日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

ルカによる福音書2:1-20  「キリストの降誕」

2016-12-27 16:37:59 | フォトギャラリー
マリアは月が満ちて初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。

ルカによる福音書 2:6-7

イエス様はベツレヘムというところでお生まれになられました。ベツレヘムとはパンの家という意味があります。飢えた人を養う救い主としてお生まれになったのであります。
その主イエスがお生まれになったところはベツレヘムのお城や御殿ではありませんでした。又王女からお生まれになったのではありません。貧しい少女マリアからお生まれになりました。
宿屋は満員であったので、イエス様がお生まれになったのは家畜小屋でありました。家畜小屋の香り、牛や馬の鳴き声、冷たい隙間風の中にイエス様の産声が上がったのであります。静かな夜の誕生です。
 「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」
 どうして宿屋に泊ることができなかったのでしょうか。救い主の居場所がなかったのでしょうか。住民登録のために帰郷した人々で満室だったからでしょうか。いくら満室でも、身重で出産間近の女性を見た時に、一部屋だけでも空けて、いたわる気持ちはなかったのでしょうか。人々は自分たちのことで精一杯でしたし、宿屋も他の客を追い出してまで、身重の女性を迎えることはできなかったのです。
 救い主の居場所は家畜小屋の飼い葉桶の中です。何という誕生でしょうか。しかしここに、私たちへのメッセージが込められています。人々が「汚れている」と思っているその場所にこそ、救い主イエス様はおられるのです。
の一般の人々の家屋というのは、入り口から続く土間が、家畜の小屋を兼ねていたそうです。居住スペースである座敷から下りたところに土間があり、そこに牛や羊などの家畜を休ませていたそうです。座敷が人でいっぱいだったので、マリアとヨセフと赤ちゃんのイエス・キリストは家畜たちがいる土間で夜を明かしたのだということが考えられます。または、当時は洞窟が家畜小屋に使われていたことがあったということで、イエス・キリストがお生まれになったのは洞窟だったのではないか、という説もあります。いずれにせよ、人が寝起きする座敷ではなく、家畜小屋でイエス・キリストは誕生した、ということになります。
救い主が立派な宮殿ではなく、家畜小屋でお生まれになったと記されているところが心に残りますね。
そこは暗く、汚れた場所で、暗い、醜いところでしょう。しかし、そのようなところに人が立たされた時こそが、救いが必要となるのではないでしょうか。

真っ暗になった時、手探りで懐中電灯を探します。ロウソクの小さな灯りでも、とても明るく感じるものです。小さな光でも、光があったら、もうそれは闇とは言いません。闇が光に打ち勝つことは出来ないのです。
アドベントは単なる準備期間ではなく、信仰者が自信に内在する罪と向き合い、その闇を認める時です。そして、神様の憐れみによって救われることを喜び祝うのがクリスマスです。
誰にも言えない悩み、死への恐れ、そして、神様の御心に反する罪、そういった暗い闇が心にあるとき、私たちは明るく生きることが出来ません。
イエス様の光は、その心の闇を照らします。その光は闇に飲み込まれることはありません自分の闇を認めて、悔い改めて、神様にお詫びし、またお救いになられる神様にゆだねる時、人は新しくされていきます。
この真の光は、その人の心を新しくして、造りかえてくださるのです。光は闇に打ち勝つからです。
 一番汚れているのは家畜小屋でも飼い葉桶でもなく、私たちの心の闇、絶対に他人には知られたくない「罪」ではないでしょうか。その罪を背負い、十字架にかかるために救い主は来られたのです。
 飼い葉桶は汚れていますが、幼子イエスを迎える時に、マリアとヨセフによって、それは洗われたことでしょう。
 また、赤ちゃんを心に迎えるために、わらをひきます。わらがひかれると、温かく、癒やされます。そんなわらのような心になれればいいですね。
 イエス様を心に迎える時に、愛のわらが少しずつ増えていきます。 
愛のわらが一本ずつかもしれませんが、確かに増えていきます。家畜小屋でお生まれになったイエス様は、わたしたちの愛のわらを増やし、それを引き出す力を持っておられます。
 光となって来たりたもうイエス様に感謝して、心にお迎えする時、心の中の愛のわらは増えて、ふかふかで温かいベッドのようになります。それは、イエス様と人々に心地のいいものであります。

