那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

武士道とキリスト教

2012年10月31日 | 歴史

北一輝の『日本改造法案大綱』についてこのブログを書いた際、明治になって武士がキリスト教徒になった例が多いが、ややこしいので省略する、と書いた。

今日は簡単にその例を示し、理由について推察してみる。



新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)は、日本の農学者・教育者・倫理哲学者。国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。東京女子大学初代学長。

内村 鑑三(うちむら かんぞう、1861年3月23日(万延2年2月13日)- 1930年(昭和5年)3月28日)は、日本人のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。

横井小楠(明治政府の参与)の娘・海老名みや子、日本初の男女共学を受ける キリスト教連合会長として活躍(小楠暗殺の一因は日本をキリスト教国にしようとした、というガセネタだった)

今井伸郎、知る人ぞ知る坂本竜馬暗殺者(私は郷里愛媛にいたとき「坂本竜馬研究会に入り、会報に原稿を書くなどして、徹底的に暗殺者を調べたことがある。諸説取り寄せて調べたが、犯人は今井に間違いない。なお、徳川幕府にとって竜馬は前科のあるお尋ね者だったので、暗殺ではない。今井は京都見廻組み、いわば公安警察みたいなものなので合法的に斬り捨てただけである)。
 明治になり静岡県榛原郡初倉村(現・静岡県島田市)に帰農し、初倉村の村議及び村長を勤める。当初はキリスト教を迫害していたが、横浜の教会でたまたまキリスト教の教義を知り大いに感銘を受けて自らの不覚を愧じ、ついにその信者となって後半生は矯風事業に貢献した。

これはごく一部の有名人の例だが、とりあえずはこれで充分と思う。そうそう、同志社大学の創始者・新島襄もいますね。

なぜ旧武士がキリスト教徒になったのか、理由はおよそ次のように考えられる。明治になり武士という階級は滅んだ。士農工商という身分社会を、特権階級の武士(およそ人口の1%)自身が壊したのだから見事なものだと思う。この辺がプロレタリア革命と全く違う日本特有の精神文化だ。

そこで、旧武士は平民の中に溶け込まざるを得なかった。ところが平民には武士道が通じない。新たな倫理観を模索する中で、敬虔なクリスチャンの禁欲的な生き方に共鳴すると共に、キリスト教国アメリカの(金と名誉という功利主義のみの価値観)とのギャップに疑問を抱く。そこで新渡戸は「武士道」を英訳して世界的名著になったわけだ。
 要約すれば、滅び行く武士道、平民の倫理的規範とのギャップ、敬虔なクリスチャンへの共鳴という3つのベクトルの中で、新たな倫理的規範としてキリスト教徒になった旧武士が多かったというわけである。
理屈で考えればこれらは徳川幕府に従った武士の魂の彷徨(いわば信仰喪失)であり、所謂官軍のほうは天皇という絶対的な存在があったのだから、あえてキリスト教に帰依する必要はなかったと考えられる。あくまでも理屈の上の推察だが。所謂賊軍になった武士たちの評価については有名な研究者が本を出してかなりヒットした記憶があるので割愛する。

明治6年にキリスト教禁止令が解かれ、封建主義道徳を批判するクリスチャン(プロテスタント)が日本を啓蒙しに入国した背景があり、やがて尊王思想と対立していく。ややこしい話を簡単にまとめたので遺漏も多いが、ブログの一つのネタとしてはこんなところだろう。

蛇足として付け加えれば、この時代の日本のクリスチャンは物凄く禁欲的で真面目だった。
 興味のある人は日本人で最初の賛美歌を作詞した「西村 清雄」(これも旧武士)で検索してみてください。以下が有名な西村作詞の「山路越えて」です。

 山路こえて ひとりゆけど、
  主の手にすがれる 身はやすけし。

 松のあらし 谷のながれ、
  みつかいの歌も かくやありなん。

 峰の雪と こころきよく、
  雲なきみ空と むねは澄みぬ。

 道けわしく ゆくてとおし、
  こころざすかたに いつか着くらん。

 されども主よ われいのらじ、
  旅路のおわりの ちかかれとは。

 日もくれなば 石のまくら、
  かりねの夢にも み国しのばん。

       (日本基督教団,賛美歌404番)より

今日は簡単に

2012年10月30日 | 雑談

椅子が体に合わないのか、座っているだけで下肢の血行障害と痛みに苦しむ毎日。
昨夜から今日にかけて起こった変な出来事を紹介します。以下、知人からのメール。

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那田様
理由はわからないのですが、パソコンから送信できないので、こちらの携帯アドレスから送ります。
日程の件ですが、今日まで目の前のことに追われて、まだ予定が整理できていません。
明日から少し落ち着きますので、なるべく早くお知らせします。
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この知人とは以前もこういうことがあった。
 さらに2ヶ月ほど前のことだが、名前は知っていたが初めて逢う知り合いからメールをもらったとき、HPから入って送信したが「どうも変な感じがするので、2度目のメールを送ります」と書いてあるほうだけが受信出来ていた。こちらのほうはパソコンからの送信。
 HPにリンクしたメールを切られたことが2度、件名が文字化け風の記号だらけになったことが1度あるから慣れてはいるが、まあ変なことが続くものです。

次いで今日の昼、壁掛け式の電波時計が4時ピッタリで止まってしまった。それで時計のうらの受信スイッチを押したら正常に動き出した。
 私は新品の電波時計が全く効かないので返却したことが2度、子供に買ってやったソーラー式の電波腕時計が壊れて修理をしてもまた壊れたことがある。この部屋は磁場が乱れているのか、昔のHPには「本当にあった不思議な話」に纏めていたし、全部覚えているが、一々書くのは面倒なので省略する。

年のせいかネコも相変わらず餌を食べない。辛うじてモンプチのおかゆのようなものなら食べる。私も食欲は無いが、食べないで入院したことが何度もあるので、無理やり食べている。

今日は歴史上の人物=石原莞爾の最終戦争論(発刊は1942年だが、構想は1929年)を読んだついでに様々な予言の書をネットで調べてみた。小型映画にも日米戦争を想定したアニメがあるので、満州事変の頃には日本人は日米決戦を予想していたようだ。石原莞爾は非常にユニークな天才的人物で、機会があればブログで感想を書きたいと思う。

ではこの辺で失礼します。

田中清玄のこと

2012年10月29日 | 歴史
今日はいつも利用しているNTTのリモートサポートが私のPCにどうしても入れない、という生まれて初めてのアクシデントに出会った。
 相当長くかかる問題だとのことで、それは後日にして今ブログを慌てて書いている次第。

