那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

稲垣足穂の話&パチンコ廃止通信

2016年03月31日 | 芸術・表現

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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昨日集団ストーカーの被害者の方と近くのファミレスで相談を受けました。非常に聡明な美形の方で、話を聞くと大変な被害に会っておられるようです。私は創価学会批判の有名人でもあり創価学会が第一の標的にしていると言われたことのある人間ですから、私には集団ストーカーは危害を加えることはありませんが、むしろ昨日会った被害者のような方への犯罪的行為のほうが多いのでしょう。相談を受けながら考えさせられることが多く有りました。その人の相談を受けている時に、私に向かってガンを飛ばす爺さんがいたのでそのことを彼女に話したら日常茶飯事との答えでした。遠くから会いに来られたのですが大変な毎日を過ごしていることが察せられます。

稲垣足穂についてもう一つ語るべきエピソードがあります。それは来客があった時に、彼は蒲団の中にいて、その布団に入って一緒に横になりなさい、というものです。私は今は軽くなりましたが以前は重いアルコール性肝炎だった時代があります。この病気に罹ると体がだるいためにほとんど横になった状態になってしまいます。稲垣足穂もそのような状態だったのでしょう。

彼の作品について少し述べることにしましょう。これから先は完全に記憶だけで書くので一部間違いがあるかもしれないことを先に述べておきます。

「星を売る店」という作品があったと記憶します。それは主人公が道を歩いていると「星を売る店」と書かれた看板があり、入っていくと小さな蒸気機関車が走っているのですがその燃料が石炭ではなく空に輝く星だった、という物語です。店主にどうやって星を取って来るのかと聞いたところ、非常に長い虫取り網で夜空から星を採っているが、最近はいい星が中々採れなくなった、と答えます。主人公がその星(金平糖のようなもの)を一口食べてみると非常に香ばし香りがした、と書かれてあった筈です。この作品はイマジネーションが極端に強く、その発想は詩人でないと書けません。今時の文学にはこのような詩的小説は全くないと言っていいでしょう。要するに稲垣足穂は天才であったと断言できます。

それから第一回目の日本文学大賞に選ばれた「少年愛の美学」は哲学と散文詩をミックスしたような文章でとても一度読んだだけでは理解できません。私は一時期この作品に憧れて同じような文章を書いていました。大学院に入ってもその癖が残っていたために、何度も書き直しをさせられました。大学院2年目から月刊イメージフォーラムの常連執筆者になった時に、当時編集長だった大学の先輩の池田さんから中学生の女の子に書く手紙だと思って批評を書いて欲しいと言われたことを思い出します。いまは意味さえ分かればいいと思って文章を書いていますがあの頃のような文章を書きたいものだと思います。

稲垣足穂は少年愛の性癖を持っていたようですが実際はバイセクシャルでした。「男は別嬪さんに惚れられるようでないといけない」と言っています。それから彼の言う「宇宙的郷愁」の意図するところは私はよく理解できます。例えば橋の欄干に肘をついて川の流れを見ている半ズボンの少年が目の前にいると想像してください。何となく物悲しく、その時間が永久に続いて欲しいような気分になります。

彼は文学者ながら理系にも強く、非常な抽象癖がありました。抽象化すればストローも土管も同じチューブになります。以前、私が読んだ五行歌に

オムツをした 柔らかいチューブから オムツをした 硬いチューブになって燃やされる 哺乳類ヒト科の一生

というものがありますが、これも抽象化を狙って詠んだものです。また彼は最新の宇宙論を駆使した作品も書いており、またもともと飛行機乗りになりたかったけれど近視でその試験に合格しなかったために、飛行機の話をいくつも書いていますが、何故飛行機が魅力的なのかと言えば、当時の飛行機は墜落するのが当然と思われていたからです。このあたりは彼が死というものに憧れていた傾向を示しています。最後にアル中になって狂死したことは偶然ではありません。

では稲垣足穂の話はこの辺にして、パチンコ廃止通信をご覧ください。

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パチンコ廃止通信 第61号  平成28年3月31日発行   

パチ廃通信 〜パチンコが無い健全な社会へ〜    

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『今こそ在り方を問うべきだ!』
生活保護受給者のパチンコ問題を再考する
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 前号でも記事でも取り扱った大分市の生活保護を巡るパチンコの問題は、世論と逆行し
国と大分県が大分市の対応を取りやめさせるという事態になっている。
これを受け、大分市はこれまでの対応を撤回したという。

【生活保護給付のパチンコで一部停止、大分2市が撤回】
産経新聞 3月17日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160317-00000073-san-soci

 上記の報道を受け、パチンコ問題に詳しいライターの若宮健氏はFacebookを通じ
『自由なことをするなと言っているのではない。生活保護費で、博打は止めろと言っているのだ。
1日10万円負けるのが、普通になっているパチンコはまさしく博打に違いない。
自殺者から、一家心中まである。この実態を知らないとはい言わせない。』と批判した。
また、この問題をパチンコ業界側の人間の如く擁護したタレント・テリー伊藤氏に対しても
強く批判した。

 世間的には問うまでもない問題であるが、換金を伴うぱちんこ遊技は賭博である。
いくら生活保護者の「文化的生活の一部」だと言っても、景品を換金せず手元に
残すプレーヤーは皆無であろう。

 生活保護受給者は収入が発生した場合、雑所得として申告する義務がある。
この金額がある程度の水準であるとみなされれば、当然生活保護は打ち切られる。

 そして今回の厚生労働省の対応は、賭博行為を黙認するどころか雑所得の申告の受理を怠っている
「証拠隠ぺい」を図っていると言ってもよいくらいである。FXや株では雑所得の申告が必要で、パチンコは
必要ない…そんな都合の良い話は存在しないはずだ。

 賭博及び富くじに関する罪(賭博罪)の保護法益は「勤労の美風」である。
判例については 昭和25年11月22日判決 賭場開張図利の主文を
( http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/521/054521_hanrei.pdf )参照して頂きたいのだが
主文には『勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと
相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風
(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を
誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。』と記載されている。

…すなわち賭博行為は怠惰であり浪費行為でもあり、健康で文化的な社会も勤労の美徳も乱すとしているのである。

 一方で弁護士を含む市民グループが大分市に対し、憲法第25条1項の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を
根拠とし、処分を取りやめるように申し入れを行っているという。上記の判例では明確に「健康で文化的な社会の基礎を
成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害する」と述べているのにも関わらず、である。憲法第25条1項の定義する
「健康で文化的な最低限度の生活」も否定する行為ではなかろうか。
 
 勤労があるからこそ、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が発生する。

 勤労とは憲法第27条1項によれば「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とされている。
義務があるからこそ、権利が発生するのである。その義務をやむを得ない事情により果たせない者に対し、救済措置として
生活保護制度が存在するのだ。生活保護法第60条では下記のとおり規定されている。
『被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、自ら、健康の保持及び増進に努め、収入、支出その他生計の状況を適切に
把握するとともに支出の節約を図り、その他生活の維持及び向上に努めなければならない。』
つまり、受給中は浪費することなく節約に励み生活を維持することを務めよというわけである。

 また、生活保護法第62条に規定される指示等に従う義務においては、最低生活の保障と生活の向上や自立のために必要な
指導・指示をしたときは、これに従わなければならないとされる。
パチンコ依存脱却のケアや措置は、生活保護受給中であれば公の力で強制的に行うことができるのである。
寧ろこの期間を上手く利用しなければ、依存からの脱却は永遠に不可能だ。

以上のこれらの根拠を以て、早急な法改正が必要であると言えるであろう。
答えは単純明快だ。
他に正当性を持った根拠があれば、是非とも反論してもらいたい。

(メルマガ編集部)

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【お知らせ】
『謎の円卓UFO』に当会事務局長・渡邊昇が出演しました。
http://ameblo.jp/free-and-obligation/entry-12137244122.html

パチンコ廃止を求める会発足までのエピソードから、パチンコを取り巻く現在の状況まで幅広く
解説しています。わかりやすく楽しいトーク映像です。是非ご視聴を。

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メールは編集委員宛でこちらへお願いいたします。 
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皆様へのお願いです【ご家族、ご友人に当会をご紹介ください】 

 下記URLより簡単に入会できます。 
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【探しております】 
 パチンコ廃止を求める会は、廃止に向けた定義や政策提言を 
作成するため、法曹関係者の会員様を探しております。 
法曹関係者の方は、是非ご協力をお願い致します。 


稲垣足穂について

2016年03月28日 | 芸術・表現

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私は小説を読んでいて涙を流したことが確か3回あると思います。一度目は宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」、二度目は太宰治の「津軽」のラストシーン、三度目は稲垣足穂の「弥勒」です。弥勒は相当昔に読んだので思い出すことは出来ませんが、貧乏のどん底にある作者が自分こそ次のブッダである弥勒だと気付く精神的にもまた技術的にも壮大なスケールの小説だったと記憶しています。

太宰治や宮沢賢治は有名なので誰でも知っているでしょうが、稲垣足穂は余り知っている人がいないと思うのでここで紹介することにします。彼は三島由紀夫が推薦して1969年『少年愛の美学』 で第1回日本文学大賞を受賞しましたが、テレ隠しでしょう、受賞のパーティには出席せず家の中で大はしゃぎしていました。(これから書くことは全て記憶なので多少の間違いがあるかもしれないことを断っておきます) そして「何故三島は私のところに挨拶に来ないのだ。偽物と見破られるのが怖いのだろう」などと毒づきました。

彼は極貧生活を続けていたので面白いエピソードが幾つかあります。

原稿用紙が無かったので、出版社でボツになった原稿用紙をもらって来て、それを裏返しにして原稿を書いていた。

お金が無くなった時は原稿を書くインクに水を足して質屋に預けた。

鉛筆で原稿を書く時は小学校の周りにあるドブさらいをして短い鉛筆を集め、それをゴムで閉じていた。

風呂に入ってもバスタオルが無いので飼っているネコをそのバスタオルの代わりにして体を拭いた。

井戸の底に猫が落ちて鳴いているときに、稲垣足穂はロープを作って救い出したので周りの人が褒めた時に「以前ネコを殺めて食べたことがあるので、その罪滅ぼしです」と答えた。

最後にはアル中になって狂死したと言われていますが、彼はほとんど資料を用意せず、全て記憶だけで小説やエッセーを書いていました。映画批評も残しています。彼の机には広辞苑が一冊あっただけだと言われています。つまり彼も天才だったというわけです。

私は浪人時代に稲垣足穂の初版本を何冊か持っていましたが転居を繰り返している内に全て無くしてしまいました。今ならヤフオクに出せば相当の値打ちが付いたと思うととても残念です。


石原莞爾とは(その2)

2016年03月27日 | 歴史

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 太平洋戦争へと到る激動の1930年代において重大な役割を果たした陸軍軍人である。満州事変2・26事件、そして日中戦争に関わり、その個性的な才能は多くの追随者を生み出した。

