那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

教育改革について

2013年04月30日 | 世直しのためにどうすべきか
案の定nttのリモートサポーターでは対応が出来ずgooブログも混乱中で解決方法がまだ届いていません。こんな小さい文字で書くのは疲れるので簡単に。
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西村修平さんの活動報告 「長野聖火リレー暴乱5周年(池袋 平成25年4月26日)」は左下のブックマークをご覧下さい。

瀬戸弘幸さんのhttp://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52958670.htmlは痛快です。

また「パチンコ廃止を求める会」メールマガジン編集部から様々な情報が寄せられました。ぜひメルマガ購読をお奨めします。
http://www.pachinko-abolition.net/

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私が「ロータス文化学院」や「那田塾」を企画しているのは、一言で言えば教育改革です。
また、私の父が戦前の小学校の校長で山村教育に青春のエネルギーを注ぎ、私も中学高校の学習塾を経営した後に大学で非常勤講師を長く勤めたので、親子二代で小学、中学、高校、大学で教えてきたわけです。私だけでも延べ20年は教育畑にいました。

Q&A形式で勉強のコツを話します。

Q:世の中に出ても役に立たない勉強を何故する必要があるのか?
A:頑張って勉強して成績が上がると、自分も親も嬉しい。先生からも褒められる。こんな純粋な世界はない。
ところが世の中に出ると、ゴマスリとコネのほうが重要だから成績だけでは出世できない。だから今のうちは純粋な世界を楽しんだほうがいいよ。

Q:私は頭が悪いから勉強できない。
A:脳細胞を調べると無限の記憶容量があり、その数パーセントも人間は使っていない。だから「頭が悪い」ではなく「たまたま嫌いで勉強していないだけ」。やる気になったら100点満点取れると思って、頭が悪いと口にしない、思いもしないこと。自己暗示にかからないように注意してください。

Q:どうしても英語が苦手です。
A:脳に疾患がある場合を除いて頭が悪いから日本語が喋れない人間はいない。アメリカ人が英語を話しているのを見て「スゴイ、英語が喋れる」と驚いた人がいる、というギャグがあるけど、蜂が誰に教わったわけでもないのに自然に幾何学的な巣を作ることが出来るように、言葉の能力は先天的に人間に備わっている。ヨーロッパなどは国境を接しているためにフランス語、ドイツ語、イタリア語、そして英語が喋れて当たり前で、これは頭脳の問題ではなく環境の問題。生活をする上で必要だから自然に覚えるだけです。
 環境ともう一つ大切なのは動機付けと思い込みです。小さいときに学ばないと外国語はネイティブなみになれない、と言われるけれど例外があります。宣教師などの場合は「神の教えを広めるため」という強いモチベーションがあり、また正反対ですが、アノ松田聖子ですら「アメリカ人と付き合いたい」「アメリカで売れっ子になりたい」という動機があったので一応英語はペラペラのようです。
 もう一つは日本で生まれた在日外国人が典型ですが、自分のの先祖に中国や韓国の血が混じっていると知った場合は、大人になっても例外的に早くマスターするようです。思い込みの力ですね。

Q:でも記憶できない。記憶するコツは?
A:記憶のコツは感動と一回忘れること。面白くて読んだ小説や、面白くてクリアしたゲームは自然に覚えている。これは記憶には「面白い」という「感動の裏づけ」が必要な証拠。だから英単語でも一度覚えて、綺麗に忘れて、再度見たときに、「あ、前に読んだ記憶がある」と感情が働くと今度は記憶に定着する。ネイティブの発音を真似しながらスペルを書くと「聴覚、視覚、触覚」の3つが同時に感覚を刺激するから覚えやすいよ。嫌いな科目は上手に「勉強」ではなく「ゲーム」にしてしまうと最強なんだけどね。
 あとは、ルール通りのものと、例外を分ける整理術。片づけ名人は秀才になるから、お母さんの片づけを手伝うといいよ。

Q:先生が嫌いだからやる気にならない。
A:よく分かります。私も高校1年の時の数学教師がいい人だったので楽しく勉強できたけど2年になってから嫌味な教員に代わり嫌いになった。これはどうしようもないな。特に10代は感受性が豊かだし。一つの方法としては、その科目が得意な友達に教えてもらって、嫌いな教員を無視することかな?
 
Q:でも先生に気に入られないと内申点が悪くなる。
A:それが一番の問題。中学校の内申点と学力の関係は3:7や4:6などそれぞれ違うけど、段々内申点が重視されるようになっていると感じます。私の娘も高校受験の試験の得点は合格者の平均点を上回っていたのに内申点で落ちて私立高校に行きました。これは教師に服従する生徒が有利になる、子供が保身的になるという意味でダメな制度の典型だと思います。個性の強い子供、鋭敏な子供が疎外されてしまうよね。唯一の解決策は教員が文句を言えないぐらいの成績を取ることぐらいかな。定期的に生徒が教師を採点する制度があるといいね。

