那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

「主権回復を目指す会」より

2015年02月14日 | 世直しのためにどうすべきか

「微笑禅の会」ネット会報の途中に次々とメルマガが届くので、そちらを優先しています。

なお八王子五行歌会は投稿作品の募集を明日で締め切ります。腕試しをしたい人はhttp://gogyoka.bbs.fc2.com/ まで。

主権回復を目指す会の西村さんからメルマガが届きました。要約すれば、今回殺害されたアメリカ人女性のほうが湯川、後藤両氏より大和魂を持っている、との内容です。また建国記念日に行われた定例街宣の動画もありますからご覧下さい。

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大和魂が霞む米国人女性の矜持(きょうじ)
http://nipponism.net/wordpress/?p=30265

<大和魂は何処へ?
       命乞いをする日本の人質、「イスラム国」との解決交渉を拒絶した米国人女性>

以下関連するアドレス。

 ※参考  『人質の米女性「私はくじけません」…家族に手紙』2015年 02月11日:読売新聞
  http://www.yomiuri.co.jp/world/20150211-OYT1T50100.html 


【動画】【定例街宣】建国記念日を奉祝する前に、わが国に主権が存在するか否かを問い正そうH27.2.11
https://www.youtube.com/watch?v=41gBcmD-eCE
写真
建国記念日を奉祝する前に、わが国に主権が存在するか否かを問い正そう有楽町マリオン前、平成27年2月11日 (↓ 画像クリック拡大)

建国記念日を奉祝する前にわが国の主権を問い直そう(平成27.2.11 有楽町マリオン前)
 
「日米地位協定」がある限り日本に主権は存在しない(同)
 
シナの侵略に何の役も果たさないのが日米安保だ(同)
 
第三次安倍政権で“死滅”した議員たち(同)


パチンコ廃止通信より

2015年02月13日 | 世直しのためにどうすべきか

微笑禅の会のネット会報の続きですが、メルマガを紹介します。「パチンコ廃止通信」は記事内容がHPからは見れないので、以下全文をコピペします。ぜひ会員になってメルマガを受け取ってください。入会方法は下のほうに出ています(会費は無料)。

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パチンコ廃止通信 第49号  平成27年2月11日発行

パチ廃通信 〜パチンコが無い健全な社会へ〜

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若宮健さん特別寄稿
「 東京からパチンコを追放しよう」
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当会の活動に賛同する一人である、若宮健先生
より寄稿して頂きました。

特別寄稿
「 東京からパチンコを追放しよう」

東京で、オリンピックが開催されるのは5年数か月後となりました。
世界から、多くの人々が日本を訪れるのは言うまでもありません。

現在、パチンコは遊戯とされておりまして、風営法で管理されております。
換金が普通に行われているではないかと皆さん思うはずすが、法律的には
換金はできません。

それを、3点方式なるものを考え出して法律に抜け穴を造り、それを警察も
容認しているのが我が日本の現実なのです。

要するに、恥ずかしい姿に間違いないのがパチンコで、その日本の恥部を
オリンピックに訪れる世界の人達に見せるのかという問題があります。

パチンコは、日本の恥と言っても過言ではありません。
この違法なパチンコを、世界の人達に日本人がどう説明するのか? 
説明は要りません。全廃すれば済む話しです
東京オリンピックまでに、東京からパチンコを全廃するべきです。
駅前の一等地に、違法博打が堂々と営業している国は、世界にありません。世界の人達にその実態を見せるのかと言いたい。

日本へ、はじめてくる外国人は言います。日本には駅前にカジノがあると。

スロットマシンがあり、万札が乱れ飛んでいるのだから誰が見てもカジノに
変わりがありません。要するに、パチンコはテーブルゲームのないカジノなのです。

オリンピックの前に、東京からパチンコを追放するべきです。
追放しなくてはいけません。パチンコは、日本の恥部だからです。
最初に、東京からパチンコを追放する運動を展開しましましょう。
庶民が団結すれば出来ます。皆で力を合わせてやり遂げましょう。

ノンフィクションライター
若宮健

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パチンコ廃止通信第39号でもお伝えしたように、外国人に向けてパチンコを
「娯楽」として勧める動きが出てきています。

参照記事
https://www.evernote.com/shard/s428/sh/d347d279-3025-4274-9462-e9d471672179/f0109c5f508ec797e4794d1440a91589

上記で紹介した昨年7月のNHKワールド(英語放送)の番組は
公共放送という立場でありながらパチンコを合法な施設であることを
前提とした放送を行い、公正性に欠けるという観点から、当会では
翌月NHK宛に抗議文を提出しています。