ブックマークにあるHPから「微笑禅の会」に入り、そこから「見性体験記」を一読してもらえればお分かりのとおり、私が禅に興味をもったきっかけは井上日召とこの田中清玄という右翼思想家・活動家が共に山本玄峰の弟子だったという事実を知ったからだ。だから「田中清玄自伝」は愛読した。この時代、彼の名前を知る人は少ないだろうから、wikiからザックリと抜粋引用した上で、若干の感想を述べる。いわば歴史探訪シリーズの一つである。
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田中清玄
田中 清玄(たなか きよはる、明治39年(1906年)3月5日 - 平成5年(1993年)12月10日)は日本の実業家、政治活動家、CIAエージェント、フィクサーともいわれる。「せいげん」とも通称された。戦前期の非合法時代の日本共産党(第二次共産党)中央委員長。転向後は政治活動家となり、戦後は実業家として三幸建設社長、光祥建設株式会社社長をつとめる。ロイズ保険の会員でもあり、日本人でロイズの会員になれたのは、田中清玄と南方哲也(元長崎県立大教授。南方熊楠の大甥)のみと言われている。モンペルラン・ソサイエティー会員。1993年(平成5年)12月10日、脳梗塞で死去。

1934年(昭和9年) 獄中で天皇主義者に転向。田中は後年つぎのように回想している。「幕末に朱子学と水戸学派によって著しくねじ曲げられた天皇だけが神であるというような狭隘な神道もまた、満足できるものでなかったことは言うまでもありません。毛沢東を絶対視した中国の文化大革命などは、私にとってはまったく気違いのたわごとにすぎませんでした。八百万の神といいますね、この世に存在するあらゆるものが神だという信仰ですが、この信仰が自分の血肉の中にまで入りこんでいて、引きはがすことができないと。そうしてその祭主が皇室であり、わが民族の社会形成と国家形成の根底をなしているということに、私は獄中において思い至ったのです。考えて考えて、考え抜いたあげくの結論でした」

1945年(昭和20年)1月、玄峰は公案に「日本をどうするか」を出した。清玄が「戦争をとめるしかありません」と言うと、「だめだ、練り直してこい」と却下。三日たっても答えられないでいると、「無条件で戦争に負けることじゃ」と怒鳴られた。本土決戦や聖戦完遂は、我執にとらわれているという。これで清玄は国を救う決意がかたまり、神中組という結社をつくる。また終戦工作に加担する。田中清玄は枢密顧問官の伊沢多喜男に相談。3月25日、赤阪で山本玄峰は鈴木貫太郎と会談、「事態を収拾できるのはあなただ」と言った。やがて鈴木に終戦内閣の大命が下り、日本はポツダム宣言を受諾した。

発言、以下、すべて『自伝』による。

尊敬している右翼は橘孝三郎と三上卓だけだといい、児玉誉士夫はもちろん、赤尾敏や野村秋介は小物としてかたづけた。右翼で最も近しかったのは四元義隆で、のちに松永安左エ門の助言で、三幸建設を譲っている。

「あんた、なんだと聞かれたら、本物の右翼だとはっきり言いますよ。右翼の元祖のようにいわれる頭山満と、左翼の家元のようにいわれる中江兆民が、個人的には実に深い親交を結んだことをご存じですか。一つの思想、根源を極めると、立場を越えて響き合うものが生まれるんです。中途半端で、ああだ、こうだと言っている人間に限って、人を排除したり、自分たちだけでちんまりと固まったりする」

「政治家なら国になりきる、油屋なら油田になりきる、医者ならバクテリアになりきる。それが神の境地であり、仏の境地だ」

「日本はあと50年アメリカと組んでいくなどと言っている小沢一郎のような考え方と正面から対決していくべきだ」
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田中清玄のような型破りな大人物について一回のブログではとても語りきれない。
 wikiで触れていない重要なことがある。それは終戦後、田中が昭和天皇に「全国巡行」を直接提言したことだ。これにより、昭和天皇が行かれる場所は次々と舗装され、その町の基幹産業は飛躍的に生産効率が伸び、高度成長のきっかけとなった。
 余談だが、私の故郷の隣町に巡行されたときに出された高級茶菓子「山田屋饅頭」を陛下が好まれて、皇居に帰られてからも2度の注文があった。このため山田屋饅頭はクチコミだけで日本中のデパートに置かれるようになる。一時期はニューヨーク支店まで出来たと記憶している。

両極端は相通ず、という言葉がある。実際に人間は思想で動くものではない。思想などは10年もすれば古くなる。人間は人情で動くものだ。幕末の志士が命を捨てて国を守ったのは、唐人お吉のような不幸な女性が現れることへの憐れみの情だった。上陸した米兵に抱きつかれて泣いている女性がいると、浪人がサッと現れて米兵を切り倒して消えていった、という逸話がある。
 以前紹介した遠藤誠弁護士が山口組の弁護を引き受けたとき「弱気を助け、強きを挫くのが任侠道だ」と説法したように、主義主張や立場は異なっても、本物ならば響きあう何かがある。

「田中清玄自伝」はアマゾンでならタダ同然で売っているだろう。ぜひ一読され次には山本玄峰師の「無門関提唱」を熟読されることをお奨めする。これは私の人生を変えた本でした。今、夜の10時30分、まだやるべきことがあるので失礼します。


カルトストーカー対策(実例)

2012年10月29日 | 集団ストーカー被害者を救う会
今日も赤穂義士たちの辞世の歌を解釈しようと思い、調べていたら、私個人を攻撃するためのサイトと出会い、昔のことを思い出した。
 私はコバエ(小者のストーカー)は相手にしないことにしている。ごく普通の文章読解力があればこの連中の知的レベル、精神的レベルが分かるからだ。しかし、私が思っている以上にこういうガセネタに乗る人が多いようなので、今日は例外的に、彼らの攻撃の仕方とそれに対抗する方法を披露する。

以下、そのストーカーのサイトからの引用。(あえてURLは公開しません。相手が喜ぶだけなので)
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2010-01-28 20:31:01 | 日々の突っ込み
なだっちのブログに「中央義士会顧問」と書いてあるけれど、ふと思いついて「ホントにこの人、貴会の顧問なんですか?」と問い合わせメールしてみました。
するとこんな返答が。

>ご連絡いただいた件ですが、那田氏は当会の一般会員ですが、顧問ではありません。
当会は思想、宗教などに対しては自由の立場をとっており、どのような方でも入会のできる忠臣蔵の史実研究団体です。
当会は今年で創立102年になり、歴代役員は社会的にも責任のある人々が付いており、現在も役員になられた方々は、その言動に注意しております。ただし、一般会員については、その限りではなく、言動については自由の立場をとっております。