<中津における女性と子どもの活動レポート>マーサー  1901.1.10 中津      

2016-12-16 12:59:30 | 中津教会の歴史
<中津における女性と子どもの活動レポート>
 中津における女性と子どもの活動は、今までになかったほど良好である。10月の第2週に到着し、我々自身の家で日曜学校を開いた。その時には、キリスト教徒も、日本人の助力者もいなかったが、最初の日曜日に20人の子どもたちがやってきて我々は喜ばしく思った。その次の日曜日には、40人また次の日曜日には100人の子どもたちがやってきた。彼らは家から庭にまであふれでた。しかし、その時点までに、主は我々に、敬虔なキリスト教徒である宇野さんを送ってくださった。この人は、それ以来我々にとって頼りになる人となっている。年間平均して日曜学校には、70人近くの生徒がくる。我々が求めるものは、関心と宗規のみである。現在5人の熱心な教師が彼らの仕事にエネルギーと祈りを注いでおり、日曜学校の勉強のため、週1回会合を持っている。この会合は、教師にとってのみならず、生徒の増加している関心の点でも最大の利益となってきている。以前は、取るに足らない話もなされていたが、今ではわり当てられた時間内で重要な真理を全部取り入れるのがやっとのようである。
 十二月までバイブルウーマンがいなかったため、通常の女性会活動を、この後すこししてから開くことができた。ゲインズさん(女性)は多くの犠牲を払って、我々にとって最高の援助者となるセッキさんを紹介してくれた。彼女は幼稚園の熟練教師で、我々と四ヵ月間いっしょにいた。彼女にとっては、直接的福音伝道活動は、今回が初めてであったが、彼女の如才なさと献身によって、すぐに人々の心をつかんでいった。そのため、初めて女性会議を開いた時、二十五人程集まり、それ以来大勢の女性たちが出席している。女性たちにとって最善と思われるこれらの会合は、三週間に一度行われている。簡単な西洋料理や病人の看護、子どもの世話についての話のみならず、キリストの生涯についても教えてきている。
聖書の勉強会の中では、一年を通じて編物教室も開いている。約百人が教会を訪れており、週に四~五クラスで聖書教室を開いている。神の導きにより、全く耳が聞こえず目もほとんど見えないひとりの少女がきているが、今彼女は自分の母親を光の中へ熱心に導こうとしている。彼女の母親が言うには以前の彼女は自分の不幸な身の上でとてもつらかったが、今ではやさしく、忍耐強いよい子になったということである。またもうひとり別の婦人は、神経症を患っていたが、キリスト教を教えてほしいとやってきた。彼女は、自分が心の中に平和を受け止めることができるならば、病気を克復することができるだろうと信じている。
 彼女は、現在聖書の勉強をしており、我々は彼女が、そこに彼女の探しているものを見い出すであろうと信じている。我々の心と手が、これほどまでに満たされていたことは今までにはない。年間を通じての数々の成功は、キリスト教徒たちの小さなきずなに負っている。彼らは、キリストに対しての直接的奉仕として、あらゆることをできるかぎり手助けしてくれた。無知と無関心の中、ここで何年も働いてきたが、我々は今輝かしい日へのかすかな光りを見ることができるようになっている。そして我々は、この都市の女性と子どもたちが、暗やみの中から神のすばらしい光りの中へ連れ出されるであろうと確信している。
                                              1901.1.10 中津  

    

クリスマス行事のご案内

2016-12-15 10:46:08 | 行事のご案内
Merry Christmas


☆クリスマスキャロル (聖愛ホーム前集合)   12月20日(火)19時 
 事前のご参加予約をお願いします。中津教会にお申し込み下さい。締切12/15
☆子どもクリスマス (於 グレース保育園)   12月24日(土)10時    
☆クリスマス礼拝・愛餐会   12月25日(日)10時20分
☆燭火礼拝(キャンドルライトサ-ビス)  12月25日(日)19時 



士師記13章2節-18節「先駆者」

2016-12-14 09:40:29 | フォトギャラリー
サムソンが誕生する前に、彼の両親は神の使いを通して指示を与えられたと言うのです。「あなたは身ごもって男の子を産む。その子は胎内にいるときから、ナジル人として神にささげられているので、その子の頭にかみそりを当ててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう」(13:5)。

