那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

赤穂義士の辞世

2012年10月27日 | 歴史
私は元中央義士会の会員だったので、正確な文献は持っているが、下のブログから拝借した。これは全体のごく一部である。切腹を前に武士がどのような心境で歌を詠んだか、味わってみたい。

http://www009.upp.so-net.ne.jp/newt/ako474.htmlより(間違いがあるかもしれない、と前書きにある)


大石内蔵助良雄 おおいしくらのすけよしたか 忠誠院刃空浄剣居士
あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし

吉田忠左衛門兼亮 よしだちゅうさえもんかねすけ 刃仲光剣信士
君がため 思ひぞ積もる 白雪を 散らすは今朝の 嶺の松風  

原惣右衛門元辰 はらそうえもんもととき 刃峰毛剣信士
かねてより 君と母とに 知らせんと 人より急ぐ 死出の山路 

小野寺十内秀和 おのでらじゅうないひでかず 刃以串剣信士
忘れめや 百に余れる 年を経て 事へし代々の 君がなさけを

間喜兵衛光延 はざまきひょうえみつのぶ 刃泉如剣信士
草枕 むすび仮寝の 夢さめて 常世にかえる 春のあけぼの

堀部弥兵衛金丸 ほりべやひょうえあきざね 刃毛知剣信士
忠孝に 命をたつは 武士の道 やたけ心の 名をのこしてん

冨森助右衛門正因 とみのもりすけえもんまさより 刃勇相剣信士
先立ちし 人もありけりけふの日を ついの旅路の 思ひ出にして

潮田又之丞高教 うしおだまたのじょうたかのり 刃窓空剣信士
もののふの 道とばかりに 一筋に 思いたちぬる 死出の旅路

早水藤左衛門満尭 はやみとうざえもんみつたか 刃破了剣信士
地水火風 空のうちより いでし身の たどりて帰る 本の住家に

大石主税良金 おおいしちからよしかね 刃上樹剣信士
あふ時は かたりつくすと 思へども 別れとなれば のこる言の葉

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まず大石内蔵助の有名な「あら楽し 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」は、出だしの部分が「あら楽や」だったことが割合最近実証されている。元の歌が印刷された段階で誤字になったと記憶している。あら楽や、のほうが口語的で本当に気軽になったなぁ、という実感が篭る。言うまでもなく、かかる雲なしは、かかる苦もなし、の掛詞。武士の本懐を果たしたぞ~、という生死を超越した悟りの歌。

武士道精神(主君のために命を捨てる心地よさ)を表したものと、仏教思想を下敷きにしたものに2分できる。

「かねてより 君と母とに 知らせんと 人より急ぐ 死出の山路」は浄土思想的だし、 
「地水火風 空のうちより いでし身の たどりて帰る 本の住家に」は仏教の五大思想が背景にあり、宇宙の構成要素から生まれ、また宇宙に戻っていくという禅的な世界観を理路整然と詠んだもの。
「草枕 むすび仮寝の 夢さめて 常世にかえる 春のあけぼの」は同様の世界観をより短歌的に情景描写したもの。この間喜兵衛はかなりの年配で、息子二人と討ち入りし、一人は吉良に一番槍の高名を立てている。父親として最高の気分で満足だった様子が辞世に伺える。

まったく別の角度から詠んでいるのは大石主税(大石内蔵助の息子、享年16歳)で、
「あふ時は かたりつくすと 思へども 別れとなれば のこる言の葉」は、母親に対する未練心が主題になっている。「母上と別れの前には全て思いを述べたつもりですが、これが限りと思うとまだまだ語り足りませんでした」あるいは「あの世でお会いできれば語りつくそうと思いますが、これから死ぬ身ですので言い残した言葉が一杯あります」という意味で涙を誘わずにはいられない。

まったく個人的なことだが、私は長男に千宝(ちから)と名付けた。一つには大石主税(おおいしちから)を意識して、武士らしく生きよ、という意味。また、ち、という音は、例えば「ちはやぶる」が「神」の枕詞のように非常に強い神秘的なエネルギーを持っていること。さらに、この世は力(腕力や権力)だけではだめで経済力も必要だというところから千の宝、という意味を篭め、画数計算も大吉に整え役所に滑り込みセーフで役所に駆け込んだ記憶がある。もちろん子は宝という意味もあり、いろいろなところで名前を褒めてもらったらしい。
 面白いことに長女の誕生日が12月14日でちょうど討ち入りの日に重なる。なんの因縁か、巧く出来すぎている。

いずれにしても大石主税は恋もせず、童貞のまま、母親への恋慕の歌を辞世にした。父親の悟りきった歌といい、逆に息子の母親への未練といい、実話のほうがフィクションより感動的なのが赤穂義士の行動だ。
 なお終戦後GHQは赤穂浪士に関する映画等を上映禁止にした。