おやおや、やはり詐称でしたか。
脳内での設定をそのまま書いてしまってはいけませんよ、なだっち。
「八王子早稲田会の役員」というのも脳内かもしれません。
でもこれ以上追求するのも、まるで「追い込み」しているようですので徹底追求はしないでおきましょう。
それに知り合いからも「ムーチョのブログがかえって被害妄想を増長させてしまうかもしれないよ」との提言もありました。言いたいこと、突っ込みたいことはこれまでじゅうぶん書いてきましたので、これからは言葉尻をとらえたり、揚げ足をとったりするような記事は控えることにしたいと思います。どうしても「箸がのびてしまう」とか「なだっちヲチ歴の長いあたくしが注釈すべきだ」と思った時に限らせていただきます。
まあ、週イチぐらいってかんじでしょうか。
コメント欄は開放していますので何かあれば書き込みください。なだっちも書き込んでいいのよ。
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何年こういうのが続いてきたか。一切無視しているので分かりませんが、カルトストーカーは「敵が尊敬されないように中傷を繰返し、孤立化させる」ことを目的としている実例なので、解説しておきます。

これは中央義士会が経済的に苦しく、理事長がボランティアを呼びかけていたときの話。私は会長と親しく、会報に紹介されたり、討ち入りの日に法要に行き紹介されたり、また忘年会にも参加して色んな提言など行っていた。
 それでボランティアを引き受ける旨連絡したら「那田さんは大学で教えているので、カルチャースクールや大学が開いている公開講座・オープンカレッジなどに私を推薦する仕事を頼みたい」とのことだった。それで「ただの会員ということでは押しが弱いので、なにか渉外担当みたいな名前をもらえませんか?」と言ったところ理事長の即断で「じゃ、中央義士会顧問にしましょう」ということになった。私がそういったのには訳があり、こういう世界の講師は大抵談合、縁故で決められていて、コネのない人間が突然入るのは無理がある、と知っていたからである。

私は出来る限りの交渉をしたが、皆関心を示すものの「後日連絡します」で立ち消えるものばかりだった。忠臣蔵は日本人の大好きなテーマだから本来はこの企画はすぐに乗って来るのが自然だが、確認の電話を入れると案の定「もう今年は決まってしまった」との返事だった。早稲田を含めネットで検索して都内のあらゆるところに連絡を入れたが無理だった。。
 で、問題は理事長が顧問としたのはその場の即断であって、正式な手続きを踏んだものではなかった、とあとで分かったことだ。あとで、というのは、このコバエたちがこのことでメールを入れるなどして騒ぎ立てたからである。私は理事長が中央義士会の中で絶対的な尊敬を受けているので、この話はスムーズに通っていたのだろう、と思っていたわけだ。理事長も困り果てて、「役員から苦情が出ている。立場を理解して欲しい」と電話がかかって来た。それで私も八王子から泉岳寺までは遠くもあり、またこのようなコバエの攪乱戦術でぐらつくようでは仕方ない、と思い、中央義士会とは縁を切った。

だから、私が中央義士会顧問とどこかのプロフィールに書いたのは詐称でも妄想でもなく、理事長に協力する過程でその名前を使っていい、と許可されたから使っていたに過ぎない。

さらにこの連中は、「八王子早稲田会の役員」というのも脳内かもしれません。でもこれ以上追求するのも、まるで「追い込み」しているようですので徹底追求はしないでおきましょう」と、言っているのは、質問して本当だと分かった証拠である。ちなみに、先月あたりに八王子早稲田会から、たしか、3年目に当たり役員交代のお知らせ、と会費、今後のスケジュールなど通知が来た。私は歩行障害があり、色んな会合には行けないし手伝えないので、完治するまでは判断保留にしてある。

更に、コメント欄には私が早稲田卒というのも詐称かもしれない、という書き込みがある。電話で確かめたらいいのに、こういうことは確かめない。ちなみに早大修士課程修了ですから間違えないようにしっかり調べて頂きたい。

このコバエたちは、赤の他人の私の私生活に何から何まで首を突っ込んで、真相も知らず、真相を知っても私に都合のいい部分は風評として邪推を流し、とにかく中傷を繰り返し嘘も100回言えば本当になる方式で、粘着し続けている。

ちなみに「なだっちも書き込んでいいのよ」と誘っているのは、私がそこへ入って論争すると、所謂「叩きあい」になり、喧嘩両成敗になるのでわざと誘っているのだ。

私はある非常に正義感の強い法律家と打ち合わせをしている。私は一種の「みなし公人」らしく、こういう中傷は避けて通れない、とのことで非常に詳しい説明をしてくれ、その上この問題の相談料は全て無料にする、との有難いエールを送ってもらった。その法律家自身も被害に合っているとのことで笑ってしまった。行政書士、司法書士、弁護士などは逆恨みされる職業の典型なのだろう。

面白いことに、私に関わる名誉毀損、プライバシー侵害関係のサイトは一例を除いて全て1年以上前に管理人の更新が途絶えているにも拘らず、私の名前で検索するとgoogleの1頁目に残っている。これも以前このブログに書いたように、粘着コバエ仲間でクリックし合っているのか、クリック専用ソフトを使っているのかどちらかだろう。1年以上前に更新が終わったサイトが12000ヒットする検索のベスト10にあるなんて、どう考えても奇妙奇天烈な話だ。

それで読者の皆さんにお知らせします。これらの中傷サイトを読んで疑問を抱いた場合には、URLを貼って、こういうことが書いてありますが本当ですか?と質問してください。堂々と答えます。

以上カルトストーカーへの手口の一端を披露した。こういう体験から分かる対抗策を以下、箇条書きで記す。

①カルト工作員はマニュアル通りの行動しか出来ないので、相手が予想できない行動を取ること。
②最初に書いたとおり、嘘の風評被害を流して、相手を孤立化させ、尊敬されないように仕組み、精神的に追い詰めるのが彼らの最終目的なので、ここを自覚して置くこと。自覚しておけば、その手口に嵌まらない。
 つまり、どんどん積極的に外に向かって情報を発信し続け、近所との付き合い、友人との付き合いをしっかり築くこと。「彼らはその絆を切ろうと必死になっているのですから、短気を起こさないこと(自戒をこめて言います)。
③こういう工作員は、大抵精神障害に陥る、という報告がある。その通りだろう。類は友を呼ぶ、で、こういう仲間たちと悪事を働き続けていたらロクな結末が待っているわけはない。むしろ彼らを哀れみ、幸福な人生に宿命転換できるように、お祈りしてあげましょう。
④ICレコーダーや電話と録音機を繋ぐ部品を買っておいて、おかしな電話がかかったら直ぐに記録に取っておくこと。
⑤上記の文章のように、中傷記事に対して自分のサイトで反論を書くのは合法な権利だが、相手のブログなどに入って反論しないこと(論争に当たるので)訴えるつもりがないならバトルしてもいいでしょうが、要点をはぐらかされ、嘲笑され、腹が立つだけでしょう。彼らが得意なのは屁理屈です。真相を知ろう、という発想はゼロだから論争の意味がありません。
⑥一番いいのは無視することです。私も基本的には無視の姿勢です。が、人が思わず信じてしまうような中傷が多すぎるので、気づいたときには反論する、という姿勢をとっています。