3点方式の廃止に着手できないのであれば遊技ごと廃止すべきという
極論を唱える以外、廃止派にとって方法はありません。

日本の恥である、と声を上げなければ、換金を伴うパチンコは国が
認めた賭博として生まれ変わる可能性が非常に高いというのが現状です。

東京オリンピックでは素晴らしい国・日本として多くの外国人をおもてなし
するためにも、カジノやパチンコといった民間賭博を廃止にすることが
まず最初のおもてなしになるのではないでしょうか。
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(告知です)

第四十八回 日本の心を学ぶ会のお知らせ


【日 時】平 成27年2月22日(日)午後6時00分より

【場 所】文京区民センター会議室 2−B会議室
東京都文京区本郷4-15-14 
地下鉄春日駅 下車1分(大江戸線、三田線)
後楽園下車3分(丸の内線、南北線)JR(水道橋)
【講 演】
  「昭和維新運動と現代」 四宮正貴 先生 四宮政治文化研究所
  瀬戸弘幸先生は現在調整中です
【司会者】林大悟
【参加費】資料代500円終了後、近隣で懇親会(
3千円くらいの予定です)


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パチンコ廃止を求める会では運営メンバーを募集しております。
活動経験は不問です。

応募先: mary@pachinko-abolition.net

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以前より要望があった、Facebook公式ページがオープンしました!
いいね!を押して、ご友人に当会公式ページをご紹介ください。
https://www.facebook.com/pachihai

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このアドレスに返信して頂いても返信できなかったり、対応が
遅くなる場合がございます。
メールは編集委員宛でこちらへお願いいたします。
mary@pachinko-abolition.net

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皆様へのお願いです【ご家族、ご友人に当会をご紹介ください】

下記URLより簡単に入会できます。
http://www.pachinko-abolition.net/admision/postmail.html

twitter向け拡散テンプレート(適宜ご利用下さい)

社会の悪害・パチンコを廃絶しましょう!【パチンコ廃止を求める会】
無料で登録できます(HN可)【入会がパチンコ廃絶への第一歩!】
http://www.pachinko-abolition.net/admision/postmail.html


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【探しております】
 パチンコ廃止を求める会は、廃止に向けた定義や政策提言を
作成するため、法曹関係者の会員様を探しております。
法曹関係者の方は、是非ご協力をお願い致します。

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パチンコ廃止を求める会メールマガジン編集部
発行:平成27年2月11日
(創刊:平成24年5月5日)


「微笑禅の会ネット会報新春特別号」第2部(B)

2015年02月11日 | 微笑禅の会ネット会報

前回は達磨までを伝説的存在としたが、慧可以降は実在したと考えていいようだ。彼の過激な思想はかつての会報で紹介したが、再録する。

8)善惡を超える思想の危険性 http://www.eonet.ne.jp/~sansuian/zen/eka3.html

 空思想の「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」「煩悩即菩提」は、文字面 を受け取れば、煩悩をそのまま涅槃とする悪い現実肯定となる。それを回避しようと、事に即して経験することを強調した慧可であるが、観念によって引き起こされるあらゆる感情を「自心現量 」として斬って捨て、時間的統覚を否定する時、それは因果の撥無になりかねず、さらに分別 による二見を超えることも、一歩を誤れば、善悪双方の肯定になり、全てが許される自由へとエスカレートしかねない。次の説示はそのような危惧を抱かせるのに充分である。

十九「燃し、法仏、法僧に依って行道する時は、善惡好醜・因果 是非・持戒破戒等の見有ることを得ざれ。・・・・若し、人、戒を破り殺を犯し、淫を犯し盗を犯して、地獄に堕することを畏れんとき、自ら己れの法王を見れば、即ち解脱を得ん」。

 たしかに罰を恐れて、戦々兢々としていた心も、壁観に凝住すれば鎮まって安楽となろう。しかし、それは悪を止める力になるだろうか。また、すでに犯した悪はそれで果 たして清算されるのだろうか。さらに殺・淫・盗・妄語には、それによって深く傷付く他者がいる。その他者の問題はどうなるのだろうか。

 達摩の思想には、「我が宿殃にして、悪業の果 の熟するのみ」というように、自分の過去の罪とそれに関わる因果の論理が貫徹されていた。しかし慧可の場合は、宿業や罪という観念は、きっぱり捨てられている。

四一「痴人は亦た言う、我は罪を作れりと。智者が言う、汝の罪は何物にか似たる、と。此れは皆な縁より生じて自性無し。生ずる時に既に我無きことを知れば、誰か罪を作り、誰か受けん。経に云う、凡夫は強いて分別 して、我は貪り、我は瞋恚すという、是の如き愚痴の人は、すなわち三悪道に堕つ、と。また経に、罪性は内に非ず外に非ず、両つの中間に非ず、というは、此れは罪の処所無きことを明かすなり。処所無しとは、即ち寂滅の処なり。人の地獄に堕つるは、心に我を計して憶想分別 し、我は悪を作して我が受け、我は善を作して亦た我が受くと謂うに由る。此れは是悪業なり」。

