日本基督教団中津教会

中津教会での出来事を書いていきます。

フィリピ信徒への手紙3:7-21 「天国に市民権を持つ者」

2016-10-19 16:57:33 | 説教
わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待ってます。  
フィリピの信徒への手紙 3:20
 使徒パウロは「私たちの本国は天にある」(20節)とフィリピの教会に宛てた手紙に書きました。フィリピはマケドニア東部の都市。「フィリピにあるユリウス・アウグストゥスの植民都市」と言われました。ローマ皇帝アウグストゥスが、この都市に退役軍人を多数入植させ、ローマ市民権をもつ人々を中心とした植民都市にしたからです。そのフィリピに生活する人々にとっての「本国」とは当然ローマ帝国のことでした。
ところが使徒パウロは、フィリピの教会の人々に「私たちの本国は天にある」と宣言するのです。言いかえるなら「わたしたちは、ローマはなく天に属する者です」と宣言したのです。
確かに圧倒的な軍事力による平和と繁栄を誇ったローマ帝国も、やがて滅びていったことを私たちは知っています。この世にあってどれほど繁栄し権力を持つ国や組織、個人があっても、それは一時のこと。
ローマ帝国直轄の植民都市で、この町の人たちには、ローマの市民権が、与えられていたようです。そして、そのことを、フィリピの人たちは、誇りとしていたようです。
ローマ帝国の市民であるということで、様々な特権を与えられていたのです。
ですから国籍を持っている人々は、「国籍」が持っている力を、よく知っており、それを大切にしていたのです。
パスポートは、私たちが、日本の国民であることを、証明するものです。
そして、日本の政府が、現地の政府に対して、この人を守り、必要の際は支援してください、と依頼している文書です。
その本国の影響下にあっている、ということを、「本国は天にある」というみ言葉は表しているようです。
ローマ市民権を持つことの利点は、直接税の免除。
小麦の無料配給の特典。
皇帝主催の催し物への招待。
市民集会での投票権。
裁判時の皇帝への上訴権。
国家からの土地の借受権。
パウロは、タルソの有力者で金持ちの家庭に育ちました。厳格なユダヤ教徒で、ローマ市民権を付与された家の出身でした。
パウロの働きにおいて、彼がローマ市民権をもっていたことは思っても見ない待遇を受けることになります。
「私たちの本国は天にある」というパウロの発言から、「ローマではなく、天にこそ私たちは属している」という響きを聞きとることができます。
 では、その特権とは何でしょうか。
罪深く、弱い私たちに、主イエス・キリストが宿られ、日々作り変えて下さる。そのような主が共に働いて下さるからこそ、この世がどんなに絶望的に見えても、希望を持って歩むことが出来ます。
「私たちの本国は天にある」というパウロの言葉は、さまざまな身分出身の人々からなる教会共同体に、ひとつの共通の市民権を宣言するものでした。同時にこの宣言は弱い立場の人々を引き上げ、強い立場にある人には弱者への思いやりを促すものでもありました。
地上の国籍は違っていても、イエスさまを救い主と信じるクリスチャンは等しく、神の国の市民であり、国籍を天にもつ者です。

W.J.Callahanレポート

2016-10-06 17:13:06 | 中津教会の歴史
<中津の伝道拠点>

 まもなく閉じようとしている今年は、中津の事業において、聖霊のすばらしい成果と驚きで一杯であった。というのは、都合により
当分の間中津の東と西にあたる国東、田川地区での活動には手をつけずに、我々の活動が中津の都市部にほとんど限られていたからである。
  他の会議被任命者が活動を行わなかったため、最初の公務は10月13日の日曜日に催された。我々は、6日の土曜日に着いたが翌日の調整を行うにはあまりに遅く、その時村上師は、彼の新しい開拓地の多度津に行っており、教会は8月15日よりずっと閉じていた。最初から、我々には熱心なひとりの平信徒の援助のみしかなかったが、彼をクラスリーダーに任命し、その時以来彼には訓戒する許可を下した。
 1月から3ヵ月間、個人教授の藤井師の助けを受けていたが、彼は関西学院へ行かなければならなくなり、説教の援助に関する限り我々は実際上その年の間中、とり残されてしまった。その上、村上師が集めたすべての探求者たちを失ってしまった。彼らは、教会の長い閉鎖の間にばらばらに散ってしまい、中津にはだれもいなくなったのだ。ひとりの左官と以前堕落したRRの従業員を除いて、ひとりの伝道者のみならずひとりのキリスト教徒もいなくなった。
 去年の第4回毎季会議で選ばれた幹事は小倉に住んでいた。そのため、1月末の第2回毎季会議で初めて後継者が選出されたのだ。それ故に、我々の会計報告は6ヵ月をカバーしているが、我々の伝道は8ヵ月と半月のみであった。通常の伝道事業と信者会議への出席状況は良好である。