その他、様々な質問はブックマークに入ってこのブログが入っている「ロータス人づくり企画」から問い合わせてください。個別に答えます。

無字の公案

2013年04月28日 | 
西村修平さんが今日の昼から活動されるので、関心のある方は早起きしたら、ともかくブックマークをご覧下さい。

昨夜、何かブログに書こうとしたら、突然画面のスタイルが変わっている上に、フォントが半分ぐらいになって読みにくい。
出来る範囲のことをやったが、どうにもならない。編集画面からフォントの設定を見ることは出来るが、所謂「灰色反転」に近い状態で操作できない。

フォントが小さくなったこと以外はgooのあらゆる機能が編集画面から全部見える状態になっていて便利だが、これでは書いている私も、読者も読みにくくて仕方ないと思う。今日は日曜だからどうせgooスタッフは休みだろうし、nttのリモートサポートもこういう問題はgooに聞いてください、で協力してくれないだろう。そういえば、一昨日のサポーターの女性は素人で、何度もアンチョコを見ては変なことやっていたなぁ、と思い出す。私は大抵ブラウザをグーグルクロームで使っているが、色んな設定を解除して、一つのトラブルは消えたのだが、他のがダメになったのか、とか、gooはパスワードの新設定など要求してきたしメンテナンス障害か、とか考えているうちに日をまたいで28日の午前2時を越えた。
 とりあえずこの画面だけはフォントを大きく出来るので、今日はそれでごまかします。
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さて、今日は「場合によっては一発で悟れる」かもしれない公案を試すことにします。
 私が尊敬する玄侑宗久師は公案には答えはない、と言われます。そう言われるのは充分な根拠があります。
が、私の体験と理解をあわせた結論では、公案は様々な種類に分かれていて、比較的答えがはっきりしているものから、その人の即興の心境を老師が見抜くものまで種々のケースに区別されます。これを分析した本も持っているのですが、押入れのどこかに入れたままで探すことは出来ません。

ある程度答えが分かっている証拠として、「難透」(白隠八難透など)という言葉があります。ということは、逆に簡単に解ける公案があるわけですね。ということは、ある程度答えは分かっている公案がある証拠です。ただそれを体全身で分かったかどうかを老師たちは見るわけです。そこを強調して 玄侑師は「公案に答えはない」と言われるのだと思います。この辺りを含めた面白いサイトにhttp://www3.tokai.or.jp/counseling-zen/link2.htmがあります。後ほどぜひご覧下さい。

ともかく、そういうネタバラシは後にしましょう。
読者の皆さんが今現在どういう心境なのか、最も有名な公案を読み、考え、どうにもならなかったら解説(提唱)を読んでみてください。
(本当はそういうことをするのはダメですが、人生は短く、本格的に出家するとか見性しようという人はほとんどいないので、これもあり、にしましょう)

http://www.asahi-net.or.jp/~zu5k-okd/house.14/mumonkan/gate.1.htmより

非常に短い公案ですが、まずこれが何を言っているのか解説してみます。

 ある時、1人の僧が趙州(じょうしゅう)和尚に問うた。

「犬には仏性が有るでしょうか、それとも無いでしょうか。」

「無」と趙州は答えた。

この短い会話そのものは、あえて説明する必要はないと思います。また、趙州和尚についても、仏性についても、いちおう解説しました。では次に進んで、この僧が趙州和尚に問いただした意図は何なのでしょうか...ここから禅問答に入ります。

この僧は、実は犬に仏性が有るか無いかは百も承知で尋ねているのです。むろん、大禅匠である趙州和尚も、“生きとし生けるものは、ことごとく仏性を有する”ことは知り尽しています。では、何故あえてこんなことを質問したのでしょうか...

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ここまででこの公案を解いてみてください。こういう言い方も掟破りですが、師匠の出す問題を解くには、師匠の考えそうなことの上を読むことです。つまり、知恵(般若波羅蜜多の智慧)比べです。

山川草木悉有仏性、という仏教の基礎用語が示すとおり、植物どころが石ころにさえ仏性があるのですから犬に仏性があるのは当然です。
 因みに「一念三千」という思想は天台以後の全ての宗教がいいます。が、本当のことが分かっている人は少ないようです。普通は単純に「心の中に三千の世界がある」と解釈します。違いますよ。これも「十界互具」と同じで「三千界互具」です。つまり、石ころのほうでも三千の世界を持っているわけです。
 これが分かっていればこの公案はすぐに解けます。解けたら悟っているかもしれません。

微笑禅の会の方、あるいは関心をお持ちの方はお分かりのように、本当は悟る必要もありません。こういうと立ち枯れ禅になるので説明が難しいのですが、私が微笑禅の会を作った目的は「10人の見性者が生まれたら日本は変わる」と思ったからです。だから悟るに越したことは無いけれど、こういう神秘体験が無くても、もっと大切な何かがあると思うようになってきました。その「何か」については会員の皆様に送ったDVDの中で語っています。

自分の出来る範囲で淡々と日常を暮す、但しダイヤモンドのような心だけは包み隠している凡人、というのが私の理想です。では失礼します。


DVシェルターについて(被害者の立場から)

2013年04月23日 | DV法批判

3組に1組が離婚する現在、DV法でどれほどの犠牲者が出ているか、私は戸籍係の真面目な職員から「この問題の多い過渡的な法律のために我々も悩んでいる。どうか一石を投じて欲しい」と頼まれたことさえある。戸籍係も困っているほどこの法律は欠陥だらけなんだな、と私は改めてため息をついた。

