瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

昨日の夢

2010年01月20日 | 夢日記
◆昨日の夢
痛々しいほどに弱く甘えんぼの少年は、妻の子供でありながら、私には見知らぬ少年であった。私が知らなかったのは当然で、それは私が自分の心の奥底に隠していた自分自身だったからだ。初めて出会ったその少年を、しかし私は好きであった。そういう少年を何とか支えたかった。私は、そういう少年の姿の自分自身を、拒否せずに受け入れる準備ができたということなのかもしれない。

人が自我という殻をもつかぎり、その殻におさまりきれない真実の自分は抑圧される。自我とは、小さな殻におさまりきれない心や命の深さを、どこかで遮断するための装置だとも言えるだろう。自我という殻が存在するかぎり、抑圧された無意識も存在する。悟りとは、心のなかの一切の抑圧が、かぎりなく解放されたあり方だ、といえるかも知れない。逆に言えば悟りは、自我という殻が溶解することでもある。


瞑想も、そして恐らく断食も、自我の殻によって遮断された一切を解放する方法のひとつなのだ。

◆最近、心がけていること
瞑想や断食はいうまでもないが、机やパソコンに向かったりしていて、眼や頭が疲れたり、集中できなくなったとき、すばやく立って、呼吸法やゆる体操、気功などを効果的に取り入れるようにしている。気功は自発動気功が中心だ。また、家に持ち帰ったやるべき仕事をぐずぐず先に延ばす悪いクセがあるので、気がついたらたとえ数分でもいいから、とにかくとっかかって見るということを心がけている。やり始めたら意外と面白かったりする。

朝食はいつも食べないが、今日は昼食も抜かした。そのまままた一日半断食に入ろうかと迷ったが、夕食は食べた。明日から明後日にかけてまた一日半断食を入れたい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 断食と夢 | トップ | 一日半断食 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

夢日記」カテゴリの最新記事