日中戦争は東アジアの中の仲間内での争いであり、速やかに終わらせることが、必要であると考えていた。

法華経・日蓮信仰と結び付いた独特の歴史観・戦略観を持っていた。

『世界最終戦論』では、最終戦争は日本とアメリカにおいて行われる。そのために日本は力を蓄えなければならない。そのため、現在の戦争(日中戦争・太平洋戦争)は時期尚早である、と主張した。

最終戦争は圧倒的な武器によって一瞬の内に勝負が決まる、と考えていた。

昭和12年(1937)1月の林銑十郎内閣の組閣の際には、板垣征四郎陸相・末次信正海相等を実現しようと画策するが失敗。

東条英機と対立。太平洋戦争前に現役から離れる。在野で、東亜連盟の運動を強力に進める。

国柱会会員。

敗戦後戦犯として裁かれることはなかったが、証人として訊問を受ける。

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父親の転勤のため、転住を重ねている。幼年期は乱暴な性格であった。まだ小学生でなかった石原を姉が子守のため学校に連れて行った時には、教室で大暴れして戸を叩きながら「破るぞ、破るぞ」と怒鳴り散らした。しかし、利発な一面もあり、その学校の校長が石原に試験をやらせてみると、一年生で一番の成績であった。また、石原の三年生の頃の成績を見てみると読書算数作文の成績が優れていた[5]

また、病弱でもあり、東北帝国大学付属病院に保管されていた石原の病歴を見てみると、小児時代に麻疹にかかり種痘を何度か受けている[5]

石原は子供時代から近所の子供を集めて戦争ごっこで遊び、小学生の友達と将来の夢について尋ねられると「陸軍大将になる」と言っていた[5]

明治35年(1902年)、庄内中学二年次途中で仙台陸軍地方幼年学校に受験して合格し、入学した。石原は、ここで総員51名の中で一番の成績を維持した。特にドイツ語数学、国漢文などの学科の成績が良かった。一方で、器械体操剣術などの術科は不得意であった。

明治38年(1905年)には陸軍中央幼年学校に入学し、基本教練や武器の分解組立、乗馬練習などの教育訓練を施された。石原は、学校の勉強だけでなく戦史哲学などの書物をよく読んでいた。田中智学法華経に関する本を読み始めたのもこの頃である。成績は、仙台地方幼年学校出身者の中では最高位であった。この上には、横山勇、島本正一などがいる。また、東京に在住していたため、乃木希典大隈重信の私邸を訪ね、教えを乞うている[6]

明治40年(1907年)、陸軍士官学校に入学し、ここでも軍事学の勉強は教室と自習室で済ませ、休日は図書館に通って戦史や哲学、社会科学の自習や名士を訪問した。学科成績は、350名の中で3位だったが、区隊長への反抗や侮辱のため、卒業成績は6位であった。

士官学校卒業後は、歩兵第65連隊に復帰して、見習士官の教官として非常に厳しい教育訓練を行った。ここでは、軍事雑誌に掲載された戦術問題に解答を投稿するなどして学習していたが、箕作元八の『西洋史講話』や筧克彦の『古神道大義』など、軍事学以外の哲学や歴史の勉学にも励んでいる。南次郎よりアジア主義の薫陶を受けていたため、明治44年(1911年)の春川駐屯時には、孫文大勝の報を聞いた時は、部下にその意義を説いて、共に「支那革命万歳」と叫んだという。

連隊長命令で、不本意ながら陸軍大学校を受験することになった。受験科目は、初級戦術学、築城学、兵器学、地形学、交通学、軍制学、語学数学、歴史などであり、各科目三時間または三時間半で解答するというものであった。部隊長として勤務することを望んでいた石原は、受験に対してやる気はなく、試験準備に一心に打ち込むこともなく淡々と普段の部隊勤務をこなし、試験会場にも一切の参考書を持ってこず、どうせ受からないと試験期間中は全く勉強しなかった。しかし、その試験に合格し、大正4年(1915年)に入学することになる。ここでは、戦術学、戦略軍事史などの教育を施されたが、独学してきた石原にとっては膨大な宿題も楽にこなし、残った時間を思想宗教の勉強に充てていた。その戦術知能は高く、研究討論でも教官を言い負かすこともあった。

大正7年(1918年)、陸軍大学校を次席で卒業した(30期、卒業生は60人)。首席は、鈴木率道であった。卒業論文は、北越戦争を作戦的に研究した『長岡藩士・河井継之助』であった。

ドイツへ留学(南部氏ドイツ別邸宿泊)する。ナポレオンフリードリヒ大王らの伝記を読みあさった。また、日蓮宗系の新宗教国柱会の熱心な信者として知られる。大正12年(1923年)、国柱会が政治団体の立憲養正會を設立すると、国柱会の田中智學は政権獲得の大決心があってのことだろうから、「(田中)大先生ノ御言葉ガ、間違イナクンバ(法華の教えによる国立戒壇建立と政権獲得の)時ハ来レル也」と日記に書き残している。そのころ田中智學には「人殺しをせざるをえない軍人を辞めたい」と述べたといわれる。

石原が昭和2年(1927年)に書いた『現在及び将来に於ける日本の国防』には、既に満蒙領有論が構想されている。また、『関東軍満蒙領有計画』には、帝国陸軍による満蒙の占領が日本の国内問題を解決するという構想が描かれていた[7]。昭和3年(1928年)に関東軍作戦主任参謀として満州に赴任した。自身の最終戦争論を基にして、関東軍による満蒙領有計画を立案する。昭和6年(1931年)に板垣征四郎らと満州事変を実行し、23万の張学良軍を相手に、わずか1万数千の関東軍で日本本土の3倍もの面積を持つ満州の占領を実現した。柳条湖事件の記念館に首謀者としてただ二人、板垣と石原のレリーフが掲示されている。満州事変をきっかけに行った満州国の建国では「王道楽土」、「五族協和」をスローガンとし、満蒙領有論から満蒙独立論へ転向していく。日本人国籍を離脱して満州人になるべきだと語ったように、石原が構想していたのは日本及び中国を父母とした独立国(「東洋のアメリカ」)であった。しかし、その実は、石原独自の構想である最終戦争たる日米決戦に備えるための第一段階であり、それを実現するための民族協和であったと指摘される。

昭和11年(1936年)の二・二六事件の際、石原は参謀本部作戦課長だったが、東京警備司令部参謀兼務で反乱軍の鎮圧の先頭に立った。この時の石原の態度について、昭和天皇は「一体石原といふ人間はどんな人間なのか、よく分からない、満洲事件の張本人であり乍らこの時の態度は正当なものであった」と述懐している[8]。 この時、ほとんどの軍中枢部の将校は、反乱軍に阻止されて登庁出来なかったが、統制派にも皇道派にも属さず、自称「満州派」の石原は、反乱軍から見て敵か味方か判らなかったため登庁することができた。安藤輝三大尉は、部下に銃を構えさせて、石原の登庁を陸軍省入口で阻止しようとしたが、石原は逆に「何が維新だ。陛下の軍隊を私するな。この石原を殺したければ直接貴様の手で殺せ」と怒鳴りつけ、参謀本部に入った。反乱軍は、石原のあまりの剣幕と尊大な態度におされて、何もすることができなかった[9]。また、庁内においても、栗原安秀中尉にピストルを突きつけられ「石原大佐と我々では考えが違うところもあると思うのですが、昭和維新についてどんな考えをお持ちでしょうか」と威嚇的に訊ねられるも、「俺にはよくわからん。自分の考えは、軍備と国力を充実させればそれが維新になるというものだ」と言い、「こんなことはすぐやめろ。やめないと討伐するぞ」と罵倒し、石原の凄まじい気合いにおされて、栗原は殺害を中止し、石原は事なきを得ている。

1930年代後半から、関東軍が主導する形で、華北や内蒙古を国民政府から独立させて勢力圏下とする工作が活発化すると、対ソ戦に備えた満州での軍拡を目していた石原は、中国戦線に大量の人員と物資が割かれることは看過しがたく不拡大方針を立てた。

1936年(昭和11年)、関東軍が進めていた内蒙古の分離独立工作(いわゆる「内蒙工作」)に対し、中央の統制に服するよう説得に出かけた時には、現地参謀であった武藤章が「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と反論し同席の若手参謀らも哄笑、石原は絶句したという。

1937年(昭和12年)の支那事変日中戦争)開始時には参謀本部作戦部長であったが、ここでも作戦課長の武藤などは強硬路線を主張、不拡大で参謀本部をまとめることはできなかった。石原は無策のままでは早期和平方針を達成できないと判断し、最後の切り札として近衛首相に「北支の日本軍は山海関の線まで撤退して不戦の意を示し、近衛首相自ら南京に飛び、蒋介石と直接会見して日支提携の大芝居を打つ。これには石原自ら随行する」と進言したものの、近衛と風見章内閣書記官長に拒絶された。戦線が泥沼化することを予見して不拡大方針を唱え、トラウトマン工作にも関与したが、当時の関東軍参謀長・東條英機ら陸軍中枢と対立し、9月に参謀本部の機構改革では参謀本部から関東軍へ参謀副長として左遷された。

昭和12年(1937年)9月に関東軍参謀副長に任命されて10月には新京に着任する。翌年の春から参謀長の東條英機と満州国に関する戦略構想を巡って確執が深まり、石原と東條の不仲は決定的なものになっていった。石原は満州国を満州人自らに運営させることを重視してアジアの盟友を育てようと考えており、これを理解しない東條を「東條上等兵」と呼んで馬鹿呼ばわりにした。以後、石原の東條への侮蔑は徹底したものとなり、「憲兵隊しか使えない女々しいやつ」などと罵倒し、事ある毎に東條を無能呼ばわりしていく。一方東條の側も石原と対立、特に石原が上官に対して無遠慮に自らの見解を述べることに不快感を持っていたため、石原の批判的な言動を「許すべからざるもの」と思っていた。昭和13年(1938年)に参謀副長を罷免されて舞鶴要塞司令官に補せられ、さらに同14年(1939年)には留守第16師団に着任して師団長に補せられるが、これは東條の根回しによるものと考えられる。太平洋戦争開戦前の昭和16年(1941年)3月に現役を退いて予備役へ編入された。これ以降は教育や評論・執筆活動、講演活動などに勤しむこととなる。

現役を退いた石原は昭和16年(1941年)4月に立命館総長中川小十郎が新設した国防学講座の講師として招待された。

日本の知識人が西洋の知識人と比べて軍事学知識が貧弱であり、政治学経済学を教える大学には軍事学の講座が必要だと考えていた石原は、大学に文部省から圧力があるかもしれないと総長に確認したうえで承諾した。昭和16年の『立命館要覧』によれば国防学が軍人のものだという旧時代的な観念を清算して国民が国防の知識を得ることが急務というのが講座設置の理由であった。さらに国防論、戦争史、国防経済論などの科目と国防学研究所を設置し、この研究所所長に石原が就任した。講師には第一次世界大戦史の酒井鎬次中将、ナポレオン戦史の伊藤政之助少将、国体学の里見岸雄などがいた。週に1回から2回程度の講義を担当し、たまに乗馬部の学生の課外教育を行い、余暇は読書で過ごした。