現在はDVシェルターが「別れさせ屋」「洗脳館」と蔑称され、離婚産業として莫大な収益を上げているのは周知の事実となっている。以下引用する。

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:zgnndKcJyAYJ:okwave.jp/qa/q4600848.html+&cd=7&hl=ja&ct=clnk&gl=jpより(夫と別れたいという相談への回答)
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奥さんも犠牲者なんですね。DV法の。

家庭崩壊法の犠牲者なんですね。

何もかもをすべてDVにされて被害者だと思わされ。

残念です。こんな法律が弁護士の利権のためにあるとは。

DV法を良く考えて下さい。夫は妻を殴ったと調書を取られても逮捕されません。
なぜだと思いますか?

逮捕されて職を失うと慰謝料や養育費が取れないからです。

妻は必ず子供を連れていきます。
なぜだと思いますか?

人質です。妻の事を助けたいのではないのです。

離婚させて弁護士報酬を受けるための法律なのです。

こんなゴミの様な法律があることが非常に残念です。

シェルターから専門の弁護士がいると言われませんでしたか?
法テラスに行けと言われませんでしたか?

法テラスとは仕事の無い無能な弁護士のハローワークです。

やり手の弁護士はそんなところでDV案件等恥ずかしくて取り扱うことはしません。

すべては仕事の無い弁護士を食べさせる為の法律なのです。

消費者金融の過払い金請求が終わって弁護士は食い扶持がないのです。

被害者の事などまったく考えていません。それに踊らされる被害者はもっと悲惨な運命になります。

裁判をさせる為の法律なのです。無能な弁護士の仕事の世話を貴方方はしているのです。

目的は妻に子供を連れさらわしてDVシェルターで洗脳して夫を挑発し裁判を起こさせ最終的な仕上げは子供を児童相談所に強制的に入れるのが目的です。

ここを見られてるDV離婚された方。貴方は掃除が出来ないでしょう。片付けが出来ないでしょう。そう言った女性しか狙わないのです。
貴方はシェルターで言われませんでしたか?家事が苦手なのに家事をしなさいと言うのは言葉の暴力だと。

被害者に無理矢理されてしまい、洗脳された女性はそれが当たり前だと普通に思っています。

掃除が出来ないのは私のせいではないと。夫が言うから嫌になったのです。と平気で言います。

貴方はそれが正しいと思いますか?

それを狙った法律がDV法です。

夫婦とは完璧ではありません。時には喧嘩をして時には言い合いをし成長していくのではないのでしょうか?

もしそれでもDVと言い張る貴方は誰と結婚しても幸せにはなれないでしょう。

精々一人で子供の愛情不足を理解しないで自分勝手に気ままに生きることが幸せなのでしょう。

それも人生だと思います。

子供の事を考えて下さい。貴方が仕事にいっている間。大きくなってから必ず傷口は開きます。

子供は夫婦揃って育てるのが良いのです。

馬鹿な弁護士や女権団体等の言うことを聞いていたら貴方に幸せは来ません。

次の結婚する前に言ってみて下さい。私は掃除しないよ?と。

子供のせいにして人のせいにして自分の過失を一切攻められないので自分が勝手に被害者だといつまでも夫を目の敵にしている。私がこうなったのは夫のせいだと勝手に思い死ぬまで思い続ける。

それも子供を犠牲にして最終的には子供を児童相談所に監禁されて。裁判までして離婚した夫に相談も出来ず。

DVシェルターに入った90%の人がそんな運命です。

掃除が出来ないのは自分のせいです!
夫のせいではありません!

馬鹿なフェミが言い続けている事です。

DVの定義は支配です。
支配されていては喧嘩など怖くて出来ません。

喧嘩になって殴り合うなど王様に家来が逆らうようなもの。

何でもかんでもDVにしてしまうのは一部のフェミや女権団体の弁護士とグルになって行うビジネスモデルです!

ので良く考えて下さい。

子供の心はかなり弱い。父親が居なくなることは耐えられないくらい大きな傷になります。

二人でカウンセリング等行って修正していくことを私はオススメします。

偉そうに申し訳ありません。
投稿日時 - 2013-01-06 09:44:44

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非常に優れた、的を射た回答だと思う。本当に暴力があっても慰謝料を取るために逮捕されない、掃除の出来ない女性が狙われる、という部分は私も知らなかった。

付け加えるならば、女性にほんの少しでも傷があれば、それどころかDVシェルターによってはわざと傷跡まで作り「保護命令」が警察から出て、義母や義父と会話も出来なくなる。私の場合は当然保護命令も無く、失踪届けを受け付けてもらった地元警察の方から「とにかく生きていて良かった。苦しいでしょうが頑張ってください」と励まされた。義父、義母とは自由に連絡をとり、会いに行ったこともあれば来て頂いたこともある。

尋常でないのは妻の両親でさえ、家族がシェルターを出て(普通はシェルターに2週間から長くて2ヶ月隔離され、その後は生活保護家庭に移される)、なんと3年近く会えなかった事実である。その間家族たちが何処にいたか全く謎に包まれている。