 罪業の呵責は、たしかに過去に為したことに囚われた心の作用であろうし、その果 である地獄の苦しみを思い描くことも想像に過ぎなかろう。しかし、この慧可のように二見を持つことの方が悪業であるとまで説けば、悪因悪果 ・善因善果は否定されてしまう。次の言葉はそのことを危惧させずにはおかない。

十六「若し禁戒を犯したる時は忙怕せんも、もし怕るる心の不可得なるを知れば亦た解脱を得る」。

 これは文字通りとれば、戒律を無視することにもなりかねない。時あたかも戦乱の時代で、戦いのため、他者を殺し、傷つけ、あるいは物を奪って生きていかざるを得なかった人々が大勢いたに違いない。彼等は慧可の説くところを行じて安楽を得たかもしれないが、果 たしてそれが真の解決であろうか。

 自己(我)を幻とすることは、他者をも幻とすることである。自他を含む仏法のリアリティが慧可には言表されていない。もし敬虔な綿密な仏道としての日常生活を欠落させた時、慧可の説く道は因果 を撥無した無戒非道のあり方に堕さないであろうか。慧可は七仏通戒をも妄想として斬る。

五九「又た経にいう、一切の悪を断ち、一切の善を修めて、成仏することを得、と。答う、此れは是れ妄想して自心に現ずるのみ」。  禅宗が武人の宗教という趣きを呈するとき、その危惧はさらに増す。

 たしかに危険な思想だが、存在と当為、という概念を用いるならば、慧可は徹底的に当為を排除しリアルな事実だけを見つめている。人間以外の動物や草木鉱物には自意識がないために善悪という概念がない。慧可の悟りはその次元で語っているために一見危険のように思えるが、存在(万法)から文化のルールを斬り捨て自然の実相を見た場合、慧可の言葉は純粋理論としては正しい。この視座から見れば、アポリアの壁となった「自然の無関心」や、欄干の上をハイハイする赤ちゃんで例示した評価の差異は乗り越えられる。心も分別も幻に過ぎない(色即是空)のだから・・・。

問題はこの解説者が危惧するように、現実社会でそれが通用するかどうか、罪無くして死んだ人間やその縁者がそれで納得できるか、という感情や道徳(まさに当為と文化)の側面である。つまり人間は生きている以上、空即是色が常に着地点になるからだ。そこで、「無門関」の百丈野狐が意味を持つ。これもかつて会報で解説したが再度解説する。

百丈の野狐

百丈和尚、凡そ参(さん)の次で、一老人有って常に衆に随って法を聴く。衆人退けば老人も亦退く。忽ち一日退かず。師、遂に問う、「面前に立つ者は復た是れ何人ぞ?」

 

老人云く、「諾(だく)、某甲(それがし)は()なり。過去、迦葉仏(かしょうぶつ)の時に於いて曽(か)って此の山に住す」。因みに学人(がくにん)問う、「大修行底の人還って因果に落ちるや?」。 某甲(それがし)対(こた)えて云く、「因果に落ちず」。五百生野狐身(やこしん)に堕(だ)す。

 

「今請う。和尚一転語を代わって貴(ひと)えに野狐を脱せしめよ」。遂に問う、「大修行底の人還って因果に落ちるや?」。

 

師云く、「因果を昧(くらま)さず」。老人言下(ごんか)に大悟。

 

作礼して云く、「某甲(それがし)、已に野狐身(やこしん)を脱して山後に住在す。敢えて和尚に告ぐ。乞うらくは、亡僧(もうそう)の事例に依れ」。

 

師維那(いのう)をして白槌(びゃくつい)して衆に告げしむ、「食後(じきご)に亡僧(もうそう)を送らん」と。大衆言議すらく、「一衆皆安し、涅槃堂(ねはんどう)に又た人の病む無し。何が故ぞ是の如くなる」と。食後(じきご)に只だ師の衆を領して山後の嵒下(がんか)に至って、杖を以って一死野狐を挑出(ちょうしゅつ)し、乃(すなわ)ち火葬に依らしむるを見る。

 

師、晩に至って上堂、前の因縁を挙す。黄檗便ち問う、「古人、錯(あやま)って一転語(いってんご)を祇対(しつい)し、五百生野狐身(やこしん)に堕(だ)す。転々錯らざれば合に箇の甚麼(なに)にか作(な)るべき」。

 

師云く、「近前来(きんぜんらい)、伊(かれ)が与(た)めに道(い)わん」。黄檗遂に近前、師に一掌を与う。

 

師、手を拍(う)って笑って云く、「将(まさ)に謂(おも)えり、胡鬚赤(こしゅしゃく)と。更に赤鬚胡(しゃくしゅこ)あり」。

 