しかし東條による石原の監視活動が憲兵によって行われており、講義内容から石原宅の訪問客まで逐一憲兵隊本部に報告されている。大学への憲兵と特高警察の圧力が強まったために大学を辞職して講義の後任を里見に任せた。送別会が開かれ、総長等の見送りを受けて京都を去り、帰郷した。この年の講義をまとめた『国防政治論』を昭和17年(1942年)に聖紀書房から出版した。

昭和19年(1944年)6月、柔道家の牛島辰熊津野田知重少佐は、東條英機首相暗殺を企てた[12]。共に東亜連盟で石原莞爾に師事していた。

津野田は、大本営参謀部三課の秘密文書を読み、予想以上の日本軍の惨敗ぶりに愕然とし、牛島辰熊に相談した。「このままでは国民は全滅だ」と悟った2人は、東條を退陣させて戦争を止めるために、皇族への「大東亜戦争現局に対する観察」という献策書を書き上げ、三笠宮高松宮らを通じて直接お上へ渡してもらうことにした。

2人は、献策書を持って石原が蟄居する山形県を訪ねた。石原は献策書を通読すると「一晩考えさせてくれ」と言って2人を泊まらせた。その献策書の欄外には、はっきりと「非常手段、万止むを得ざる時には東條を斬る」と書かれていたからである。次の日の朝6時、津野田と牛島を座敷に通した石原は、「今の状態では万事が手遅れだ」と言って赤鉛筆を取り、献策書末尾に「斬るに賛成」と書いた[13]

石原の賛意を得た津野田と牛島は、勇んで東京に戻り、暗殺方法について話し合った。結果、習志野のガス学校で極秘開発されていた青酸ガス爆弾「茶瓶」を使い、牛島辰熊が実行することになったが、直前になって東條内閣が総退陣となった。しかし、東條退陣後、どこで計画が漏れたのか、2人は9月に逮捕される。

後年、作家の増田俊也は、著書「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の中で、この時牛島は弟子の木村政彦を鉄砲玉(実行犯)として使おうとしていたと記した[14]

石原は、東條との対立が有利に働き、極東国際軍事裁判においては戦犯の指名から外れた。また、実生活においては自ら政治や軍事の一線に関わることはなく、庄内の「西山農場」にて同志と共同生活を送った。

石原は東亜連盟を指導しながらマッカーサートルーマンらを批判。また、戦前の主張の日米間で行われるとした「最終戦争論」を修正し、日本は日本国憲法第9条を武器として身に寸鉄を帯びず、米ソ間の争いを阻止し、最終戦争なしに世界が一つとなるべきとし、大アジア主義の観点から「我等は国共いづれが中国を支配するかを問わず、常にこれらと提携して東亜的指導原理の確立に努力すべきである」と主張した。

終戦間もない頃、満洲事変で朝鮮軍-関東軍間の連絡将校を務めた、元陸軍少将で大亜細亜協会幹部の金子定一が石原を訪問した際、石原が自身を訪問したマッカーサーの側近に話したこととして「予は東条個人に恩怨なし、但し彼が戦争中言論抑圧を極度にしたるを悪む。これが日本を亡ぼした。後に来る者はこれに鑑むべきだ。又、日本の軍備撤廃は惜しくはない、次の時代は思いがけぬ軍備原子力武器が支配する。」と語ったという[15]


石原莞爾とは

2016年03月26日 | 歴史

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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日本史上類まれなる軍略の天才。知られざる名将石原莞爾将軍

日中戦争において、20倍の兵力を誇る中国軍を20分の1の兵力で打ち破った。
竹中半兵衛や黒田官兵衛。2000人の兵で徳川軍を破った真田昌幸のような戦略家である。

少年時代に乃木希典の家にアポ無しで遊びに行きご飯を食べた。
学生時代、面倒臭い写生の授業に対抗する為、一計を案じ、自分の一物を写生。「我ガ宝ヲ写生ス」と提出。教官大激怒。
戦地における便所での暗殺防止に野糞を推奨。部下の羞恥心を取り除く為、部下を集めて目の前で用便をした。
宴会で上官から酒を勧められる。「飲まぬ」。


連隊長時代。農地を避けて突撃させた演習のやり方を、視察官に咎められた時は死んだふりをしてやり過ごした。
2.26事件時に荒木貞夫大将と出会った時、おまえのせいだ馬鹿を連発。荒木は若手将校をとても可愛がり、それが彼らの増長につながった事を咎めての事だと思われる。当然荒木大激怒。当時石原の階級は大佐であった。
東條英機を「東條上等兵」と評して嫌い、それを隠そうともしなかった。講演会で東條英機は銃殺されるべきと暴言。慌てる開催者のフォロー虚しく、これは公的な発言ですと嘯く。
辻政信から「導師」と呼ばれて心酔されていた。
東京裁判出張所に赴く為にリアカーを使い、運転手は大山倍達たちが務めた。

石原莞爾、満州を「王道楽土」にする思想に触れて、「日本人、満州人、中国人さらにシナ人も含めて利己的権益は放棄し、各民族協和の独立国をつくって、東亜に理想国をつくる。これこそ、最良の国防政策(日本にとって)でもある」

 昭和二十一年四月は、講和条約締結前で、まだ交戦状況下にある。他の軍人たちは自殺・自決したりして自ら「心の法廷」に決別したが、石原は連合軍最高司令官マッカーサーや米大統領トルーマン、アメリカ国民に向って堂々と反論した。それがマーク・ゲインの『ニッポン日記』に、こう書かれている、
「私が現役に止まっていたら、あなた方アメリカ人にもっと金を使わせたでしょう。戦線を縮少し、アメリカの補給路を延長させ、日華事変を解決すればもっとうまくやれたと思う(中略)。日本の指導者たちがミッドウェーの敗戦の意義を埋解し、ソロモン群島の防衛線を強化していたら、太平洋の広さが日本に味方していたにちがいない。山本五十六大将らは誤りを犯した。どこに根拠地を求めるかを知らなかったからだ。サイパン失陥を聞いたとき、私は敗戦を覚悟した」


「私は支那とは和平できたと思っている。われわれは東亜連盟に非常に確信を持っていた。その精神を中国民衆に浸透させることができたら、戦いを終ることはできた。東亜連盟は終始非侵略主義だった。連盟は、中国が満州国を承認さえすれば、日本軍隊は中国から撤退しうると論じた。蒋介石は相互に結末をつける段どりとなっていたから満州国を承認しただろう。私は終始、中国本土から撤退し、満州国をソ連との緩衝地帯にせよ、との意見だった。勿論我々はソ連と戦う意志はなかった」
 そして石原は、東條について「無能な男」と語る。
「対中国政策に関しては、東條と私との間に別に意見の相違はなかった。なぜなら、東條という男は、およそプラン(作戦)など立てる男ではないからだ。彼は細かい事務的なことはよくできる。しかし中国政策というような大問題に関しては全く無能だった。彼は臆病者で私を逮捕するだけの勇気もなかった。東條のような男やその一派が政権を握りえたという事実が、すでに日本没落の一因でもあった」
 さらに東條に迫害され続けた東亜同盟会員とマッカーサーについても語っている。
「不幸なことは、東亜連盟は貴国の命令で解散させられた。東條も連盟を弾圧しようと試みたが連盟は朝鮮でも満州でも、また支那においても力強い勢力を維持し続けただろう。マッカーサーが東亜連盟を解散させたとき、我々は旧日本の軍国主義とアメリカの軍国主義者とは何の違いもないことを知った。東亜連盟こそ、共産主義思想と対等の条件で戦える唯一の組織だった」


種種御振舞御書(その2)

2016年03月25日 | 神秘

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前回取り上げた種々御振舞御書の赤文字反転したのは奇跡を起こした部分です。

江の島の方より月のごとくに光っているように見えるものが (ものがたる物) 鞠のようでもあり、辰巳の方角から戌亥の方へ光が移動しています、十二日の夜が明けはじめたころ (あけぐれ) 人の顔もよくは見えないはずなのに、その物の光は月夜のやうに明るくて、人人の顔も皆みることができます、(首切り役の) 太刀取りは目が眩んで倒れ臥してしまい、兵たちも怖気づいて (首切りの熱気が) 興ざめしたようで一町ほども後ろに引いて様子をみているし、あるいは馬から降りてひざまづきながら警戒し、あるいは馬の上にうずくまってしまったものもいて、わたくし日蓮はこう言いました、なぜ皆さまはこのような大きな禍いがある罪人 (召人) を避けて遠のくのです、もっと近くに寄りなさい寄りなさいと大声で呼ぶけれど、急いで走り寄る人もいません、さて夜が明ければどうやっても首を切らなくてはいけないのだから、夜が明ければ見苦しいことにもなるので (今のうちにおやりなさい) とすすめたけれど、かくべつ返事もありません。(注18)

大集経には「日月明を現ぜず (空が暗いこと)」と説かれ、仁王経には「日月度を失う (あわてている???)」と書かれ、最勝王経には「三十三天各瞋恨 (憎みうらむ) を生ず」と見えるのにこれはどうしたことか月天よ、いかに月天よ、と責めてみれば、其の証として天から明星 (金星) のような大きな星が落ちて、前の梅の木の枝に引っかかっている様子であれば、侍たちは皆縁側より飛び出してきて、或は大庭にひれ伏し、或は家の裏手に逃げていきます、やがて即座に天に雲がわいて大風が吹きあれやって来ると、まるで江の島が鳴っているように空が響き、それは大きな鼓を打つっているような音でした。(注21)

これからは完全に私の記憶だけで書くので一部誤りがあるかもしれないことを先に断っておきます。

キリストが湖の上を歩いたとか、死人を蘇生させたとか、弘法大師が様々な奇跡を行ったというのは全て弟子たちによる伝聞に過ぎません。キリスト教の場合は新約聖書における福音書のみにそのことが書かれているに過ぎず、弘法大師の奇跡については高野聖と言われる人たちが各地に伝説を伝えたのみです。

しかしこの種種御振舞御書は明治の大火まで身延山に真筆が存在しているという事実は動かせないのですから、奇跡を起こした本人が書いた唯一の記録だと言えます。日蓮の遺文集(御書)を少しでも読んだ人なら日蓮が嘘をつくような人物ではなかったことは明白に分かるでしょう。

それにしてもこのような奇跡を起こした日蓮とは一体どのような人物だったのか出来れば会ってみたい気がします。

一部の学者の中ではこの御書を偽物だという人もいる出しいですが、それは自分を尺度にしてその現象が信じられないから言っているだけのことです。私が実験映画を批評していた時代にはこのように自分の感性だけを尺度にしている批評を「トコロテン批評」と蔑称していました。まさに天地と一体になればこのような軌跡が起こるものだと私は思います。