DVシェルターは妻への暴力の跡を偽造するだけでなく、携帯電話と鍵を取り上げ、留守の間に部屋に忍び込まれる。このあたりは「ノマリン DV」で検索すれば簡単に見つけることが出来る。

シェルターでは全て男が悪いと叩き込む妻子を洗脳教育が施される。シェターを出た後でも片親で育つと子供が陥る心理的メカニズムがあり、アメリカでははっきりとした研究結果が報告されている(「親子ネット」に詳しい)。私の場合は息子が私の母(つまり、お婆ちゃん)の記憶を消されているという信じられない状態になっているが、これも簡単な葛藤回避の無意識のメカニズムであり、徐々に精神疾患に陥ることが証明されている。「洗脳、ゲシュタルト崩壊、二重拘束」などのキーワードで調べて行くと人間の心理がいかに脆いものかわかる。

同様に、子供の情緒、成績などあらゆる面で面会交流を実施したほうがいいと結論が出ている。子供が父親と逢いたい、と思ったときに逢える環境を整えておくことが何よりも重要であり、洗脳なりマインドコントロールが完了した後にそれを解除するのは余程の幸運が重ならない限り不可能で、仮に子供が覚醒しても「既に手遅れ」の場合がほとんどである。
 
さらに冷戦時代の産物として、ハイテクやドラッグを使い人格を変える技術も開発されている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%97%E8%84%B3には

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洗脳はマインドコントロールとは違い、主に物理的暴力(拷問のほか、薬物の利用や電極を埋め込む手術を含む)あるいは精神的圧迫(罪の意識の植え付け)などの強い外圧があるとされる。
 これらを基に通常、児童からの教育段階で偏った情報を与えて、特定の(一部の者に都合の良い)思想や価値観を持たせてしまう場合はマインドコントロールに、既に成長して主義・思想を持つ人間に働き掛けて、特定の主義・思想に(本人の意思に関わり無く強制的に)変更してしまう場合は洗脳に分類される。特に後者では、薬物の使用や過酷な環境下において、人間の精神が極めて受動的になることを利用して行われる。

洗脳は何らかの論理体系を与えて特定の方向付けや条件付けを行い、ある思考様式を持たせると云う、いわゆる「マインドコントロール」と混同されがちだが、洗脳の場合には、より実質的な意味で価値観や記憶すら改竄(かいざん)する事を指し、文字通り「別人にしてしまう」といえる。また記憶の改竄により、洗脳の際に不当な扱いを受けたという記憶すら失っている場合には、主観的に「洗脳を受けた」という事を認識する事も不可能である。

場合によっては、記憶にある事実関係を誤認識させたり、特定の方向性を持たせる等の点で、マインドコントロールに類似した点もあるが、いずれにしても「元々のその人」または「本来は違ったであったであろう人格」を破壊した上で、違う人物を作り上げてしまうため、人道上においては殺人行為と同質であると見る事ができる。

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「親子ネット」などの統計を見るとシェルターに入っている内、命に関わるような重大な暴力を受けた女性は2.5%、全体として肉体暴力は20%程度、残りの8割は離婚を有利に進めるための口実、とはっきり分かっている。

簡潔に言えば、DVシェルターとは本来「御互いが頭を冷やして再度話し合う場を作る和解の場」であるべきところがその逆になり、和解されたら一番困る離婚産業になっている。ここが最大の欠陥であり、DV法を「男性に愛されたことが無い女性政治家が作った怨念の悪法」と呼ぶ人もいる。さらに、この法律成立の背景には日本の家族制度を壊そうとする「悪の論理」に基づく勢力の思惑が働いているように思える。
 
私が何か書くと必死になって嘘と屁理屈を並べ立て反論する類いの人物を私はコバエ(ネット社会に暗躍する情報工作屋)と呼んでいる。このコバエたちがやっきになって否定し「妄想」「電波」「精神病院に隔離されろ」と中傷する場合は、100%が「ばれたらまずい事実」である。もうミエミエだから止めたらどうかと思うが、マニュアル通りにしか発言できないので仕方が無い。DVシェルターの隠された手口について私が昔作っていた掲示板で暴露したときも、コバエたちがよってたかって否定しようとした。よほど隠したい理由があったのだろう。

なお、現在大きな社会問題になっているのは夫が妻から虐待を受ける「逆DV」が急激に増えていることである。男女平等が本当なら夫と子供のためのDVシェルターを作るべきだが、DV法を作った福島瑞穂を含め「共生社会に関する調査会」の人達はどうするつもりなのかじっくり聞いてみたい。

最後に私が強調したいのはDV法により個人が自由意志を消され別人に変わっていく「人道上の殺人」のことだけではない。国民全体が洗脳されている事実に気付くべきだと思う。
 マスメディアが重大な事件の真相を公開しなくなって久しい。我々は常に情報を操作攪乱されているという意味で全員がDVシェルターの中に隔離されているに等しい。その中で「花は紅、柳は緑」の澄んだ目で状況を分析できるかどうか。DV法の犠牲にならなかった人も対岸の火事と思わず内省の契機にしていただきたいと思う。


