那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

達人の競馬塾

2017年09月30日 | 達人の競馬教室

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。 http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。これからは医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。

私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込りこんで下さい。

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上の3つの動画を見て下さい。中山の最終レースを3連複で取って1800円が、約7000円になりました。一日に投資した学のほぼ二倍です。大した利益ではありませんが、スプリンターズステークスの前日投票をしているので、それを引けばかなりの的中と言えるのではないでしょうか?一番上の画像を見て下さい。6番人気、1番人気、5番人気で決まっています。何故6番人気と5番人気を買うことが出来たかと言えば、一言で言えば調教のラップです。1番人気の一杯で追ったラップよりも遥かに早い馬が3頭いました。その一頭が3着に入ったアオテンです。この馬は園田競馬の地方馬で園田競馬場では3戦全勝です。私はもっと人気が低いと思いましたが、最近の競馬ファンは上手くなったと思います。結局今の中山は逃げか先行で決まります。今回のレースも典型的な先行馬が勝ち、本来逃げ馬だったアオテンは中位から伸びてきました。この馬はまだまだ成長すると確信します。


とある沖縄スナックの話

2017年09月29日 | 思い出の記

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以前O会長の話をした時に待ち合わせた「焼き鳥 たぬき」のすぐ近くに、沖縄スナックがありました。私は学生時代そういう飲食街の真ん中にあるマンションに住んでいたので、毎日飲み歩いていました。そのスナックは昼間は沖縄蕎麦を食べさせてくれるので愛用していました。私は「たぬき」で飲んだあと、歌いたいたくなると、その沖縄スナックに行ったものです。そこには沢口靖子に似た沖縄出身のホステスさんがいました。

そこで生まれて初めてゴーヤチャンプルを食べたのですが、味付けが全く無かったのでマスターに味付けを間違えたのではないかと聞いたところ、これが沖縄の本当のゴーヤチャンプルの味付けの仕方だと教えてくれました。またそのスナックでイラブー焼酎の13年ものを飲みましたが、精力にはいいとは言っても相当不味かった記憶があります。

その沢口靖子に似たホステスさんは顔だけではなく声も沢口靖子にソックリでした。彼女には同じ沖縄出身の右翼の恋人がいて、しょっちゅうそのスナックに遊びに来ていました。本当はそういうことは店にとってはいけないことですが、若いのでマスターも見逃していたのでしょう。

私がその店に行くと、マスターが気を利かせてくれて、ホステスさんと2人きりにしてくれたことがしばしばあります。私は酔うと歌が歌いたくなるのでカラオケを歌うのが普通でしたが、ホステスさんに、好きな歌があれば歌って下さい、と言ったところ、彼女は「芭蕉布」を歌ってくれました。これは夏川りみが歌っているバージョンです。

https://www.youtube.com/watch?v=0yk0XlmyTV8 話が飛びますが、早稲田大学の後輩で尾上辰之助の弟子にあたる人物が私の結婚相手にこの夏川りみを勧めてくれたのですが、私は面食いなので「ポチャは嫌」と言って断ってしまいました。今では本当に後悔しています。今頃彼女と結婚していたら左団扇で暮らしていたでしょう。

元の話に戻りますが、沢口靖子に似たホステスさんは右翼の青年と結婚をしてその店を辞めました。マスターによるとそのホステスさんが財布を持って右翼の青年を引き連れて買い物をしているところを観たそうです。見かけに依らず気が強かったのでしょう。当時は右翼と言えばヤクザぐらいにしか思っていませんでしたが、後日護国団の石井一昌さんやO会長と知り合ってから、愛国右翼には筋の通った人がいることが分かりました。私が彼らと知り合ったあとでこの右翼の青年と出会っていたら、色々と教えることがあったのに、当時は話もしませんでした。2人の結婚を祝福するとともに、あの沢口靖子に似たホステスさんとまた逢いたいものです。


「森家文書」補筆ー紀州征伐ー

2017年09月19日 | 歴史

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私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込りこんで下さい。

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以前のブログで森家文書を解説した時に、一つ疑問点があったのですが、その理由がほぼ分かったのでここに記すことにします。

疑問というのは、明智光秀が雑賀衆に援軍を求めたのに対し、それを拒否したにも関わらず、間接的に味方になった筈の羽柴秀吉が攻め入ったとたんに帰農したと言う部分です。

以下、wikipediaから「紀州征伐」の部分を引用します。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
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紀州征伐(きしゅうせいばつ)または紀州攻めとは、戦国時代安土桃山時代)における織田信長羽柴秀吉による紀伊への侵攻のことである。一般的には天正5年(1577年)の信長による雑賀攻め、同13年(1585年)の秀吉による紀伊攻略を指すが、ここでは天正9年(1581年)から同10年(1582年)にわたる信長の高野攻めも取り上げる。

信長・秀吉にとって、紀伊での戦いは単に一地域を制圧することにとどまらなかった。紀伊は寺社勢力惣国一揆といった、天下人を頂点とする中央集権思想に真っ向から対立する勢力の蟠踞する地だったからである。根来雑賀の鉄砲もさることながら、一揆や寺社の体現する思想そのものが天下人への脅威だったのである。

 中世を体現する国、紀伊[編集]

 ルイス・フロイスの言を借りると16世紀後半の紀伊は仏教への信仰が強く、4つか5つの宗教がそれぞれ「大いなる共和国的存在」であり、いかなる戦争によっても滅ぼされることはなかった。それらのいわば宗教共和国について、フロイスは高野山粉河寺根来寺雑賀衆[1]の名を挙げている。フロイスは言及していないが、五つめの共和国は熊野三山と思われる[2]。共和国と表現されたように、これら寺社勢力や惣国一揆[3]は高い経済力[4]と軍事力を擁して地域自治を行い、室町時代中期の時点でも守護畠山氏の紀伊支配は寺社勢力の協力なしには成り立たない状況だった[5]

 紀伊における武家勢力としては、守護畠山氏をはじめ、湯河・山本・愛洲氏などの国人衆が挙げられる。室町時代、これらの国人衆は畠山氏の被官化したもの(隅田・安宅・小山氏など)[6]、幕府直属の奉公衆として畠山氏から独立していたもの(湯河・玉置・山本氏)に分かれていた。
室町時代を通じ、畠山氏は前述の通り寺院勢力との妥協を余儀なくされながらも、紀伊の領国化(守護領国制)を進めていた。奉公衆の湯河氏らも応仁の乱前後から畠山氏の内乱に参戦することが増え、畠山氏の軍事動員に応じ、守護権力を支える立場へと変化していった(教興寺の戦いなど)。一方で15世紀後半以降、畠山氏の分裂と抗争が長期間続いたことが大きく響き、また複数の強力な寺院勢力の存在もあって、武家勢力の中から紀伊一国を支配する戦国大名が成長することはなかった。国人衆は畠山氏の守護としての動員権を認めながらも、所領経営においては自立した存在だった。

 治外法権の地、境内都市[編集]

 中世において、寺領は朝廷も幕府も無断で立ち入ることができない聖域だった。寺院内部への政治権力による警察権は認められず(検断不入、不入の権または守護不入を参照)、たとえ謀反人の捜査といえども例外ではなかった[7][8]。もちろん軍事力による介入など許されない。また、寺領内では政府の徴税権も及ばなかった(諸役不入)。このような、いわば世間に対する別天地である寺院の境内は、苦境にある人々の避難所(アジール)としての性格を持つようになる。一度寺に駆け込めば、外での事情は一切問われない。犯罪者ですら例外ではなかった。境内は貧富貴賎さまざまな人々が流入し、当時の寺社の文化的先進性[9]と結びついて都市的な発展を遂げる。多くの有力寺社は京都など政治の中枢から遠くない場所にありながら、政治的中立、軍事的不可侵に守られて商工業や金融の拠点として強い経済力を持つようになった。これを「境内都市」(自治都市宗教都市も参照)という。高野山や根来寺は、典型的な境内都市である[10]