ちなみに石原莞爾は「『世界最終戦論』(後に『最終戦争論』と改題)を唱え、東亜連盟(日本、満州、中国の政治の独立(朝鮮は自治政府)、経済の一体化、国防の共同化の実現を目指したもの)構想を提案し、戦後の右翼思想にも影響を与える。その一方で、熱心な日蓮主義者でもあり、最終戦論では戦争を正法流布の戦争と捉えていたことはあまり知られていない」と言われています。また石原莞爾が属していた国柱会には宮沢賢治も属しており彼らが天才だったことは疑いようの事実です。また国柱会が最初に標榜した「八紘一宇」(道義的に天下を一つの家のようにすること)は、元スケバン女優の三原じゅん子が口にするべきような浅い言葉ではありません。ある読者はブログで面白い感想を述べているのでぜひ次のurlをクリックして下さい。http://blogos.com/article/108280/

なお、私が創価学会の第一の標的になっていると親族に漏らした創価学会本部職員の従兄弟が、イスラム教の教祖ムハンマドが「山よ動け、と命じたが、山が動かなかった。そこで自分のほうから山に向かって歩いて行った」という逸話を感動して語っていたことがありますが、日蓮と比べれば、このムハンマドの言葉は一休さんのトンチ程度のレベルでしょう。

このブログの読者の中にも奇跡など無い、と思っている人が大半でしょうが、この日蓮の御書が残っている限り、奇跡はある、と信じざるを得ません。日蓮自身が「理証より文証、文証より現象」と書いている通りです。

最後に、日蓮宗と日蓮正宗との間には大した差が無いことを伝えておきます。日蓮宗では日蓮はあくまで「大菩薩」であり教祖は釈尊、となっていますが、実際説法を通して語られるのは日蓮のことばかりです。日蓮正宗の場合は言うまでもなく日蓮本仏論ですから、日蓮は報身如来になっています。私は八王子にある日蓮宗の寺院二か所の信徒だったこともあるので両者の同異がよく分かります。

私は創価中学にいた頃から次のように思っていました。日蓮の思想は全ての民衆が仏になれるというものである。であるならば創価学会の池田会長(当時)だけを本仏として敬うのはおかしいのではないか。彼は信者の一代表に過ぎず、彼が本仏であるならば会員も全員が本仏である、と考えるのが論理的な考え方ではないだろうか・・・と。


種種御振舞御書(その1)

2016年03月24日 | 神秘

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今回は一部の現代語訳のみを掲載します。

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さる文永五年 (1268)正月の十八日に蒙古より日本国に襲来するという 国書がとどきましたが、日蓮がそれより前の文応元年 (1260) に立案した立正安国論がいま寸分たがわず現実のものとなりました。(注1)

此の書は白楽天や仏の未来記にもおとらない、末法時代の不思議な 因縁とでもいいましょうか、もし鎌倉が賢王聖主の治世であるならば 日本国でもっとも大事な政治課題として安国論が採用されて実行され ていなくてはいけないはずですし、わたくし日蓮には大師号が贈られて きっと幕府からなんらかのお尋ねもあり、蒙古との戦いの対策について 打ち合わせなどもして、加持祈祷の調伏なども依頼されることでしょう と思っていましたが、そんな話はさっぱりなかったので、(注2) それならと 其の年 (1268) の末十月に十一通の書状を書き留めて鎌倉の各所へ突然 ではあるけれどお届けいたしました。(注3)

もしこの国に賢人がいるならば、なんと不思議な事よこれはひとへに ただ事ではないので、天照太神正八幡宮のこの僧 (日蓮) に問いただして 日本国の助かる方法をあれこれ計らってくれるでしょうと期待しましたが、 書状を使いしたものに悪口雑言をあびせ、適当なことを言って追い返し、 取り付く島もなかったり、返事もなく、または返事はもらったけど上へ 取り次がないなどで、これはちょっと尋常なことではないようです。(注4)

たとえ日蓮のような名も知れない坊主の言うことでも国主や政事を見る 立場の人たちに取り次がなくて政道の法などとはとても言えません。 ましてこの事は幕府のえらい人たちだけの身に起こることではなく、 末端それぞれの身にもおおいなる嘆きをもたらすかもしれないのです、 それなのに安国論が採用されないばかりでなく、悪口まで言われるのは あんまりではありませんか、これはきっと日本国の上から下まですべての 人々が法華経の強敵となって長い時間がたってしまい、災いがつもりつも って鬼神が人々のからだにとりついてしまい、そこに蒙古から来た国書を 見て度肝を抜かれておかしくなってしまったとしかいいようがあません。(注5)

故事にも殷の紂王比干は諫言を聞かず周の文武王に滅ぼされたり、呉王は 伍子胥のいさめを聞かずむしろ伍子胥を自害させてしまい逆に自分が越王 勾践の手にかかってしまう例もあり、鎌倉もこんなようになってはいけない と思い、名も命もすてて強く申しあげたのですが、逆に風波が強くなり 竜が育って大きくなると雨もはげしくなるたとえのように、ますます憎ま れるだけで、ご評定にてはきびしい処分もあり、首をはねるか鎌倉から 追い出すか、弟子や檀家でも所領をもつ者は所領をとりあげて首を切れとか、 あるいは牢に閉じ込めて責めたり、遠国に流罪にすべしなどなど言われる 始末です。(注6)

わたくし日蓮はよろこんで待ってましたと元より承知の事でもあり、雪山童子は 羅刹が言い残したのこりの半偈を聞くためにその身を木から飛び降りてささげ・・・ 常啼菩薩は身をうり善財童子は火に入り楽法梵士は皮をはぐ薬王菩薩は臂をやく 不軽菩薩は杖木をかうむり師子尊者は頭をはねられ提婆菩薩は外道にころさる、 これらはどうしたことでしょうとあれこれ考えれば、天台大師は「時に適うのみ (諸行無常なので絶対的に安心安全なものはなく、TPOに従うのみである)」と説かれ、章安大師は 「取捨宜きを得て一向にすべからず (自分の良し悪しや好き嫌いで判断しては ダメですよ)」と記され法華経はひとつの経典ではあるけれど相手に合わせ時に よりその説き方には万とおりの方便があるようなもので・・・。(注8)

お釈迦さまはこう記していいました「わたしが死んだあと正法と像法の (ふたつの時代をあわせた) 二千年をすぎて末法の時代が始まったときに、この法華経の肝心な(要点となる妙法蓮華経の) 題目の五字の扱いを説いてまわるものが出てくるはずです。そのとき (悪の邪説にこころを奪われた) 為政者や坊主たちは大地の塵の数より多くなっていて、大乗だの小乗だのの法論をして争っているでしょうが、(彼らは) この題目の行者に法論を挑まれると在家の檀那などと相談したあげく、自分たちの法の正しさを主張するために棒で打ったり牢にいれたり、所領を召しあげ流罪にしろだとか首をはねるべき、などと言うことでしょうが (行者が) その法を引っ込めることもなくてだんだんと広まっていくならば、逆にこの行者を処罰するものは国主などは同士討ちをはじめ餓鬼のように肉をくらひ (注、身内同士が骨肉の争いをするたとえか ?) 最後は他国から侵略されることにもなるでしょう。これはわかりやすく言えば梵天や帝釈天、そして日月四天といった諸天善神たちが、(行者を処罰して) 法華経の敵となってしまった国に他の国を使って攻めさせるという (神罰のような) ものです。」と説明されています、それぞれわたしの弟子を名乗るような人たちは、一人も臆病な気持ちを思ってはいけません、親も娘も所領をもかへりみてはだめです。はるか昔よりいまにいたるまで親子所領のために命を捨てた例は大地のちりの数よりも多いけれど、法華経を守るために命を惜しまなかった例はいまだにひとつもありません。法華経をそこそこ修行していてもこのようなときに退転してしまえば、たとえばせっかく湯をわかしたのにそれに水をいれ火を消してしまうことにも似ています。それぞれで思い切りなさい、この身を法華経に変えるということは、石に金を変え、糞と米を交換するようなものですよ。

お釈迦さまが入滅されてから二千二百二十余年の間、直弟子である迦葉や阿難などの尊者たち、馬鳴や竜樹などの歴代大師、そして南岳天台寺から妙楽や伝教大師といった人たちでさえもいまだ広く布教することができない法華経の肝心かなめ、諸仏の眼目である妙法蓮華経の五字を末法のはじまりにすべての人々に (一閻浮提) に広まるそのめでたい吉兆として、日蓮はそのさきがけをするものです、わたしたちは二陣三陣とこれにつづいて (お釈迦さまの直弟子である) 迦葉阿難よりも優れた仏弟子となり、日本天台の祖である最澄法師をも越えようではありませんか、ちっぽけな小島の支配者がわれらを脅そうとするぐらいで怖がっていてはあの世で閻魔大王に問われてなんと言い訳できるでしょうか、仏のお使いを名乗りながらびくびくしていては役にたちませんよといつも言っているとおりです。

そんなことを言っているうちに念仏者である持斎や真言の坊主たちは自分の知恵は (わたしには) 及ばないし訴状を提出する根拠もないので、時宗どのの奥方さま (上郎尼ごぜん) やとりまきに取り入っていろいろとわたしのあることないことを言っているようです。いまは亡き時頼どのや重時どの (最明寺入道殿極楽寺入道殿) が無間地獄に堕ちていると言っただとか、鎌倉市内の建長寺や寿福寺、極楽寺、長楽寺、大仏寺などを焼き払えと言ったこととか、道隆上人や良観上人などの首を跳ねろと言ったことが問題のようです。評定所でそれ以上の話がなくても、この日蓮が罪を受けるのは避けられないようで、ただし以上のことについてなにか一言申し開きすることがあれば、評定所に呼び出して聞いてやろうということで呼び出されました。お奉行さま (奉行人) が言うには、上からこんな訴えがきているが? というのでその件の事は一言もちがいありませんとお答えしました。ただし時頼どのと重時どのが今地獄にいるというのは間違っていて、この教義解釈は時頼どのと重時どのがご存命の時から申しあげていた事です。(そのままでは地獄堕ちになりますよという警告の意味???)

結局のところ問題にされたあれこれは、この国の行く末を心配して言ったことなので、世 の中を安穏に保とうと思えば (ざん言をしたに違いない) 私が名前をあげた坊主たちも同時に評定所に呼んで話を聞くべきです。そういうこともなく (本当に悪い) 彼らにかわってわたしが理不尽にも処刑されてしまえばきっと国として後悔することになるでしょう。そして日蓮が処罰されれば仏のお使い (としてのわたし) を利用できないし、(逆に) 梵天や帝釈天、日月四天 (といった諸天善神) などのお咎めもあって、わたしが遠流死罪になったその後、百日一年三年七年と経ったころに自界叛逆難というこの (北条) 御一門の同士打ちがはじまるはずで (注11)、 その後は他国侵逼難という国の四方より、とくに西の方から軍勢が攻めてくることになるでしょう。 その時に後悔することになりますよ、と平左衛門尉に言い聞かせたけれど太政入道 (たぷん平清盛のこと、平左衛門尉の平と語呂でかけている) が怒ったように、まわりに気を使う事もなく怒り出してしまいました。

さる文永八年(1271)九月十二日幕府のお怒りを受け、その時のようすも尋常ではなく法に定められたよりやや行き過ぎのように見え、了行が謀反を起こし大夫の律師が世を乱そうとして捕らえられた故事以上のものです (注13. 1253年、鎌倉九条堂の僧了行は九条道家の謀反に関係した疑いをかけられ処罰される、このとき勧進の名目で同士を募ったとされる)。平左衛門尉を大将として数百人の兵たちに胴巻きと鳥帽子を身につけさせ厳しい眼つきで声を荒げています、おおざっぱな言い方をすれば、太政入道 (平清盛) が権力を握りながら、国を滅ぼそうとしたことにも似てただ事とも見えず、日蓮がこれを見て思うに長い間 (日ごろ月ごろ) 感じていたことはこれにちがいありません。(語呂合わせにかけて、北条も平家と同じく滅亡するだろうというなぞかけ予言か?)