自公連立政権批判が広がっている

2013年04月21日 | 世直しのためにどうすべきか
腱鞘炎、その他重要な雑事、この陽気など重なりブログ更新がままなりません。
当分は以前のような長文は無理ですので、短い文章に留めます。

西村修平さんは
「自公連立と保守派の堕落を糾す!」(左下のブックマークをクリックして下さい)

瀬戸弘幸さんは
「自公連立は足手まとい」http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52956011.html

と、理由は違いますが愛国運動に一致しているのは公明党が政権に入ったことによる怒りです。愛国運動、世直し運動に問わず、国民のほとんどがウンザリしているのではないでしょうか。

前の衆院選は民主党があまりにだらしなかったのと、真冬の投票(自公の圧勝が見えているのに民主党がなぜこの時期を選んだか不思議です)という史上最低の投票率のために自公政権が誕生したわけですが、主義主張が全く違う両党が連立を組んでいる上、この道はいつか来た道、で国民の積極的な意思の反映とはとても思えません。

まともな成人なら『憚りながら』『黒い手帳』ぐらいは最低読んでいるでしょうし、ネット情報で創価=公明党の裏の顔を知っているはずです。
 自民党良識派は公明党と手を組むのを嫌っている人がほとんどです。

google検索で「創価学会 犯罪」で検索すると400万以上ヒットします。一方「創価学会被害専門弁護士」が一人もいない不思議さが現在の日本の状況を物語っていると思います。需要が山ほどあるのに供給がゼロ、というのは経済の原理ではあり得ない筈ですよね?


政談を少し

2013年04月17日 | 世直しのためにどうすべきか
西村修平さんのメルマガ、『「主権回復式典」の中止を!』 が届きました。このブログの左下に西村さんのブログのブックマークを入れましたのでぜひご覧下さい。ブログに載らないメルマガもありますからその場合は以前同様転載します。

このところ私が多忙かつ体調が悪いために、西村さんの主権回復を目指す会の転載が続いていました。こういう形にすれば、西村さんの活動を一気に見ることが出来る上、私なりの意見も書くことが出来ると考えた次第です。

このブログが入っているHP(ロータス人づくり企画)には「お奨めリンク集」があり、そこには西村さんのブログの他に、瀬戸弘幸さん、阿修羅、その他のリンクが貼ってあります。そちらも合わせてご覧下さい。
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言葉とは面白いもので、私の故郷は旧愛媛3区ですからよく「保守王国」と言われます。「保守」というのは非常に印象の悪い言葉で、談合、馴れ合い、長いものに巻かれよ、思ったことを口にしない、などを意味します。
 さらに面白いのは、これは愛媛でも私の故郷・西予市野村町だけの使い方かもしれませんが、「偉い人」という言葉は「根性の悪い人」を意味する悪口です。だから親は子供に「あんな偉い人になるなよ」と教えるわけです。

脱線しましたが、そういう事情もあり私は「保守」と言わず「革新愛国」という造語を使っています。

都市部がバブル経済で狂喜乱舞していたころ、地方の地方は疲弊する一方でした。当時私は郷里で暮していましたが、商店街を潰して第三セクターによるショッピングセンターに集中させる議会決議に反対して、町議に全員に反対意見書を手渡しし、結果的に潰したことがあります。特別職の人たちが支持してくれたわけです。この手の三セクをやって成功した例は、本来商店街が無かった新興住宅街以外、まずありません。
 
経済面のことだけを言っているのではなく、自営業という小さくても一国一城の主という「自由な精神」が消えてしまい、常に役人に管理される社会に変わっていく息苦しさに私は激しい嫌悪感を覚えたものです。
 
バブル崩壊後は小泉=竹中政権により新自由主義経済が進められました。「小さな政府」で市場原理に任せておけばいい、という理屈でしたが、郵政民営化でどれほど田舎の生活が苦しくなっているか、町村合併でどれだけ過疎化が進んだか、故郷をお持ちの方はご存知の通りです。

今話題になっているアベノミクスの実態はなんなんでしょう?行き過ぎた新自由主義経済の反省の上に立った試みだと思っていましたが、http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:8xKXUtA7SuUJ:www.mitsuhashitakaaki.net/2013/01/09/korekiyo-25/+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jpを見ると

「要するに、これは、世界中を不幸にした2000年代前半のグローバル資本主義の姿です。
このグローバル資本主義の構造を改め、国民本位の資本主義を取り戻すのが、新政権の使命であるべきです。安倍政権が「保守」を標榜するなら、なおさらでしょう。
先の総選挙で、自民党は、「日本を、取り戻す」というスローガンを掲げました。
ところが、取り戻されようとしているのは、「小泉政権下の日本」のようです。
いや、民主党から日本を取り戻して、アメリカに渡すということだったのかな?」

「私も産業競争力会議のメンバーに竹中平蔵が連ねているのに唖然としました。
産業構造を破壊し、生きる希望を失わせた竹中!安部総裁の信頼が揺らいできました。」

などの意見があります。
それにしてもあの異常な小泉人気は何だったのでしょう?タクシーの運転手さんと会話すると「女房が小泉に熱を上げているが理解できない」という言葉を何度も聴きました。日本人の欠点として、ファナティックになる、という側面は確かにあると思います。