以上、何かの役に立てば幸いです。








赤穂義士の辞世

2012年10月27日 | 歴史
私は元中央義士会の会員だったので、正確な文献は持っているが、下のブログから拝借した。これは全体のごく一部である。切腹を前に武士がどのような心境で歌を詠んだか、味わってみたい。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/newt/ako474.htmlより(間違いがあるかもしれない、と前書きにある)


大石内蔵助良雄 おおいしくらのすけよしたか 忠誠院刃空浄剣居士
あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし

吉田忠左衛門兼亮 よしだちゅうさえもんかねすけ 刃仲光剣信士
君がため 思ひぞ積もる 白雪を 散らすは今朝の 嶺の松風  

原惣右衛門元辰 はらそうえもんもととき 刃峰毛剣信士
かねてより 君と母とに 知らせんと 人より急ぐ 死出の山路 

小野寺十内秀和 おのでらじゅうないひでかず 刃以串剣信士
忘れめや 百に余れる 年を経て 事へし代々の 君がなさけを

間喜兵衛光延 はざまきひょうえみつのぶ 刃泉如剣信士
草枕 むすび仮寝の 夢さめて 常世にかえる 春のあけぼの

堀部弥兵衛金丸 ほりべやひょうえあきざね 刃毛知剣信士
忠孝に 命をたつは 武士の道 やたけ心の 名をのこしてん

冨森助右衛門正因 とみのもりすけえもんまさより 刃勇相剣信士
先立ちし 人もありけりけふの日を ついの旅路の 思ひ出にして

潮田又之丞高教 うしおだまたのじょうたかのり 刃窓空剣信士
もののふの 道とばかりに 一筋に 思いたちぬる 死出の旅路

早水藤左衛門満尭 はやみとうざえもんみつたか 刃破了剣信士
地水火風 空のうちより いでし身の たどりて帰る 本の住家に

大石主税良金 おおいしちからよしかね 刃上樹剣信士
あふ時は かたりつくすと 思へども 別れとなれば のこる言の葉

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まず大石内蔵助の有名な「あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」は、出だしの部分が「あら楽や」だったことが割合最近実証されている。元の歌が印刷された段階で誤字になったと記憶している。あら楽や、のほうが口語的で本当に気軽になったなぁ、という実感が篭る。言うまでもなく、かかる雲なしは、かかる苦もなし、の掛詞。武士の本懐を果たしたぞ~、という生死を超越した悟りの歌。

武士道精神(主君のために命を捨てる心地よさ)を表したものと、仏教思想を下敷きにしたものに2分できる。

「かねてより 君と母とに 知らせんと 人より急ぐ 死出の山路」は浄土思想的だし、 
「地水火風 空のうちより いでし身の たどりて帰る 本の住家に」は仏教の五大思想が背景にあり、宇宙の構成要素から生まれ、また宇宙に戻っていくという禅的な世界観を理路整然と詠んだもの。
「草枕 むすび仮寝の 夢さめて 常世にかえる 春のあけぼの」は同様の世界観をより短歌的に情景描写したもの。この間喜兵衛はかなりの年配で、息子二人と討ち入りし、一人は吉良に一番槍の高名を立てている。父親として最高の気分で満足だった様子が辞世に伺える。

まったく別の角度から詠んでいるのは大石主税(大石内蔵助の息子、享年16歳)で、
「あふ時は かたりつくすと 思へども 別れとなれば のこる言の葉」は、母親に対する未練心が主題になっている。「母上と別れの前には全て思いを述べたつもりですが、これが限りと思うとまだまだ語り足りませんでした」あるいは「あの世でお会いできれば語りつくそうと思いますが、これから死ぬ身ですので言い残した言葉が一杯あります」という意味で涙を誘わずにはいられない。

まったく個人的なことだが、私は長男に千宝(ちから)と名付けた。一つには大石主税(おおいしちから)を意識して、武士らしく生きよ、という意味。また、ち、という音は、例えば「ちはやぶる」が「神」の枕詞のように非常に強い神秘的なエネルギーを持っていること。さらに、この世は力(腕力や権力)だけではだめで経済力も必要だというところから千の宝、という意味を篭め、画数計算も大吉に整え役所に滑り込みセーフで役所に駆け込んだ記憶がある。もちろん子は宝という意味もあり、いろいろなところで名前を褒めてもらったらしい。
 面白いことに長女の誕生日が12月14日でちょうど討ち入りの日に重なる。なんの因縁か、巧く出来すぎている。

いずれにしても大石主税は恋もせず、童貞のまま、母親への恋慕の歌を辞世にした。父親の悟りきった歌といい、逆に息子の母親への未練といい、実話のほうがフィクションより感動的なのが赤穂義士の行動だ。
 なお終戦後GHQは赤穂浪士に関する映画等を上映禁止にした。

北一輝の『日本改造法案大綱』

2012年10月26日 | 歴史
このところメマイがする。パソコンが一番悪いと分かっているが、パソコンなしで現代生活は出来ない。そこで、今日はwikipediaの記事を引用抜粋し、簡単に感想を述べる。この国難のとき、様々な意見が飛び交っているので、戦前の最も有名な革命思想をおさらいしておくのも悪くないと思った次第。
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1883年(明治16年)に新潟県佐渡島で生まれた北は早稲田大学の聴講生となり、社会主義を研究して『国体論及び純正社会主義』を著し、また中国の問題についてはアジア主義を主張した。
しかし当時の日本の国家政策はアジア解放の理念を損なっていると認識して北は具体的な解決策を構想し、日本政治を改革するために1919年(大正8年)に40日の断食を経て『国家改造案原理大綱』を発表した。これが1923年(大正12年)に加筆修正されて『日本改造法案大綱』に改題されたのが本書である。北は本書を書いた目的と心境について、「左翼的革命に対抗して右翼的国家主義的国家改造をやることが必要であると考へ、」と述べている。

北によれば明治維新によって日本は天皇と国民が一体化した民主主義の国家となった。しかし財閥や官僚制によってこの一体性が損なわれており、この原因を取り除かなければならない。その具体的な解決策は天皇によって指導された国民によるクーデターであり、三年間憲法を停止し両院を解散して全国に戒厳令をしく。男子普通選挙を実施し、そのことで国家改造を行うための議会と内閣を設置することが可能となる。この国家改造の勢力を結集することで華族や貴族院を廃止する。