 

「惣分」と「惣国」[編集]

 

当時の僧侶は大別すると二種類に分けられ、仏法を学び修行する学侶と寺の実務を取り行う行人があった。時代が下るにつれて各寺とも行人の力が増大し、戦国時代の時点では寺院の武力はほとんど行人の占める所となり、寺院の動向も行人らの意思に左右されるようになる。紀北の地侍たちは高野山や根来寺に坊院を建立し、子弟を出家させてその坊院の門主に送り込む行為を盛んに行った。根来寺の主だった行人は、泉識坊が土橋氏[11]杉之坊津田氏、また成真院が泉南の地侍中氏など、紀伊のみならず和泉河内大和の地侍で構成されていた。これら地侍出身の行人[12]たちが「惣分」という会議を構成し、根来寺の方針を決定していた[13]。つまり、実態としては根来寺の看板を借りた地侍の連合による統治だった[14]。地侍らは境内都市根来の富力を背景に和泉南部へと勢力圏を拡大していった[15]

 

雑賀では、『昔阿波物語』に「主護(守護)はなく、百姓[16]持に仕りたる国にて候」と記されるほどに守護の影響力は薄かった[17]。地侍たちは一揆の結束を武器に、守護の支配を排して自治を行った。これを「惣国」と呼ぶ。雑賀惣国の範囲は海部郡から名草那賀郡の一部にまで及んだ。

 

信長の紀州攻め[編集]

 元亀元年(1570年)に始まった石山合戦本願寺優勢のうちに進み、織田信長は石山本願寺を攻めあぐねていた。信長は戦局を打開すべく、本願寺の主力となっていた雑賀衆の本拠である紀伊雑賀(現和歌山市を中心とする紀ノ川河口域)に狙いをつける。兵員・物資の補給拠点である雑賀を攻略すれば、大坂の本願寺勢の根を枯らすことができると考えたのである[19]。天正4年(1576年)5月頃から織田方の切り崩し工作が始まり、翌5年(1577年)2月までに雑賀五組のうち社家郷(宮郷)・中郷・南郷のいわゆる雑賀三組を寝返らせることに成功する。

 

開戦から「降伏」まで[編集]

 

同年2月2日、以前から織田方に加勢していた根来衆に加えて雑賀三組(三緘)の協力も得られることになった[20]ため、信長は雑賀の残り二組、雑賀荘・十ヶ郷を攻略すべく大動員をかけた。信長は9日に安土を発して上洛。膝下の近江の兵に加えて嫡男織田信忠率いる尾張美濃の軍勢、北畠信雄神戸信孝織田信包配下の伊勢の軍勢、さらに畿内越前若狭丹後丹波播磨の兵も合流して13日に京都を出発した。16日には和泉に入り、翌17日に雑賀衆の前衛拠点がある貝塚を攻撃したが、守備兵は前夜のうちに海路紀伊へ退却していたので空振りに終わった。同日根来衆と合流して18日に佐野、22日には志立(信達・現泉南市)に本陣を移した。

 

織田勢は山手と浜手の二手にそれぞれ30,000人の兵を投入して侵攻を開始した。その陣容は、山手に根来衆と雑賀三組を先導役として佐久間信盛・羽柴秀吉・堀秀政荒木村重別所長治同重宗、浜手は滝川一益明智光秀長岡藤孝丹羽長秀筒井順慶・大和衆に加えて織田信忠・北畠信雄・神戸信孝・織田信包である[21]

 

浜手の織田勢は淡輪(現岬町)から三手に分かれて孝子峠を越え、雑賀側の防衛線を突破して南下し、中野城を包囲した。2月28日に信長は淡輪に本陣を進め、同日中野城は織田方の誘降工作に応じて開城した。3月1日、織田勢は平井の鈴木孫一の居館(現和歌山市)を攻撃した。

 

山手の織田勢は信達から風吹峠を越えて根来に進み、紀ノ川を渡って東側から雑賀に迫った。これに対し雑賀衆は雑賀城を本城となし、雑賀川(和歌川)沿いに弥勒寺山城を中心として北に東禅寺山城・上下砦・宇須山砦・中津城、南に甲崎砦・玉津島砦・布引浜の砦を築き、川岸には柵を設けて防衛線を構築した。

 

日時は特定できないが2月24日以降[22]、山手先鋒の堀秀政勢が雑賀川の渡河を試みた。『紀伊国名所図会・巻之二・雑賀合戦』によれば、雑賀勢はあらかじめ雑賀川の底に逆茂木・桶・壺・槍先を沈めておいて渡河の妨害を図った。織田方が川を渡ろうとすると人馬が足を取られて前進できず、また川を越えた者も湿地帯で動きが鈍っている所に、頭上から25人ずつが二列横隊を組んで間断なく鉄砲で狙い撃ち、さらに弓隊が射立てた。これにより織田方は多大な損害を受けて退却した[23]

 その後、ゲリラ戦に持ち込まれ戦局は膠着状態となったが、鈴木孫一・土橋若大夫粟村三郎大夫ら7人は連署して誓紙を差し出し、信長が大坂表での事態に配慮を加えることを条件に降伏を誓ったため、3月15日に信長は朱印状を出して赦免した。21日、信長は陣払いして京都へ引き揚げた。

 

だが、足利義昭毛利輝元は「織田方は敗北した」と喧伝した[24]

 

信長は引き揚げるに当たり、雑賀衆の再起に備えて佐野砦(現泉佐野市)を築かせ、完成後は織田信張を駐留させた[25]

 

だが、半年もしないうちに雑賀衆は再び挙兵し、信長と戦うことになる。

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 このように、紀州は中央集権的な勢力に徹底的に戦う気風があったようです。森家文書の中には羽柴秀長の起請文がありましたが、これはwikipedia にもあるように雑賀衆が、羽柴秀長が戦の勝利を神仏に誓う文書を権謀術数を使って取り上げたものと思われます。

森家文書と照らし合わせると、森家は領土拡大の野心はなく、岡田の荘(現在の黒江市と重なった地域です)を大名たちに奪われることだけは拒み、優れた守護大名に味方をして徳川幕府まで持ちこたえてきたことが分かります。

ちなみに私の父親が私が生まれてから耳にタコが出来るほど言い続けてきた「お前の先祖を問われたら、紀州若山黒江の城主(あるいは丞)、森丹治五郎兵衛の子孫でござる、と言いなさい」という件については、学生時代、中野図書館で調べたことがあります。確か氏姓姓名事典という最も大きな事典でした。そこには確かに森丹治五郎兵衛の名前があり、有馬家と共に紀州の名家とありました。

要するに森家は今で言えば町長や市長の役割を果たしていたわけです。母方の先祖は明治政府になって最初の戸長(今の村長や町長、市長)であり、母方の祖母は助役でした。また私の父親も助役でした。つまり、母方は智慧で町長や助役になり、森家は代々、武力で市長になって来た因縁果報があったわけです。