この老人は慧可の思想のお手本どおり、悟れば因果律の束縛から逃れることが出来る、と答えたために狐に身を落とし5百回生まれなおしても人間になれなかったが、百丈和尚が「因果をくらますことは出来ない」と言うのを聞いて大吾したという話である。判断や道徳は幻だから因果律はない、と答えると現実社会では通用しない。しかし、因果律は絶対だというとアポリアを解くことは出来ない。だから「ある」とも「ない」とも答えず、「ごまかせない」と答えたところに妙味がある。

面白いのは若い黄檗が師匠に「もしあの老人が最初から因果をくらますことは出来ない、と正解を出していたらどうなったんですか?」と(わざと)師匠に質問したとき、師匠は「いいことを教えてやるからこっちへ来い」と黄檗を呼んで一発殴り「ここに達磨さんがいたぞ」と大笑いして拍手した、というオチである。

つまり、この野狐の話は百丈和尚の作り話で、因果に落ちるのも危険、因果に落ちないのも危険という両否定、言い換えれば色即是空空即是色の両肯定を面白おかしく説法したのだから、チャチャを入れるなよ、と解釈する以外にない。

善因善果悪因悪果は、逆に非常に危険な因果律である。原理主義の宗教の場合、言うことを聞かない奴(敵対者)は「野垂れ死にするまで攻め抜け」となりかねない。最後には「悪い奴は死ぬべきだ」となり、サリンを撒いたりヤクザに殺人依頼をしたり、あるいは電磁波や超音波などのハイテク機械を使って、人為的に因果律を完成させようとする。

例えば、過去の戦争で「正しいほうが勝った」事実が一度でもあるだろうか?戦争は双方の正義の定義の違いから生まれる以上、善悪は全く関係ない。鉄砲を持ったほうが勝ち、大砲、機関銃を持ったほうが勝ち、飛行機による爆撃が勝ち、結局国際法を無視した都市大空襲と原爆という非戦闘員の大量殺戮をした連合国が勝って、東京裁判で日本の行為は「悪」となった。これがリアリズムである。連合国から見れば、この歴史は「善因善果悪因悪果」の因果律通り、となるが、日本から見ればどうだろう?いうまでもない。現実を直視すれば「「善因悪果悪因善果」のほうが普通だと分かる。

ここで一般論として宗教の意義を整理することにしよう。宗教とは

1.悪いことをするとお天道様が見ていて罰が当たるよ、という道徳を強化するための戒め。条件反射に例えれば、道徳の条件付けの役割を果たしている。(人間は宗教の戒律がなければ共食いまでする野蛮な動物だった)

2.死の恐怖の克服。哲学と宗教の決定的な(構造的な)違いはここにある。永遠の生命を説かない宗教はない。基本的には輪廻転生(天国や浄土も一度だけの輪廻転生思想に分類できる)であり、禅は人それぞれだが、個我を消す訓練により万物と一体になることで乗り越える。あえて誤解される言い方をすれば、見性体験は「梵我一如」の感覚に非常に似通っている。

 

もちろんこれだけでなく、科学が未だ解明していない祈りの効果(解説がややこしくなるので省略する)や、前世や死後の世界の存在を科学によらず、総合的直観力で予測した部分もあり、一部の科学者はそれを実験により解明しつつある。

要するに、因果律の否定はニヒリズムや無秩序な世界を生み出し、その原理主義的肯定は必然的に敵対者への憎しみと殺人に直結する。だから「因果律をバカにしてはいけない」と中庸をとる、というのが「百丈野狐」の公案の優れているところである。とすれば、生悟り、独りよがりの悟りを示す「野狐禅」という言葉は本来は全く逆で、黄檗が見抜いたように野狐は、因果律の本質(嘘でも必要である、ということ)を引き出すための非常に優れた媒介であり、この野狐こそ方便の風を吹かせて如来の蕾を開かせた春風のような存在だと私は考えている。百丈和尚の作り話に登場するキャラクターとはいえ、凡人ではとても野狐のレベルにまで達することはできないからである。

もう直ぐ夜中の1時、明日は用事があるので、続きは遅れるかもしれません。この間にメルマガの紹介があるかもしれないことをお断りします。次回は「才能の問題」について話します。

 


「微笑禅の会ネット会報」新春特別号第2部(A)

