那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

突然映画批評です「小原庄助さん」(清水宏、1949)

2014年11月16日 | 書評、映像批評

ブックマークに加えたように最近「レアフィルム批評アーカイブ」というブログを作りました。これは昔のHP「那田尚史の部屋」に数多く書き残した映像書評をアメリカ製の魚拓から掘り起こし、このブログに移動させたものです。戦前の小津安二郎監督の映画でエイゼンシュテインの顕著な影響を受けたものなど、非常に貴重な批評があったのですが、魚拓ですから櫛の歯が抜けた状態になっていて大半が復活できません。

以下の作品は片っ端から探していたらやっと見つかったもの。今後同じ作業をして見つかれば採録します。

ところで映画は音楽と同じ「時間芸術」です。文章なら速読したり、つまらない部分は飛ばして読む、というふうに鑑賞のスピードは読者の自由ですが、時間芸術はそういうわけにはいきません。ベルイマンの映画は早廻しで見ると実に単純なストーリーですが、あのダラダラした時間に付き合うことが重要なんですね。映画を研究・批評していたときに駄作と付き合うことになり「ああ、この時間があれば他のことが出来るのに」と何度後悔したかわかりません。自分の寿命を削って鑑賞しなければならない傑作などそれほどありませんから。そういう意味では未見の作品の評価は非常に重要な意味があります。前田有一さんが今のように有名になる前に何度かメールをやり取りしました。彼の批評はネタバレなしで評価が的確ですから、映画ファンにはお薦めです。「超映画批評」http://movie.maeda-y.com/

 

『小原庄助さん』(清水宏、1949)


{あらすじ}

ある農村の名家に生まれた主人公の男(大河内伝次郎)は人がよくて、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、村民から「小原庄助さん」と呼ばれ、また自分もそれを気取っている。莫大な遺産も底が尽きているのに、村民から頼まれると嫌と言えず、野球チームのユニホームやら、ミシンやらを寄付して村のために尽くしている。
 村長の病気に伴い、選挙が始まる。村民は主人公の男に村長選出馬を願い出るが、その直前にある狭量な人物から村長選出馬を打ち明けられ、応援演説をする約束をしていたので、その約束を守るために出馬しないと述べ、代わりに仲のいい村の住職に出馬を勧める。村長選は一騎打ち。主人公が応援演説した男が勝ち、住職は落選。しかし、選挙違反が摘発されて、住職が村長になる。
 主人公の男は金貸しに借金をしており、返す当てがない。長年勤めている婆やにヒマを出し、家にあるさまざまな品物を競売にかけ、家まで手放すことになる。馬の代わりに可愛がって乗っていたロバは村の子供たちにやり、愛読書類は村民にただで配る。妻の兄が来て、その様子に落胆し、妻までも実家に連れて帰る。

 道具がなくなっただだっ広い屋敷で、主人公の男が一人でさびしく酒を飲んでいると、二人組みの強盗が入ってくる。男は、一瞬の間に強盗を柔道の技で投げ飛ばす。「お前ら、来るのが遅いぞ。昨日ならくれてやるものもあったのに」という台詞が面白い。そして彼らが生まれてはじめての泥棒だったことを知ると、彼らに酒を振舞いながら次のように言う。「炭鉱夫でも百姓でもやればいいじゃないか。いや、これは俺にいう言葉だ。家柄がいいものだから、肥桶も担げず、安月給取りにもなれず、小原庄助さんをきどって生きてきたが、結局家も手放し、女房にも逃げられた」
 翌朝、男は元の自分の屋敷の門に「小原庄助さん、なんで身上つぶした。朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上つぶした。ああ、もっともだ。もっともだ」と書き残し、カバン一つで旅に出る。後ろから、実家に帰っていた妻が追ってくる。

{批評}

この作品は日本映画を知っている者の中では傑作の一つといわれていたので、この作品を見るのを非常に楽しみにしていた。たまたまスカパーでやっていたので運良く見ることができた。
 あらすじは上記の通り。たまたま私が禅に興味を持っているので、余計にそう思うのかもしれないが、主人公のダメ男は、別の角度から見れば、「本来無一物」を実行した、仏様のような人間である。絶対に悪いことはしない。世のため人のために尽くして、全財産を捨て去る。生き仏ではあるが、可哀想なのは妻やバアヤなど周りの人々である。見ようによっては、この映画は、在家者があまり仏の道に沿って生きると不幸になる、という教訓話のようにも見える。明らかに、禅の思想に触発された映画であろう。在家と出家の修行は違う、というお話でもある。脚本は、監督の清水に映画評論家で大物映画人の岸松雄が協力している。
 私は、この映画は「小原庄助さん」の伝記だろうと思い込んでいた。実際はそうではなく、小原庄助さんを手本に生きる、没落していく名家の主人の生き様を描いた物語である。
 撮影に関していえば、広い屋敷の隅から隅までをノンカット長廻しで撮っていく移動撮影があるかと思うと、ミシンの足踏みと坊さんが木魚を叩くカットを交互に見せる対照のモンタージュの短いカットの連続があるなど、自由自在の撮影が印象的である。
 演技に関していえば、さすがに天下の大河内伝次郎。一言で、うまい。いい役者である。
音楽についても、有名な作曲者・古関裕而(「高原列車は行く」「長崎の鐘」や早稲田の応援歌「紺碧の空」の作者)が手がけ、いたるところに民謡の「小原庄助さん」(「会津磐梯山」)が使われ、悲しい話なのに、どことなく呑気な、明るい世界が描かれる。
 ちなみに戦後の闇市の時代の貴族の没落を表した映画には有名な『安城家の舞踏会』(吉村公三郎、1947)がある。この作品は、有名な割には表現が稚拙で私は好きではないが、戦後日本の上流階級が没落し、家屋敷を手放し、新興勢力に取って代わるという時代を表した作品群というものがあるようだ。小説なら太宰治の『斜陽』がある。
 監督の清水宏は戦前に「有りがたうさん」という大傑作を撮っており、一部では天才映画監督と言われる。
来月からスカパーで清水宏特集が組まれるので、大変楽しみだ。見たら、またHPで紹介する。