以前も書きましたが私が田辺浩三と気が合ったのも、指導教授に絶縁状を書いたのも、中央集権的な圧力に反発する遺伝子があったからに他なりません。

こういうことを書くと、また「先祖自慢」という愚かな人がいるので、少し解説をします。以前「微笑禅の会」ネット会報にも書いたことがありますが、直系の先祖をたどると、Nの2乗になるのですから、20代前の先祖は合計すると2百万人を超える計算になります。その中には強盗や殺人者もいたでしょうが、天才的な芸術家や学者、見性した人物が必ずいたに違いありません。坐禅をすると言うことは、それらの無数の先祖の中で最も優れた遺伝子を蘇えさせる行為に他なりません。私は酒を飲んで夜の街を歩く時に、誰か絡んで来たら人の見てないところで殴り殺したい、と思うときがしばしばあります。おそらく私の父方の先祖に「辻斬り」をやっていた人物がいたのだろうと思います。

ちなみに最近発見された明智光秀の書から、本能寺の変は天皇親政の政治に戻そうとした明智の意図がハッキリと分かったそうです。


達人の競馬塾

2017年09月17日 | 達人の競馬教室

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こういうものは時期ものなので他にもあるのですが、今回は公表します。中山11レースでは5千2百円購入して1万一千百円の利益になりませした。大した利益ではありませんが、枠連流しを見て下さい、7枠が1,2着に来て800円が4300円になっています。何故7枠から流したかは言えません。13番のセンチュリオンは二番人気ですが、14番のカゼノコは6番人気です。共に調教のラップは大したことはありませんでした。私が買う競馬専門誌の馬サブローの本命、タムロミラクルがラップは最高でした。一つだけヒントを言います。競馬はラップだけでなく、格と直観です。ほぼ毎日坐禅を組んでいるので直観が良くなったのでしょう。競馬で遊んで楽に暮らしたい人は是非、微笑禅の会に入って下さい。


田辺浩三の思い出(補筆2)

2017年09月15日 | 思い出の記

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田辺浩三は窪川の原発誘致反対運動の中心人物だと言っていたが、http://www.asyura2.com/12/senkyo125/msg/725.html この記事を見ると、中心になったのは島岡という自民党の役員のようである。自民党の役員が原発誘致に反対するところがいかにも高知らしい。他の県なら絶対に無理だと思う。

田辺もまた自分なりの方法で原発反対運動を行っていた。私に語ったところでは次のような方法である。まず、窪川町長をはじめ議員と町民を集めて上映会を開いた。映画のタイトルは「生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言」(1985年、森崎東)で、何と田辺は上映の当日までその内容を知らなかったらしい。その内容は次のようなものである。

映画評論家・橋本勝は本作について、「原発で働く”原発ジプシー”と、東南アジアから日本への出稼ぎ女性”じゃぱゆきさん”」という「現代日本の底によどむ問題をあぶり出す」「たいへん重要な作品」であり、「浮ついた喜劇ではない、現代日本の闇を果敢に告発している恐怖劇といった趣があります。」と評している[2]。wikipedia より

当然窪川町長と議員たちは原発誘致の賛成派なので、田辺は映画を見ながらスーツを着ていたが「驚いて、小便を漏らした」(本人の弁)と言う。

これがきっかけになって窪川町では原発の裏の部分を知ることになる。私が田辺に連れられて行った漁師の人も、「原発の補助金ももらっても海が腐ったら漁が出来なくなる。いらん物はいらん」と言っていた。

こういう田辺でも「名誉県民賞」を受賞したのも高知らしい。橋本大二郎の時だったと思う。

話は変わるが私は家族を連れてしばしば高知競馬場に競馬をしに行ったことがある。ハルウララが有名になる前の話である。或る時雨が降ったので、本馬場にはいかず市内の馬券売り場に行ったところ驚いた。全員が傘を入り口の階段に重ねるようにして置き去り、帰る時は見た目のいい傘から持って帰るからだ。私は、別の土佐人にこの風習はどういうことですか?と聞いたところ、相手は逆に驚いて、これまでは当たり前だと思っていましたが、どこかおかしいですか?と逆に質問されたことがある。

それほどまでに高知の県民性は特異なのである。私は父母とも高知県境の愛媛に生まれ、母の生まれた城川町野井川の家からは九十九曲がりという坂を歩いて梼原村に行くことが出来る。梼原村は土佐勤王党が脱藩した場所で、天誅組の乱の指揮官である吉村寅太郎はこの村の庄屋を兼ねていた。また、土佐の男は愛媛の女性を嫁にもらうと経済観念が発達しているので大喜びをすると聞いたことがある。

と言っても私が育った野村町は、酒を飲んで肝臓を壊した人間が出世するという悪い点だけは土佐に似ているが、町民性は超保守王国の愛媛三区だけあって、長いものに巻かれろの典型的な街である。私が田辺とウマが合ったのは、私は山の中の進学校と言われた高校の進学クラスにいながら番長グループのウラバンの役目をしていたり、担任を吊るし上げて一週間の登校拒否にさせたり、君を絶対に教授にすると言った指導教授に絶縁状を出すなど、反権威主義の性格によるところが多いと思う。またボッタクリバーのヤクザの用心棒を一瞬にして改悛させたことがあるが、こういう行動の裏には3つの要素がある。一つは私の父方の先祖が紀州の名門武士・森家だったせいである。もう一つは、私は坐禅の見性体験を経ているので、(見性すると、我執がなくなる、すると私が消える、私が無いのだから恐怖心がゼロになる)という理由から、相手がヤクザでも逆に度胸が据わり、オートマティスムのように自然に啖呵が口から出てしまうのだ。さらに、私は剣道と合気道の心得があるので、いざとなったら、素手でも相手を殺す自信があるからである。

私はこのブログの初めの部分に微笑禅の会は坂本龍馬のような男を10人作るのが目的であると書いている。また61歳にして自分の天命は坐禅によりさらに自己を磨いて大悟徹底し、微笑禅の会の会員の中から国士を育て上げることだと自覚した。

田辺には幾つか欠点があるとしても、彼のような人間が日本に10育てば日本は変わるだろう。彼は溝に転んだ死体で発見されたらしいが、まさしく坂本竜馬の言葉通りの死に方だった。

業なかばで倒れてもよい。そのときは、目標の方角にむかい、その姿勢で倒れよ。


田辺浩三の思い出(補筆)

2017年09月14日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。 http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。これからは医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。

私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込りこんで下さい。

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私の友人が面白いブログを教えてくれました。以下引用します。

 

 

浩三の死

 

 

今年中に書いておかねばならぬ事が一つだけある。

我が身のまわりのお祭り騒ぎの事ではない。一人の奇人の最期についてである。

田辺浩三。

高知県の自主上映サークルとジャズファンにとってあまりにも有名な、しかし一般人からは遠い存在であったこの男と、私は一回り以上の年の差をこえて、小学生の頃から腐れ縁を結んだ。

浩三は私の実家のほぼ真裏にあった一心堂時計店の一人息子で、私の父母が浩三も参加していた「窪川JAZZろう会」のサポーターの様な立場であった事から、中央から一流ジャズ奏者を招いてのコンサートの打ち上げは常に美馬旅館であったし、娯楽と言うものの殆ど皆無に近い田舎町で、時計屋と一つ入り口でレコード屋を営んでいた浩三と親しく話すようになるのは必然であった。