2015年02月10日 | 微笑禅の会ネット会報

先ず会報が遅れたことをお詫びします。

多分この会報は今日一日では終わらないと予想されるので、夜中までに書いた段階で次回に回すことをお断りいたします。

①因果論の限界について

私が大学院の修士課程を修了して10年ほど郷里愛媛に妻子を連れて帰っていたとき、隣町に心療内科が出来ました。私は中学1年のときに太宰治の「人間失格」を読んだのをきっかけに重い不眠症になっていたため、高校を卒業してからは酒を飲まないと眠れなくなってアルコール性肝炎で苦しみ、その代わりに睡眠導入剤を処方されていましたが、地元の内科で処方されたハルシオン(金色)も効かなくなりました。冷蔵庫に数ヶ月分のハルシオンを寝かせて(横流ししたら一錠2千円で売れたそうです。売ればよかった、というのは冗談です)、また飲酒を始めたときその心療内科が開業したと聞いて受診したわけですが、医師は私の顔を見ただけで「鬱病です」と答えました(ベテランになると表情だけで病名が分かるそうです)。そこで薬の処方と共に4年間カウンセリングを受けました。

偶然、ユング派のカウンセラーの方で、非常に面白く効果的な治療をしてくれました。その人が最初に「私は因果律は無視し、結果的に鬱病が治る方法を使います」と言われたので、何故ですか?と聞き直したら「もしお母さんの眼の前で子供が車に轢かれて死んだとします。お母さんが鬱病になって、何故私の子供は死んだのですか?と聞かれたら、傘を差して歩いていたら風が吹いて車道に飛んでいったので、それを拾おうとしたときに車が走ってきたからです、と答えてもお母さんの苦しみは無くならないでしょう?」と答えられました。

これは非常に含蓄のある言葉です。以前のネット会報でも問題にしたように、フクシマの原発事故で多大な犠牲者が出ました。そこにはチンピラもあどけない赤ちゃんも、善人も悪人も様々な人間がいたのに、その人間の善悪に関係なく一気に津波が巻き込み亡くなられました。

私なりに解釈すると、善因善果悪因悪果の仏説は「自然の無関心」の前にあっけなく崩壊したわけです。車に轢かれた子供も、お母さんが「なぜそのときに風が吹いてきたのですか?」と聞いたら、「自然は人為に無関心だからです」で終わってしまいますね。因果関係を直線的に辿っていくとここで議論はストップします。アポリアの壁です。

ところが仏教は因果論を前提に成立しています。そもそも故・中村元博士によれば、釈迦は我々が思っているような人物ではなく後世に作られたイメージであり、教えも「執着するな」程度のことしか残していないわけですから、「聖徳太子はいなかった」というレベルで論じれば「お釈迦様はいなかった」と言ってもいいでしょう。大乗非仏説を持ち出すまでも無く、また「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」の教えさえ、伝説を元に展開しているに過ぎません。この仏教協会は日本人への愚民化運動ではないか、と考えたくなるほど無執着を説くので、だったらさっさと自殺すれば?と突っ込みたくなります。

余談はさておき、仏教の面白いところは大乗非仏説にもビクリともしなかった、つまり、教義が開放系になっているために、後世の僧侶の内証(悟り)がより優れていれば、全てを釈迦の教えとして自在に取り込んでいく力があったことです。ですからこれから使う仏教用語は現実の釈迦が説いたものではありませんが、所謂三身論を用い全てを仏説として述べることにします。

此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」からあの煩瑣な縁起説が展開していきました。法華経で言えば十如是がこれに当たります。余りに有名ですが、天才翻訳僧・鳩摩羅什が幾つかの文献を元に創作した部分です。漢訳だと以下の通り。

仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。

ラフに現代語にすれば

「私が最後に分かったことはとても難しく悟った者同士にしか理解できない。宇宙の真理とは、あるモノがある性質を持ってある形をとってある潜在能力を元に動き始めたとき、それが原因となり、さらに副次的原因を巻き込み、ある結果が生まれ、また副次的結果に広がる。この一連の因果の連鎖は全て一つである」

とでもしておきましょう。これを天台大師は「空・仮・中」の三諦(さんたい)から解釈するために日蓮宗では如是相以下を3回読み直します。

では、これが完全な因果律か、思考実験をしてみます。目の前で赤ちゃんが橋の欄干の上をハイハイしている。危ない、と思ってその子供を橋から下ろしてあやしてる人がいたとします。普通なら親に感謝され、それを見ていた他人に、よくやった、と褒められるでしょう。しかし、偏屈な親だったら「余計なことをするな。運動神経を鍛えているんだ」と文句を言われるかもしれないし、見物している人の中には「フン、偽善者め」と罵られるかもしれません。だから「因果」ではなく、「因縁果報」という副次的な要素を残している、と私は考えます。

以前私は「稲を植えて麦が育つか。ヒマワリの種を蒔いてバラが咲くか」と語っていましたが、水害や冷害にあえば何も育ちません。突然変異もあるでしょうし、放射能の影響でとんでもない奇形植物が生えてくるかもしれません。