次いで経済の構造改革を行う。具体的には一定の限度額(一家で300万円、現在の30億円程度)を設けて私有財産の規模を制限し、財産の規模が一定以上となれば国有化の対象とする。このことで資本主義の特長と社会主義の特長を兼ね備えた経済体制へと移行することができる。この経済の改革は財政の基盤を拡張して福祉を充足させるための社会改革が推進できる。労働者による争議・ストライキは禁止し、労使交渉については新設される労働省によって調整される。また労働者でもその会社の経営に対する発言を認めることも提案には盛り込まれている。

経済や社会の改革については日本本土だけでなく日本の植民地であった朝鮮、台湾にも及ぶ。朝鮮は軍事的見地から独立国家とすることはできない。ただし、その国民としての地位は平等でなければならない。政治参加の時期に関しては地方自治の政治的経験を経てから日本人と同様の参政権を認め、日本の改革が終了してから朝鮮にも改革が実施される。将来獲得する領土(オーストラリア、シベリアなど)についても文化水準によっては民族にかかわらず市民権を保障する。そのためには人種主義を廃して諸民族の平等主義の理念を確立し、そのことで世界平和の規範となることができると論じる。

世界に与えられた現実の理想は、いずれの国家、いずれの民族が世界統一を成し遂げるかだけであり、日本国民は本書にもとづいてすみやかに国家改造をおこない、日本は世界の王者になるべきであるというのが本書の結論である。
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感想。
明治時代は民主主義だった、という認識は「一君万民思想」と言われ、吉田松陰の造語とされている。維新の志士たちの間の共通認識で、身分制社会からデモクラシーへの大きな誘い水になった。自由民権運動もこの流れの中から生まれている。

右翼革命思想と言っても、北がもともと社会主義を研究していたためだろう、経済統制や労働者の人権なども自在に取り入れられている。この時代の秀才は必ずアカに一度は洗礼を受けている。

民族平等が盛り込まれているのは大日本主義の影響かもしれない。建前としての攘夷思想はこの時代になると超克されていたことが分かる。

日本が世界の王者になるべき、という発想がどこから来たのか暇なときにジックリと調べてみたい。平等主義と矛盾するからである。一つはキリスト教徒の多いアメリカの現実(拝金主義や人種差別)に衝撃をうけ新渡戸稲造が1900年(明治33年)に「武士道」を刊行したように、日本文化が世界の倫理的規範になるという発想は以前からあった。元武士で明治になりキリスト教徒になった人物は非常に興味深い特徴をもっているが、かなりややこしいので、略す。

ちなみに北一輝は地元で神童と呼ばれた秀才だった。熱心な日蓮信徒で、かなり神がかり的な性格だったようだ。

ちなみに、を繰返すとまたパソコンが毒になるので止めておくが、大雑把に言えば「民主主義の限界を突破する思想」を模索する、という点で、現代の日本の閉塞感を解決するために非常に参考になる。民主党に裏切られ、橋下維新に裏切られ、と、既成政党に期待しては裏切られてきたこの40数年の歴史の中で、こういう風にクーデターを前提に新しい国家の形を、右翼左翼その他が探り合うのも重要なことだと思う。
 ちなみにwikiを使って孫引きで感想を述べるのは、全くの邪道だが、研究ではないので気にしないで置く。ともかく、今の日本は民主主義とは到底言えないところに来ているし、投票率が30~40%にまで落ち込んでいるのだから、政治に期待しない日本人が過半数を超えている。北一輝が今の日本を見たらどんな改造法案大綱を作るだろう?
 
 
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自己実現とは

2012年10月25日 | 

所謂「幸福」というものを分析すると、

①衣食住(命に危険性のないレベル)
②愛情(自分を理解してくれる相手がいる)
③社会的地位(なりたい職業に就く)
④自己実現(なりたいと夢見ていた通りの人間になる)

となる。私などは①の段階で悩んでいるレベルだから幸福には程遠いが、ともかくこの自己実現に関して少々思うところがある。

私は2年間座禅会で基本を学び、こんないいものがあったのかと、自分の体を実験台にして様々な工夫の末に見性体験を繰返した。そのアドバイザーの一人が玄侑宗久師で、メールで様々な質問に答えてもらった。その中で 玄侑師は「自己実現というと、そこで完成したという感じがして自分は好まない」というような意味のことを言われた。

確かに一理ある。禅の影響を受けたユングは「個性化の過程」という言葉を使っているが、スミレにはスミレの、ヨモギにはヨモギの個性があり、その理想形に近づく努力のことだ。

ややこしいのは、ユングの言う「自己」とは普遍的無意識のことなので、禅でいう「悟り」に極めて近い概念だ。既に我執はない。いずれにしても、その過程、近づく努力が大切なので、ハイここで行き止まり、というものではない。

普通にいう自己=私、という意味から見ても、自分が一体何者なのか分からなくなる。私は短気な喧嘩屋らしいが、お人よしだとも言われる。文科系の典型のようだが、数学にも熱中した時期もある。芸術は当然好きだが、分析哲学や論理学も好きで、例えば一本の映画をグラフや記号で表現できないかと真剣に考える一方、印象批評は捨てがたい。

無位の真人に目覚めたと言っても、年から年中、朝から晩まで悟った生き方が出来るわけではなく、自分が何者かさえ把握できず、雨にも負け風にも負けて、ただ悩みを放下する心のポジションに戻る術を多少知っているに過ぎない。

中年を過ぎて、未だに「一体自分は何のために生まれてきたか」すら回答がでない。自己実現の標的が見つからないのだ。ただ天地の命じるまま、出来る範囲のことは努力して「一隅を照らす」人生を送りたいと思う。









思いつくまま雑談します

2012年10月24日 | 雑談
もう夜の11時、フラフラですが、今日中にブログを更新しないと、という強迫観念に駆られて仕方なく書いている。

昨日の「ロータス文化学院」にも書いたし、「自作自演のソフト」かな?にも書いたように、ネット犯罪は物凄いスピードで増加しており、警視庁も中傷ぐらいでは動かない。殺人や施設の爆破予告でもしない限りは。そうすると行政書士、司法書士、弁護士、あるいは本人訴訟で対抗するしかない。
 それでもカルト系や粘着気質の人間は、次々と中傷を書いて来るので、一々相手にしている場合、日常生活が出来なくなる。読者の目を信じて無視が最上策だが、そうも言ってられない場合もある。暇なときにユックリと妙案を考えてみようと思う。

これは私個人の性格にもよるが、映画批評を盛んに書いていた時代もしつこく議論を吹っかけてくる人間がいた。要するに「下手で見るに値しない」作品に関しては、無視に限る、と今は思っているが、昔は真面目に批評していたので、どんなに理屈が背景にあっても下手なものは下手、と書いてしまうと、延々と粘着された。
 アーチストというのは傲慢の塊のような部分が必ずあるので、メンツを潰されると火病のようになるわけだ。「確かに下手でした。理屈ばっかり言ってすみません」などと反省する人間は一人もいない。