浩三は、いわゆる「立て板に水」の如く喋る性質で、常に己の中なる訴えを吐き出し、わめき散らすのを日常とし、地元でも立派な「変人」の烙印を押されていた。

しかし私は、この男と何故かウマがあった。と言うより、中高と進学して行く過程で、この男よりほか、溝口や成瀬、小津や黒澤について話をする相手はいなかったのである。

毎回、観客わずか数人で行われるマイナーな日本映画の上映会。それも、普通なら毎回参加の常連がいて、上演後にディープな議論を重ねながら飲み会、という座があってしかるべきところ、浩三はいつもひとり粛々と機材を片付け、ある時にはその足で一時間半かかる市内へ返却に走った。

世の人々が最も恐れる「孤独」というものが、この男にとってはまるで無縁のもののようであった。

途中から「この男は何でこんな、一円にもならないことに血道を上げるのか?」という疑問が湧いて来たが、当人は決して金に対して全くの無欲な訳ではない。上映費カンパという縛りの中で、カンパ箱に入った金の員数にとやこう言うのを聞いて「それなら金額を決めて取れ!」と怒鳴ったこともある。

しかし、それが五年、十年、二十年と続いてゆくに従い、私の中の浩三観も変わる。

「嫁の来手は到底あるまい」と思われた変人ぶりを裏切って結婚し、一女を授かったが離婚。その後の家庭内紛争、それに続く裁判闘争は聞いているだけで疲労を覚える修羅場だったが、本人は最後まで不倒の精神で自主上映を続けた。

私が子供のころ、一心堂へ行く度「美馬くんも映画が好きかよ?浩三は困ったもんじゃ、一文にもならん映画ばっかりやって」と、息子の活動を全く理解を出来ず、更に原発反対運動家たちと接近するのを終生苦々しく思っていた父親との確執は凄まじいものであった。

葬儀の際に配られた冊子の中にも「父親から散弾銃で狙われたが、警察は見て見ぬふりで一切動かなかった」という一説によってそのあまりに映画的な「父と子」の姿が紹介されていたが、浩三がその父親の亡くなった日に遺体を自分の車に載せ、仏の顔に布も被せずに店の前に長時間放置しているのを、私はこの目で見ているのである。

私は浩三の父親に対する憎しみを思いつつ「あんたナンボ言うたち、早う仏さんを布団へ運んじゃらんかよ!」と怒鳴った。

浩三はその死体を尻目に、レコードを買いに来た客の相手をしていたが、私はそこで、まざまざと復讐の刑を見たのである。

最後はキリスト教に帰依し、葬儀も教会で執り行われたが、私は浩三の様な人間が「宗教で救われる」などという事は金輪際無いと思っている。

現に祭祀を司った牧師が「田辺さんにはさんざん振り回された」「こんな人はもう出入りして欲しくないと何度も思った」と、挨拶で述べた。私は「何と正直な宗教者か」と、いっそホッとした、清々しい気持ちになった。

やがて牧師が「しかし田辺さんの様な存在こそ、神の子である」と言った時、私は本当にその通りだと思ったし、浩三を理解する(赦す)か否かによって、その人間のレベル、種類が推し量られるのだ、と改めて思った。

この教会は反原発運動の人たちの拠点にもなっている様で、おそらくその関係者と教会の信者によって、葬儀の参列者の人数は浩三の生きて来たマイナー人生に引き比べ、驚くほど多かった。

ところで、私は浩三の死を「話の前置き」というものを一切省いて爆弾のごとく投げ込んでくるのが常の、伯母から知らされた。
曰く「あのね、浩三が死んだ」

私は動揺せず「どういて?」と聞く。伯母は続ける。

「溝へ転けて死んじょったと!」

「いかにも浩三らしい」と私は思った。

犯罪を犯した訳でも何でもないが「畳の上で往生する」などと言うのは如何にも浩三らしくないのである。

私は急を聞いて、さぞかし寂しい葬儀になるだろうと勝手に思い込み、どんな事があっても参列しようと勇んで臨んだが、拍子抜けするほど大勢の人が別れに集まり、あまつさえ地元新聞に郷土の文化人として死亡記事が出た。

自分の事がマスコミに取り上げられる度、

「勇ちゃん!俺ってそんなに凄いの?」

と臆面もなく聞いていた浩三が、どんなにか喜んでいるだろうと思うと、嬉しくもあり又、意外でもあった。

その記事を書いた地元紙記者の弔辞で、映画的な、あまりに映画的な浩三のエピソードが紹介され、参列者はみな、哭いた。私は何故か、アンゲロプロスの「シテール島への旅路」を思い出した。

二十代の浩三から六十代の浩三まで、出逢った時によって受けた衝撃も、不快感も、滑稽さも、それぞれ違うだろう。

しかし私は、電燈代の節約だと言って店の電気を営業中に消し、向かいの街頭で本を読む浩三、「月の砂漠」を口角泡を飛ばし全身を痙攣させながら吠え唄う浩三、高知市内から窪川へ帰る道々、わざと国道を通らず県道村道を縫ってカーチェイスをし、終いに窪川小学校の校庭を突っ切る際に車の横っ腹をガリガリガリッ!と擦ってもなおハイテンションで絶頂に達している浩三を十代に見て「これは本当の狂気ではない」と見ていた。

彼は自分の狂気じみた言動を喜んでくれる人間に対して、その期待を裏切らぬ様に「つとめてオカシク見せる」サービス精神に富んでいた。

その死に方さえ、従前の演技過剰を貫いたように思えてならない。

田舎町のレコード店主が、天下の今井正や大島渚を高知へ引っ張って来、岸惠子や吉永小百合に上映会へのコメント葉書をもらう。その畏れを知らなさ、行動力、自己尊大。禍々しき存在と見られながらも、少数の理解者をテコに渦に巻き込む求心力。

私はふと我に返り、己の人生に於いて浩三が自分に与えた影響の大きさに、数十年の時を経て初めて気づき、ただ愕然としているのである。http://www.mima.jp/t255.htm

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これから私の思い出を語ることにします。彼は相当のケチでした。私が招かれて窪川の田辺の家に行った時です。その時は田辺とソリの合わない父親はいませんでしたが、愛想の悪い老母がいて、私は招待客なのに嫌そうな顔をして挨拶もしませんでした。但し、彼が立派なのは、ジャズ、上映会、反原発運動、反創価学会運動を、両親の反対を押し切って一人でやってのけたことです。もっとも、高知県は反体制の気風があり、彼を応援する人々がいたのは幸いです。ところで私は酒を飲むか、ミンザイを飲まないと眠れないので、私が金を出して田辺と外で飲んだとき、田部は酒は飲まずに、領収書だけは自分が取って帰りました。私が飲み足りないと言うと、家に酒も摘みもあるというので期待したところ、料理用のワインと100円の瓶に入ったシメジしか出てきませんでした。

田辺が天下の今井正や大島渚を高知へ引っ張って来、岸惠子や吉永小百合に上映会へのコメント葉書をもらうことができたのは、彼一流の説得力によるものです。幸徳秋水が最期に書いた色紙、

明治末期、恣意的な冤罪事件の元祖と言われる「大逆事件」で処刑された幸徳秋水の最期の言葉は、
「病死と横死と刑死とを問はず、死すべきときのひとたび来らば、充分の案心と満足とをもつてこれに就きたいと思ふ。今やすなはちその時である。これ私の運命である」
で、処刑に臨む秋水は、心乱れず、落ち着いて静かだったそうです。

この色紙を送って、反体制的な映画人を説得したからに他なりません。また値切るだけ値切ってフィルムを借り、本当は1度しか上映してはいけないのに2か所で上映していました。