ここから禅の話に移ります。禅の系譜も非常に曖昧で一応「伝説時代」として

釈迦摩訶迦葉阿難陀-商那和修-優婆毬多-提多迦-彌遮迦-婆須密多-仏陀難提-伏駄密多-波栗濕縛-富那夜奢-阿那菩底-迦毘摩羅-那伽閼刺樹那-伽那提婆-羅睺羅多-僧伽難提-伽耶舎多-鳩摩羅多-闍夜多-婆修盤頭-摩拏羅-鶴勒那-獅子菩提-婆舎斯多-不如密多-般若多羅-菩提達磨

となっており、インドから中国へ禅宗を伝えた達磨は釈迦から数えて28代目、5世紀から6世紀の人物とされていますが、150歳で亡くなったとか、座りすぎて手足が腐った(普通なら化膿して長寿は無理でしょう)など、歴史学としての真実性は疑われています。

 

さて12時を過ぎました。続きは明日にします。

 

 


「主権回復を目指す会」のメルマガ紹介など

2015年02月08日 | 世直しのためにどうすべきか

先ず、「微笑禅の会」の皆様へ。

ネット会報の第二部が遅れています。今の私は、住み込みの家政婦さんとアシスタント、そして顧問弁護士が一人ずついてやっと思い通りの活動が出来ることを一人でこなしています。これ以上ハードワークを続けるとまたダウンする可能性があることをご理解下さい。私自身も要介護1、自分の親ぐらいの年齢の人達に混じってリハビリをしている状態です。多分明日か明後日にはアップできると思います。

メルマガ紹介の前に。これまでは記事内容をベタ張りしていましたが、きっかけは当時使っていたノート型パソコンのUSBが故障してしてマウスが使えなくなり、タッチパネルで操作するしかなくなった時からでした。読者の皆様にメルマガのアドレスをクリックしてもらったほうが、ブログランキングも上がり、他の記事も読むことができるので、今後、例外は除いて、私の感想等を書いた後はアドレス(url)を貼ることにします。

西村さんの記事は戦後70年の安部談話に関し首相自身、「村山談話と河野談話を全体的に引き継ぐ」と発言したことに対して、保守陣営が何故怒らないのか、との疑問を呈されたものです。特に保守系のオピニオンリーダー・櫻井よしこ氏すら「曖昧主義」の立場を取っていることを問題にされています。櫻井氏の主張は、「「(朝日新聞などから)村山談話や河野談話の文言を引き継げという声がある。だが私はむしろ、(撤回・否定しないで)両談話の曖昧さや誕生にまつわる疑問を安倍談話で乗り越えるのがよいと考える」というものです。

まだ談話は出されていないのではっきりとしたことは言えませんが、以前も書いたとおり連立政権を組んでいる公明党は河野談話を支持しているので玉虫色(曖昧主義)なる可能性が強い、と予想しています。

私が読んだ限りでは櫻井よしこ氏が自分の言葉で創価学会を批判したことは一度もありません。むしろ持ち上げていると受け止められる文章を書く一方で宗教が政治に絡むことを批判するという、まさに曖昧主義の人です。

結局、テレビ文化人と言われている人たちはマスコミのタブーを破る発言が出来ない仕組みになっている訳です。官房機密費からテレビに出る政治評論家に盆暮れに5百万が渡されているという衝撃的な記事があります。田原総一郎だけは受け取りを拒否した、と書いてありますが、田原氏は言わずと知れた創価学会の広告塔ですから最初から必要ないのでしょう。この記事では特に三宅久之氏を批判していますが三宅氏は例のごとく顔を真っ赤にして創価批判をしたことがあります。こういう批判的な陣営にこそ機密費を配るのが効果的だということは誰でも分かりますね。http://www.asyura2.com/10/senkyo85/msg/517.html

また別のサイトには、創価学会が直接テレビ文化人を金で篭絡している実体(名前と方法)が暴かれています。ぜひ一読してください。田原総一郎の他、実に多数の人々が創価の提灯持ちになっていることが分かります。http://blog.goo.ne.jp/sora559977/e/9eac7091469ae0dab09b5d1b71d4d3c0

そういうわけで櫻井氏と言えども、テレビに出ている限りは曖昧主義の発言しか出来ないわけです。あれぐらい有名になればtテレビから引退して出版物やブログで本音をズバリといえばいいのに、と思いますが何か理由があるのでしょう。真相は皆さんで調べてください。

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櫻井よしこ氏の「戦後70年談話」の擁護を糾す
http://nipponism.net/wordpress/?p=30184

【参考】『自らの力で自らを守る』【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】
   http://www.sankei.com/politics/news/150202/plt1502020002-n5.html

 

 