幸せなことは法華経のために命を捨てることができることで、この臭い頭を斬られればそれは砂を金にかへ石と宝石を交換するようなものです。さて平左衛門尉の家来である少輔房という者が走り寄ってきて、わたくし日蓮の懐にあった法華経第五の巻を取り出すとおもてを三度むしった (さいなみ) あとさんざんに投げ散らしてしまいました、また九巻の法華経を兵たちが投げ散らかしてしまい、足でふんでいたり、肩にかけたり (身にまとひ)、 板敷きや畳といわず家の二三間ばかりは散らかさない所がないありさまです。わたくし日蓮は大音声をあげて言いました 「これは面白い、平左衛門尉が気でもふれたのだろうか、あなたたちはたったいま日本国の柱を倒しているところですよ。」 と呼びかけるとその場の人たちはみな (上下万人) あわてたように見え、日蓮のほうこそ幕府のお怒り (御勘気) を受けているので (かほれば) びくびくと臆していなくてはいけないのに、そうでもなくてこれでは逆ではないかと (ひがこと) などと思っていたら、その場にいた兵者たちの顔色がかわったようにも見えたことです、(注14)

十日と十二日の間に真言宗が祈祷に失敗して禅宗念仏宗などや良観が雨降らすことができなかったのを、こまかく平左衛門尉に言い聞かせていると、あるいはどっと笑ひ、あるいは怒りだしたり、などということが頻繁にあったけどここには書きません、詮索してみるに六月十八日から七月四日まで良観が雨乞いの加持祈祷をしたのに、日蓮の法力で邪魔をされて (支へられて) 雨を降らすことができず汗を流し涙を飲み下しても、それでも雨がふらなかったばかりかその上大風がさかんに吹くありさまで (逆風ひまなくてあり) そんなことで三度まで使いをつかわして一丈の堀を越えられないものがどうして十丈二十丈の堀をを超えられるものか、いづみしきぶ(和泉式部)は色好みの身ではあったけれど八斎戒にせいせる歌を詠んで雨を降らせ、能因法師が破戒の身 (注、能因はもともとは俗人) として歌を詠みて天雨を下らせたりしたのに、どうして二百五十戒もの戒律を守る人人が百千人集まって七日二七日も加持祈祷をしたのに (せめさせ給う) に雨が降らないだけでなく大風まで吹いてる始末です、このことをもってわかるように律宗の信者が往生することはとても無理です (各各の往生は叶うまじきぞ) と責められて良観が泣いていたことが、ひそかに漏れ伝わってきたこと (人人につきて讒せし事) をいちいちと話したところ、平左衛門尉などもやや同意して (かたうどし : 肩落とし?) 思ったとおりの証拠も見つからなくて (かなへずして) 困惑しながら上から見下ろしていた事なども煩雑なので書きません。(注15)

そうこうするうちに (さては) 十二日の夜には武蔵守殿のあづかりとなって、夜半ころになって私の首を切るために鎌倉を出たあと若宮小路にすすんで四方に (警備の) 兵をともなってすすんでいたのですが、わたしは 「皆さまなんということはないので騒がないでください。」と言って (日蓮云く各各さわがせ給うなべちの事はなし)、八幡大菩薩に最後に言うべきことがありますと言って馬を降りて大声でこう言いました、なぜ八幡大菩薩はまことの神である和気清丸が首を刎ねられようとした時は長一丈の月と顕われさせたまい (注、日本史を代表する忠臣、和気清麻呂:わけのきよまろ、の表記まちがいか? 道鏡の暗殺者から猪が命を守る話が伝わってますが、この話は出所わからず。)、最澄法師が (伝教大師) 法華経の説法をした (かうぜさせ給いし) 時はむらさきの袈裟を御布施として与えられましたが (さづけさせ給いき)、いま日蓮は日本国の第一の法華経の行者であり、さらに (其の上) 身に一分の過ちもありません、日本国の一切衆生が法華経をののしって (謗ぜし) 無間地獄 (無間大城) に堕ちるべきところを助けようとする教えなのです (法門なり)、また大蒙古国がこの国を攻めるとすれば天照太神正八幡としても安穏ではいられないでしょう (おはすべきか)、さらにお釈迦さまが (釈迦仏) 霊山にて法華経を説いたときには、多宝仏や十万の諸仏と菩薩などが集まって日と日と月と月と星と星と鏡と鏡とを並べたかのようにキラびやかな様子であった時、無量の諸天だけでなく天竺や漢の国や日本国などなどの善神聖人も集まってその時、それぞれのものは (各各) 法華経の行者としておろそかであってはいけないという (をろかなるまじき由) 誓い状を出しなさいと強く言われたので (まいらせよとせめられしかば) それぞれが誓い状を立てられました (一一に御誓状を立てられしぞかし)、そんな事情ですから (さるにては) 日蓮が申すまでもないことで、いそぎに急いでこの誓状の宿願をとげさせなくてはと思い、どうしても此処にやって来なくてはいけなかったのです(をちあわせ給はぬぞ) とたかだかと申しました、さてその最後には日蓮は今夜にも首を切られて霊山浄土へ参るでしょうが、その時はまづ天照太神正八幡こそこの起請 (注、法華経の行者としてのつとめ?) をおろそかにした神様 (用いぬかみ) でございましたとさしきりて (注、告げ口をして?) お釈迦様に (教主釈尊) に申し上げますぞ、もしそれは困ると思われるのなら (いたしとおぼさば) 急ぎに急いで御取り計らいをお願いします、と言ってまた馬に乗りました。(注16)

由比の浜の浜辺まで行き着くと、御料さまの前に連れていかれ、そのときにまた言います、皆さま少しお待ちください、ここに控えているものがあります、 すると (私の弟子の) 中務三郎左衛門尉という者のもとに熊王という童子を使いに出していたのが急いで進み出たので、(その童子に) 今夜首を切られるためにこれから出かけるところです、この数年の間願っていた事はこれであり、此の娑婆世界で雉に生まれた時は鷹の爪につかまれ、鼠に生まれれば猫にたべられます、あるいは前世がこの猫であったためにそのむくいとして (めこのかたきに) 災難を受けることは (身を失いし事) 大地にある砂ぼこりよりも数が多いことですが。、法華経の御ために死ねばもう (来世で???) このような災難に会うことは決してありません (一度だも失うことなし)、そういうことなので日蓮は貧しい身分のもの (貧道) として生れ、父母に対する孝養心も足らず、国の恩に報いる力もありません、今度はねらた首を法華経のために奉じて、其の功徳を父母のために回向するつもりで、そのあまりは弟子や檀那の皆さまに形見わけして下さい (はぶくべし) とかねてから言っていたのはこのことです、と言い終わると、左衛門尉の兄弟四人が馬の口にとりついて腰越・龍の口に進みだしました。(注17)

ここら辺であろうとおもうところに、想像にたがわず兵士たちがまわりを取り巻いてさわぎだしたので、左衛門尉が言うには只今なり (処刑が行われる) と言って泣いてみせます、日蓮の言うことがよくわかっていない皆さまですね (不かくのとのばら)、これほどの悦びなのだから笑へばいいものを、(そろそろ刻限であり???) どうしても決まりごとなので違えてはいけないといったその時 (いかにやくそくをばたがへらるるぞと申せし時)、江の島の方より月のごとくに光っているように見えるものが (ものがたる物) 鞠のようでもあり、辰巳の方角から戌亥の方へ光が移動しています、十二日の夜が明けはじめたころ (あけぐれ) 人の顔もよくは見えないはずなのに、その物の光は月夜のやうに明るくて、人人の顔も皆みることができます、(首切り役の) 太刀取りは目が眩んで倒れ臥してしまい、兵たちも怖気づいて (首切りの熱気が) 興ざめしたようで一町ほども後ろに引いて様子をみているし、あるいは馬から降りてひざまづきながら警戒し、あるいは馬の上にうずくまってしまったものもいて、わたくし日蓮はこう言いました、なぜ皆さまはこのような大きな禍いがある罪人 (召人) を避けて遠のくのです、もっと近くに寄りなさい寄りなさいと大声で呼ぶけれど、急いで走り寄る人もいません、さて夜が明ければどうやっても首を切らなくてはいけないのだから、夜が明ければ見苦しいことにもなるので (今のうちにおやりなさい) とすすめたけれど、かくべつ返事もありません。(注18)

しばらくたってなにやら相談があったようで、その言うところには、相模の依智というところへ行きなさいということです。この場所は道を知る者もいないので、道案内 (さきうちすべし) しなさいと言うけれど、道のわかる人もいないので、しばらく休んでいるとある兵士が言うには、それこそそこの道ですよ、と言うのでその道にしたがって行ってみます。午の時くらいになって依智というところに行き着いて、本間六郎左衛門という人の家に入りました。(注19)

酒などを取り寄せて、兵士たちに飲ませていると、それぞれがふだんの状態にもどったようで (各かへるとて) 首をうなだれ手を合わせて (あさへて) 言うには、今日の処刑のことはどんな素性の人で (日蓮のこと) あったのか、われらが頼みを受けて (たのみて候) 阿弥陀仏をののしっている坊主がいると聞いてけしからん奴だと思っていたけれど、まのあたりに起きた事を見て (あらためてこの坊さんを) みれば、尊い坊さんであるとも思え、何年もつづけてきた念仏を捨てようと思う、と言って、懐から鈴を取り出して捨てる者がいたり、これからは念仏を唱えません誓い状を立てる (せいじやうをたつる) 者もいました、そうこうするうちに六郎左衛門の家来たちが (罪人としての日蓮を) 預かる役目を受け取ったので、左衛門尉は帰ってしまいました。

その日の戌の時あたりになると、鎌倉よりお上の御使いと言ってたてぶみ (注、棒に挟んだ書状のことか?) を持ったものがやって来ました、日蓮の首を切れという重ねた内容の御使いかと兵士たちが思っているところに、六郎左衛門の代官である右馬の丞という者が立ぶみをもって走ってきてひざまずいて言うには、今夜また処刑がされるのはなんとまあ残念なことかと思っていたら、こんなおよろこび (を申しあげるような) の御文がやって来ました、。(注20)