忘れられない思い出があります。彼の車に乗って「土佐の一本釣り」という漫画で有名な大正市場(年を取った女性が魚を売っている市場)に連れて行ってもらった時、わざわざ駐車禁止と書いてある看板の前に車を停め、「駐車禁止というのは少しは止めて言いという意味じゃ」と言って、直ぐ横に公衆便所があるのに、わざわざ目の前にある神社の杉の木に立小便をして、「私の小便のおかげでこの杉も元気になるだろう」と言っていました。あのような罰当たりが最期は(日本パプテスト教会だと記憶していますが)、クリスチャンになるとは夢にも思わない事でした。

それから、田部が所謂、創価学会の蟻地獄作戦により、子供を創価学会に入れようとした創価の幹部の妻の要求を無視したために、離婚となり、面接交流の時に赤ちゃんだった(のちに我儘娘となって死ぬまで田辺を見舞いに行かなかった)小夏を抱きかかえて家に逃げ帰り、渡さなかったことにより、最高裁から月150万もの弁償金を請求されたのがきっかけて、日本で唯一「反創価学会」を旗印とする、「ヤイロ鳥」という組織が出来上がり、彼がその代表になりました。他の県では決して起こり得なかった現象でしょう。さすがに坂本竜馬を生んだ地域だけのことはあります。

東村山市議暗殺疑惑事件は、田辺が家族づきあいをしていた朝木明代の事件の解明を、私に頼んだことから始まります。高知は面白い土地で、今の行動する保守は文京区民センターを使い、この事件に関係した創価学会批判をしようとしたところ、使用禁止の命令が出て、大喧嘩になったのを思い出しますが、朝木明代さんは「憲政記念館」で反創価学会の講演をする予定でした。その前日までに何度か起案者の田辺に電話があり「講演をしたら朝木が生きて帰ると思うな」などと脅迫の電話が入りました。そしてその講演のレジュメを書きかけたところでマンションから転落死して、私はマスコミが報道する前に、田辺から直接電話でその事件を知りました。

私は田辺の意向に沿って、この事件が解決できるように、瀬戸弘幸さんに頼み、そうして行動する保守の人々がこの事件で一致して抗議活動を行うようになりました。この事件は、東村山を管轄する八王子地裁に創価学会員の検事を二名配置し、東村山警察の副所長は創価学会のシンパで、しかも朝木明代さんが万引きをしたとされる用品店も聖教新聞を取っているという状況の中で起きたのですから、創価学会が計画的に朝木明代さんを殺そうと企んでいたことは間違いありません。また当時噂されていたように、朝木さんの同僚の矢野瑞穂一人の犯行でないことは私の次の街宣で分かるでしょう。https://www.youtube.com/watch?v=jlOVVeOCl5U

この物差しを使った証明を聞いて瀬戸弘幸さんは「鳥肌が立った」と言われました。最高裁、高裁が他殺だと断定しているのに東京地裁は自殺と断定しているのですから、司法の中にも創価とアンチ創価の抗争があったことは明白です。

但し、私は次の3つの理由からこの事件の追求を止めるようになります。

1.田辺自身の情報により(理由は言えません)、この事件から手を引くように言われたこと。

2.私自身が証明したように、朝木明代さんは体格の違う2人によって突き落とされていますが、ベランダの塀の上には転落したくない明代さんの掌の掌紋が残っていました。つまり、明代さんは必死にベランダに手をかけて、ズルズルと転落したわけです。そのために明代さんの衣服にはマンションの壁によって出来た擦った跡が残っています。このことを再考すれば、これはヤクザのようなプロの殺し屋の犯罪ではないと私は考えました。もし私が犯人なら、小柄な老婆を転落させるには、左手で腕ごと上半身を抱え込んで抵抗できないようにロックし、右手で、腰の部分の衣服を握り、頭から投げ飛ばしたでしょう。

3.中田聡本人から、明代さんの娘の直子との関係を聞きました(どういう関係かもここでは述べません)。そこで朝木直子にメールして、聞きたいことがあるので、一人だけで会いに来てほしい、といったところ、拒否されされたからです。

以上の理由で私はこの事件に対して関心を持てなくなり、結局この事件の真相は迷宮入りとなってしまいました。

田辺の思い出に戻ると、両親が反対しているのに、ロクに儲かりもしない、ジャズの演奏会や映画の上映運動、そして反原発運動とアンチ創価学会運動を行ったのは立派だったと思います。私は両親とも私が何をやっても応援してくれたので、彼の孤独な闘いはなおさら立派に見えます。田部が最期に私の母に逢った時、「私と知り合ったために、那田さんも私と同じような苦労をさせて申し訳なかった」と謝ったことは今でも心に焼き付いています。

確かに彼は変人奇人の類であり、私にも「自分はどれほど有名か?」とよく聞いたものですが、これは男なら誰でも考える野望でしょう。もしも神仏というものがあるのなら、必ず彼は天国か霊山浄土で幸せに生きていると信じます。


O会長の話

2017年09月12日 | 思い出の記

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私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込りこんで下さい。

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私は本人訴訟で3勝1敗だが(1敗は創価学会の工作員を最高裁まで追い込んだもの。事実審理もなく被告は一度も出廷せずに電話裁判で済ませ、3行判決で敗訴したもの。後世に歴史的な迷判決と言われるでしょう)、その1勝に関する話である。

結局は和解となったので詳しい話は出来ませんが、ある大手の田舎暮らし専門の不動産会社に詐欺にあった事件です。宅建法から言えば、物件が売れた時の仲介料しか取れないのに、その会社はネットで更新するときに3万円を要求してきました。私は迂闊にも3万円を払った後で、これが違法行為だったことを知りました。

そこで、私が名誉会員になっているN会のO会長に電話をして相談し、チョットしたアドバイスを受けました。そのアドバイスに従って、私は当時八王子に在った地方裁判所に本人訴訟をすることになります。被告も最初は本人訴訟で対抗しましたが、途中で形勢不利と見たのか女性の弁護士を付けてきました。最終審理の時に、私はまだ感性脳症が残っていたために、時間を間違え、1時間ほど法廷に行くのが遅れてしまいました。

裁判長は白髪でいかにも紳士的な人でしたが、私に法廷に遅れたことを謝罪するように言いました。そこで謝罪をして口頭弁論に移った時のことです。私が宅建法違反だというと、被告は、その田舎暮らしの不動産業は出版業も兼ねていて、3万円は出版料だと主張しました。そこで私が、私の郷里の物件を紹介した出版物を見せるように言うと、被告は見せることは出来ないと立ち往生しました。そこで裁判長は私だけを呼んで、相手は10万円で和解したいと言っているが、どうしますか?と聞かれたので、私はせめて20万円にして下さい、と頼みました。そして結局損害は3万円なのに20万円を獲ることができたわけです。

そこで私はO会長に電話を掛け、実費を差し引くと16万の利益が出たので、お礼に8万円を差し上げます、O会長の自宅の近くにある「焼き鳥 たぬき」(現在は潰れています)に明日の7時に待っていてくださいと言いました。