 ここで「ナジル人」という言葉が出て来ます。ナジル人というのは、献身の誓願を立てた人です。神に献げられた人として生きていく人です。詳しくは民数記6章に出ています。 ナジル人に求められていることは三つありました。まず、ぶどう酒などぶどうの木からできるものは食べないこと。第二に髪の毛を切らないこと。第三に死体に触れないこと。この三つを守る。それがナジル人です。
そのようにして神に献げられた者、神のものであるという自覚と意識を持つことが出来ました。
イスラエルが罪に陥りました。その結果、イスラエルはペリシテ人の手に渡されました。地中海沿岸の平野部に居住するペリシテ人は、イスラエルにとって宿敵でした。
 士師として、イスラエルをペリシテ人から救う役割を担うのが、サムソンという人物であります。その出生の様子が、バプテスマのヨハネの誕生と類似しています。
ヨハネも先駆者でありましたが、サムソンも先駆者でありました。ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者であると、5節で語られています。

サムソンは神さまに選ばれた人として怪力を得ます。この力を用いて先駆者として敵と一番に向かい合い後の人々を守りました。しかし彼は弱点がありました。髪を切ってしまうと怪力がなくなることと女性の騙されやすいことです。
人々はサムソンから守られ続けているうちにそれが当たり前のようになっていたのではと想像します。彼はずっと一人で戦いました。彼の弱さを補ってくれる仲間がいませんでした。
ローマ時代、王侯や高位高官のためには、先駆警士を付ける定めがありました。だれそれがお通りになります、と呼ばわって先触れし、道筋を整える役割です。
先駆者は人より危険で不安にさせるものに誰よりも先に近づいて、傷つき、後に続く者を守ります。
デリラの密告によってサムソンは頭をそられて力を失い、ペリシテ人の手に落ちました。彼は目をえぐり出されてガザの牢で粉をひかされるようになりました。

ペリシテ人は集まって、サムソンを引き出して見世物にしていましたた。しかしサムソンは神に祈って力を取り戻し、つながれていた二本の柱を倒して建物を倒壊させ、多くのペリシテ人を道連れにして死にました。

 サムソンはイスラエルの救いのための先駆者でありました。イスラエルを救うために
孤独の中で、傷つきながら敵と戦い、王政への道を整えていきました。
 それはダビデ王権を整えていく役割にもつながっています。そして、その家系からイエス様が誕生されました。
イエス様も洗礼者ヨハネという先駆者がいたと福音書は伝えています。わたしたちがイエス様に出会うにも先駆者がいると教えています。
わたしたちがイエス様にであった道は先駆者が切り開いてくれたものです。先駆者が先に行って傷つきながら切り拓いてくれた道です。
この道を備えて下さった、たくさんの先人達・先駆者がいたことに心から感謝を捧げたいと思います。


ミカ書4:7「もうすぐクリスマス」

2016-12-09 15:22:36 | 説教
「剣(つるぎ)を打ち直して 鋤(すき)とし
 槍(やり)  を打ち直して 鎌(かま)とする」
          〔旧約聖書 ミカ書4章3節〕

 
 預言者ミカは救い主が与えてくださる平和をわかりやすいたとえを用いて教えてくれました。
 ミカの生きた時代の戦争に使われた「つるぎ」や「やり」のような武器は金属で出来ていました。それと同じように畑仕事に使う「すき」や「かま」も金属で出来ています。
 恐ろしい武器もあつい熱で溶かして金づちで打てば、畑仕事の道具になるのです。その道具はみんなの食べ物を育てるために使うことが出来ます。
 「救い主が来られるとき、救い主に従う人たちは、武器を畑仕事の道具に直して、戦いをやめるだろう」とミカはみんなに話しました。
クリスマス、それはキリスト礼拝・キリスト祭と言います。主イエスキリストの御降誕をお祝いする日です。
クリスマスの主人公であるイエスさまは赤ちゃんです。沢山の脇役が登場します。みんな赤ちゃんを支え守るために、精一杯の力を発揮します。
 何にも出来ない赤ちゃんのイエス様に出会うことによって、自分の内から不思議に、愛する力を引き出されていきます。
 主イエスは神の愛を与え、人々の中から愛を引き出すことにおいた私達の救い主であられたのです。
 弱いものを中心として関係がきずきあげられることが平和です
クリスマス発表会のテーマはへいわをいのる~みんなが待っているクリスマスです 
 もうすぐ、クリスマス。クリスマスのメッセージは「愛」と「平和」です。
 世界中の人々が戦いをやめ、みんなが互いに愛し合い生きる日が来ることを待ち望み、祈りながらクリスマスを迎える準備をして参りましょう。