武蔵守殿は今日の卯の時に熱海のお湯へお出かけなされたのでその間に間違いがあっては (あやなき事もや) と急いでまずここへ走ってまいりましたと言い、鎌倉からの御遣いが二時ころになってやってきて、今夜の内に熱海のお湯へ走っていこうと思いまかりいでました、追ってとどく文書には此の人は罪がないので今しばらくそこに滞在させてその後は許すようにと、もし首など斬ってしまってはあとで後悔あるべしとか。

その夜は十三日で兵士たちが数十人ほどもお堂の辺りに並び大庭にも何人かいたようです、九月十三日の夜でもあり月は大いに晴れていて、夜中に大庭に出て立ったまま月に向い、自我偈を少々読ませてもらい、諸宗の勝劣について語ったり、法華経の文のあれこれを読んでいたら、いま仰ぎ見る (抑今) 天の月はまるで法華経でお釈迦さまの座に連なっている名月天子のようです、宝塔品にてはお釈迦さまの願いを託され (仏勅) 、嘱累品にてはお釈迦さまに頭を撫でられた菩薩のように「お釈迦様の願い (世尊の勅) のようにまさに法華経とともにそれを実行すべし」と誓い状をたてた天の様子です、その仏前の誓いは日蓮が死ねば虚しく失われてしまい、今このような事態になっているので、急ぐだけでなく悦びをもって法華経の行者にも成り代わり、この仏勅を果たして、誓い言葉の約束を守るべきです。

それなのに今その兆候がないのは不思議に思われ、なに事も国にないようでは鎌倉へ帰ろうとも思はず、そのしるしがないのに嬉しい顔をしてすまし顔をしているのはどうでしょう、大集経には「日月明を現ぜず (空が暗いこと)」と説かれ、仁王経には「日月度を失う (あわてている???)」と書かれ、最勝王経には「三十三天各瞋恨 (憎みうらむ) を生ず」と見えるのにこれはどうしたことか月天よ、いかに月天よ、と責めてみれば、其の証として天から明星 (金星) のような大きな星が落ちて、前の梅の木の枝に引っかかっている様子であれば、侍たちは皆縁側より飛び出してきて、或は大庭にひれ伏し、或は家の裏手に逃げていきます、やがて即座に天に雲がわいて大風が吹きあれやって来ると、まるで江の島が鳴っているように空が響き、それは大きな鼓を打つっているような音でした。(注21)

夜が明けて十四日卯の時に、十郎入道というものがやって来ていわく、昨日の夜の戌の時ごろに (夜の10-12時) かうどの (国府どの???) で大きな騒ぎがあり、陰陽師を召し出して占いをすれば、その言うことには大いに国が乱れていて、それはこの御房 (日蓮さんのことか???) がお怒りになっているためです、急ぎ急ぎ召し返さなければ世の中がどうなってしまうかわかりませんと言えば、後にしなさいと言う人もあり、また百日の内に軍 (鎌倉軍が編成される、または反乱?) があるかもしれないと言えばそれを見極めてからとも言います、依智にいた二十余日の其の間でも鎌倉では、或は放火などは七・八回もあり、或は人を殺す事件はひっきりなしです。(注22)

http://marihouse.biz/kokoro/nichiren/nichirenR01.htm


雑談アラカルト

2016年03月23日 | 雑談

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてその趣旨と目的をお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。なお、立川の3人が「春名先生を囲む会」を脱会されたので来月の第三金曜日はメンバーを増やす方法を残っているメンバーで話し合うことになりました。残っているメンバーでなくてもこのブログを読んで賛同される方は私までメールを下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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以前もこのブログで選挙制度の改革について記したことがある。例えば公約違反をした場合は下野するとか、賛成票だけでなく、この党や人物には絶対に投票したくない「反対票」を作ってはどうかというアイデアだが、選挙制度の改革は現在の自公連立政権が決めるのだから、このアイデアは実際には実現することは出来ない。

要するに政権交代が必要だが、次世代の党は自民党に右側に柱を立てると主張しているものの、選挙に勝つためには自民党は公明党の票に頼らざるを得ず、公明党は絶対に政権を手放したくないから次世代の党は他の選択肢を選ぶべきではないだろうか。以前も記したように共産党は意外に愛国的(領土問題)な側面があり、共産党が天皇制を認めれば次世代の党と共産党が連立することは可能である。頭山満翁のように憂国の志のあるもの同士で手を結べばいいのではないかと思う。右翼・左翼の二項対立の時代ではない。

選挙制度改革と言えば、驚いたことに要介護5の人間だけが郵送で投票できるのだが、要介護5の定義を少し調べて見ることにする。

要介護5とは、介護保険での要介護度の程度区分で、最も多くの介護を必要とする状態です。つまり、最もひどい状態と言えますね。因みに介護保険法の区分としては、要支援1 要支援2 要介護1 要介護2 要介護3 要介護4 要介護5 という段階があります。要介護5の具体的な状態は、多少の個人差等もありますが、「寝たきり状態で、日常生活のすべてに介助を要する。」という状態です。

寝たきりで植物人間のような状態で誰を選挙で選ぶべきかという判断が出来る筈がない。また私も母もそうだが、選挙に行きたくても車が無いためにわざわざタクシーを呼んで投票せざるを得ない人間が日本には数多くいる筈にも係わらず、投票率を上げたくないのか選挙の度に自治体が車を用意するという話は聞いたことが無い。

前衛映画とか実験映像と言われるものについて話題を変える。私が研究者として気づいたことは、これらアヴァンギャルド芸術が盛んになるには3つの条件が必須である。

1.機材が廉価になること。2.景気がいいこと。3.革命思想があること。

例えば1920年末から30年代に日本(アジアでは日本だけ例外)でも海外でも前衛映画が盛んになった。この頃は世界恐慌の時代であり日本でも金融恐慌があったが、当時の小型映画の定期刊行物を読むと景気の悪い話は一切出てこない。つまり、当時は現在よりも遥かに格差社会であったため、農村では娘が畑の肥料代の代わりに身を売る一方で新中間層という階級が生まれて入社一年目でも新築の家が購入できたのである。

この時代は共産主義という革命思想があった。1960年代から1970年初頭にも前衛映画が盛んになるが、これらの作品を作ったのは共産党の(国会前の流れ解散のような)微温主義では物足らない武装革命を夢見る新左翼にシンパシーを感じている人々だった。

バブルの時代にごく僅かに優れた実験映画が生まれた。しかし当時には革命思想は無かった。いわゆるポストモダニズムは「権威主義とハグラカシでしかなかった」というのが私の結論である。脱構築という言葉が錦の御旗のように語られたが、「だったら何故あなたは大学教授を延々と続けているのですか?」という質問一つで脱構築派は論理的破綻を示してしまうからだ。

現代は景気も悪い上に革命思想などカケラもない。従って私もそうだが、観るべきアヴァンギャルド芸術など地を払って存在せず、退屈なテレビドラマのような作品ばかりしか残っていない。

そう言えば、たまにテレビを見ると、この頃コマーシャルが長いので驚いている。以前は15秒が普通だったがこの頃は1分が普通のようだ。これではテレビ離れはますます進むだろう。

まだまだ雑談の話題はあるが今日のブログは以上で終えることにする。


集団ストーカーの手口(その3)

2016年03月20日 | 集団ストーカー被害者を救う会

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてその趣旨と目的をお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。なお、立川の3人が「春名先生を囲む会」を脱会されたので来月の第三金曜日はメンバーを増やす方法を残っているメンバーで話し合うことになりました。残っているメンバーでなくてもこのブログを読んで賛同される方は私までメールを下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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ちょうど昨夜のことである。デニーズから電話がかかり「なだリサーチ」(私が経営している探偵事務所)にこれから宅配に来ると言う。そこで私が注文していないと答えると、公衆電話からの注文なので私も怪しいと思いました、との話だった。そこで私は私のパソコンにも外部から侵入されて様々な不思議な現象が起こるのでその仲間たちの仕業と思う、とにかく今後のお互いのためにも警察にこのことを電話で説明した方がいいと助言した。おそらく犯人は捕まるだろう。犯人は例のヤレヤレ君の筈だし、私には彼が誰か分かっているが敢えて言いません。以前はしょっちゅう顔を見たのに最近は見なくなって寂しいぐらいです。

「なだリサーチ」についても嫌な思い出がある。フリーダイヤルにしていたところ延々とテレビの音が聞こえたり無言が続き、電話代が一カ月6万円以上かかったのでフリーダイヤルを中止することにした。すると中傷ブログに「余程経営難なのだろう」と書かれていたらしい(公訴時効があるので私はほとんど読まないため知り合いからの情報です)。これが中傷ブログのURLなので暇な人はご覧ください。今の日本にこんなバカが何人もいるとは信じられませんね。http://blog.goo.ne.jp/muchoscat

これは相当前の話で妻子が突然失踪し私の母が電車を乗り継いで私を介護しに上京し、入居者は一階のテナントだけで金欠のどん底にあった頃の話である。私はセゾンカードを滞納していたためにクレジットカードが使えなかった。たまたま近所のファミマの前でクレジット機能付きのTポイントカードのキャンぺーンをしていたので母親の名前で登録したところ上手く審査に通り、クレジットカードを使えるようになった。ところが、絶対に買った覚えのない金額の請求書が届いたのである。私は当時現在よりも糖尿病性ニューロパチーの症状が重かったのでファミマに行くことはほとんどなかったこともあり、ファミマの担当課に電話をして明細を教えて欲しいと頼んだところただ飲食費に使ったと答えるのみであった。向かい側にセブンイレブンがあったのでそのクレジットカード機能付きのTポイントカードでも買い物が出来たために、セブンイレブンの店長に当時の明細を知りたいと言ったところ、何月何日にどういう買い物をしているか教えてくれた。それを見るといつも私が買っている品物なのでセブンイレブンでの買い物は私がしたものと分かったが、ファミマはただ飲食費に使ったとしか言わないので、私はそれはスキミングに違いないと主張したが、ファミマは私の言い分を聞かず、ポケットカードという債権回収業者に頼んで使ってもいない商品を含めた金額を分割で払う羽目になってしまった。私は余程裁判にかけようと思ったが使った覚えのない商品の金額は1万円前後なので諦めることにした。いま手元に完済証明書がある。このような集団ストーカーの手口はまだまだあるが、それは今後のネタにとっておくことにする。集団ストーカーの被害者の皆さんは下のURLを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531


集団ストーカーの手口の話(その2)

2016年03月19日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

今日の春名先生を囲む会では私が講師となって「合気道の歴史と簡単な実技」を行う予定でしたが、立川の三人がドタキャンになったために来月に延期されました。伊藤さんは今度の「春名先生を囲む会」に立川の三人とシッカリ予定を組んで必ず参加するようにして下さい。4人が参加しただけでは柴原さんの名刺交換と自己紹介の意味がありません。