ところが私が電車に乗ると、いつものように中央線が事故のために遅れています。私は「焼き鳥 たぬき」に携帯から電話を入れて、「こういう事情で行くのが遅れるから、O会長の好きな摘みと飲み物を出すように」と頼みました。結局、2時間遅れて店に着くとO会長は何も注文していません。そこで好きなものを頼んで下さいと言って、私はその店から歩いて30分ほどのところにあるセブンイレブンのATMから8万を降ろして店に帰りました。ところが、O会長はまだ何も食べていません。私が8万円を渡してお礼を言い、これでO会長が買おうとしている街宣車のタイヤ代にでも使って下さい、と言いました。そこでやっとO会長は好きなものを注文して二人で乾杯しました。話していると、私もO会長も懇意にしている護国団の石井一昌さんが入院していると知りました。私は石井さんとは最期に喧嘩別れをしたのですが、その話を聞いて、「病院はどこですか?せめてお見舞いに行こうと思います」と言うとO会長は、「石井さんはもう愛国右翼の中では尊敬されていない。ましてあなたと喧嘩別れをしたのだから、お見舞いに行く必要はありません。あなたは余りにも真面目過ぎます。私は今日あなたに一つだけ忠告をしようと思ってここにきました。人生はいい加減に生きた方がいいです。いい加減というのは適当という意味ではありません。良い加減、という意味です」と言われました。

今でもO会長とは時々電話を掛けるのですが、いつも爽快で私は会長の声を聴くたびに元気をもらいます。私が店に着くまで、何時間も待っていた態度といい、忠告の言葉といい、今でも忘れることが出来ません。いずれまた高田の馬場に行って一緒に飲みたいものです。


森家文書について

2017年09月07日 | 歴史

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私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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gooブログの仕様から、横になった森家文書を回転させることができないので、読者の皆様には読み辛いでしょうが、このままにして、簡単な解説を加えることにします。

これは和歌山県海南市の下津図書館から取り寄せた私の先祖の文書です。私が、昔の候文を現代語に訳して欲しいと言ったところ、私には無理なので、地元の教育委員会に頼んだらどうかと言われました。そこでつい昨日、教育委員会のある7階の文化財課に持って行き、これを現代語に訳して欲しいと頼んだところ、気安く引き受けてくれたので、私の名刺を渡して訳したものをメールで送ってくれるように頼みました。ところが、今日になって、突然電話が入り「上司の意見で訳すことは出来ない」と断ってきました。本当に八王子市役所は役に立ちません。おそらく、私が母を保護措置と称して一カ月の間監禁したことで、八王子市長に辞職を迫ったことから、市長に忖度したか、圧力がかかったのでしょう。もちろん、八王子市役所にもいい人はいます。例えば、自立支援課の月丘さん(月岡かもしれません)、総務課の高山さん、社会福祉課の平さんや佐々木さんなどです。

早速「明智光秀書状写」を見てみましょう。これは織田信長さえ撃退した無敵の鉄砲隊・雑賀衆に充てたものです。雑賀衆に充てたものが森家に残っていたという事実から考えると、森家は雑賀衆を指揮指導する立場にあったことを意味しています。内容は、明智光秀最期の手紙で、織田信長を責めるのに雑賀衆の援軍が欲しい、というものです。本物は、記憶ですが、東大図書館に国宝か重文扱いで保管されている筈です。森家にはレプリカがありましたが、私が森家が支配した海南市黒江で聞いたところでは、最後の森家の跡継ぎは女性で北海道に嫁いでしまい地元には森家の子孫が残っていないということでした。

「羽柴秀長起請文」は起請文は戦をするときに神仏に勝利を祈るものです。何故この文書が森家に残っていたかは謎です。続いて書いてある「森家由来書」を読むと次のような内容のことが書いてあります。

森家の祖先は南朝の後村上天皇に仕えた地頭で岡田という地域を支配していた。4代目の時に畠山氏に領地を奪われたが、その孫は梶原大和ノ守の裁量で畠山氏より、領地の4文の1を返してもらった。その後の森家は織田信長に仕えた。明智光秀の援軍要請を断った。天正の小牧の戦いの時には徳川家康に味方して36人衆の連盟の一番手に名前を連ねた。太閤秀吉が入国した時は武士を止めて帰農した。(ここが謎なのですが、明智光秀の援軍を断り、織田に味方したということは秀吉の身内の筈なのに、協力しなかったことになっています。私の推測ですが、秀吉は気が狂ったようになった明まで日本の国土にしようと野望を持ち、朝鮮征伐を始めたので、知恵者が集まって協力しなかったのでしょう。そのために、領地の民衆も歓び、自分の兵隊も犠牲を追わずに済んだのでしょう。それだけではなく秀吉は根来や雑賀という反権力的な地侍の集団を警戒して滅亡しようとしたという記録もありますので、この為かもしれません)。

雑賀では、『昔阿波物語』に「主護(守護)はなく、百姓[16]持に仕りたる国にて候」と記されるほどに守護の影響力は薄かった」という記録があるほどです。

その後は蜂須賀家に仕え、その子供は石山ノ合戦で一向宗に属し、実如(高名な僧侶でしょうか)の書を所蔵していた。慶長6年には浅野家に仕え、80石を得ることになります。その後、国替えになり、元の岡田に戻ります。そして江戸になり最初の紀州徳川家の俗にいう南龍公(徳川頼宣)に召し抱えられて「地士」となる、後代々「地士」相続す。と書かかれたところで「森家文書」は終わっています。ここでいう「地士」とは地侍のことではなく、私の家の家伝によれば「代官」だったと言われています。

そして明治時代になると森庄太夫という県会議員が生まれ、南北朝から受け継いだ森林を地元の黒江市に寄付をしています。

面白いのは、幕末最後の森家の長男は、長男ながら親族の有馬家に養子に出されました。幕末末期の徳川御三家の旗本は道楽者ばかりと考えていいので、不行跡が原因で養子に出されたのかもしれず、有馬家に跡継ぎがいなかったのかもしれません。事実、明治になって、有馬家に跡継ぎが出なかった時には、私の地元愛媛県西予市野村町惣川の有馬家が和歌山まで行って後を継ぎましたが、格式が高すぎるのと、周囲の嫉妬に耐えられず愛媛に戻っています。

私の父方の曽祖父はその森家から有馬家に養子に出された有馬福三郎(もと八三郎)です。その娘がお梅(父の母、私の祖母です)と言い、地元の山本氏と結婚しました。山本と有馬が結婚したなら山本になるのが普通ですが、何故か「那田」を名乗るようになりました。私は大学生の時に、和歌山に渡り、有馬家の子孫に会い、森家のあった黒江で森家のことを調べ(森家文書もその時に取り寄せて、散逸したものを改めて今回下津図書館から取り寄せた次第です)、そして那田家にも行きました。もう亡くなられているでしょうが、退職警官のお爺さんと、結婚をせず、図書館で勉強ばかりしている私より10歳ほどの男の人と酒を飲みながら数時間話しました。その男の人が言うには、「那田」というのは、由緒のある雑賀衆の「隠れ苗字」ではなかったかと言う話でした。

私は単純な因果律は否定しています。というのも例えばブスやカタワが生まれたら、仏教的な因果律では、前世の因縁と言われます。ですから、まさに「不昧因果(因果はごまかせない)であり、因縁果報というのが正確ないい方でしょう。つまり、因果だけではなく、第二原因の縁と第二結果の報があると、緩やかにとらえたらどうでしょう。先祖の話をすると、また「先祖自慢」と嫉妬する愚か者がいるので、そろそろ止めにしますが、私が、剣道、合気道、その他のスポーツ、(ゲームですが)クレー射撃に関して、あっという間にコツを覚えて上達してしまうのは、これら先祖の因縁果報に違いありません。父方といい、母方といい、本当にいい先祖を持ったものだと感謝する毎日です。私の子供たちに教えるためにも、このブログに記録する次第です。


