瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

それぞれが等価に

2005年05月16日 | 瞑想日記
今日の準備やら何やらで寝たのが3時過ぎだったが、日曜日は9時間も寝たので調子よく目覚める。昼食は、野菜サラダやほうれん草のごま和えなど野菜だけを軽く食べる。一日快調であった。昼を食べるのと抜くのとを一日おきぐらいにやっていこうかと思っている。帰宅後軽く自発動気功のあと、瞑想15分くらいか。瞑想の中で自分の弱さを防御して無理をしていた(今もしている)自分を感じていた。

そのあと、夕食の用意。妻が午前中にほとんど作ってあったカレーにナスを入れ、ルーを加える等々。最近、ますます家事に時間をとられるが、それがあまり苦にならない。たとえば本を書いていた頃などに比べると、どうしてもこれをやらなければというのがないので、家事に時間をとられても、パソコンに向かう時間が少なくなっても、ほとんど気にならない。ただ、次はこんなものをまとめて行きたいという構想はいくつかもっている。それも時間がゆるす限りでやっていけばよい。

昨晩から、息子のことで少し心を痛めていた。職場でもときどきその痛みがよみがえった。その気持ちにサティは入ることが多かった。そんな中で、家事だけではなく、家族とのかかわりの姿勢がかわりつつあると感じた。瞑想も、小食も、自分の探求の過程を文章化することも、家事も、家族ともかかわりも、仕事も、それぞれが等価に自分の前にあって、とくに何かに執着するということが少なくなっているような気がした。