今「新自由主義」をwikiで検索したら、言おうとしたことが簡潔に書いてあったので、これを引用してとりあえず終わりにします。
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水岡不二雄によると、ネオリベラリズムは、狭義には、規制緩和・民営化・社会福祉切捨てなど現実の政府が取る諸政策をいう。また、広義には新古典派経済学を基礎とし、市場機能を歪めるとされる政府による介入は民間では適切に行えないものに限定すべきとする市場原理主義思想に基づいて、狭義のネオリベラリズムの政策を推進することにより、資本蓄積と社会統合を図る、資本主義の調整様式のひとつである[28]。

資本主義経済は、恐慌と革命を封じ込めなければ持続性を持ち得ない。新自由主義は、これを実現するために、新古典派経済学の諸前提を宗教の聖典のように絶対化して、この前提を、経済・社会のすべての個人・集団によって実践されるべき規範にまで高め、自己責任や、他者をうらやまない「no-envy」思想などを中心とする市場原理主義の経済思想を作り出した。

これに基づき、低福祉、低負担、自己責任を基本として小さな政府を推進する、ネオリベラリズムの諸政策が遂行された。具体的には、製造業に代わり金融業が経済の中核部門にすえられ、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、経済の対外開放、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などが推進された。原子的経済人に擬制された諸個人や国家は、絶え間ない競争状態におかれ、市場原理主義思想を受け入れなければ「負け組」になるかも知れないという恐怖にさらされた。高度な金融技術によって組織された金融業が資本蓄積を保障する一方で、自己責任の原則のもと「負け組」となった人々は、政府や資本主義体制を批判しないよう誘導されて、革命が封じ込められ、資本主義の安定が図られた。これが、新自由主義である、と批判している[29]。
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この他に、新自由主義のパラドックスとして、小さな政府が逆に大きな政府になる、という現実も指摘されています。

「 腐臭を放つ輩「シバキ隊」(西村修平)・・・主権回復を目指す会」より転載

2013年04月07日 | 世直しのためにどうすべきか

腐臭を放つ輩「シバキ隊」
http://nipponism.net/wordpress/?p=21716

<「シバキ隊」、醜悪且つ腐臭を放つ輩だ!新大久保デモに見る「百鬼夜行」 >


送られてきたメールで、「シバキ隊」と称する輩の言動を目にして、怒りを通り越して人としての劣化にただただ溜め息をつかざるを得ない。

槇 泰智は政治・思想運動の傍ら、家族を養うため真面目に仕事を営んでいる。その人と、仕事をオチャラケの道具にして喜ぶとは、何と醜悪且つ腐臭を放つ輩だろうか。

下記に挙げるのはそのメール、パソコンの画面上からさえ、連中の腐臭が漂って来るようでおぞましい。これを槇氏の家族、子供らが見たら一体何と思うだろうか。その心中たるや察するに余りある。

全く関係ない槇 泰智とその家族を貶めて、よくもまあ、この輩は「排外主義反対」とか「レイシズム反対」云々を口に出来るものだ!

人の心に思いを馳せ、公の場所を意識して言動を自制・イマジネイションすることは社会人として基本的な常識だが、それらが欠けたまま成人になった暁には、荒(すさ)んだ、歪(ゆが)みきった人間が形成される実例であろう。

<参考>
https://twitter.com/Kino_Toshiki/status/318293247166402560
Kino Toshiki ?@Kino_Toshiki
今日サウンドカーを貸していただきました、
まきやすともさん、ありがとうございました!!
左翼が使っちゃってごめんなさい(笑)

https://twitter.com/Kino_Toshiki/status/318320486226468864
Kino Toshiki ?@Kino_Toshiki
瀬戸先生、ぜったいブログに「あのサウンドカーは
反日勢力からの提供に違いないだろう」とか書くはず(笑)
いまから笑いをこらえるのが大変(笑)

https://twitter.com/kdxn/status/318378931466170368
野間易通? @kdxn
今日いちばんおもしろかった話は「仲良くしようぜ号」が
まきやすとものレンタカー会社から借りた車だったってことw 
これ木野さん、絶対わざとやったでしょう。

https://twitter.com/yasudakoichi/status/318296821007003649
安田浩一? @yasudakoichi
まきやすともさんに感謝!
RT@Kino_Toshiki: 今日サウンドカーを貸していただきました、
まきやすともさん、ありがとうございました!!
左翼が使っちゃってごめんなさい(笑)”


オチャラケを目的にした「在特会」の血縁兄弟が「野間」であり「木野」 、悪のりする安田浩一氏はその同類といわれても致し方ないだろう。

この「木野」なる人物は、常人が感ずる生理的な不快感・嫌悪感に人一倍の愉悦を覚えるらしい。知性と品性を欠き、何の取り柄もない「おちょくり」を皮肉(シニカル)と錯覚したまま、一人で悦に入っている。この人物、外面は人間づらしているが、心の内はゾンビに例えられようか。