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私の妻子が突然失踪し、郷里愛媛の母親が電車を乗り継いで私を介護に来た頃の話である。当時私は入退院を繰り返していた上に、私のマンションの入居者は一階のテナントしかなく、金欠のどん底にあった。その時に突然携帯電話のパケット料金が4万円になった。私は驚いてそれ以来ネットを使わず会話のみに携帯電話を使うようにしたが、翌月もまたパケット料金が5万ほどになり、さらにそのよく月もパケット料金が5万ほどになった。私は料金を払わず放っておいたところ弁護士から督促の手紙が届いた。その弁護士を調べたところクチコミで非常に評判の悪い弁護士だと分かった。そこで私は、「もしあなたが私の立場なら、パケット料金の内訳も分からないのに電話会社の言うまま料金を払いますか?そんなことをするバカはこの世に一人もいません」と手紙を書いたところ督促状はそれ以来こなくなったが、私の名前はブラックリストに入ってしまい、どの携帯電話会社に出向いても審査に通らなくなった。一時期はプリペイド携帯を持っていたが今は使っていない。これが私が携帯電話を持っていない理由である。このような集団ストーカーの手口はまだまだあるがそれは私の作ったPDFをご覧ください。


集団ストーカーの手口の話

2016年03月18日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

今日の春名先生を囲む会では私が講師となって「合気道の歴史と簡単な実技」を行う予定でしたが、立川の三人がドタキャンになったために来月に延期されました。伊藤さんは今度の「春名先生を囲む会」に立川の三人とシッカリ予定を組んで必ず参加するようにして下さい。4人が参加しただけでは柴原さんの名刺交換と自己紹介の意味がありません。

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私の妻子が突然失踪し、郷里愛媛の母親が電車を乗り継いで私を介護に来た頃の話である。当時私は入退院を繰り返していた上に、私のマンションの入居者は一階のテナントしかなく、金欠のどん底にあった。その時、突然水道料金が1万円を超えてしまったので、電話を掛けて説明を求めたところ、那田さんは信用できないので水道を止める、と職員が言った。

退去された一人の入居者は内装と外装の全ての免許を持っており、時々うちに来ていたので、この話をしたところ、非常に簡単な方法で水道料金を上げることが出来ると分かった。それを職員に話して、その方法で水道料金を上げているのだから調べるように言うと、それは警察に任せたい、と言うので、私は頭に来て、専門職員さえ知らないのに警察がその方法を知っている訳が無いだろ、責任者と一緒に私の部屋へ来いと怒鳴りつけた。

すると営業主任とその職員がやって来たので、私は職員に「家に入るな、外で立っていろ」と怒鳴り、主任の出身地を聞いたところ「小松です」と答えた。私は小松市の名前を聞いたことが無いので、どこの小松市だ、と尋ねたら、何と私の父親が生まれた愛媛県西予市惣川の小松の出身だった。そこで私は、出身地を聞いたら県から話すのが常識だろ、突然地名を言われても分かるわけがない、と言って、私の名前を聞いたことがあるか、と尋ねたところ、父親から聞いたことがあると答えた。なんと聞いたのかと尋ねると、成績はいいが切れると何をする人か分からない、と答えたので、私も切れたくないので、過去10年間の水道料金を調べて見ろ、大抵は3千円程度だから、突然1万円になったのは、集団ストーカーによってある簡単な方法(これを書くと真似をされるので書きません)を使ったからだ、その原因が分かるまではこの月の水道料金は留保するのが当然ではないか、と言ったところ、流石に私のことを父親から聞いていただけあって、その通りにいたします、と答えた。その主任は転勤になった時うちに挨拶に来たが、もしこのブログを読んでいたら近くの寿司屋で私が当時のお礼にご馳走したいと思う。

郷里の後輩が主任になっているとは、全くの偶然にせよ天の配剤と言える。まだまだ集団ストーカーの手口があるが、それは例のPDFに書いているのでぜひ購入されたい。


東大に入った同級生の父親の話(補筆)

2016年03月16日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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先日話した井上という東大(一浪)に入った同級生の父親の話の続きである。

その父親の家に集まって家族と一緒に一円麻雀を打ったことがあった。今はもうないと思うが竹で出来た小さな牌だった。麻雀をするとその人柄が分かる、と言われるように、その父親の上り方は実にセコく、どんな安い手でもポンやチーを繰り返して勝てば大喜びして例の「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ」と鳥のような叫び声を上げたものだった。そういえば同じ井上という名前で今は大手経済新聞社の産業部長になっている大学の同級生のことを思い出したついでにここに書き残すことにする。

その男は大学時代はブルースのインディーズバンドを組んでいて反体制的な歌を歌い、本人も髪の毛を長く伸ばし反体制的な言葉を常用していた。私と同じ早大一文の文芸専攻にいたが井上は小説も詩歌の素養も無かったのに人を貶すことだけは達者で、私が稲垣足穂に似た散文詩のような小説を見せたところ、「こんなの編集者が見たら直ぐに捨てるに決まってるよ」と言っただけでなく、その井上と麻雀を打った時のことは忘れられない。私が小四喜をテンパっていた時に井上が振り込んだ。彼は悔しさの余り髪の毛を掻き毟って隣にある珈琲館(早大のOBならご存じのことと思う。蔦が絡まる赤レンガの喫茶店である)に飛び込んで塩で手を洗い雀荘に戻って来た。結局は井上がセコい手で勝ったが、私は所謂大名麻雀で、静かに大きい手を狙うタイプ、大学の同級生の井上も、同郷の同級生の父親の井上も同じようにとにかく勝てばいい、という(まるでどこかのカルト宗教の指導者のような)実に下品な麻雀の打ち方だった。

ところで、これは被虐史観ならぬオナニー史観(私の造語)に捉われているニワカ右翼やネトウヨに言っておきたい。井上の父親は先の大東亜戦争で中国大陸に出征していたことをよく私に聞かせたものだった。それは柱に括りつけられた中国人の捕虜を銃剣で突き刺した自慢話と、生きたままの中国人の首を軍刀で斬り落とした話である。人の首を斬り落とすと濡れタオルをバサっと振り払ったような音がすると言って、実際に濡れタオルを持ってきてその音を聞かせ、例のように「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ」と笑った。どのような国にもこのような人格破綻者はいるとはいえ、日本軍人の中にこういう人物がいたことは事実である。

私はいうまでもなく南京大虐殺は中国人の主張するほど大げさなものではなかったし、虐殺の後に人口が逆に増えている事実を勘案しても大した戦では無かったと思っているが、井上の父親のように中国人を虐殺して自慢している人物がいたことは事実であり、私はそのことを直接聞いた生き証人である。これで東大に入った同級生の話を終えることにする。(次回は水道局に関する面白い話題にする予定なので乞ご期待)


東大に入った同級生の父親の話

2016年03月14日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(近々決定版が出ます)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

今月の春名先生を囲む会では私が講師となって「合気道の歴史と簡単な実技」を行います。

嬉しいお知らせがあります。柴原さんと出会ったところ「ムササビヒーリングの家」を経営されアンチエイジングから遠隔ヒーリングまでされていました。今月から「春名先生を囲む会」に参加されます。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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私は見性体験記の中でも書いているように、中学に上がる時、創価学園の第一期生の募集があったために受験したところ4倍の難関を通ったので創価中学に入った。入ってすぐに池田大作本物論が出来上がっていることを知り、チャンスを見つけて退学したいと思っていた。中学3年の夏休み、郷里に帰った時、創価中学の友人よりも宗教に関係なく郷里の友人のほうが遥かに純朴だと確信して中退することを決心した。

そのことを申し出ると学級担任と学年主任と学園長(小山内という名前だった)が「池田先生の顔に泥を塗るのか」と言って引き留めたが、私は「私は日蓮大聖人を尊敬しているからこの中学に入っただけで、池田先生は日蓮正宗の法主上人を外護する立場ではありませんか」と言って自説を変えなかった。すると小山内学園長が「女でも出来たんじゃないか」とゲスの勘ぐりのようなことを言った。これは心理学では「投影」と言って、小山内自身に愛人でもいたのだろう。

そこで郷里の中学に中途入学することになったが、井上という秀才が「那田君が帰って来たら学年トップの地位を守ることが出来ない」と言ったと聞く。しかしその心配は杞憂だった。小学校の時の親友たちがみんな不良になっていたために、私も仲間になって遊び始めたからである。

その井上の父親は当時小学校の教員だった。時は過ぎて、私が大学院を修了し妻子を連れて帰京したとき、その父親は児童館の館長として勤めていた。私は郷里に帰って最初の3年間はアルコール性肝炎や脊椎狭窄を治すために静養していた。ちょうど近くに児童館があったので、そこに行っては子供たちにバスケットボールなどを教えていたせいか、井上の父親は我が家に突然やって来た。

そして私が「月刊イメージフォーラム」という今は廃刊になったが当時は最もハイブローな映画批評誌を見せて私の批評を見せたところ、余程プライドを傷付けられたらしく「那田君の批評は一番後ろの方にしか出てないじゃないか」とケチを付けた。そこで、私は井上の父親に「順番と批評の内容は無関係ですよ」と言ったところ、またその父親は「東大生が一番頭がいいのだから芸術家も東大生が一番レベルが高いはずだ」と言い張るので、「受験勉強などというものは、引っ越しの荷物を整理するのと同じで、ジャンル別に物事を覚えていくだけの単純作業です。芸術はそれほど甘いものではありません」と言うと、今度は私の父親にケチをつけ始めた。

「校長なんて昔の師範学校を出ていれば誰でもなれる」というので、私は「私の父親は旧制中学を卒業した後、検定試験を8回連続して合格し、最後まで残ったのは愛媛県で3人だけだった」というと余程悔しかったらしく、自分の等級?を自慢しはじめた。そこで私は「戦前の教員は天皇陛下の家来のようなものだったので宮内庁から任命されていた。私の父親は従六位の正です、と言って鴨井の額縁を指さしたところ、その父親は「ケ、ケ、ケ、ケ、ケ」と鳥の鳴くような笑い声を立てて我が家から消え去った。

後日談がある。私が上京して早稲田大学の非常勤講師になったとき、同級生の井上と一時期メルトモになっていた。井上は理数系は強かったが文系には弱かった。そこでユングのいう補償作用のせいだと思うが、彼のブログは文学や音楽の批評が専門になっていた。そこでメールで井上から聞いた面白い話があるので読者の皆さんにお教えする。

彼は県庁職員になり、若くして直ぐに課長になったが、県庁における議会でのやり取りは全部自分が書いていたというのである。つまり野党の質問も、県知事の答えも全て井上が作っていたのだ。

これは地方自治体だけの話ではなく今の国会答弁も同じ仕組みだとおもう。丁々発止と論戦を行っているように見えるが、全て官僚の書いたシナリオ通り、というのが真相なのだ。

ちなみに井上の父親は、それまで共産党支持者だったが、井上が入ったとたん、自民党支持者に代わってしまった。天罰というものだろうか、井上の父親の妻は認知症になり、またその父親の人柄のせいで地元では誰も口を利かなくなったという。おそらく井上の両親は今は二人ともこの世にいないだろう。


一平ラーメンで絡んできた剣道師範の話

2016年03月13日 | 思い出の記

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(近々決定版が出ます)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