これは芸術における「距離」の問題だとされている。
作るときは作品の中に没頭する、が、自分でダメ出し(冷静に批評する)ためには、作品から離れて、「あ、ここはクドイな」「ここは説明が足りないな」「ここはリズムが悪くて、ここは色合いが変だ」と、クールに自分と作品との間の距離をとらねばならない。

この距離が取れない人間は自我の万能感に包まれてしまい、冷静に反省することができない。するとドンドン作品が荒れていくから自滅する。

話が飛ぶようだが、美人、美男、というのも結局は他人が決めるものであり、いくら自分で自分がイケメンと思っていても、人が認めなければ意味が無い。
 日本映画の研究に来たアメリカの聴講生が「なぜ昔の日本の映画女優はブスばかりなのか?」とゼミで質問したら、教員が「昔は映画は地位が低かったので一流の役者が出なかった」と答えた。が、質問も答えも間違っていると私は思う。
 「美に普遍性がない」というのが一番正しい答えだ。美しさというのは時代背景によって物凄いスピードで変化する。戦前の美人と戦後の美人では遥かに異なっている。

また話が飛ぶが、凄く面白いのは、女性が洋服を買うときの迷い方だ。この襟が気に入らない、ボタンが大きすぎる、この赤い柄が派手すぎる、等々、人生の大問題でもあるかのように迷っているが、マネキンに着せるとどんな洋服でもさまになる。
 でも、人間が皆利口になって無駄な買い物をしなくなったら日本経済は潰れてしまうから、大いに見栄は張ったほうがいい。

では。


ロータス文化学院

2012年10月23日 | ロータス文化学院
これは「形のないカルチャースクール」という発想を元に私が世話人となって世界的に著名な方々の賛同を得て企画している教育システムだ。

実験映画の生みの親の一人でもある松本俊夫先生、日本一の映画コレクションをコロンビア大学に譲渡された映画文献史家の牧野守先生、そして私が、それぞれの住まいに適した場所を探して安い授業料で大学の授業よりさらに高度な授業を行う、というもの。
 http://w01.tp1.jp/~a920031141/bunkagakuin.html に詳しい情報がある。

当初は様々な協力者が現れて宣伝してくれ、何人か受講希望者も集まったが、途中から動きが止まっている。理由の一つはネット犯罪。私やこの企画に対する悪口サイトが立ち上がっている。それが根も葉もない内容ばかりで私自身はチラリと見ただけで相手にしていなかったが、知り合いの分析だと、カルト宗教、自主映画関係者、さらに大手探偵業も混じっているのではないか、との話だった。

「那田個人の金儲けの企画だ」などと現実と逆の宣伝をしたり(これが実現すると私は恩義ある先生たちに払う固定ギャラや年金的な支払いで負債を背負う。もし規模が大きくなって黒字が出た場合は「ロータス文化学院」の運営に必要な資金以外は世直し基金に回し入出金を公開します)、とてつもない嘘を元に中傷を繰返している。そう思うならこの企画に適した人に世話人の座を譲るので「ロータス文化学院」を成功させてほしいと本気で思う。本来この企画は、牧野、松本両先生の遣り残した人生の集大成を実現させるためのもので私利私欲は全くない。

私はネットでの宣伝、バス広告などなど出来るだけのことはしてきたが、反応が余りに少なく、あってもドタキャンが続き、何か裏事情があると肌身で感じている。これだけの人材が集まり、万単位の人が目にしたのだから確率論的にあり得ない。

松本先生は日本中に映画映像研究の大学、あるいは学部を作ってこられた当事者、私は延べ13年大学の非常勤講師を勤めてきたので、今の大学教育がどれぐらい劣化しているか知悉している。だから中身の濃い授業をなるべく安く、しかも人間作りを兼ねて、というコンセプトが中心になっている。

そこで当然困るのは大学だろう。また、私は個人的にカルト批判をしてきたのでその連中。およびそこと結託した大手探偵業が必死に妨害している、というのが知人の分析だった。

早大で教えていたときに、私のHPを見ては、私の元指導教授に一々報告する人物がいて、何度も指導教授から「少しでも変なことを書くと足を引っ張られるから注意するように」とアドバイスされたものだ。本当に暇な奴がいるなぁ、としか思わなかったが、一人引きずり落として自分が後釜に入る、というのが研究者の世界で、嫌な思いを散々してきた。

そういういきさつがあり、また私も途中で健康を害している(要介護1)ので中々前に進まないが、「ロータス文化学院」は例え無名でも隠れた才能のある人物を見つけ出し、その人の都合のいい場所で授業を三々五々と始めていくネットワークなので、我こそは、と思う人は名乗りを上げてほしい。

なお、「ロータス文化学院」を中傷するサイトを見つけたら、コメント欄に書いていただければ(その記事のURLとともに)、私が何でもお答えします。

簡単ですが

2012年10月22日 | 雑談
読者とのヤリトリを掲示板からブログに変えて数ヶ月たった。

困ったこともあれば、面白いこともある。
 困るのは読者との対談。最初から予想していたことだが私が書いたことに対してコメントが付くのがブログだから、なんとなく民主的でないような気がするのと、なにも書かないとランキングが下がるので、無理をしてでもなにか書いてしまう。毎日一つずつ短編小説を書くような義務感に駆られて、今日は疲れたので失礼します、というわけには行かない。

面白いのはそのランキング。私は夜遅く書くことが多いので前日のアクセスが反映されるが、どういうことを皆が関心もっているか、など想像するのは楽しい。

だからつい最近まで掲示板とブログを両方HPの中に置いて、日々の出来事は掲示板に、まとまった意見はブログに、と使い分けしようと思っていたが、ブログが億劫で何年も寝かしたままにしてしまった。この間に消えた記事も結構ある。突然復元されたりするので(メールで昔の記事が配信される)面白い。

使いたい写真など結構あるが、パソコンがメモリ不足なのでなるべく使っていない。

出来るなら、皆さんはどう思いますか?とコチラから質問を発信してコメントが伸びるようになると面白いのになぁ、と思う。

こういう季節の変わり目、特に秋から冬へと段々体力が落ちていく時期。皆さんも健康に気をつけてください。部屋のどこかに加湿器が3つほどあるけど、探すのが面倒で、なるべくエアコンを使わずに我慢しています。簡単ですがではまた。

自作自演のソフト

2012年10月21日 | 集団ストーカー被害者を救う会
最近書いたコラムに、自動でブログのクリックを代行するソフトがある、と書きました。その一例を見つけました。以下http://ever-click.com/superclick.htm より抜粋引用。

スーパークリックシステムのご案内
コース名
最大クリック数
登録サイト数
初期費用
月額
シルバーコース
3000クリック/日
30サイトまで
20,000円
30,000円
プラチナコース
7000クリック/日
70サイトまで
30,000円
50,000円
クリックする場所の指定