槇は、「在特会とその仲間」が集う新大久保デモには一貫して批判的であるが、「シバキ隊」とやらには全く関知していない。にもかかわらず、その槇に「木野」と「野間」たちは何を目的に何をしたいのかさっぱり見当がつかない。あえて詮索すれば、「今日が面白い」(野間)とする刹那的生き方に辿り着くのだろう。だとすれば、彼らは正しく「在特会」と血縁の兄弟そのものである。

人としての信義が欠落し、不誠実かつ不真面目な人間、世間ではこの手の類を 「人間のクズ」とも言う。これらの類に共通しているのは、皆が皆、揃いも揃って重度の“ツイッター中毒患者” であるという点だ。映像で見る限り、新大久保デモ(在特会)とそれに対する「シバキ隊」の様相は、あたかも白昼夢に見る「百鬼夜行」の乱舞だ。

「ミイラ取りがミイラに」「朱に交われば赤くなる」 、両者を眺めつつ、ネットとは適切な距離を置くべきとつくづく自戒する昨今である。

ところで、31日の新大久保デモに「シバキ隊」のカウンターを恐れたのかどうか知らないが、高田誠ら音頭を取ってきた連中らが顔を出さなかったという。つまり、ヤバイと察知して逃げたのである。何とまあ卑怯者か、その稀代の卑怯振りは何回も指摘してきた通りであるが・・・。
在特会の呼びかけで集まった「デモ参加者」らも、高田誠らに置いてきぼりにされ、裏切られた現実を少しは学習するべきではないか。

◆写真:雨にも風にもマケズ 毎週決行!韓国大使館へ アンチ「水曜デモ」H25.4.3 第66回

暴風雨の中、慰安婦強制連行の捏造を糾す槇 泰智氏(四谷四丁目交差点、平成25年4月3日)


◆【動画】雨にも風にもマケズ 毎週決行!韓国大使館へアンチ「水曜デモ」
youtube
http://www.youtube.com/watch?v=qyFBPWDbYuw
ニコニコ動画
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20518647


「「第4回名画鑑賞・意見交換会 『暗殺』(監督・ 篠田正浩)・・・主権回復を目指す会」より転載

2013年04月04日 | 世直しのためにどうすべきか

第4回名画鑑賞・意見交換会 『暗殺』(監督・ 篠田正浩)

ー幕末維新、それは凄惨な血で彩られた革命だったー


【開催趣旨】
日本人の心の繊細さ、多様性を知らずして、わが国の文化と伝統を語ることは難しい。それは感性を養う作業であり、主として我々は優れた文学作品や名画を通し、豊かな心のあり方を会得していく。

第3回目 『暗殺』
 昭和39年(1964)松竹制作 監督・ 篠田正浩 脚本・山田信夫 出演:丹波哲郎、岩下志麻、木村功、小沢栄太郎 音楽・武満徹 演奏・横山勝也(尺八)、一柳慧(プリペアド・ピアノ)

原作は司馬遼太郎の『奇妙なり八郎』。新撰組創設に関わった清河八郎の陰謀と島津藩を巡る寺田屋事件が見せ場だ。

勤皇と佐幕、開国と攘夷を巡り、新撰組のテロと暗殺が公然と行われた。それに対する下級武士集団の壮烈な応酬などなど、「殺るか殺られるか」のただならぬ人間関係に視点を定めつつ、篠田監督は幕末維新の主力を担った青年たちをパセティックに描いた。それは又、明治維新を「無血革命」とする思想の怠惰を批判する行為にも繋がる。幕末維新とは凄惨な血で彩られた正真正銘の革命だった。

※参考
歴史を動かす革命という巨大な舞台は、常に凄惨な血に彩られる。飽くことなく生け贄が晒され、呻き声は舞台に横溢する。しかし反逆者たちはそれを踏み分けて進む。だかららこそ逆に、人は雄大なロマンをそこに見る(野村秋介)

◆【信念を貫けば 十字架が待っている】
http://nipponism.net/wordpress/?p=15776
◆【保守派言論人の怠惰を糾す!】
http://shukenkaifuku.com/past/shuchou/080106.html


日時:平成25年4月14日(日) 17:30開場 17:50上映開始

場所:文京区民センター(2-C会議室) 東京都文京区本郷 4-15-14 03(3814)6731
地図: http://www.jca.apc.org/~monsoon/bunkyoukumincenter.htm
アクセス:地下鉄 春日(大江戸線、三田線)、後楽園(丸の内線、南北線)、JR 水道橋

※会場負担費:300円(任意)

連絡:西村(090-2756-8794)


「井尻先生の本意は何処に・・・主権回復を目指す会」より転載

2013年04月02日 | 世直しのためにどうすべきか

井尻先生の本意は何処に (主権回復を目指す会)
http://nipponism.net/wordpress/?p=21634

<軍事占領下での日米安保条約は無効である>

◆写真:米国大使館へ向け、焼き殺された同胞の無念を弔う(平成23年3月10日 米国大使館前)

重複するが主権回復を目指す会は、肝心な点については何回も繰り返して言わなければならない。

昭和27年4月28日、講和条約が発効すると同時に日米安保条約も同時発効した。同時発行、ここにこそ最大の矛盾、まやかしが存在する。

講和条約発行と同時に、日米安保条約で米国占領軍は撤退せず、引き続き「在日米軍」の名の下で常駐しているのである。本来、対外的条約(日米安保)は戦勝国との講和条約が締結され、わが国の主権が確立・安定した後に、つまり全ての占領軍が撤退した後に結ばれるべきはずであった。