呉竹会より

2015年02月03日 | 世直しのためにどうすべきか

ついさっき「主権回復を目指す会」のメルマガ紹介を終わり、少し体を休めているうちに大事な用件を思い出しました。

以前、呉竹会の機関紙「青年運動」を紹介しました。自民党は創価学会=公明党への依存をやめ次世代の党と連帯すべきである、との趣旨です。

その際、第43回アジアフォーラムのお知らせをしようと思っていたのですが、指定された呉竹会のHPを開いたところまだ作成されていなかったために、後日にまわしました。ところがつい先日届いた入場券を見たところ、アジアフォーラムは何と明日開催されます。そこで慌てて参加を呼びかけるものです。

日時:2015年2月4日 会場17時30分 講演開始 18時00分

場所:市谷 アルカディア(私学会館) 6階いぶき

会費:大人2000円/学生無料/会員・招待チケット贈呈 (二次会詳細未定 会費5千円程度)

講師:平間洋一(元防衛大学教授)「大アジア主義・西洋列強との戦い」

第2部:シンポジウム「軍とは何か」

パネラー:平間洋一 頭山興助 

コーディネーター:藤井厳喜

___________________

以上です。

チケットが届いたのは昨日のような気がします。スタッフの皆さんはボランティアで働いているのでHPにしても新聞の発行にしてもギリギリになっていることが伺えます。そこでボランティアで諸作業を手伝える人も募集します。

私は明日は法廷闘争(になるかもしれない事前準備として)カルテの開示に出向くほか、諸用が溜まっており、まず参加できないでしょう。残念ながら未だ午前中から動き回って所用を済ませ市谷まで電車で往復出来る体ではありません。もし、八王子在住でアジアフォーラム参加希望者がいらっしゃれば、ブックマークから「ロータス人づくり企画」をクリックして電話を下さい。、時間の調整が上手くつけばチケットを差し上げます。(外出時には留守電モードになっていますのでメッセージと電話番号を入れて置いてください)

ともかく、多くの、特に若い人が集まり、日本の行方と大アジア主義の理想を学び、二次会で直接質問をぶつけて下さい。盛況をお祈りいたします。

 


前置きと共に。「主権回復を目指す会」より、酒井信彦の日本ナショナリズムなど

2015年02月03日 | 世直しのためにどうすべきか

先ず、「微笑禅の会」の代表として、前回、ネット会報の第2部を1月中に発表すると書きましたが、論文の校正や市民運動の手伝いなどの締め切りが2月初旬に重なり、さらにプライベートな部分でもハードワークが続いているために延び延びになっています。なるべく今週中に書こうと思っています。以上、お詫びいたします。

次いで西村さんからは数日前、イスラム国というテロ組織に人質になった2人に対する徹底的な「自己責任論」のメルマガが届いていました。これは私の持論とは対立するものでした。対立の理由は、西村さんがマスコミの同情論を世論として受け止めて、その世論を「偽善」と断じ「自己責任だから殺せばいい」と論じているのに対し、私はfacebookを中心としたネットユーザー意見を世論として受け止めていることの違いから生まれたものです。つまりfacebookなどの世論の99%は西村さんと同じように「敢えて危険を犯して人質になった愚かな2人はさっさと殺してしまえ」という意見だったのです。

一方私は「人質がイスラム国と内通して日本に揺さぶりをかけているケース」以外は、どのように愚かで無謀な行動であっても、国家として全力で救出すべきである、と考えていました。「善人なおもて往生す。況や悪人をや」の思想です。そこで西村さんと私の立論の違いを丁寧に説明して紹介しようと推敲していたところ、昨日の報道では残念なことに湯川、後藤氏とも殺害されたようです。これで2人が内通者でないことが明白になりました。心より冥福を祈ります。

また、イスラム国と名乗るテロ組織に対しても、日本はアメリカに追従するだけでなく、白人支配に抵抗してきた同じ有色人種として歴史認識を共有し日本独自の外向手腕を発揮すべきべきである、と考えています。

毀誉褒貶の多い人ですが、ねずさんこと小名木善行氏のブログ「ねずさんの ひとりごと」は事実である以上、参考するのに何ら問題は無いでしょう。http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2526.html ここに書かれている中山恭子(当時大使、現在は次世代の党参院議員)のような人材がいなかったのが今回の事件の最大の不幸でした。

ネットユーザーの動向を見ていると正直複雑な気持ちになります。それは日本人が非常にファナティックな民族であるということを痛感させられるからです。ある事象を見るには複眼的思考が必要なのですが、余りにも短絡的でメダカの学校のように集団で右往左往し、一見同じことを主張していても根本にあるものが相当違うように思えてきます。

