瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

いくつかのこと

2005年02月19日 | 瞑想日記
いくつか、気になっていることなどを書いておく。

◆ユダヤ人の歴史
エポケー:読書日誌に反のユダヤの深層心理という書き込みを続けていた。これは今中断しているが、まだ終わってはいない。最近ユダヤ人関係の本に俄然関心が強くなっている。昨日、大澤武男の『ユダヤ人とドイツ人』を読了。今ドイツといわれる地域にはローマ時代からユダヤ人が住みつき、その後もドイツ人と深いつながりを持ちながら、しかも過酷に差別されて生きてきた。宗教改革のルターさえもが、強い反ユダヤ的な態度をもっており、その流れがナチスの時代に爆発する。ユダヤ人問題は、まさにヨーロッパの歴史を通じての「影」であり、人間の「業」の深さを歴史上にこれでもかというほどに刻み付けた問題である。ユダヤ人問題には、これからもずっと関心をもち、こだわり続けることになるだろう。

◆根本的な生存欲の滅
コメントにも書いたが、16日付けの「曖昧さのままに」は、たまたまコメントができないモードにするのを忘れていたら、コメントをいただいた。仏教の生存否定論は、わたしにとってそれだけ大きな問題だということかも知れない。輪廻の究極の原因は、欲望ではなく、そのさらに根元にあり、ふつうの人間が自覚すらできない根本的な生存欲(=渇愛、癡[迷妄]、無明)であると見て、それを智慧によって滅ぼし、苦である輪廻的な生存を終結させる。やはり、これは生存否定論と言わざるを得ない。

ブッダがそういう教えを説いていたということは、かなり確かなことなのだろう。それに対して私たちはどのような態度をとっていくかは、もちろんひとりひとりにまかされるわけだが。