今成元昭先生の思い出

2017年09月06日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。 http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。これからは医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。

私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込りこんで下さい。

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今成元昭先生は、私が早稲田の大学院の時に身元引受人になった学者兼僧侶の方である。早稲田大学非常勤講師の時に授業を受けて私から身元引受人を依頼に行った。大正大学では教授だった。wikipediaには次のように書かれている。

 

今成 元昭(いまなり げんしょう、1925年11月30日 - )は、日本文学者立正大学名誉教授

 

東京生まれ。1948年早稲田大学文学部卒業。1951年早稲田大学大学院(旧制)修了。国士舘大学助教授[1]教授、1980年立正大学教授[2]、1983年11月「平家物語流伝考」で早大文学博士。1996年立正大学定年名誉教授。 専攻は仏教文学軍記物語説話文学。 平家物語を中心とした軍記物語研究の大権威にして第一人者。文学者でありながら自身も僧侶として、日蓮の研究においても数多くの多大な功績がある。

 

 

 

 

 

 

著書[編集]

 

 

共編著[編集]

 

  • 『仏教文学講座』全9巻 伊藤博之、山田昭全共編 勉誠社 1994-1996
  • 『仏教文学の構想』編 新典社研究叢書 1996

 

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  • 鴨長明『方丈記 付発心集(抄) 現代語訳対照』旺文社文庫 1981
  • 『日蓮聖人全集 第7巻 信徒 2』春秋社 1992

 

参考[編集]

 

  • 『『方丈記』と仏教思想』著者紹介

 

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  1. ^ 書評「水原一著 平家物語の形成」
  2. ^ 近藤信義「今成元昭先生をお送りする」

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今成先生のお寺は早稲田大学の直ぐ傍にあり、夏目漱石が住んでいた場所で「猫塚」も近くにあった。先生は日蓮文学を中心にした中世文学の第一人者でもあり、異端の日蓮教学研究者だった。以下を参照されたい。

 

世界大百科事典 第2版の解説によれば、折伏とは 『破折調伏の意で,摂受(しようじゆ)の対仏教における化導通(けどうぐづう)の方法で,摂受が相手の立場や考えを容認して争わず,おだやかに説得して漸次正法に導くことであるのに対して,折伏は相手の立場や考えを容認せず,その誤りを徹底的に破折して正法に導く厳しい方法で,摂受はに,折伏は厳しいながら子をおもうのいましめにたとえられる。』

 

つまり、穏やかに相手を諭すのではなく、相手のを「はい論破」して自分のを相手に教え込む行為のことを言うのだが、引用文の通り、あくまでも言説のみをもって相手を導くのが本来の意味の折伏である。

 

広済寺ホームページ「折伏の本当の意味は?」によれば、「勝鬘師子吼一大方便方」という文献に以下のような記述が現れる。

時。彼彼衆生。折伏折伏之。攝受攝受之。何以故。以折伏攝受故令法久住。

 

を得ん時、彼々の処にの衆生を見ば、応に折伏すべき者は之を折伏し、応に摂受すべき者は之を摂受せん。何を以ての故に折伏摂受を以ての故に法をして久しく住せしむ。

 

つまり、折伏(北摂受(太陽を、対者によってケースバイケースで使い分け旅人の上着を脱がせてやりなさいと言うのが本来の教えであって、折伏(北のみの戦術で相手を落とすと最初から決めこんでどうにかするという話では本来ないはずなのである。

今成先生は日蓮遺文集(いわゆる御書)を全て暗記していて、その上にテキストクリティック(どれが本物でどれが偽書かという分析)が完璧だった。そして全ての御書にある日蓮の言葉を調べて、日蓮は折伏よりも摂受派であったことを論文に書き(これはそれまでの日蓮教学を覆す驚天動地の論文だった)、私にその抜き刷り(論文を冊子にしたもの)を渡してくれた。私は、そのころオウム真理教の地下鉄サリン事件があったので、その時代背景を捉えて、無理な勧誘をすることを戒めたものだと解釈した。今成先生のお寺は元々、現本法華宗だった。この宗派は出典:デジタル大辞泉日蓮宗の一派。日什 (にちじゅう) を開祖とし、京都の妙満寺を総本山とする。もと勝劣派に属した。妙満寺派。什門派」とあるように勝劣派なので創価学会が破門された「日蓮正宗」に近い教義の寺だった。そこで今成先生は、日蓮正宗のような日蓮本仏論から生まれたので、これは拡大解釈すると「池田大作本仏論」になると言われた。私も、仏というなら、中古天台本覚思想から言えば、創価学会の会員全てが本仏であって、その会長だけが本仏になるのはおかしいと答えた。

また、日蓮正宗が日蓮大聖人の出生の本懐とする弘安2年の大曼荼羅(板本尊)は学者の中では偽物であるというのが常識であるとも教えてもらった。私も、地球が爆発して、本尊が消えた時に教え(法)が一緒に消えてしまうような宗教は偽物であると答えた。つまり偶像崇拝の否定である。それから、先生のように創価学会を批判していると、攻撃されませんか?と聞いた時には、「コソコソしていると創価学会は攻撃するが、私のように堂々と批判していると全く攻撃されない」とも言われた。

私が大学院二年の時に、大隈記念特別奨学金を賞与されて報告した時には、「あれは2百人に一人しかもらえない。よくやった。私の息子はだらしがない」と言われ、私が雑誌に載った映像批評を送ると「映像批評は君の天職だね」と褒めてもらった。

東日本大震災の時は、まだご存命中だったので私は電話を掛けて、「善因善果、悪因悪果と言いますが、あの地震では善人も悪人も関係なく死んだのは何故ですか?」と質問した時、「死ぬ=バツ、生きる=マル、という考え方では理解できません」と言われたが私には結局理解できなかった。その後私は次のような五行歌を詠んだ。

善人も 悪人も 一気に海へ 流し去る 天地に仁なし

これは老子の言葉を五行目に置いたもので、五行歌の会の草壁主宰は、巻頭一作に選ぼうと思ったが歌の内容が大きすぎるとの理由で巻頭の3作目ぐらいに置かれた。つまり、自然の無関心の前では人間の営為は空しいという歌である。今成先生は、勤行をするとき(法華経や題目を唱えること)、私に「普通は如来というが、逆に如来というものがある。私はやってくる仏も見えるし、去って行く仏も見える」と言われたので、独特の神秘的心境に達しておられたのだろう。

まだ思い出したことがある。私が見性体験をして、見性体験記と共に、「微笑禅入門ー実践篇」という自作のDVDを10人ほどの高名な人に送ったところ、誰からも返事も質問もなかったので、今成先生にその理由を聞いたところ、「悟った人に対して、恐れ多くて誰が意見が言えますか?」と皮肉ではなく真面目に答えてもらった。

私は色んな日蓮宗の住職と話したことがあるが、今成先生ほどカクシャクとして威厳がある人に会ったのは初めてだった。冗談のひとつも言わず、会話はまるで剣道の試合をしているような気分になったものである。毎年年賀状が来たのに最近来ないと思っていたら、既に遷化されていることを知った。ここで哀悼の意を表して思い出の記に残すものである。合掌。

 

 


達人の競馬塾

2017年09月03日 | 達人の競馬教室

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(既に増補改訂版を購入された方には決定版を無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。これからは医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。

