのみです。

なお記念賞は本来は「発明」に対して与えられていましたが、近年は最も栄誉ある民間賞と言われる「東久邇宮文化褒章」の趣旨と大差無くなっており、私の場合は賞状の文章を見ると、研究指導教育の分野で社会的国際的貢献をした、という趣旨になっています。賞状の文面は毎年変わっていると記念会から直接聞いています。

いずれにしても、それなりの業績がないと受賞対象にはなりません。「東久邇宮記念賞は、学術経験者によって選ばれ、東久邇宮殿下が授けます」と明記してあります。私が受賞した年は全国で約80人が選ばれたとのこと。本来なら親族を集めてお祝いをするそうですが、多忙の中何もしませんでした。

どうしても難癖を付けたい人は自分が受賞して、これこれこういう手口で金で買ったと証明し、同記念会を訴えたら一番スッキリします。ぜひそうして下さい。

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邪教カルトはよく「訴訟テロ」と言われ、敵対者を片っ端から訴訟し、なおかつ集団ストーカー行為により敵対者の人生を破滅させて行きます。しかし、加害者も結局は被害者になるのです。何故なら、邪教にも一応「教義」がある以上、無神論者のチンピラではないのですから、その教義自体に縛られて因果応報の罪が自分に帰ってくる仕組みになっているからです。尤も集団ストーカーなどに組する人間は教義も分からないサイコパスが大半ですが、すでにサイコパスになっていること事態がもっと楽しく創造的な人生を歩めなくなっているのですから、外部から見れば不幸な人々です。

日本がこの暗黒社会から立ち直れるかどうかは日本人の志(こころざし)次第でしょう。特に微笑禅の会の皆様は自己研鑽を怠らず、しかし無理をせず、入会当時の熱意を奮い起こし、「断じて行えば鬼神もこれを避く」の気迫を胸に潜め、日々を楽しく暮してください。

 


微笑禅の会ネット会報8・9月合併号

2012年09月22日 | 微笑禅の会ネット会報
私は「微笑禅の会」を主催していて、基本的には毎月HP(左下のブックマークから入って「微笑禅の会」をクリックして下さい)でネット会報を出しています。このところ激務続きで2ヶ月に一度になっていますが、宗教や禅に興味のある方はぜひご覧下さい。

微笑禅の会の特徴を箇条書きします。
①勧誘しない。
②神仏などいない、という前提で自分が行動する。
③歩行禅、寝禅などなど、日常の中で禅を実行する。
④宗教ではない。
などなど。

それで、割と最近「慧可」の思想について、このブログに移行する前に使っていた掲示板に書きました。仏教の基本は、良いことをすれば良い結果が出る、悪い事をすれば悪い結果が現れる、所謂「善因善果」「悪因悪果」です。が、慧可はこれを否定しました。こういう思想にはまだ「我執」「分別」が残っている。良いことをしてもご褒美を期待せず、悪い事をしてもクヨクヨ悩む必要はない、という危険思想です。善悪という区別を否定しているわけですね。

が、これは但し書きが必要で、慧可ぐらいの心境になったうえで、凡夫即仏の徹底的な性善説の上に立てば、こういうことが言えなくはありません。一歩間違えば「野狐禅」になります。つまり、因果律の否定です。危険ですがこれはリアルな見方でもあります。

十牛図の9番目は、我執が綺麗に消えて柳は緑、花は紅、といった一切偏見のない世界が現れます。ピカピカに磨いた鏡のように曇一つなく現実が見える境地です。すると、どうでしょう。今1千万あれば死ななくて済む、という時にお祈りをしたらポンと神仏が1千万を渡してくれるでしょうか。あるいは手術すら不可能な不具者の子供が生まれたとする。神仏にお祈りして治るでしょうか。当然無理ですね。
 ポップな喩えをわざとしましたが、相手が話す前に言おうとしている内容が分かるとか、一つの兆候で全体が分かる、など怖い能力です。俗世間で汚れた心の塵が全て払い落とされて、生まれたばかりの赤ちゃんのような水晶の目に戻る、と言えばいいでしょうか。別の言い方をすれば「王様は裸」と見抜く目ですね。   

普通の宗教者なら、それ自体は不可能でも、その代わりに仕事が舞い込むとか、一家が幸福になるとか、別の形で因果律は成り立っている、というでしょう。それはそうかもしれません。仮に万法(宇宙の全存在)に「善因善果」「悪因悪果」という法則が満ち溢れていれば、の話ですが。

とすれば、この難問を解くためには謂わば多元宇宙論を想定し、自分の意思で決めるしかないでしょう。「善因善果」「悪因悪果」を信じ続ける。あるいはそんなものはないと諦観する。などなど。

慧可の思想はリアルだが非常に危険で、文字通りに受け取ると生きている意味すら見出せなくなります。これには様々な要因があり、個人だけの問題ではなく「悪い事をしたらお天道様が見ているよ」というモラルがある社会と「ばれなきゃ悪い事をしたほうが利口だ」という社会とでは、言葉の意味が違ってくるでしょう。

疲れた頭ながら少しずつ考えていくと、善悪、因果律、自力と他力、などが全て定義不可能な要素があり、大きな悩みと疑いの塊になって身動きが取れなくなります。
 日本はついこの前まで神仏儒の教えの中で大多数の人が「悪い事をしたらお天道様が見ているよ」という倫理観を持っていました。これが崩壊してしまった現在、我々に出来ることは何なのか。私は、例えご褒美がなくても、自分で出来る範囲の陰徳を積む道を選んでいます。が、これは敢えて茨の道を選ぶことになるので人に勧めることは出来ません。今ある幸せを壊さずに静かに生きる、というのも菩薩行でしょう。

寺山修司は「この世に解けない謎はないのか」と言いましたが、謎は解けても人間は白髪一本黒くすることも出来ません。が、生きているうちに日本が蘇る姿を見たいものですね。