ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

百日紅の木のこと。

2012-07-21 11:40:01 | Weblog
 我が家は玄関を出て、わりと傾斜のある坂を上がって上の道路(R257)に接します。
 車は家の左脇の車庫(屋根のみ)からその坂を真っ直ぐに上って行きます。

 さて、その坂の登り端、左側の隣家の石垣に接したところに、何年か前から百日紅が自生して、枝葉を伸ばしてきました。
 今年はゆうに私の背丈を越えて、かなりの花芽をつけたのですが、いざ花を咲かせて見ると、その重みに耐えられずかなり前のめりになりました。そこへ持ってきて雨風を受け、まるで謝罪会見する人のような格好でお辞儀してしまったのです。
 車を通過させるたびに枝葉は擦れ、花を散らせてしまいます。

 今朝方雨の降る中、私はその百日紅を立たせるべく、添え木などして補強しようと行動に出たのですが、葉裏に潜んでいた毛虫の類に、掌・手首首周りのあたりを刺されてしまいました。
 まるで擦り傷のような、火傷のようなピリピリ感が今もあります。これがだんだん痒みにかわっていくのでしょうか?

 前にも梅の実の収穫時に同じように体中が赤く腫れ上がったことがありましたが、今から思うとあれも毛虫の所為だったのかと、思い当たったしだいですが、気付くのが遅いですね。

 実は百日紅の木は我が家の庭にも2本あったのでしたが、昨年一本を移植して枯らしてしまい、今は1本きりです。

 梨木香歩著「家守綺譚」には、嫉妬深い精の宿る百日紅が登場しますが、もし庭の木々たち植物たちにみんな妖精のようなものが宿っていて、おしゃべりなんかし出したら大変でしょうねえ。

 けれど、植物には植物のその場所に生息しようとする「意志」のようなものがあるということは感じないわけにはいきません。人の手によって植えられたものと、自生したものとではその生命力、そこに生きようとする力の漲り方が違います。

 一昨年切られた柿木は二箇所に芽吹きを見せて、枝葉を伸ばして子孫を地上に立たせました。
 前にも、むくげが1本枯れたのですが、するといたるところにむくげが芽を出し、かなりの本数を間引きしましたが、それでも数本が枝葉を伸ばして白い花を咲かせています。
「石にかじりついてでも・・・・・・」という言葉がありますが、「石」は「意志」に通ずるもののようです。

 ちなみに枯れてしまった百日紅の木は、庭の奥まったところで、今朝顔のネットを支える支柱として、左側を支えています。