私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込りこんで下さい。

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上の3つの画像をご覧ください。こういうものは時期ものなので、他にもあるのですが、今回はブログで公開することにします。11番人気と8番人気と1番人気の3連複を当ててトータルで2万3千7百円になりました。何故、11番人気が買えたのかは、当然言いません。今日は3レースを買って最期の12レースでこの結果になりました。最初の2レースはラップを計算して買いましたが、外れました。ヒントは直観です。私は、かつて3連単や3連複を買う人間は競馬が分かっていない証拠と言って、馬連で百円が10万円になったことがあります。何故直観で当たったかと言うと、ほぼ毎日坐禅をしているからでしょう。競馬に勝って遊びたい人は是非微笑禅の会に入って下さい。

 


中城家の話

2017年09月01日 | 歴史

 

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(既に増補改訂版を購入された方には決定版を無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html に最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。これからは医療だけでなく歴史や芸術についても講義できるようになりました。私は八王子五行歌会の代表です。賛同される方は私まで電話を下さい。042-634-9230。

私が微笑禅の会(非宗教)を作ったのは日本に10人の見性者が生まれ、10人が協力し合えば世直しが出来ると思ったからです。(ちょうど日本に10人の坂本龍馬が居たら世直しが出来るように)

今後、微笑禅の会(非宗教)のネット会報は中止し、年に5千円の護持会日と数度の紙媒体での会報を出すことにします(メールで済ますこともあります)。私がロックフェラーほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。 http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html             入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

なお、微笑禅の会の口座番号に変更があります。入会手続き入会金なし。会費は年に5千円とし、ゆうちょの以下の振替口座 00130-7-447671 名称「微笑禅の会」に振り込んでください。その際は住所氏名他連絡先、男女の区別を明記して下さい。以上、会員になりたい方はこの口座に会費を振り込りこんで下さい。

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 私の母方の苗字を中城と言います。先祖の話をすると、また、先祖自慢だという人間がいますが、事実は事実なのでここで子孫のために書き残すことにします。父方の先祖については見性体験記の「父の面影」の中で簡単に触れていますが、「森家文書」を海南市の下津図書館から送ってもらったのでいずれ報告します。

私の母から数えて3代前の先祖は中城武七郎と言いました。明治政府になってから最初の戸長(現在の村長や町長のこと)でした。生まれは現在の西予市城川町です。地元の古文書館で調べてもらったところでは、庄屋を補佐する、組頭ではないかとのことでした。wikipedia には次のように書いてあります。「一般にには庄屋・名主を補佐する役職である。あるいは、組合村の代表者を「組頭」と称することもあった。」。ただ普通の組頭では無かったようです。名前から見ても武士の流れを引いており、昔の東宇和郡(ほぼ西予市全域)で事件が起こった時にはこの人が行かないと収まらなかったようです。今は無くなりました、知り合いのおばあさんに聞いたところでは、刀を差し、籠に載って遠くの事件を解決するために出かけて行ったと聞きました。母が面倒を診た池田家の御婆さんは死ぬ前に、刀を差した偉い人が目の前にいるがお前には見えないのか、と幻覚を見て母に問いかけたと聞いています。

中城武七郎の子供は養子で中城文太郎と言います。この人は酒飲みで仕事をしないために、財産を使い果たしてしまいました。その子供、つまり母の父、私にとっては祖父に当たる人の名前を中城周三郎と言います。この人の名前を知らない人は、城川町の役所には一人もいないと聞きました。位は助役でしたが、当時は今の特定郵便局と一緒で、中城家は役所の代わりを務めていて、朝になると数十人が家の前に列をなしたので母たち子供はその接待をするのが役目でした。この周三郎という人は「万語読み」(天才)と呼ばれていました。というのはほぼ2千人いる、城川町の全員の家の地番と、山林の地番を丸暗記していたからです。それだけではありません。城川町という名前は日本で最も凝った町名の2つに入っています。これは、土居、魚成、高瀬川、という3つの地名と川の名前を組み合わせたものです。城川町の歴史には公募して選ばれたと書いてありますが、それは中城周三郎が町民に花を持たせたのでしょう。またそれだけではありません。年に一度、算盤大会が行われて、算盤自慢が競い合いましたが、他の人は、イチイチ駒を動かすのに、周三郎はほとんど暗算で時々、パチリパチリと駒を動かしただけで、毎年優勝し、米一俵などの賞金を持って帰りました。また、詩歌にも秀で、「伊予竹に 土佐紙貼りて 阿波ぐれば 讃岐涼しき お四国の風」という作品を残しています。これは、四国4県を短歌の中に読み込んだもので、意訳すると、愛媛の竹に、土佐の紙(土佐は紙の産地です)を貼って、扇いだら、こんなにも涼しい、四国の風という意味です。周三郎の子供たちはみな高等小学校しか出ていませんが、それは旧制中学に通うには高知か宇和島に行く必要があり、子供の足では2泊しないと行けなかったからです。私はそのことが分からなかったので、母の子供時代は貧乏だったのだと思っていましたが、母に聞いたところでは「貧乏と言ってもレベルが違う。毎日、抹茶を立てて飲んでいたし、周りの家が、父親のことをオトン、母親のことをオカン、と呼んでいた時に、中城家では、トトさま、カカさま、姉のことを姉様、と呼んでいた」と聞きました。また周三郎の妻、つまり母の母、私の祖母は中城ヨシと言って、ミス城川のような美人でした。私は子供の頃に一緒に遊んでもらったことがあるので、お婆ちゃんが無くなった小学生の時は大泣きしました。今でも中城家の子孫は美男・美女が多いようです。

中城周三郎の長女が私の母・中城満留です。母は親のために家を建てただけで無く、戦争に協力したくない、軍事工場で働きたくないという理由で、18歳の若さで軍属として満州に渡り、看護婦助手を務めました。今でも産婆の免許は持っているそうです。(その母を、あなたは従軍慰安婦だったのでしょう、といった、島田市の八木と、審理中に母の家に行って恐喝した松山の織田は、今は罰が当たって死んでいるに違いありません)。母は終戦の後もしばらく満州に残り、中国語の通訳になるつもりでした。そこで最後の病院船に乗って舞鶴に戻ってきました。母の叔父がその知らせを聞いて大喜びしたことを母は今でも時々思い出して感謝しています。舞鶴から上野に移動した時は焼け野が原で母は土地でも買おうと思ったそうですが、こんな焼け野が原が今のように復興する筈は無いと思って郷里、城川町へ戻ってきました。そして私の父と再婚して、30歳そこそこで、「嬉野」という高級料亭兼置屋を経営しました。私が赤ちゃんの時の写真には私が芸者さんに抱かれたものがあります。そして、私が最初に覚えた言葉は「散財しよう」でした。これは、酒を飲みながら奇麗な芸者をはべらして、思い切りお金を使おうと言うものです。

私が八王子芸者と遊んだとか、石和のコンパニオンと遊んだとか、鬼の首でも取ったように言う愚かな人間がいますが、藩の財政を立て直した山田方谷ですら、次のような狂歌を残しています。

楽しみは(世の中は、の場合もある)、後ろに柱、前に酒、左右に美人、懐に金

これは落語にも出て来るので山田方谷のオリジナルではないかもしれませんが、節約で藩の財政を立て直した彼ですら、このような遊び心を持っていたわけです。およそ、男は遊びを知らないとロクな人生観は持てません。私は今はせいぜいスナックでカラオケを歌う程度ですが、リッチになったら、昔のように石和温泉に一週間ほど泊まり込み、コンパニオンと遊びたいと思います。