景虎

DUFOUR 325

博物館見学

2016-03-12 16:18:53 | Weblog

日本人経営のカープレストラン

パラオ人酋長の集会場 入り口が低く作って有るのは頭を下げて入場する為

パラオ高校(旧日本建築の昌南クラブ)

旧日本の裁判所 

昨夜は角田さんに教えて貰ったカープレストランで夕食。広島出身の女性が経営者でフィリピン女性二名が接客。彼女達も日本語は達者だった。壁には広島カープのカレンダーが、暖簾はヤマサ醤油、この日オーダーしたのは牛肉と野菜炒め($7),オムライス($7),シャコ貝の刺身($7),と安くて美味しかったがシャコ貝は完全に外れ、固くて生臭くて誰も手を付けずやむなく持ち帰ったが冷蔵庫が臭くなるからと結局魚の餌に。

12日、Barry&Maryanneは博物館に興味無いと言うので一人で自転車で出掛ける。此処で使っている米ドルは私が持参した10万円分のみの為、米ドルが欠乏してきた。タミーに博物館入場$5ドルと聞いていたので$18持参で二つの博物館を回る積もりでいたがお金が足りず結局、ひと館見学。

考古学的にはパラオ人の発祥は分からないらしいがフィリピン、フィージーなどメラネシアン系だそうだ、1400年頃にスペインに領有されその後ドイツに売却。
第一次世界大戦後に日本が統治、1914年~1945年迄、日本の南海諸島統括本部が置かれパラオ人6000人に日本人は16000名も住むようになり日本語教育、やインフラ整備、経済発展、政治統制等を行ったが第二次世界大戦で敗れ米国の統治下に置かれ1994年に自治領になった歴史が分かった。今居る韓国人の多くも当時日本人が連れてき子孫だそうだ。

ドライブ中に見掛けた高校の門が灯籠の様になっていたが、此は当時日本人の娯楽施設として建築された昌南クラブ跡だった事や当時の裁判所の建物が今でも活用されている事に驚かされる。

そう言えばタミーがドライブ中に聞いていたCDに小さい頃聞き慣れていた日本の歌謡曲(口ずさめるが歌詞、曲名は思い出せず。)のメロディーが流れていてこの曲のオリジナルは日本の歌謡曲だよと伝えたが、此はパラオの昔からの曲だと言っていた。31年間の日本統治の歴史は今でも脈々とパラオに流れて居る事を実感。