今月の春名先生を囲む会では私が講師となって「合気道の歴史と簡単な実技」を行います。

嬉しいお知らせがあります。柴原さんと出会ったところ「ムササビヒーリングの家」を経営されアンチエイジングから遠隔ヒーリングまでされていました。今月から「春名先生を囲む会」に参加されます。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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私が東京工芸大学を辞職して様々な裁判を抱えながら、母の名前「満留」を店の名前にした高級料理店を作ろうとフラフラになりながら仕事をしていた時の話である。

現在のドンキホーテの近くに今でも「一平ラーメン」という店があり、そこには中高年の男性が中心となった昼飲みグループがあった。彼らは正午12時に集まり、2時になるとパチンコに行ったり立川の場外馬券売り場に出かけていた。全員が私より年上なので私が行くと喜んでおつまみやビールなどをおごってくれたことをよく思い出す。

そこで私が中学時代に剣道5段の師範に勝った話をしていると昼飲みグループではない向こうの席に背広を着た紳士風の男が「嘘をつくな」と言って絡んできた。店の中は一瞬静まって重い雰囲気が漂った。そこで私はその男の席の前に座り、左手で握手をしましょう、と言って思い切り左手で握手をした。

するとその男は突然静かになって次のような逸話を語り始めた。彼は楢原にある道場で教えている剣道師範で、何年か前に愛妻に先立たれたらしい。彼の愛妻が竹刀を入れていた布の袋には愛妻の名前が赤い刺繍で縫い付けてあった。それを見せながら、もう自分には生きている意味が見つからない、だから八王子に教えに来るたびにこの店に寄って昼から酒を飲んでいるのだと打ち明けた。私は気の毒になって彼を励ましたことを覚えている。

その男は私にもまた剣道を再開するように言ったが、私は中学生時代の「36サブロク」の竹刀で自分のスタイルを確立しているので「38サンパチ」では剣道を再開することは出来ない、と言ったところ、その剣道師範は「36サブロク」でもいいから剣道を再開できると言った。現在はそのやり方は無理のようだが当時はそれで良かったのだろう。

酔っぱらって絡んで来るような人間にロクな奴はいないと思っていたが、そういう純愛に生きている人間がいると知った次第である。


総体革命とは

2016年03月12日 | 宗教

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■「総体革命」  (ネットより抜粋)
①総体革命(そうたいかくめい)とは、創価学会で使われる用語であり池田大作が第3代会長に就任した1960年代以降強力に推し進められた政界、官界、言論界、教育界、法曹界、医療界など各界、社会全般への敬虔な信仰を持った多数の創価学会員の人材育成でそれらを横断した社会の改善の実践力を確保し仏道修行や広宣流布運動に用いられた総称である。

②仮にその最終的な決定権が絶大な威力を発揮する警察界や検察界の大多数が創価学会員によって捜査機関を占められ
あるいは許認可権の権利を有する官僚界が大多数が創価学会員によって占められ同じ創価学会員だけを極度に優遇する職権乱用が起きたならば創価学会員だけ逮捕・起訴されない創価学会企業に有利な規制が引かれる事になりそれら各界の影響力を用いた創価学会による日本国家の乗っ取り計画だと批判されています

③政界、官僚、企業、マスコミ、検察、裁判官などに学会員を送り込み、日本の要所を掌握し池田大作(創価学会)
を日本の最高権力者にし、支配してしまおうという大変危険な思想である。既に学会員は各所に送り込まれており、長い年月をかけて着々と遂行されている。


【多々類似点のある大事件_共通事項】

①綾瀬コンクリート事件
被害者:若い女性
残酷さ:最悪
警察:警察・裁判所・メディアともに連携して組織を隠蔽。総体革命のなせる業
http://www.asyura2.com/11/nihon30/msg/632.html

②島根女子大生殺人事件
被害者:若い女性
残酷さ:最悪
警察:当初すぐに解決すると言われていたが、いまだ犯人特定できず
http://news.livedoor.com/article/detail/5124452/

③尼崎連続殺人事件
被害者:若い女性、他多数
残酷さ:最悪
警察:角田美代子の自殺(他殺?)により、一人の責任にされて収束させられた
http://matome.naver.jp/odai/2135060627426014201

④ペッパーランチ監禁強姦事件
被害者:若い女性
残酷さ:被害者が監禁途中に自力で脱出。2名以外に犯人がいたと主張するも聞き入れられず
警察:実行犯2名(信者)の単独犯行だと認定。外部で組織犯行を指摘されるも打ち消すように収束
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1296366657

⑤神戸市女児遺棄事件
被害者:若い女性(児童)
残酷さ:最悪
警察:ポリ袋に切断された遺体と一緒に容疑者の診察券が入っていて、君野容疑者を捕まえ事態を収束
*この容疑者への繋がり方は、逆におかしいと警察も感じるのでは?
http://etc8.blog83.fc2.com/blog-entry-2362.html


以上のように、
創価学会に関係する裏組織では、捜査が十分にできない現状をなんとかする必要があります。
各所で横断して総体革命を実行している現状であれば、各所で横断して総体革命を阻止する方法もあるのではないでしょうか?
ここの阿修羅掲示板では、たくさんの工作員がいるとされて実際にいることが良く分かりますが、この工作員の方々の言動でも、創価学会裏組織の実情が分かります。警察の方々へは適切な捜査が行われるように切にお願い申し上げたいです。何卒よろしくお願い致します。


シンンクロニシシティーとは

2016年03月12日 | 神秘

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嬉しいお知らせがあります。柴原さんと出会ったところ「ムササビヒーリングの家」を経営されアンチエイジングから遠隔ヒーリングまでされていました。今月から「春名先生を囲む会」に参加されます。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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「シンクロニシティ」とは簡単にいうと、「意味のある偶然の一致」という意味である。この用語を提唱したのは、フロイトと並んで精神分析界を二分するカール・グスタフ・ユングだ。

ユングはこのシンクロニシティを「体験者あるいは目撃者にとって重要な意味を持つ偶然の出来事で、それによって一種の覚醒あるいは悟りに近い感覚が得られるもの」と定義し、次の3つのカテゴリーに分類している。

① 内面と外界での事象の一致
観察者のある心的な状態と、それと同時に生じる、そのような心的状態に対応するような客観的で外的な出来事との間の符合。その際に、心的な状態と外的な出来事との間に何の因果的な関連も認められず、上述の空間と時間の心的な相対性を考慮しても因果的関連が考えられない。

② 遠隔視
ある心的な状態と、それに対応して生じるけれども、観察者の知覚範囲外、すなわち遠くで生じて、後からやっと確かめることのできる外的な出来事との符合。

③ 予知
ある心的な状態と、それに対抗する、いまだ存在していない未来の、すなわち時間的に離れたでき事との符合。これも後からしか確かめることが出来ない

一方、考古学者のフランク・ジョセフは800人以上にインタビューを行なうと同時に、多くの文献から豊富な実例を収集した結果、シンクロニシティを17に分類している。

① 物品
人口・自然に関わらず、物体に関連して起こる現象。宝石や人形といったものが例として挙げられるだろう。

② 数字
特定の数字の組み合わせや、同じ数字が繰り返し目の前に現われる。電話番号や住所などの数字が例として挙げられる。

③ 環境および動物に関するオステンタ
「オステンタ」というのは、エトルリア語から派生したラテン語の単語で、符合あるいは記号を意味する。さらに転じて、現代では将来起こることの性質を表わす前兆という意味で取られるようになっている。オステンタは動物に限ってではなく、物質現象以外で人間と関係し合う天文学的・地質学的・生物学的環境や状況に対しても使われる。繰り返し現われる特定の動物とか、星座の位置、天候、地震などが例として挙げられるだろう。

④ 予兆
これは"虫の知らせ"という言葉で置き換えられるだろう。未来の、時点で起きること、まだ起きていないことの内容が事前にわかってしまうような状態を指す。

⑤ 夢
予知夢、あるいは他人とまったく同じ内容の夢を見る現象。予知夢というのは正夢で、まだ起きていないことを眠りの中で知らされる状態を指す。また、他人とまったく同じ内容の夢を見るという現象もシンクロニシティの範疇に収まるものだといえよう。

⑥ 導き
シンクロニシティは、導きの要素も含む。何かに迷っているときなど、一気に決心がつくような出来事が起きる、というのもよくあることなのだ。

⑦ テレパシー
これはで紹介した予兆と似た感覚といえるだろう。言葉やジェスチャーなど、見たり聞いたりできる以外の方法を使ったコミュニケーションを意味する。

⑧ パラレル・ライフ
この言葉が意味するのは、二人以上の人間がそれぞれの人生において何回かにわたる関わりを持つことである。旅行の先々で同じ人と会ったり、同じ状況の下でまったく同じ人間と顔を合わせる、といった現象が例として挙げられるだろう。

⑨ ルーツ
シンクロニシティは時として、ある人間のルーツを明らかにするような作用をもたらすことがある。まったくの偶然で産みの母親と出会ったり、職場で仲良くしていた同僚同士が実は兄弟だった、などという例がある。

⑩ 芸術
意外かもしれないが、文学・絵画・音楽といった芸術が重要な要素となって起こるシンクロニシティの例は多い。

⑪ 警告
ある人間が危険な状態にあるとき、また危険に巻き込まれそうなときに起こるシンクロニシティは、それを回避するよう働くことがある。

⑫ 死
この項目は予兆に含まれるかもしれない。何年も会っていなかった人から突然電話がかかり、食事の約束をして電語を切ったが、約束の日までにその人が亡くなっていた、などという現象がいい例だろう。

⑬ 救済
困り果てたとき、突如として差し伸べられる救いの手。

⑭ 生まれ変わり
いわゆる輪廻転生の概念である。肉体は物質世界にいる間の仮の姿に過ぎず、魂は何回も違った外見で物質世界に現われるという思想。何回か生まれ変わりを繰り返すうちに、魂の霊格が上がっていく。前世や来世といった思想も、生まれ変わりの概念と密接に閑係している。

⑮ モイラ
この言葉はギリシャ語で"天職"を意味する言葉である。人はそれぞれ本当に自分に合った仕事をしているかどうかはわからない。偶然の出来事を通じて自分の転職を知る人々もいるのである。

⑯ 謎
あまりに広い意味を示す言葉だが、この項目はシンクロニシティの持つ一要素としての謎全般を示す。

⑰ 人生を変えるような出来事
時として、それまでの生き方をまるで変えてしまうほどのインパクトを持った出来事が起こることがある。そしてそれが人生の節目となることは多い。後になって考えて大きな、意味を持つ出来事もシンクロニシティなのだ。

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⑤ 夢 については見性体験記の 巻末エッセー①あなたは超常現象を信じますか をご覧下さい。

またユングはクシャミをしたとき上空を飛行機が飛んでいるのは偶然の一致だが、青い服を注文したにも関わらず黒い服が届いて身内の者が死亡したときは意味のある一致だと述べています。

以上で今回の「シンクロニシティーとは」を終わることにします。