「西へ行く人を慕いて東行く  心の底で神や知るらむ」

簡単ですが、以上で前置きを終えます。

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酒井信彦の日本ナショナリズム

<すでに完成した日本の精神的植民地化> 酒井信彦
http://sakainobuhiko.com/2015/02/post-268.html#extended

※『月刊日本』の本来のタイトルは「精神的植民地化を許すな」ですが、ブログ管理者の判断で「すでに完成した日本の精神的植民地化」と換えています。なお酒井先生からは、「このタイトルは月刊日本によるもので、私の主張は、日本はすでに立派に精神的植民地になっているというものです」とのご意見を頂いています。


   精神的植民地化を許すな(酒井信彦) 『月刊日本』2015年2月号 羅針盤 2015年2月22日
 
朝日新聞の慰安婦記事取消問題について、十二月二十二日に第三者委員会の答申が報告され、二十三日の紙面で大々的に報道された。特に注目された「国際社会に対する影響」については、両論併記ならぬ三論併記で、その一つには、影響を否定する意見が堂々と提示された。
それは情報学者・林香里によるもので、欧米と韓国の慰安婦報道の数量分析により、朝日の影響は認められないとするものであった。明らかに予想されたことは言え、また見事な誤魔化しを行ったものである。


慰安婦のみならず歴史問題全般について、朝日の貢献は極めて絶大である。歴史問題の端緒である、一九八二年の第一次教科書事件において、日本のマスコミが誤報し、中共・韓国の抗議で国際問題化し、その不当な要求に日本国政府が屈伏するという、メカニズムが作動した。以後、第二次教科書事件、靖国参拝問題、慰安婦問題と、全く同様のメカニズムで経過し、歴史問題は何度も蒸し返されて、そのたびごとに反って深刻化してきた。しかも朝日が日本の「クオリティーペーパー」だとの虚名は、世界的に流布している。

最近、朝日問題に関して朝日を擁護する人間は、「朝日バッシング」と頻りに言っている。バッシングと言えば、「ジャパン・バッシング」は日米経済関係において使われたが、日本の歴史問題こそ、不当極まりない「日本バッシング」の最たるものである。歴史問題とは、シナ人・朝鮮人による、日本に対する甚だしい誹謗・中傷であり、偏見・差別・迫害に他ならない。ヒストリカル・ハラスメントである。経済問題すらバッシングと表現したのに、歴史問題をバッシングと認識できないことは、現在の日本人が如何に馬鹿になってしまったかを、良く表している。

シナ人・朝鮮人が、歴史問題による日本攻撃を止めないのは、すっかり味を占めてしまったからである。しかもシナ人朝鮮人の手先になって、日本攻撃に熱狂する日本人が生息するからである。歴史問題を利用して日本を貶めることによって、自分を良心的人間と認識したいという、全くネジまがった正義感に酔い痴れた日本人が、大量に存在している。私はこれらの日本人を、反日日本人ではあまりにも生ぬるいから、「虐日日本人」と呼ぶことにしているのは、本欄で何度も指摘してきた。

中共の支配者にとって、この虐日日本人ほど重宝な、貴重な存在は無い。日本の過去を攻撃し続けることによって、中共政権で行われた、文革大虐殺に代表される、膨大な犠牲者を出した血塗られた歴史を封印できる。またこれら虐日日本人は、同時に反戦平和主義者でありながら、現実に進行する中共の膨張主義・侵略主義に対しては、全く盲目である。つまり彼らは日本の過去を、口先とは全く逆に、少しも反省などしていない。本当に反省していたら、現実に展開されている中共の侵略・虐殺行為を、黙って見ていられるはずがないのだ。

それにしても、日本人のやられ方は、真に無様そのものであり、実に醜態極まりない。なぜなら、中共は現実の侵略国家であり、シナ人は侵略現行犯民族であるのに、その中共のシナ人に、日本は過去を反省していないと罵られ、現在世界第二の軍事大国から、危険な軍国主義だと攻撃されているからである。また韓国という現実の売春大国から、慰安婦問題で非難されている。この有り様は、日本民族として屈辱そのものであると言わなければならない。

それに対しいくらでも材料があるのに、日本は積極的な反撃が全くできていない。産経新聞は最近になって「歴史戦」と言い出しているが、日本人はすでに精神を侵略されているのである。日本はアメリカの軍事植民地であるだけでなく、米中共同の精神的植民地と言えるし、それに韓国すら参加している。慰安婦を性奴隷と言われることによって、日本人そのものが精神奴隷にさせられているのである。

つまり朝日に代表される虐日日本人は、日本の精神的植民地化の手先であり、これこそが内部の敵、民族の裏切り者なのである。明らかに売国奴・亡国奴であって、日本の歴史に出現した最悪の人間類型であると言って、全く過言ではない。

我々は国家意識・民族意識、すなわち大和魂を骨抜きにされた、精神奴隷であるという、この冷厳な現実を直視しなければならない。要するに、我々が成さなければならないのは、大和魂の復活・再生である。それは精神の独立運動であり、精神奴隷からの奴隷解放運動である。