 中津は、今までにないほど目ざめている。というのは、聖霊が人々の間に活動しており、あらゆる階級の男女-裁判官、弁護士、教師、学生、商人、農夫、新聞配達人、職人が聖書を学びたいと願い集まってきているのだ。しかし、我々はそれ以上の事が出来ないので、彼らはそっぽを向かねばならない。最も希望のもてる呼び物は、家から家へと家庭を訪問することである。ところが我々が訪問することができる以上に,聖書を教えてもらうことを喜んで受け入れる家庭が多いということである。 
 婦人伝道者は、家での聖書教室や聖書を教えてくれるようたのまれた家庭女性のために精一杯活動している。中津の女性たちのみを助け、その他の地域で救いを求めている者たちへの手助けができないのであろうか。そのようなことは決して許されない。 
女性及び子どもの活動レポートは、私の妻の手にゆだねる。通常の説教、英語及び聖書教育、家庭訪問、小冊子配布の他に、我々はある特別な仕事を持っているからである。
 5月の地区会議の後ただちに、W・C・T・Uの巡回福音伝道者であるKミヤマ師が3日間程我々といっしょに滞在していた。毎晩我々は教会において節制の講義や説教を行い、昼間はより高貴で清い生活を導いていくことに関心を持っている者たちとの話し合いで満ちていた。その上さらに講義もおこなった。ミヤマ師は、節制について、中学校や高等小学校で講義をしたり、刑務所では、全囚人、警察官出席の下、初めて説教をした。わかりやすくすばらしいミヤマ師の説教は悔い改めより高貴な生活へ向けて出席者の心を動かした。
 次の週は、伝道(促進活動)に関連して特別な努力を払う時機となった。
 これは日本中で推し進められている。説教の力は弱く、メンバー不足のため日々の辻説教をすることができないが、場所によっては大変効果的であり、集会も上々で、訴えにも熱がこもっており、多くの者たちが救い主が大いに必要だという感じに目覚めていた。
 我々は主が中津のために大切なことをまだ貯えていて、主が我々に準備したものを過去に前もってほんの少し味わせただけであると信じている。
 “収穫の主が、ぶどう畑にもっと多くの労働者たちを
  送り出すように汝らよ祈れ”
 教会は今広く眠りからさめ、彼らの時と手段を自由に与えている。年間の受け入れメンバーは八名である。


                     

マ-サ-・テ-ラ-師(W.J.Callahan夫人 ) 1902.8.26中津レポート

2016-10-06 16:53:41 | 中津教会の歴史
<中津における婦人活動>

結果に関して見る限り、今年は我々の婦人活動においてベストであった。6名の婦人に洗礼を施し、かなり多くの見習伝道者や探求者たちが集まった。年内に《婦人伝道者)バイブルウーマンは全くなかったが、もし木下師と彼の妻の熱心な協力がなければ、我々の活動は大きな痛手をかかえることになっていたであろう。
 しかしながら、彼はたゆまぬ熱意で働いてくださり、中学校の小川先生と聖書販売と宇野師、その他の人々の助けを得た。彼らの努力は十分な成果を生み出し、多大の個人活動や家庭訪問が行われてきた。
 女性会議には平均して約15名のメンバーがいる。聖書は特別な勉強であるが、その他に、料理や病気の手当の仕方等が教えられている。
 通常の聖書教室では、聖書の体系的研究を毎週行っており、女性たちが関心を寄せていることは喜ばしいことである。このクラスの数人はクリスチャンではないが、キリスト教が彼女らにとって必要なものであることが急速に認識されつつある。
 これらの女性の中には、家庭訪問において多大な助けをしてくれた者もおり、彼女らが、キリスト教徒となった後に役立つと確信できる体験を得てきている。2人の老女性は、2人とも50歳を越えているが、真の宗教的体験へ入り込もうとしている。
 
 先日、二人は、祖先の位牌を受けとって、お寺にわたしに行くと、寺の住職は、彼女たちが位牌を崇拝することをやめたいことを聞いて、彼女たちに位牌を渡さなかった。
 また、別の熱心な婦人は、洗礼を受けたいと願っているが、彼女の夫がそれに反対し、もし彼女がキリスト教徒になったら離縁すると言って彼女をおどしている。彼女は、すでにキリスト教を信仰しており、我々が祈るのは彼女の夫の心が和らぎ、彼女の心の願いがかなうことのみである。
 我々の日曜学校の生徒の人数は少し減っているが、暑い季節にも閉校せずに二つのにぎやかな日曜学校を開いている。
 日曜学校に通っている二人の少女が、洗礼の希望をしているが、今のところ彼女らの両親が同意していない。
 一年間の活動を振り返ってみると、もっとよくすればよかったことや見失ってしまった好機が、多々見受けられるが、我々は神の愛をいろいろと学び神へ奉仕しようとする喜びを認識してきている。我々は、大変親しくなった人々と共に希望と勇気を持って来るべき年を心待ちにしている。
  神よ、私ができるならば、私はあなたのもとで
  明日もまた御奉仕いたします。