クリック率を100%に設定できることで、一日3000クリック(シルバーコース)~7000クリック(プラチナコース)を自由に分配することができます。
________________________________
こんなのが出てるんですね。
真面目にブログを書いてランキングを上げている人にとっては、天敵以外の何者でもありません。一日に7000クリックすれば、ベスト10には入れるんじゃないでしょうか。

私の名前でgoogle検索すると現在12400ヒットするが(体を壊して入院する前、3年ほど前かな?は3万とか5万ヒットしました)、去年以来更新されていない廃屋のようになったサイトが1ページ目(10サイト)に3つぐらい入っている、と書いたことがあります。
 カルト仲間+αがお互いにクリックし合っていたのだと思いましたが、この類いのソフトを使っている可能性もありますね。私への悪口がwikipediaより上に来ることもあるんですから笑ってしまいます。

しかし、どうせこのような裏口ランキングでアクセス数を偽装アップしても、内容がなければ意味がないと思うのですが。企業などがSEO対策として導入するならともかく。

いずれにしても、権力の不正を暴くサイトには必ず中傷サイトが立って、その人物の評価を落とそうとします。それが第一のマニュアルです。そして集団ストーカー、孤立・ひきこもり、被害妄想、鬱病、自殺・あるいは殺人、と追い込んで行くわけですね。

阿修羅というHPから仕入れたhttp://ever-click.com/superclick.htmという記事は、等HP内「なだリサーチ」にも引用していますが、集団ストーカーの手口を極めて論理的に分析しています。しっかりこれを読んで頭に入れて置いてください。

当サイトを含めて巨悪カルト被害者の会は数多くあるので、本当に困っている人は連絡してください。(私は、被害者のふりをした人物に毎日4時間も電話がかかって、切っても切っても粘着され、頭にきて絶縁したとたん、ガセネタのタレコミで警察まで来たことがあります。事情を説明すると警察も呆れて帰りました)

中傷サイトの作り手があまりに小物なので私は今は静かにしていますし、読者の良識に任せています。もっと重要な仕事が山ほどありますから。が、中傷者は大体決まった人物でしょうから、被害者とネットワークを組んで何か手を打ちたいと思っています。被害者の皆さん、冷静に証拠を残して置いてください。外付けのメモリなど活用して。

私個人の体験なので一般化は出来ませんが、弁護士よりも司法書士、行政書士の方に、正義感、人情派の人が多いようです。私が雇った弁護士は一人目は懲戒され、二人目は解雇しました。それから弁護士と言っても得意分野不得意がありますから注意しましょう。

じゃ、今日はこの辺で。






本当に雑談

2012年10月20日 | 雑談

季節の変わり目で風邪気味なのと、いつものように書類の山のストレスで、歩けば痛い、座れば痛い状態。
 だから思いつくままに少し雑談します。

西脇順三郎が言ってたはずだが、少し猥雑なほうがいい、というのは本当。疲れると卑猥な冗談にも笑えなくなる。ナンセンス、ギャグも同様。

人間は苦しむために生まれてきたのではない、大いに人生を楽しめ、と言われても無理なときは絶対無理です。

悟れば我執がゼロだから、悩み苦しみは、ゼロから生まれた妄想である。とは言え、高名な禅僧が歯医者で歯を抜かれたとき、イタタタ、と叫ぶので歯医者が「住職さんでも痛いんですか?」と聞いたら、「バカモノ。痛いものは痛いに決まっておる」と応えた。当たり前のことだ。

神様、というか創造主、あるいは宇宙霊でもいいが、そういう超越した存在が万能なら、人間の心に、「嫉妬心」や「俺が一番じゃないと許せない」という感情を何故与えたのか。鰯が鯨に嫉妬した話は聞いたことが無い。とすれば、創造主が万能じゃなかったんだなぁ、と思う。いつも言うように、人間は動植物の中で最も下等な存在だ。人間よりペットのほうが優れている。

古典的なギャグだが、おもしろい話をする。真っ白なネコがいた。頭も胴体も手も足も、尾(お)も白かった。

ではお粗末でした。








高田渡が歌った「ブラザー軒」

2012年10月19日 | 芸術・表現
以下http://plaza.rakuten.co.jp/mz5na/diary/201201160000/ より


 「菅原克己全詩集」を読み終えた。菅原克己は名は早くから知っていたのだが、読もうと思わせてくれたのは、アーサー・ビナードだった。小熊秀雄もおなじである。

 (略)

 アーサー・ビナードは全詩集に挟み込まれたしおりのなかでこういっている。

 「外連味のない日常を、実況中継するかのように詠み、でもその奥で息づく森羅万象にまで読者をグッと、優しく引き込む」「エリオットがもし、菅原克己の作品を読んだならば、それも羨望の的になったのではないかと思う。」

 同じしおりに高田渡のインタビュウがあって、コンサートでよく菅原克己の「ブラザー軒」をうたっていると語っている。彼が菅原の詩に曲をつけたものだという。

 ブラザー軒 

 東一番丁、
 ブラザー軒。
 硝子簾がキラキラ波うち、
 あたりいちめん氷を噛む音。
 死んだおやじが入ってくる。
 死んだ妹をつれて
 氷水をたべに、
 ぼくのわきへ。
 色あせたメリンスの着物。
 おできいっぱいつけた妹。
 ミルクセーキの音に、
 びっくりしながら
 細い脛だして
 椅子にずり上がる。
 外は濃藍色のたなばたの夜。
 肥ったおやじは
 小さい妹をながめ、
 満足げに氷を噛み、
 ひげを拭く。
 妹は匙ですくう
 白い氷のかけら。
 ふたりには声がない。
 ふたりにはぼくが見えない。
 おやじはひげを拭く。
 妹は氷をこぼす。
 簾はキラキラ、
 風鈴の音、
 あたりいちめん氷を噛む音。
 死者ふたり、
 つれだって帰る、
 ぼくの前を。
 小さい妹が先に立ち、
 おやじはゆったりと。
 東一番丁、
 ブラザー軒。
 たなばたの夜。
 キラキラ波うつ
 硝子簾の向うの闇に。
____________________________
実は私が東京工芸大で教えていたとき、ある映画研究会が撮影監督・長田勇市(撮影監督という社会的地位を作り上げた人)と私をゲストに呼び、トークと学生の作った映画の審査員を務めたことがある。
 そのとき長田氏と名刺を交換し、氏が「タカダワタル的」という作品を作ることになり、DVDをもらった直後に高田渡は死去した。電話で「亡くなる前に撮っておいて本当によかったですね」と話した記憶がある。また2人ぐらい映画スタッフ希望の教え子を長田氏に紹介し、嫌がらずに引き受けてもらったこともある。

