第144回芥川賞受賞作「きことわ」を、約2年遅れで読みました。
今回の上半期で147回でしたっけ? 今回も女性が直木賞もともに受賞していましたね。
今や女流作家なる語が死語にも近いものになり果せた、と私は思います。
女流ということばには、どこか男性作家を主流に考えて、女性作家を傍流のように扱うニュアンスが匂いしれるのですが、最早現代は女性作家が主流のように思えるからです。
こんなことを言ってはなんですが、近頃の芥川賞でも直木賞でも、女性作家の書いたものの方が俄然面白いし、中味も深い。
なんていうのも、私自身男性でありながら、左脳の人ではなく、右脳人間だからかもしれません。
女の人の目を通して見る世界は、断然男の目を通して見る世界より面白いのではないか? 私にはどうしても、そうとしか思えないのです。いや、もちろん男性作家さんでも好きな方はたくさんいます、例外的なことも多々ありますけど、まあ最近の傾向としてということです。
こんなことを言うと、同性諸氏から反感・反撥を喰らうかもしれませんが、もし女性作家の作品をあまり読んだことがないという男性諸氏がありましたら、どうぞ一度読んでみていただきたい。
今日表題に掲げた朝吹真理子さんの「きことわ」そして、もう一作「流跡」という作品もありますが、ちょっと違う世界を味わえます。
読まれて「何が面白いの?」といわれてしまったら、その時はあきらめます。
まあ本来、男だ女だなんていっていること自体が、もう古いのかもしれませんね。そんなこと関係なく、面白いものは面白い。それはその面白さの質の問題で、あまり性別とは関係ないのかもわかりません。いや、そうですね。失礼しました。
この小説に登場する貴子(きこ)と永遠子(とわこ)の織り成し、生み出す時間は、これはしかし男性作家にはどうにも描き出しようのないものなんじゃないかと、私はやはり思ってしまいます。
そして何より日本語が美しい。美しいということは計り知れなく、良いことです。
今回の上半期で147回でしたっけ? 今回も女性が直木賞もともに受賞していましたね。
今や女流作家なる語が死語にも近いものになり果せた、と私は思います。
女流ということばには、どこか男性作家を主流に考えて、女性作家を傍流のように扱うニュアンスが匂いしれるのですが、最早現代は女性作家が主流のように思えるからです。
こんなことを言ってはなんですが、近頃の芥川賞でも直木賞でも、女性作家の書いたものの方が俄然面白いし、中味も深い。
なんていうのも、私自身男性でありながら、左脳の人ではなく、右脳人間だからかもしれません。
女の人の目を通して見る世界は、断然男の目を通して見る世界より面白いのではないか? 私にはどうしても、そうとしか思えないのです。いや、もちろん男性作家さんでも好きな方はたくさんいます、例外的なことも多々ありますけど、まあ最近の傾向としてということです。
こんなことを言うと、同性諸氏から反感・反撥を喰らうかもしれませんが、もし女性作家の作品をあまり読んだことがないという男性諸氏がありましたら、どうぞ一度読んでみていただきたい。
今日表題に掲げた朝吹真理子さんの「きことわ」そして、もう一作「流跡」という作品もありますが、ちょっと違う世界を味わえます。
読まれて「何が面白いの?」といわれてしまったら、その時はあきらめます。
まあ本来、男だ女だなんていっていること自体が、もう古いのかもしれませんね。そんなこと関係なく、面白いものは面白い。それはその面白さの質の問題で、あまり性別とは関係ないのかもわかりません。いや、そうですね。失礼しました。
この小説に登場する貴子(きこ)と永遠子(とわこ)の織り成し、生み出す時間は、これはしかし男性作家にはどうにも描き出しようのないものなんじゃないかと、私はやはり思ってしまいます。
そして何より日本語が美しい。美しいということは計り知れなく、良いことです。