日米安保は米国の軍事占領下において、主権が存在しない状況下で締結された条約であり、こんなもの無効でしかあり得ない。同時発行はレトリックである。

日本全土が、米軍に好き勝手に使用される状況を放置して70年、何が「主権回復式典」か。言うまでもないが、このまやかしの式典を誰よりも喜んでいるのは米国である。式典では駐日米国大使のご臨席を仰ぎ、オバマ大統領の祝辞を披露するつもりなのだろうか。

来たる4月28日、安倍政権と自民党が計画する「主権回復式典」は米国占領軍の実体を隠蔽するまやかしである。この日は、国恥」記念日または主権回復「祈念日」が相応しい。天皇陛下のご列席を仰ぐことで、「主権回復式典」を日本国民に強要するなど許されない。安倍政権と自民党は天皇陛下の政治利用を止めろ。


           公開質問状「主権回復記念日」と祝日化の疑念を問う
               <井尻先生の本意は何処に>

拓殖大学名誉教授 井尻千男先生


平成25年4月1日      
主権回復を目指す会      
東京都千代田区西神田2-3-18  ダイヤモンドレジデンス307 


1)4月28日の「祝日化」は、果たして井尻先生の本意なのでありましょうか?

 弊会は、日米安保体制下における外交・軍事の実質的な主権喪失という現状を放置したまま、4月28日を「主権回復記念日」とすることは欺瞞、まやかしであるとの立場に基づき、その「祝日化」に反対しております。

 今年、自民党・安倍政権は、4月28日に政府主催の「主権回復の日」式典を開催する意向を固めていますが、昭和27年(1952年)当時、我が国の施政権外に置かれた沖縄県などが「切り捨てられた屈辱の日である」として、反対の意思を表明しています。

 現時点では、「記念日」あるいは「祝日化」といった文言こそ用いられていませんが、畏れ多くも天皇陛下を政治利用して式典への御臨席を仰ぐ、その背後には、自民党・安倍政権による将来的な「祝日化」の企図が存在すると推し量るものであります。

弊会は、我が国の真の国家主権が回復していないという認識を「祝日化」に反対する根拠としておりますが、その認識は何も弊会に限られたものではなく、「主権回復記念日」の趣旨に賛同されている所謂保守派の方々においても見受けられるものです。

<ご参考>
◆ 「今も主権は回復していない」と語る西田昌司議員
→【2011.12.19】西田昌司『戦後66年経って今も主権は回復していない!!』
http://www.youtube.com/watch?v=gyVfcCKJO6g

◆ 「日本が『国ごっこ』をやめて真の主権国家になる始まりの一日に」
 と語る稲田朋美議員
→弁護士、衆議院議員・稲田朋美 主権回復記念日を設ける意義は
http://megalodon.jp/2012-0417-1745-12/sankei.jp.msn.com/politics/news/120417/plc12041703210003-n4.htm

◆ 主権回復を「記念」ではなく「祈念」する必要性について語る長谷川三千子氏
→2/5【自主独立】主権回復五十八周年記念国民集会[桜H22/5/1]
http://www.youtube.com/watch?v=9P19r-TweM8

 井尻先生におかれましても、「主権回復記念日」を設ける必要性を提唱され、「主権回復記念日国民集会」を開催されるに至った背景には、世上に蔓延する国家主権意識の希薄さへの危惧の念があり、それに警鐘を鳴らす意図があったものと推察致します。

 すなわち、我が国国民の国家主権意識を高めることこそが、当初の目的であったのではないでしょうか。

 ところが昨今、「主権回復記念日国民集会」においては、「祝日化」という概念が独り歩きして、それ自体が目的化してしまっているかの如き印象を受けます。

 我が国の真の国家主権が回復していないという問題意識に立脚すれば、4月28日を「祝日化」して文字通り「お祝い」することは、まさに明後日の方を向いた本末転倒に他ならないと弊会は考える次第であります。この点につきまして、井尻先生はどのようにお考えなのでありましょうか。

2)「民族左翼」とは、どの事実に基づく、どのような定義、意味内容でありましょうか?

 昨年、チャンネル桜の水島総氏が公の放送で、4月28日の「祝日化」に反対する弊会を指して「民族左翼」という造語を発した際、井尻先生はその言辞に賛意を示すかのような相槌を打たれました。

<ご参考>
【水島総】戦後レジーム打破!尖閣防衛・東北復興・主権回復[桜H24/4/23]
  http://www.youtube.com/watch?v=0cLVlwfDv2w

「事実を挙げて、道理を説く」ことを行動の指針とする弊会としましては、我々の言論・主張におけるどの事実を以って「民族左翼」と称されたのか、そもそも「民族左翼」の定義、意味内容とは何であるのか、お尋ねしたく存じます。

 これに対する明確なご返答を頂けない場合、「民族左翼」なる造語が、事実を踏まえたものではなく、建設的な議論から逃避する上での所謂「印象操作」「レッテル貼り」の域を出ないものと理解せざるを得ない次第であります。