高田渡は「生活の柄」が一番有名だと思うが(「自衛隊に入ろう」かもしれない)、菅原克己(元共産党の詩人)の「ブラザー軒」は、歌詞が余りにも素晴らしく、凝った曲を添えないのが大正解だったと思う。
 
この歌詞は、ガラス暖簾、カキ氷、風鈴、という夏の風物詩が繰り返し出て、同じ系統の擬音(シャリシャリ、キラキラ、チリーンなど)が作品世界を貫くとともに、死んだ親父と妹が現れるのだから夏の幽霊を幻視しているわけだ。要するに七夕の夜に現れた家族の幽霊と冷たい音とが交差しあって非常に静かな、悲しみの世界を作り上げている。
 最初にこの曲を聴いたとき、原爆で死んだ家族がテーマになっているのか、と思った。焼き殺された父と妹が冷たいカキ氷を食べに来たのだろうと。この詩が優れているのはそういう連想を働かせる喚起力の背景に、聴覚と触覚に訴えるものがことごとく冷たく透明、という技巧がしっかり備わっているからである。

どうやらブラザー軒という店は実在しているようだが、そのあたりは余り調べず印象批評、技術批評でとどめておいたほうがこの詩は生きてくると思う。
 なおyoutubeで探るとこれを歌っている高田渡の姿を数バージョン見ることが出来る。



墨子について

2012年10月18日 | 世直しのためにどうすべきか
フト思いつくところがあって戦争に絶対勝つ方法を考えていた。そのついでに墨子のことが頭をよぎった。以下wikiから引用抜粋。墨子は紀元前5~4世紀の人物。彼の思想を簡潔にまとめてある。
____________

兼愛
「天下の利益」は平等思想から生まれ、「天下の損害」は差別から起こるという思想。全ての人に平等な愛をということである。

非攻
一言で言えば、非戦論である。墨子直著と見られ、「人一人を殺せば死刑なのに、なぜ百万人を殺した将軍が勲章をもらうのか」と疑問を投げかけている。

墨子と弟子とのやりとりからは、功利主義的な多くの弟子を諭すのに苦労する墨子の姿が散見される。また、墨子自ら楚に赴いて、宋を攻めようとする楚王を説き伏せようと努力することもあった。このような幾多の墨子の努力の甲斐有って、思想集団として、また、兼愛・非攻の究極の実践形と言える防御・守城の技術者集団として、墨家は儒学と並び称される程の学派となった。
_________________
かなり前、漫画週刊誌に墨子を主人公にしたものがあり、時々読んだことがあるが詳しく調べたことは無い。松岡正剛の「千夜千書」の批評を斜め読みした程度だ。

墨子は、まず徹底的博愛主義であり一切の差別思想を嫌った、と同時に、専守防衛の軍略家として天才的な能力をもっていた。彼の育成した弟子集団を墨家という。         侵略は決してしないが仲間に頼まれると助っ人として恐ろしいほどの戦闘能力で闘う、という点では上杉謙信と非常に似ている。有名な川中島の合戦も、武田信玄に攻められた仲間のために兵を動かしたに過ぎず、謙信本人には全く領土的野心は無かった。

wikiの説明だと非戦論ばかり目立つが、実際はそうではない。専守防衛用の様々な最新兵器を生み出している。

そこで、戦いに勝つ武器の変遷を考えてみた。剣より弓が強い(場合に拠るが)、弓より鉄砲、鉄砲より機関銃や大砲や爆撃が強い。そして原爆や水爆が強い。つまり、武士道的な考え方からすれば「卑怯な兵器を遠くから使った者」が勝ってきたのが戦いの歴史だ。赤穂義士が切腹を命じられた大きな理由として、弓矢など飛び道具を使った、というのがある。まして今はボタン戦争になってしまい、自己鍛錬にともなう人格の向上などカケラも残っていない。

専守防衛という面から見れば、現在は核攻撃を受けたときに迎撃するところまでしか来てない(と思う)が、墨子ならミサイル攻撃をされた瞬間に軌道を解析し、発射地点にUターンさせる技術を開発するだろう。今の軍艦はハイテク装置だらけで動いているので、竹島や尖閣諸島に軍艦が向かえば操縦不可能になるように電磁波を飛ばす、などなど、空想するだけでも面白い。もしこういうことが可能なら、専守防衛でありながら最強の兵器になる。

博愛主義、平等主義に文句を言うものは一人もいないだろう。が、相手が攻めてきたときを想定すると、バンザイして降伏する、では話にならない。大日如来は姿を変えると不動明王になる通り、墨子のように両面を考えるのは極めて理にかなっている。

というわけで、雨が鬱陶しいので早めに寝ます。








寝る前に慌てて書きました

2012年10月17日 | 集団ストーカー被害者を救う会
瀬戸弘幸さんのブログのコメントを読んでいたらhttp://www.vector.co.jp/soft/winnt/util/se484066.html というソフトが出回っていることを知った。

簡単に言えばブログランキングなどを自動的にいくらでもクリックしてくれるソフトで、これがあれば、例えば自分のブログを簡単にベスト10の中に入れることも出来るだろう。

私の使っているgooブログは、相当前に作って長らく放置していたので、クリックをしてランクを上げる機能も無いようだし、ごく自然に読者が目にしてお気に入りに入れているのだと思うが、上記のソフトなんか完全に自作自演ですね。パソコン盗撮ソフトがアメリカで起業のセキュリティ対策として堂々と売られているのと同じ、というかコンプライアンスもなにもない。

最近、プロバイダーの種類を問わず全てのランキングを載せているサイトを見た。ベスト50の中で、47ぐらいが保守愛国、アンチカルトでした。時代は変わったなぁとつくづく思う。

私が5年前「映画の中の天皇」という共同執筆した本の中に、これからは愛国保守の若者が増えていくだろう、と書いたら、編集者から、「主観的過ぎないか」ということで仕方なくカットしたことがある。しかし、案の定思った通りになった。石井一昌さんと知り合い、全く別口で瀬戸弘幸や西村修平さんと出会い、熱心に活動していたので若者の熱気を肌で感じとることができた。

私は現在バスにも電車にも乗れないので、ネットや一対一で出来る範囲で世直し運動に関わっている(カルトストーカーを救う会もその一環です)。私自身は、前の前の「微笑禅の会ネット会報」(HPのほうにあるはず)に書いたように、経済界と宮内庁を支配されている以上、本当の世直しはクーデターぐらいしかないだろうと思っているが、地道な抵抗を繰り広げることで、その基盤、つまり反乱の根拠が出来る、という考え方だ。

12時を回ってしまった。阿修羅というサイトは膨大な情報が詰まっていて、私が書いたものも引用されている。どういう管理人が全く知らないし、ごく一部しか読んでいないが、愛国運動について冷静な分析が書いてある。 http://www.asyura2.com/profile.htm
はお奨めです。では。